天皇陛下が戦没者慰霊のためフィリピンを訪問されています。昨日の天皇のお言葉を引用させていただきます。
「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラ市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」
私はかつてフィリピンの熱帯林をフィールドに研究していました。私のフィリピン戦についての想いを若干、書いておきます。フィリピンの農山村で生活していると太平洋戦争の話題を抜きにすることなどできませんでした。私が研究活動をしていた1990年代後半には、戦時中の記憶を生々しくもったお年寄りたちがまだ多くて、古老にインタビューをしていると「私は君のような若い世代は戦争に対する責任がないと分かっているからこうして平静にしていられるけど、君が戦争を経験した世代だったらどうしているか分からないよ」などと言われたこともありました。
熱帯林について調べていたので、日本軍政下で対日輸出向けの木材伐採をやっていた地域(ヌエバエシハ州のガバルドン町)でも生活していたことがありました。調査していた村では、村の中が、親日派と抗日ゲリラ派に分かれて凄惨な抗争が行われていました。森林開発について調べていたので、戦時中に日本軍が木材伐採をしていたという話も当然話題に出てきます。
ある村人から「日本軍に雇われて木材伐採現場で働いていたら、木材運搬トラックをゲリラに襲撃された。乗っていた7人中5人が死んだ。私は幸運にも生き残った一人だった」という話しを聞きました。襲撃されて重傷を負った方のすぐ隣近所には、そのトラックを襲撃した抗日ゲリラに参加しておられた方もおりました。その抗日ゲリラだった方は、日本軍の製材工場を襲撃して炎上させたという話しも語ってくれました。抗日ゲリラに入っていた方は、襲撃されて重傷を負った方について、「昔の話だ。いまはあいつと友達だよ」とおっしゃっていました。一つの町の中で、隣近所同士でも、日本に協力するかゲリラに協力するかで、お互いに凄惨な殺し合いが展開されていたのです。
米軍傘下の抗日ゲリラの主要な任務は、「日本の戦争遂行能力なくすために、フィリピンにおける資源開発を妨害する」というものでした。木材伐採現場のみならず、鉄鉱山や銅鉱山など、日本の資源採掘現場はゲリラの襲撃対象になったのです。日本軍は疑心暗鬼になってゲリラ掃討作戦を展開したので、多くの村人がゲリラの嫌疑をかけられ、よく調べもせずに殺されたようでした。私の調査していた村でも「父親は、ゲリラと間違えられて日本軍に殺された」という話しを幾度も聞かされました。
日本に帰ってきて日本側の文献を調べていると、その地域で伐採をしていた日本の会社(栗林商会)の社史の存在が分かり、ゲリラに会社の伐採トラックが襲撃され、製材工場も焼き討ちされ、伐採事業は滞ったということも記載されていました。フィリピン側で老人たちから聞いた話が、日本側の記録と一致したのです。
*******
天皇陛下が、お言葉の中でマニラ市街戦について触れられています。マニラ市街戦の死者は、マニラ市民が10万人、日本軍1万2000人、アメリカ軍1010名とされています。(ウィキペディアの「マニラの戦い」より)
戦争の当事者は日本軍と米軍ですが、最大の犠牲は戦争の当事者ではないマニラの一般市民でした。
日本軍は、一般市民が日常生活を営むマニラの旧市街地域に、市民を人質にして篭城。その中で、日本軍は多くの市民を抗日ゲリラの嫌疑をかけて殺戮していきました。しかし10万人の犠牲者の多くは米軍の無差別砲撃によって殺されたのが実態です。
米軍は、多数の市民がマニラにいると知っていながら、市街地の外から高射砲などで砲弾の雨あられを降らせ、マニラ市民もろとも日本軍を吹き飛ばしていったのです。
アフガニスタン、イラク、シリアの空爆での一般市民の犠牲者を、米軍は涼しい顔をして「付随的損害(Collateral Damage)」と呼ぶのと同じです。敵を殲滅する作戦遂行のためには、罪のない一般市民に犠牲者を出しても何とも思わないアメリカ軍の作戦の野蛮さは当時から今に至るまで変わらないようです。
「東洋の真珠」と呼ばれた美しかったマニラ旧市街は、マニラ市街戦でほとんどが消失しました。戦争がなかったら世界遺産になっていたはずの旧市街です。私の知り合いのフィリピン人研究者は、「インストラムロス(マニラの旧市街)が破壊されたことによって、フィリピンは自国の文化的な統合の核も失ってしまった。それで戦後は国民の心もバラバラになって、停滞することになってしまった」と言っていました。
NHKがかつて放映した、証言記録「マニラ市街戦 ~死者12万焦土への1ヶ月~」は、米兵、日本兵、マニラ市民というそれぞれの立場の人々にインタビューをして、凄惨なマニラ市街戦の全体像を見事に描きだしています。あの番組は本当にすごかった。日本軍や米軍など軍関係者の視点に偏る番組が多い中で、犠牲者であるマニラ市民へのインタビューを詳細に行っていた点がすばらしかったです。これを機会に再放送を望みます。
以下参照。
