またもや精神的・時間的余裕の欠如から長い間ブログを放置してしまっておりました。この間、ブログにコメントをして下さっていた皆様、返信できずに放置してしまいまことに申し訳ございませんでした。
ブログを留守にしている間に発生したミャンマーのサイクロンと四川大地震の犠牲者の皆様には心からお悔やみを申し上げます。私にできることは募金しかありませんでしたが、一刻も早い復興を祈念いたします。
そして中国政府の皆様には、手抜き工事が二度と起こらないよう、公共工事のあり方を抜本的にも見直して下さるよう、強く要望いたします。学校・病院などは最高度の耐震基準を確保せねばならないのは当然のことでしょう。それができないのなら、もう「社会主義」などと名乗らない方がよいでしょう。
関東に居住の皆様、そろそろ周期的に考えて関東大震災がいつ発生してもおかしくないと思います。日頃から十分に気をつけましょう。
温暖化すれば凍死者が減ってよいのではないか、などとノーテンキなことを言っている皆様、どうか、この間の熱帯低気圧の凶暴化や旱魃の増加による飢餓の不安などの現実を直視していただきたいと思います。
そして、秋葉原通り魔事件の犠牲者の皆様に心からお悔やみ申し上げます。こんな悲惨な無差別殺人事件が起こらないようにするにはどうすればよいのか、議論が活発化することを願ってやみません。
同時に、今回の事件の背景を知るにつけ、派遣労働者・非正規労働者に対する「人間使い捨て」の慣行を一刻も早く止めさせなければならない、という思いも強く持たざるを得ませんでした。
加藤容疑者の犯行も言語同断ですが、加藤容疑者の派遣先の自動車工場における派遣労働者200人中150人を一斉にリストラするという行為も言語同断です。「これは資本主義だから止むを得ない」というのであれば、そのような資本主義はトットと廃絶せねばなりません。少なくとも、かつての日本の資本主義はもっと人間にやさしかったはずです。
ここまでメチャクチャな人間の使い捨てがまかり通るような世の中であっては、人間の生命を尊重する心も廃れていくのも必然的だと思えるのです。
秋葉原事件はあまりにも痛ましかったので、私が教える大学の昨日の授業の予定を変更してこの問題を取り上げてみました。大学一年生向けに「アカデミック・スキル」という入門ゼミのような授業があります。その場でどうしてこんな問題が発生したのか、そしてどうすれば防げるのかを話し合ってみました。
といっても議論の取っ掛かりがないといけません。私は6月10日の新聞各紙の秋葉原事件に関する社説の中から、対照的な見方をしていた読売新聞と東京新聞の社説を取り上げ、学生たちにどちらの社説により共感するかを聞いてみました。
読売新聞の社説は、「他人を巻き込んで、自らの破滅願望を満たそうとする。若い世代に、社会に適応できない、未熟な人間が増えているのだろうか」などといういわゆる俗流若者論を展開した上で、若者が使い捨てにされている派遣労働の過酷な状況には一切言及せずに、ひたすら警察力の強化による解決を訴える内容でした。非常に読売らしい社説でした。
東京新聞の社説は、容疑者の進路面での挫折や孤独感について言及した上で、容疑者の派遣社員という身分の不安定さについても述べ、「格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない」という解決策を提示していました。
さて、この二つの社説を読んだ上で、私の受け持つ大学一年生のクラスの出席者18名に、どちらの主張により共感するか聞いてみました。結果は以下の通り。
読売新聞の社説により共感 ・・・ 3人
東京新聞の社説により共感 ・・・ 8人
両紙の主張にそれぞれ一理ある ・・・ 4人
どちらの主張にも賛成できない ・・・ 3人
ちなみに、このクラスには女性は二人しかいないのですが、女性は二人とも東京新聞により共感していました。多分、母集団に女性がもっと多ければ、東京新聞に共感した人の割合はもっと増えるだろうと思います。
以下、おもな意見を紹介してみます。
読売に共感(男)
「この事件は『社会』よりも『個人』の責任が大きいのではないでしょうか。」
東京に共感(女)
「やはり一番の原因は、このような事件を起こした犯人を生み出した社会制度だと思う。近い年代の私からも見て、今の社会に期待は見出せない」
東京に共感(男)
「自分は格差や貧困などの社会問題がこの事件を引き起こしたのではないかと思う。読売新聞は社会に適応できない未熟な人間が増えている、と書いてあるが、なぜ未熟な人間が増えてしまったのかなど書くべきだと思った」
