半月ほど前になるが、イギリス人でありながら、一貫して小泉=竹中構造改革に反対し、日本型経営を擁護してきた異色の学者、ロナルド・ドーア氏が、『東京新聞』(8月16日)の「時代を読む」というコラムで面白いことを書いておられたので紹介したい。ドーア氏の主張は『誰のための会社にするか』(岩波新書)などに書かれているように一貫して明確である。日本が安定した社会を取り戻すためには、小泉改革によって強力に推し進められた「株主への利益還元が会社の目的」という「株主所有物」的企業化の針を逆に戻し、会社の名声、従業員の働きがいや、顧客へのサービス精神といった、従来の日本型経営(ドーアさんはこれを「準共同体的企業」あるいは「ステークホルダー企業」と呼ぶ)を復活させることだという。
ドーアさんは、なぜ、この重要な論点が選挙の争点にならないのか、と一喝した上で次のように主張する。
***『東京新聞』8月16日朝刊「時代を読む」より引用*****
なぜ、「株主革命」を巻き返して、「ステークホルダー企業」の法的確立を目指す運動が起こらないのか? ひとつの要因は、金融業者のメディアに対する圧倒的な影響力である。
(中略)
俗流マルクシズムの「上部構造がいつも下部構造における生産体制の社会関係、権力関係を正当化する役割を果たす」という一般論の「いつも」は間違いかも知れないが、現在の日本のメディアに関する限り、正しいだろう。
***引用終わり********
この部分を削除することなく掲載した『東京新聞』に敬意を表したい。ドーアさんの言う「俗流マルクシズム」的見解は、ブログ界では常識的に普及している。「マルクスなんて読んだことない」という方々でも、ごく当たり前な常識として、こうした見解を表明している。しかしながら、マスコミが自らの媒体において、それを表明する自由を認めることは、ついぞお目にかかったことはなかったからだ。
マスコミがひた隠すのは、株主至上主義か、従業員主義かというコーポレート・ガバナンスの論点にとどまらず、枚挙にいとまがない。意図的に隠された論点を一つ一つ暴きだし、それを議論の俎上に載せるための活動をすることはブログに課せられた大きな使命だと思う。
必要な経済対策の財源をどうするのかに関して、例えば、共産党と社民党は「高額所得者からの所得税率を以前の状態に戻す」「法人税率を以前の状態に戻す」「株式配当・譲渡益に対する税率を20%に引き上げる」というオーソドックスな手法を盛り込んでいる。しかし、マスコミはこれらの論点の実行可能性を、決して真剣に扱おうとしない。
他の選択肢の存在を隠ぺいし、自由闊達な議論を封じたまま、「消費税増税が唯一の解決策。国民はそれを受け入れるしかない」という財界の主張をオウム返しに繰り返し、強引に国民を同調させようと画策するのである。マスコミは「民主主義の番人」どころか、この20年というもの「民主主義の破壊者」の役割に徹してきたといえるだろう。
どうしてマスコミはこうなのか。「俗流マルクシズム」の「一般論」以外の要因を探すとしたら、「意気地なしだから」「思考停止の護送船団だから」といったことしか見当たらない。では護送船団に指令しているのは誰なのだ? マスコミが、マルクスは時代遅れで間違っていると言うのであれば、堂々と大企業課税の可能性を論じ、俗流マルクシズムの誤りを証明してほしい。
累進所得税の最高税率も法人税率も、社民党の主張は小渕政権以前の状態、つまり、それぞれ50%と34.5%にするというごく常識的な線だ。株式配当・譲渡への課税の引き上げとあわせれば、3兆円くらいの税収増になるという。金のある金持ちや企業からキチンと税金をとっていけば、もちろん消費税の引き上げの必要性などなくなるのである。
小渕政権以前の状態の日本に戻るのに何の不都合があるのだろう? すでに歴史的に経験ずみで、もちろん今に比べれば、悪いシステムではなかったのだ。消費税率10%なんていう未知の危険領域に踏み込めば、庶民生活のさらなる破壊をもたらし、冷え込んでいる内需をさらに縮小させるだけである。金持ち課税・大企業課税・投機家課税と比べて、なぜ「消費税の方が優れている」といえるのか、マスコミ各紙は読者に説明責任を果たすべきであろう。
民主党のマニフェストにある「製造業派遣の禁止」「最低賃金を時給1000円に引き上げる」といった論点は、マスコミも一定は取り上げているようだ。しかし、「それをやれば企業は海外に移転するしかない」と脅され、その実現は前途多難である。
