人の名前に「主義」をつけて教条化した時点で、未来の発展の可能性を自ら閉ざしてしまっている。「〇〇主義」と名乗ることほど、非弁証法的な話はない。未来は開かれている。一個人の思想に「主義」をつけて絶対化する発想からは、決して未来は生まれない。「プロレタリア独裁」といった時点で、権力の分立を否定しており、立憲主義を踏みにじる必然性を内包している。マルクスには統治機構論が決定的に欠落している。立憲主義の基本原則は、経済政策が社会主義的であるか、新自由主義的であるかという点とは別次元の問題であり、普遍的に死守しなければならない。共産党独裁を正当化するための方便にすぎないプロレタリア独裁論を否定しない左派には、決して政権を委ねてはならない。
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希望を蹴って立憲民主党から立候補すれば、共産党が擁立を見送って、共産票も加わるというプラス効果がある。希望の刺客は大歓迎。リベラル票は減らず、自民の右派票だけ減らしてくれる。選挙はさらに有利になる。踏み絵を踏んだ刺客なんて、そもそも人物的にたかが知れているし、判官びいきの日本人の心情にはまったく響かない。保守票も立憲民主に流れるのではないか。右翼は右翼の票を食う。今回の刺客騒動、小泉純一郎氏によるあの悪夢の郵政選挙以来だ。小池氏は、小泉氏の手法を真似ようとしたのだろうが、完全にずっこけている。「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」 . . . 本文を読む