やはり、読売が展開した俗流若者論にカチンときた学生はいました。ただ、けっこう読売の社説に素直に納得していた学生も予想より多かったですが・・・・。やはり最近の若者はダメだダメだと言われ続けると、自虐的にそう納得してしまうようです。
「社会に適応できない」も何も、「合理的個人主義」を掲げる市場原理主義の興隆で、人間同士が絆で結びつく「社会」そのもがぶっ壊れているのに・・・・。そういう背景が分析できないなんて、こういう社説を書く人こそ「未熟な人間」だといえるでしょう(どうせ団塊世代でしょう)。
ナベツネさんに提案。こういう人こそ、リストラ対象にすべきではないでしょうか? そうすれば、人間の尊厳を踏みにじられた者の気持ちも分かるようになって、少しは人間的に成長できるのではないでしょうか。
ブログを留守にしている間に発生したミャンマーのサイクロンと四川大地震の犠牲者の皆様には心からお悔やみを申し上げます。私にできることは募金しかありませんでしたが、一刻も早い復興を祈念いたします。
そして中国政府の皆様には、手抜き工事が二度と起こらないよう、公共工事のあり方を抜本的にも見直して下さるよう、強く要望いたします。学校・病院などは最高度の耐震基準を確保せねばならないのは当然のことでしょう。それができないのなら、もう「社会主義」などと名乗らない方がよいでしょう。
関東に居住の皆様、そろそろ周期的に考えて関東大震災がいつ発生してもおかしくないと思います。日頃から十分に気をつけましょう。
温暖化すれば凍死者が減ってよいのではないか、などとノーテンキなことを言っている皆様、どうか、この間の熱帯低気圧の凶暴化や旱魃の増加による飢餓の不安などの現実を直視していただきたいと思います。
そして、秋葉原通り魔事件の犠牲者の皆様に心からお悔やみ申し上げます。こんな悲惨な無差別殺人事件が起こらないようにするにはどうすればよいのか、議論が活発化することを願ってやみません。
同時に、今回の事件の背景を知るにつけ、派遣労働者・非正規労働者に対する「人間使い捨て」の慣行を一刻も早く止めさせなければならない、という思いも強く持たざるを得ませんでした。
加藤容疑者の犯行も言語同断ですが、加藤容疑者の派遣先の自動車工場における派遣労働者200人中150人を一斉にリストラするという行為も言語同断です。「これは資本主義だから止むを得ない」というのであれば、そのような資本主義はトットと廃絶せねばなりません。少なくとも、かつての日本の資本主義はもっと人間にやさしかったはずです。
ここまでメチャクチャな人間の使い捨てがまかり通るような世の中であっては、人間の生命を尊重する心も廃れていくのも必然的だと思えるのです。
秋葉原事件はあまりにも痛ましかったので、私が教える大学の昨日の授業の予定を変更してこの問題を取り上げてみました。大学一年生向けに「アカデミック・スキル」という入門ゼミのような授業があります。その場でどうしてこんな問題が発生したのか、そしてどうすれば防げるのかを話し合ってみました。
といっても議論の取っ掛かりがないといけません。私は6月10日の新聞各紙の秋葉原事件に関する社説の中から、対照的な見方をしていた読売新聞と東京新聞の社説を取り上げ、学生たちにどちらの社説により共感するかを聞いてみました。
読売新聞の社説は、「他人を巻き込んで、自らの破滅願望を満たそうとする。若い世代に、社会に適応できない、未熟な人間が増えているのだろうか」などといういわゆる俗流若者論を展開した上で、若者が使い捨てにされている派遣労働の過酷な状況には一切言及せずに、ひたすら警察力の強化による解決を訴える内容でした。非常に読売らしい社説でした。
東京新聞の社説は、容疑者の進路面での挫折や孤独感について言及した上で、容疑者の派遣社員という身分の不安定さについても述べ、「格差や貧困の広がりを食い止め、若者が希望を持てる社会を築かなくてはならない」という解決策を提示していました。
さて、この二つの社説を読んだ上で、私の受け持つ大学一年生のクラスの出席者18名に、どちらの主張により共感するか聞いてみました。結果は以下の通り。
読売新聞の社説により共感 ・・・ 3人
東京新聞の社説により共感 ・・・ 8人
両紙の主張にそれぞれ一理ある ・・・ 4人
どちらの主張にも賛成できない ・・・ 3人