私に言わせれば、自由貿易体制を改めない限り、派遣労働の廃止も、最低賃金の引き上げも不可能である。しかしながら、マスコミは自由貿易体制の無謬性を絶対的に信仰しているから、そこまでは決して踏み込まないのである。問題を論じること自体がタブーになっているから、議論も盛り上がらなければ、もちろん運動も盛り上がらない。
派遣労働の禁止や最低賃金引き上げに取り組む労組やNPOなどは、自由貿易体制を放置したままで、その実現が本当に可能になるのかよく考えて欲しい。民主党も、いったいどうやったらFTAを推進しながら派遣の禁止が可能になるのか、考えてみてほしい。財界にも貧困層にも双方のご機嫌を取ろうというような玉虫色のマニフェストを作っているから、そうした矛盾が生じるのだ。このままではその矛盾でまた裂きになるだけだろう。いまやるべきは、行きすぎた財界優遇の政策を抜本的に改めるという毅然とした態度を示すことだ。
派遣を規制し、最低賃金を引き上げるためにこそ、国際協調で自由貿易に規制を加える必要がある。タックスヘイブンや低賃金や児童労働などを取り締まるため、諸国家の連合が、多国籍企業連合と闘わねばならないのだ。
俗流マルクシズムの、「国家は、資本主義社会においては、いつも大資本の利害代弁機関である」というテーゼは、今後はますます該当しなくなるだろう。グローバル化の今日では、基本的に国家の利害と多国籍企業の利害はもはや背反しているからである。グローバル大企業の横暴は、国家から財源を冷酷に奪い、国家の機能をマヒさせつつあるのだ。「賃金をあげれば海外に逃げるぞ」などという大資本の横暴を抑えるためにこそ、国際協調によって諸国家が協力して賃上げし、タックスヘイブンを規制し、途上国も含め各国が協調して法人税率を引き上げて企業からしっかり徴税し、関税も賦課していく必要があるのだ。万国が協調してそれを実施すれば、「海外に逃げるぞ」などという脅しは無効になる。国家連合対グローバル大企業の闘いが必要な理由はここにある。
私がこのブログでしつこいくらいに自由貿易の誤りを指摘し、「国際協調の関税引き上げ」を主張し続けるのも、今後の世界経済が安定を取り戻すために、避けて通れない最重要課題なのに、ちっとも議論が盛り上がらないからである。ブログ界でも盛り上がっていない。(「晴耕雨読」とか「A Tree at Ease」などいくつかのブログでは論じられているが・・・・)
マスコミがひた隠す論点を積極的に論じ、議論の俎上に載せていくことはブログ界に課せられた大きな使命だと思う。大きなうねりになれば、マスコミもいずれは無視できなくなる。タブーが何故タブーになっているのかを暴露し、論じることだ。 微細な羽ばたきではあっても、変化を促すことはできる。それを信じて書き続けるしかない。
実際、マスコミにも少しは変化の兆しが見られる。例えば『日経新聞』の8月30日には、同紙論説副委員長の脇祐三氏が、何と自由貿易批判の急先鋒であるフランスの人類学者のエマニュエル・トッドの近著『デモクラシー以後』(藤原書店)を「この一冊」というコラムで取り上げ、好意的に紹介していた。トッドは同書で、自由貿易が民主主義を破壊してきたのであり、民主主義を守るためには「国際協調の保護貿易主義」へ転換せよと訴えている。
脇氏は次のように書いている。
****『日経新聞』8月30日朝刊、脇祐三「この一冊」より引用*******
デモクラシーがデモクラシーであり続けるためには、中間層の所得が再上昇するための条件を整えるべきだとトッドは言う。そのために世界的なコスト比較に規定されるグローバル経済競争をしばし休み、「協調の保護主義」の期間を設けるべきだと主張を展開する。
ここまで話が広がるとかなりの読者にアレルギー的な反応を引き起こす。著者はそれも承知のうえで論争の起爆剤を投じる狙いだろう。
****引用終わり*******
以前の日経新聞では考えられないようなコラムであるといってよい。脇氏が「アレルギー」を示しながらも、トッドの提起を真剣に受け止めようとしていることには敬意を表したい。彼らは、今まで思考停止してきだけなので、真剣に考えさえすれば「国際協調の保護主義」なるものが、それほど悪いものではないことに容易に気付くであろう。
