「輿論政治」という言葉は、今日では死語になってしまった。日本語として是非とも復活させねばならない概念だ。「輿論(ヨロン)」という概念は、今では「世論(セロン)」に置き換わってしまったのであるが、本来は全く違った意味で使われていた。「民主主義」とは、決して移り変わりやすく流されやすい世論に迎合することではない。私欲に流されず、道理を明弁する国民代表により、議会の場で公に議論して政策を練り上げ、形成し、執行していくことである。これこそ小三郎が理想とした「輿論政治」の姿なのである。
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