ちなみに、このクラスには女性は二人しかいないのですが、女性は二人とも東京新聞により共感していました。多分、母集団に女性がもっと多ければ、東京新聞に共感した人の割合はもっと増えるだろうと思います。
以下、おもな意見を紹介してみます。
読売に共感(男)
「この事件は『社会』よりも『個人』の責任が大きいのではないでしょうか。」
東京に共感(女)
「やはり一番の原因は、このような事件を起こした犯人を生み出した社会制度だと思う。近い年代の私からも見て、今の社会に期待は見出せない」
東京に共感(男)
「自分は格差や貧困などの社会問題がこの事件を引き起こしたのではないかと思う。読売新聞は社会に適応できない未熟な人間が増えている、と書いてあるが、なぜ未熟な人間が増えてしまったのかなど書くべきだと思った」
やはり、読売が展開した俗流若者論にカチンときた学生はいました。ただ、けっこう読売の社説に素直に納得していた学生も予想より多かったですが・・・・。やはり最近の若者はダメだダメだと言われ続けると、自虐的にそう納得してしまうようです。
「社会に適応できない」も何も、「合理的個人主義」を掲げる市場原理主義の興隆で、人間同士が絆で結びつく「社会」そのもがぶっ壊れているのに・・・・。そういう背景が分析できないなんて、こういう社説を書く人こそ「未熟な人間」だといえるでしょう(どうせ団塊世代でしょう)。
ナベツネさんに提案。こういう人こそ、リストラ対象にすべきではないでしょうか? そうすれば、人間の尊厳を踏みにじられた者の気持ちも分かるようになって、少しは人間的に成長できるのではないでしょうか。
こんにちは。私もこの事件についてブログに掲載しました。ただし、数十年前からこうした事件が起こることを予期していた、経営学の大家ドラッカー氏の見解などを補足する形になりました。ドラッカー氏はもう数年前になくなっていますが、その遺志をひきついで、「ドラッカー財団」が様々な活動を行っています。その財団が10年ほど前に「未来社会への変革」という書籍を出しています。この書籍には、都市の文明化ということで、各方面の人々が様々な意見を書き、いわば集合知のような英知のかたまりとなっています。まさに、アメリカの良心を代表するといっても過言ではありません。このなかには、今日あらゆる国の主要都市が、混沌たるジャングルようになっており、今回のような事件が多発すること、それに対する対処法に関しても書かれてあり、この10年間でアメリカも相当変わっています。無論、まだまだ至らないところもありますが、具体的な成果をあげつつあります。
ひるがえって日本では、都市の文明化ということにあまりにも注意が払われていないと思います。このままでは、いつまでも根本的な問題解決にならないと思います。ここに書くと長くなってしまいます。詳細は私のブログを是非ご覧になってください。
記事に「自虐的に納得してしまう」というようなくだりがあるのですが、決してそうではないと思います。むしろ、すぐに社会に責任転嫁しないための冷静な姿勢の現れではないでしょうか。とはいえ、私もこの件は昨今の社会の空気にも原因があると思います。
私も大学生ですが、周りを見ていると、昨今の派遣社員・ワーキングプアの増加を見るにつけ、「自分はああはなるまい」と考えている人が多い気がします。また、「自己責任論」(個人的には大嫌いな言葉ですが)がかなり浸透していて、そうした人々にシンパシーを感じる人は意外に少ないような印象を受けます。
そうしたことから、読売新聞の社説に共感する人は一定数いると思われます。私はいわゆる「俗流若者論」が嫌いで(そういうことを言っている人の若者時代はどうなのかと思ってしまう)、今回の事件の背後にある社会に問題があると思っているので東京新聞の社説に共感します。被疑者の犯行は言語道断だとしても、私は今まで以上に「派遣社員」ばかりの現在の労働環境を強く意識しました。
私の両親の職場も、最近は来る人来る人派遣社員ばかりで、両親はその状況を嘆いています。少なくとも、労働者の権利を蔑ろにするような社会は改善せねばならないと思います。「自己責任」「甘えるな」「○○なんて当たり前」などの言葉を嬉々として語っている人をTV党で見るにつけ、身震いを覚えます。
私20歳頃対人恐怖のために、10日ほどアパートから外に出られなくなった経験があります。
その時に漠然と考えたのが、表題のようなこと。
現在においても、「社会」はぶっ壊れてはいません。ほんの少しシステムが変っただけで、高度経済成長期から何ら変っていないのが実態でないでしょうか。