トッドの本は、ぜひ多くの人々に読んで欲しい。WTOの事務局長のラミーやIMF専務理事のストロカーンは、驚くべきことにフランス社会党出身なのだが、フランスの左派がなぜ自由貿易を擁護してしまうのかという精神構造の分析などは、面白いことこの上なかった。
ドーアさんは、なぜ、この重要な論点が選挙の争点にならないのか、と一喝した上で次のように主張する。
***『東京新聞』8月16日朝刊「時代を読む」より引用*****
なぜ、「株主革命」を巻き返して、「ステークホルダー企業」の法的確立を目指す運動が起こらないのか? ひとつの要因は、金融業者のメディアに対する圧倒的な影響力である。
(中略)
俗流マルクシズムの「上部構造がいつも下部構造における生産体制の社会関係、権力関係を正当化する役割を果たす」という一般論の「いつも」は間違いかも知れないが、現在の日本のメディアに関する限り、正しいだろう。
***引用終わり********
この部分を削除することなく掲載した『東京新聞』に敬意を表したい。ドーアさんの言う「俗流マルクシズム」的見解は、ブログ界では常識的に普及している。「マルクスなんて読んだことない」という方々でも、ごく当たり前な常識として、こうした見解を表明している。しかしながら、マスコミが自らの媒体において、それを表明する自由を認めることは、ついぞお目にかかったことはなかったからだ。
マスコミがひた隠すのは、株主至上主義か、従業員主義かというコーポレート・ガバナンスの論点にとどまらず、枚挙にいとまがない。意図的に隠された論点を一つ一つ暴きだし、それを議論の俎上に載せるための活動をすることはブログに課せられた大きな使命だと思う。
必要な経済対策の財源をどうするのかに関して、例えば、共産党と社民党は「高額所得者からの所得税率を以前の状態に戻す」「法人税率を以前の状態に戻す」「株式配当・譲渡益に対する税率を20%に引き上げる」というオーソドックスな手法を盛り込んでいる。しかし、マスコミはこれらの論点の実行可能性を、決して真剣に扱おうとしない。
他の選択肢の存在を隠ぺいし、自由闊達な議論を封じたまま、「消費税増税が唯一の解決策。国民はそれを受け入れるしかない」という財界の主張をオウム返しに繰り返し、強引に国民を同調させようと画策するのである。マスコミは「民主主義の番人」どころか、この20年というもの「民主主義の破壊者」の役割に徹してきたといえるだろう。
どうしてマスコミはこうなのか。「俗流マルクシズム」の「一般論」以外の要因を探すとしたら、「意気地なしだから」「思考停止の護送船団だから」といったことしか見当たらない。では護送船団に指令しているのは誰なのだ? マスコミが、マルクスは時代遅れで間違っていると言うのであれば、堂々と大企業課税の可能性を論じ、俗流マルクシズムの誤りを証明してほしい。
累進所得税の最高税率も法人税率も、社民党の主張は小渕政権以前の状態、つまり、それぞれ50%と34.5%にするというごく常識的な線だ。株式配当・譲渡への課税の引き上げとあわせれば、3兆円くらいの税収増になるという。金のある金持ちや企業からキチンと税金をとっていけば、もちろん消費税の引き上げの必要性などなくなるのである。
小渕政権以前の状態の日本に戻るのに何の不都合があるのだろう? すでに歴史的に経験ずみで、もちろん今に比べれば、悪いシステムではなかったのだ。消費税率10%なんていう未知の危険領域に踏み込めば、庶民生活のさらなる破壊をもたらし、冷え込んでいる内需をさらに縮小させるだけである。金持ち課税・大企業課税・投機家課税と比べて、なぜ「消費税の方が優れている」といえるのか、マスコミ各紙は読者に説明責任を果たすべきであろう。
民主党のマニフェストにある「製造業派遣の禁止」「最低賃金を時給1000円に引き上げる」といった論点は、マスコミも一定は取り上げているようだ。しかし、「それをやれば企業は海外に移転するしかない」と脅され、その実現は前途多難である。
私に言わせれば、自由貿易体制を改めない限り、派遣労働の廃止も、最低賃金の引き上げも不可能である。しかしながら、マスコミは自由貿易体制の無謬性を絶対的に信仰しているから、そこまでは決して踏み込まないのである。問題を論じること自体がタブーになっているから、議論も盛り上がらなければ、もちろん運動も盛り上がらない。