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h17835AA
「フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラ市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」
私はかつてフィリピンの熱帯林をフィールドに研究していました。私のフィリピン戦についての想いを若干、書いておきます。フィリピンの農山村で生活していると太平洋戦争の話題を抜きにすることなどできませんでした。私が研究活動をしていた1990年代後半には、戦時中の記憶を生々しくもったお年寄りたちがまだ多くて、古老にインタビューをしていると「私は君のような若い世代は戦争に対する責任がないと分かっているからこうして平静にしていられるけど、君が戦争を経験した世代だったらどうしているか分からないよ」などと言われたこともありました。
熱帯林について調べていたので、日本軍政下で対日輸出向けの木材伐採をやっていた地域(ヌエバエシハ州のガバルドン町)でも生活していたことがありました。調査していた村では、村の中が、親日派と抗日ゲリラ派に分かれて凄惨な抗争が行われていました。森林開発について調べていたので、戦時中に日本軍が木材伐採をしていたという話も当然話題に出てきます。
ある村人から「日本軍に雇われて木材伐採現場で働いていたら、木材運搬トラックをゲリラに襲撃された。乗っていた7人中5人が死んだ。私は幸運にも生き残った一人だった」という話しを聞きました。襲撃されて重傷を負った方のすぐ隣近所には、そのトラックを襲撃した抗日ゲリラに参加しておられた方もおりました。その抗日ゲリラだった方は、日本軍の製材工場を襲撃して炎上させたという話しも語ってくれました。抗日ゲリラに入っていた方は、襲撃されて重傷を負った方について、「昔の話だ。いまはあいつと友達だよ」とおっしゃっていました。一つの町の中で、隣近所同士でも、日本に協力するかゲリラに協力するかで、お互いに凄惨な殺し合いが展開されていたのです。
米軍傘下の抗日ゲリラの主要な任務は、「日本の戦争遂行能力なくすために、フィリピンにおける資源開発を妨害する」というものでした。木材伐採現場のみならず、鉄鉱山や銅鉱山など、日本の資源採掘現場はゲリラの襲撃対象になったのです。日本軍は疑心暗鬼になってゲリラ掃討作戦を展開したので、多くの村人がゲリラの嫌疑をかけられ、よく調べもせずに殺されたようでした。私の調査していた村でも「父親は、ゲリラと間違えられて日本軍に殺された」という話しを幾度も聞かされました。
日本に帰ってきて日本側の文献を調べていると、その地域で伐採をしていた日本の会社(栗林商会)の社史の存在が分かり、ゲリラに会社の伐採トラックが襲撃され、製材工場も焼き討ちされ、伐採事業は滞ったということも記載されていました。フィリピン側で老人たちから聞いた話が、日本側の記録と一致したのです。
*******
天皇陛下が、お言葉の中でマニラ市街戦について触れられています。マニラ市街戦の死者は、マニラ市民が10万人、日本軍1万2000人、アメリカ軍1010名とされています。(ウィキペディアの「マニラの戦い」より)
戦争の当事者は日本軍と米軍ですが、最大の犠牲は戦争の当事者ではないマニラの一般市民でした。
日本軍は、一般市民が日常生活を営むマニラの旧市街地域に、市民を人質にして篭城。その中で、日本軍は多くの市民を抗日ゲリラの嫌疑をかけて殺戮していきました。しかし10万人の犠牲者の多くは米軍の無差別砲撃によって殺されたのが実態です。
米軍は、多数の市民がマニラにいると知っていながら、市街地の外から高射砲などで砲弾の雨あられを降らせ、マニラ市民もろとも日本軍を吹き飛ばしていったのです。
アフガニスタン、イラク、シリアの空爆での一般市民の犠牲者を、米軍は涼しい顔をして「付随的損害(Collateral Damage)」と呼ぶのと同じです。敵を殲滅する作戦遂行のためには、罪のない一般市民に犠牲者を出しても何とも思わないアメリカ軍の作戦の野蛮さは当時から今に至るまで変わらないようです。
「東洋の真珠」と呼ばれた美しかったマニラ旧市街は、マニラ市街戦でほとんどが消失しました。戦争がなかったら世界遺産になっていたはずの旧市街です。私の知り合いのフィリピン人研究者は、「インストラムロス(マニラの旧市街)が破壊されたことによって、フィリピンは自国の文化的な統合の核も失ってしまった。それで戦後は国民の心もバラバラになって、停滞することになってしまった」と言っていました。
NHKがかつて放映した、証言記録「マニラ市街戦 ~死者12万焦土への1ヶ月~」は、米兵、日本兵、マニラ市民というそれぞれの立場の人々にインタビューをして、凄惨なマニラ市街戦の全体像を見事に描きだしています。あの番組は本当にすごかった。日本軍や米軍など軍関係者の視点に偏る番組が多い中で、犠牲者であるマニラ市民へのインタビューを詳細に行っていた点がすばらしかったです。これを機会に再放送を望みます。
以下参照。
http://www.nhk-ep.com/products/detail/h17835AA