あの頃にしても、”季節労働者”が数多くおられて、先月は川崎、今月は瀬戸内のどこかという風に工場(現場)と転々と移らざるを得なかったのですから。
一方、今も。
30歳代後半の私でさえ時折腹立たしく感じるくらい、頑丈で融通がきかず、”私”の前に立ちはだかっています。
「彼」のことを理解できるとは、うぬぼれてはいませんが、「彼」がその”確固たる”社会を打ち破れないことに苛立っていたことは、理解してあげて欲しいのです。
フォード主義の時代くらいまで戻れれば、急激な雇用調整が無くなると思います。が、今の少量多品種生産(しかも限りなく受注生産)の元では、この種の労働者が居ることを前提とした工程を組むことになります。非難すべきは、”資本”ではなく、”消費性向”でないかと思うのです。
さて今回の事件…
私は異常な精神の持ち主の事を、正常な精神では永遠に理解出来ないのでは?…と、思います。
「そんな事、わかっとるわい!再び、こんな事件が起こらないように、どないしたらええか考える事に意義があるんじゃい!」
と、いう人も居られるでしょう。
しかし、考えてみて下さい。有史より犯罪の全く無い世の中がありましたでしょうか?
数字の上でですが、昭和一桁の時代なんぞ、間引きや娘を売りに出したりしていたのですよ?
現在でも中国の貧しい農村部では、そういう事があるそうです。そして、それを非難する有識者の人もいますが、なんてことはない日本も何十年か前はエライ事をしていたのです。
それに比べて良い時代ではないですか?!
寿命も世界一ですよ?
まぁ、呼吸しているだけで行為を伴わないのは「生きる」とは言えないのでなんとも言えませんが(^_^.)
数十年前から、無差別殺人や死体遺棄事件、集団強姦事件はありました。少年犯罪などは現在の数倍もあったそうです。
メディアの普及やその「報道の仕方」で、凶悪な犯罪が増えた「印象」があるだけです。
アホは、ほっといて、もっと議論せねばならない事があります。
<非難すべきは、”資本”ではなく、”消費性向”でないかと思うのです。>
デルタ殿の上記の意見に賛同します。
また、派遣がどうのこうのと「悪い」事ばかり言う人もいらっしゃいますが、大変に良いところもありますよね?取り急ぎの仕事にありつけ、その間にスキル・アップや資格取得し巣立つ人もいれば、渡りのように色んな職場に顔をだし、交流を深め、商売のヒントを得る人もいるかもしれません!
女性とかでは「結婚前の1年間だけ働きたい!でも社会保険には入りたいし…」と、いう人は派遣が最適ではないですか!
この事(派遣にもいい所がある)を併せて報道しないと、今、派遣で頑張っている人達に失礼ですよね。
私の友達にも役者やバンドをしている方がいまして、イベントやオーディション・等で任意で休みたいので、派遣の方がいいと言う方もおられます。
> 結婚前の1年間だけ働きたい!でも社会保険には入りたいし…
いつの時代のお話でしょう?たしかに四半世紀も前にはそんな風潮もありましたけれど。
いまや専業主婦で生涯幸せに暮らせると思っている女性はほんの一握りです。少なくとも下流である私の身の回りの実感としては「自己実現」のために働くとかいう高級な意識以前の、差し迫って経済的な問題です。(実際のところは社会保険など無しのまま、食べるために働かざるおえない人がたくさんいるのですが)
>役者やバンドをしている方がいまして、イベントやオーディション・等で任意で休みたいので、派遣の方がいいと言う方もおられます。
そういう特異な人たちの基準を地道に働くしかない人間に適用されても困ります。
今回の事件に限らずですが、マスコミがここぞとばかりにやれ過去の卒業文集だ、元同級生の証言だと取り上げて、やたら犯人の「心の闇」に突っ込もうとするのには辟易します。
しかし、ある程度今回の事件のきっかけとなったことを考えそれを踏まえた対策を採ることは決して無益ではないと思います。
特に、関先生おっしゃる通り、使い捨て雇用の実態は早急に改善すべきだと私も思います。
人間は主観の生き物ですよね?(~_~)
私の親戚連中は皆、「大金持ち」です。
叔父なんぞ昭和天皇から勲章も貰ってました。
まぁ、結構な数の人が貰ってはいるのですがね。
NHKにもよく出演してました。経済の事を何やらしゃべってましたね。(~_~)私は子供だったので、よく覚えてません、内容は。
さて、この「カネモ」の親戚連中…(うちは違いますよ!(~_~))、支持政党は与党です。彼の国では共和党ですね、マ・チ・ガ・イ・ナ・ク!