派遣労働の禁止や最低賃金引き上げに取り組む労組やNPOなどは、自由貿易体制を放置したままで、その実現が本当に可能になるのかよく考えて欲しい。民主党も、いったいどうやったらFTAを推進しながら派遣の禁止が可能になるのか、考えてみてほしい。財界にも貧困層にも双方のご機嫌を取ろうというような玉虫色のマニフェストを作っているから、そうした矛盾が生じるのだ。このままではその矛盾でまた裂きになるだけだろう。いまやるべきは、行きすぎた財界優遇の政策を抜本的に改めるという毅然とした態度を示すことだ。
派遣を規制し、最低賃金を引き上げるためにこそ、国際協調で自由貿易に規制を加える必要がある。タックスヘイブンや低賃金や児童労働などを取り締まるため、諸国家の連合が、多国籍企業連合と闘わねばならないのだ。
俗流マルクシズムの、「国家は、資本主義社会においては、いつも大資本の利害代弁機関である」というテーゼは、今後はますます該当しなくなるだろう。グローバル化の今日では、基本的に国家の利害と多国籍企業の利害はもはや背反しているからである。グローバル大企業の横暴は、国家から財源を冷酷に奪い、国家の機能をマヒさせつつあるのだ。「賃金をあげれば海外に逃げるぞ」などという大資本の横暴を抑えるためにこそ、国際協調によって諸国家が協力して賃上げし、タックスヘイブンを規制し、途上国も含め各国が協調して法人税率を引き上げて企業からしっかり徴税し、関税も賦課していく必要があるのだ。万国が協調してそれを実施すれば、「海外に逃げるぞ」などという脅しは無効になる。国家連合対グローバル大企業の闘いが必要な理由はここにある。
私がこのブログでしつこいくらいに自由貿易の誤りを指摘し、「国際協調の関税引き上げ」を主張し続けるのも、今後の世界経済が安定を取り戻すために、避けて通れない最重要課題なのに、ちっとも議論が盛り上がらないからである。ブログ界でも盛り上がっていない。(「晴耕雨読」とか「A Tree at Ease」などいくつかのブログでは論じられているが・・・・)
マスコミがひた隠す論点を積極的に論じ、議論の俎上に載せていくことはブログ界に課せられた大きな使命だと思う。大きなうねりになれば、マスコミもいずれは無視できなくなる。タブーが何故タブーになっているのかを暴露し、論じることだ。 微細な羽ばたきではあっても、変化を促すことはできる。それを信じて書き続けるしかない。
実際、マスコミにも少しは変化の兆しが見られる。例えば『日経新聞』の8月30日には、同紙論説副委員長の脇祐三氏が、何と自由貿易批判の急先鋒であるフランスの人類学者のエマニュエル・トッドの近著『デモクラシー以後』(藤原書店)を「この一冊」というコラムで取り上げ、好意的に紹介していた。トッドは同書で、自由貿易が民主主義を破壊してきたのであり、民主主義を守るためには「国際協調の保護貿易主義」へ転換せよと訴えている。
脇氏は次のように書いている。
****『日経新聞』8月30日朝刊、脇祐三「この一冊」より引用*******
デモクラシーがデモクラシーであり続けるためには、中間層の所得が再上昇するための条件を整えるべきだとトッドは言う。そのために世界的なコスト比較に規定されるグローバル経済競争をしばし休み、「協調の保護主義」の期間を設けるべきだと主張を展開する。
ここまで話が広がるとかなりの読者にアレルギー的な反応を引き起こす。著者はそれも承知のうえで論争の起爆剤を投じる狙いだろう。
****引用終わり*******
以前の日経新聞では考えられないようなコラムであるといってよい。脇氏が「アレルギー」を示しながらも、トッドの提起を真剣に受け止めようとしていることには敬意を表したい。彼らは、今まで思考停止してきだけなので、真剣に考えさえすれば「国際協調の保護主義」なるものが、それほど悪いものではないことに容易に気付くであろう。
トッドの本は、ぜひ多くの人々に読んで欲しい。WTOの事務局長のラミーやIMF専務理事のストロカーンは、驚くべきことにフランス社会党出身なのだが、フランスの左派がなぜ自由貿易を擁護してしまうのかという精神構造の分析などは、面白いことこの上なかった。
日本でまったく俎上に上らないのが不思議でしょうがない。
上部構造が規定してるのか、だとするとマスコミは上部構造の一員なのか…
ところで日本の弊は「国際収支黒字主義」のような気がしてしょうがありません。
身の丈に合わない「強い円」の害は根元ではここに発してるのではないかと。
自由貿易主義の誘引も根本には「国際収支黒字主義」があるんではないでしょうか。
それにしても保有外貨の積み上げにどんな意味があるのか?
