代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸第3回「策略」感想

2016年01月24日 | 真田戦記 その深層


☆昌幸の策謀、三谷さんの脚色それとも事実?

 今週は、長男も国衆も視聴者もまとめてだます昌幸パパの策謀がさく裂しました。上杉に誘われたのでそれに対する返書を上杉に出すというウソの手紙を何も知らない信幸にもたせ、それをわざと小県のライバルの室賀正武に盗ませるように仕向け、室賀から信長に密告させるというもの。昌幸から信長へ臣従を申し入れれば、信長の性格からして、前回の小山田信茂みたいに斬って捨られてしまうかも知れないけど、上杉からも誘われているほど価値の高い人材となれば、信長は逆に「欲しい!」と思うであろう・・・・と。信幸兄さんが本当にかわいそうでしたが。
 
 山本勘助も黒田官兵衛も顔負けの手の込んだ策謀ぶりです。これは当然、ドラマを面白くするための三谷さん脚本の脚色でしょう・・・・と思いきや、調べてみると、史料的根拠があるそうなのです。
 相当に信頼のおける真田氏の史料である『加沢記』に実際にそのように書かれています。『加沢記』によれば、昌幸は、「たとえ60余州の兵が押し寄せてこようとも戦は望むところ」と、籠城して織田との対決姿勢を鮮明にしている・・・・フリをして、それが信長の耳に届くように吹聴します。さらに越後や小田原に援軍を求める書状を届けさせ、その書状がわざと織田方に捕縛させるように仕組んだと書いてあります。
 昌幸の動きを知った織田方では、織田信忠の重臣が、「籠城して決戦に備えるとは実に神妙の至り。信忠公は感心している。悪いようにしない」と織田への帰属を求める手紙を昌幸に送ってきたそうです。柴辻俊六氏の『真田昌幸』(人物叢書、1996年)は、この『加沢記』の記述は事実ではないかと紹介しています。信幸兄さんまでダマしたというのはさすがに三谷さんの脚色でしょうが・・・・。しかし、本当に昌幸パパはあの手の込んだ策謀を実行していたようなのです。びっくりポンですね。日本の外交もこのくらいの芸当はやってほしい・・・。


☆室賀郷と真田郷の入会権紛争ぼっ発

 今回のドラマで面白かったのが、真田郷の薪炭採取用の里山に、室賀領の地侍・百姓が侵入して薪を盗伐するという話。江戸時代には、各地で実際に勃発していた村落間の入会権紛争です。主要なエネルギー源である薪炭材の確保というのは百姓にとっては死活問題でした。実際に命がけだったのです。戦国時代の荒っぽい地侍たちの村落間抗争を描いたあのシーン、真田丸の時代考証はすばらしいと思いました。ちなみに、真田昌幸が、真田郷の水源林である四阿山の木材伐採を禁止する通達をした文書なんかは今でも残っています。山が丸裸にならないようにする森林行政は、領主にとって重要な政策課題であったことが伺われます。

 ちなみに、室賀正武の室賀城、出浦昌相(盛清)の出浦城、真田昌幸の真田本城の位置関係は以下の図ようになります。室賀城から真田本城までは直線距離で16km、あいだに千曲川が流れているので行き来は困難。実際には、室賀領の百姓が薪を盗みにくるのは難しいですね。

 出浦氏の領地と室賀氏の領地は、室賀峠を越えてすぐなので隣村同士です。山村の経済圏は山を介してつながっていますので、室賀と出浦に関しては、領民同士の交流も多かったであろうと思われます。

 出浦氏も室賀氏ももともと武田信玄を二度破った名将・村上義清の家臣団の筆頭格の存在でした。出浦城は、村上義清の本拠葛尾城の目と鼻の先にあります。出浦も室賀も含め、この辺の土豪は、真田幸隆(幸綱)を除けば、ほぼ村上方でした。



真田本城、砥石城、室賀城、出浦城の位置関係(ちなみにドラマの天正10年にはまだ上田城はありません)

 出浦も室賀も、武田に二回勝っているので、「武田も真田も何するものぞ」という意識は相当にあったと思います。室賀氏も出浦氏も、村上義清を追い落とした真田に対する怨念は相当に深かったと思います。いまでも上田には、誇り高き村上家臣団の末裔がいて、「何が真田だ!」とアンチ真田意識を強く持っている方々がおります。とくに室賀の方々は・・・・。

 私も、大河ドラマに室賀氏が出ると聞いたときにはびっくりしました。信濃の国衆(小豪族たち)のライバル関係にスポットを当てるという、今回の大河のチャレンジングな精神はすばらしいと思います。はたして、全国の視聴者が思いっきりローカルなこの抗争を面白いと思ってくれるのだろうかと、地元の人間としてハラハラしますが・・・。


☆「風林火山」と「真田丸」の連続性

 大河ドラマで真田郷が出てくるのは「風林火山」以来です。「真田丸」は、「風林火山」の設定との連続性を感じ、風林火山ファンには嬉しいです。旧作に敬意を払ってつくってくれているので。

 昌幸の母などは、風林火山でも主要人物として登場しています。毅然とした性格のキャラ設定も、風林火山と連続しているようで、嬉しく思います。ただ、惜しむらくは、名前が「忍芽(しのめ)」から「とり」へと変えられていることですが・・・。

 「風林火山」は「真田丸」よりも30年ほど前の真田郷を描いていました。真田本城と、当時村上義清の持ち城だった砥石城は、上の図のように、目と鼻の先にあります。

 真田郷を舞台にした真田幸隆と村上義清の息詰まる攻防戦は、風林火山の名場面だったと思います。真田幸隆は罠を仕掛けて村上兵を真田本城に誘い込み500名を討ち取る。それを契機に武田軍が全力で砥石城を攻めたら、今度は逆に武田軍1200名が戦死するという、信玄の生涯最大の敗北を喫しまう・・・・。最後に、真田幸隆は、(いまや徳川家康に転生してしまった)山本勘助と立案した調略で砥石城を乗っ取って、めでたく真田郷を取り戻しました。
 
 あの風林火山の時代から約30年後の真田の郷が、ふたたび視聴できたのは感無量でした。しかも天正の昔から430年後の平成の真田町で実際にロケをやっていますので、真田郷の長谷寺に眠る真田幸隆公も昌幸公も母上も、さぞ喜んでいることでしょう。


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