何故か?!私などの若輩で無学な人間がいうまでもありません。
「政権交代なんぞ起こったら株価が下がるから」
です。
銭を億単位で持っていて、尚且つ株式を保有している富裕層なんて、そんなもんす。
日本の将来や世界の行く末…なんてな事は微塵も考えていませんね。
なにが言いたいのかと申しますと
「自分のまわりの環境をみて、それを重きに捉えて主義・主張を述べる」
皆、そうではありませんか?
私のまわりには働いている御婦人はいません。
いるかもしれませんが、わたしは知らないです。
30過ぎの知り合いは妻帯者で、家を購入し、豪華なミニバンを持っています。
氏、曰く「俺はワーキング・プアだっ!政治が悪い!」そうです(^_^.)
私からみれば分相応な生活を送れば、そんなに困る事はないと思うのですが?
金が無ければ結婚を諦め、一生賃貸で過ごし、チャリンコで良いじゃないですか?!
派遣なんか良いはずがありません、それは無学の私でもわかります。
でも凶悪な事件とは何の関係もないです。
この件に関しての欧米メディアはその辺を取り上げていると聞いておりますが・・・
自己責任論も何も若者は社会を映す鏡なんです。
ある程度歳を取ればそれは自己責任を問うてもいいですが。
そんな若者を量産する社会や教育を作った世代、あるいは支配層の責任をもっと問うべきでしょう。
マスコミを含めた今の支配層の無責任ぶりが垣間見えると思いますね。
全てを自己責任論で逃げようとするのは新自由主義論者共通の傾向ですね。
企業しかり、政治家しかり、マスコミしかりです。
その象徴と言うべきなのが人材派遣会社ザ・アールの奥谷社長の「過労死は自己責任」と言う言葉ですね。
無責任極まりない発言だと思いますね。
経営者は株主だけに責任を負うと言う米英流資本主義の典型でしょう。
一昔前ならメディアや世論の袋叩きに遭っててもおかしくはないですね。
それだけメディアも社会も変質してると思います。
もちろん悪い方にですね。
メディアは本来権力の監視機関・批判機関、弱者の味方であるべきなんですが、それさえもおかしくなって来ました。
責任を個人に還元する限り、この手の事件はますます増えるでしょう。
テロしか手段がないイスラム過激派のように彼らにはそれしか手段がないんですから。
絶望や貧困は君子も豹変させると言います。
これから日本も殺伐とした国になるでしょうね。
小泉路線=新自由主義を痛烈に批判してたんですがね・・・
彼個人の意見と社の方針とは異なると言う事なんでしょうか。
TV局は外資規制法や外資系金融や人材派遣業の広告料収入で完全に新自由主義のプロパガンダ機関と化してしまいましたが、新聞までそうなっちゃうんですね。
メディアが権力や大資本に擦り寄ればその国はろくな事にはならんのですが・・・
第2次大戦がまさにそうでした。
反対意見は抹殺されるようになり段々と後戻り、修正が効かなくなる過程が当時とそっくりだなと思いますね。
今五味川純平の「戦争と人間」と言う長大な小説を読み返してる最中ですが、ふとそう思いましたね。
著者はノモンハンで悲惨な実体験をしてるだけに余計にリアルに感じます。
当時の時代の空気と今は良く似てるように思いますね。
新自由主義化、若者の貧困化の先には戦争が待ってるんでしょうか?
それとも国家の解体、民族の衰退が待ってるんでしょうかね。