積み上げるほど円高になって砂上の楼閣に思えるのですが。
しょせん各中央銀行の恣意的な行動で決まるにすぎない貨幣になにか神聖かつ絶対的な価値でも見てるんでしょうかね…
まったく意味ないですね。
「自由貿易主義」が「黒字主義」を生むのか、「黒字主義」だから「自由貿易主義」になるのか・・・・・ ニワトリが先かタマゴが先かの議論になってしまいます。
いずれにせよ、黒字を出さないように(出せないように)、黒字国から課徴金を取る(これを国際連帯税としてもよい)などの諸制度を構築すれば、自由貿易にうま味はなくなり、派遣の禁止も可能になるかと思います。
(GDP-国内需要)つまり貯蓄が今までの日本では、いつもゼロより大で、マイナスでなかっただけでしょ。もうしばらくすると反転するとか言う人もいるでしょう。
中学で習う会計の原則として、経常収支が黒字ということは、資本収支は赤字で、つまり外国に金を貸しているってだけ。
輸出超過で稼いだ外貨を使って外国に工場なり設備投資するか、それが利益を上げそうにないなら、ヨーロッパの国なんかのように「金」を備蓄するか、馬鹿だといわれようが3~4%利率の米国債を為替差損の恐れを感じつつ持つのが最善手かもしれないってだけの話じゃないのかな?
地球全体でみれば、惑星間貿易がない鎖国状態だから、経常収支の黒字はありえず、ゼロです。
経常収支の諸国間に赤字国と黒字国があって、それは定義によって相殺します。
為替が経常収支をいつもゼロという均衡を達成するかというと、経験上ないようです。
無理やり国際間で黒字国をなくそうとする規律ある自由貿易などというはなしは、確か1986年のG5の円高合意とか当時のアメリカが泣いて喜んだ話かな。
日本はバブルになったり、政府が経済に枠をはめる時はよほど慎重でないといけないと思います。
話が飛ぶけど、ヨットとか贅沢品の消費税はべらぼうに高くして貧乏人に給付し、食料品は非課税にするというのは、後者はともかく、前者はヨットとかを作っている労働者が悲惨な目にあい、金持ちは贅沢品を買わなくなるだけ。
政治家はよほど慎重でないと危ない存在だと思う。もしかすると「良かれと何か思い付きをばりばりやる政治家」よりか、「働かないが、悪いことはしない政治家」の方がいいかもしれない。
冗漫な駄文を失礼しました。
>別に民間の商売の結果であって、日本の民間企業が結託して、何かたくらんでの話ではない。
その通りかと存じます。しかし、アメリカの借金によって生み出された超過需要を見込んだ、「民間の商売の結果」、低賃金化と労働者の使い捨て化が進み、外需依存度は高まっても内需は衰退し、とくに若年層の生活はヒサンを極めるようになりました。
貿易収支の不均衡は一定水準で推移しているうちは問題ないのかも知れません。しかしWTO発足以降の米国の貿易赤字のように赤字が収束の気配なく発散するようですと、いずれクラッシュするのは明かでした。
こうした状況化では、「無理やり」にでも不均衡を調整する国際政治的解決が必要になってくるのだと思います。
>日本はバブルになったり、政府が経済に枠をはめる時はよほど慎重でないといけないと思います。
慎重に、熟慮した上で、大胆な介入が必要です。自然に任せて、なるようにした結果が、アメリカのバブル崩壊です。日本や中国などの黒字国からの資本流入によって形成されたアメリカのスーパー・バブルの生成と崩壊を未然に防ぐためには、アメリカの経常収支の不均衡を取り締まる必要があったのです。
まともな為政者でしたら、民間を説得して対米輸出を自主規制させてでも、不均衡の発散を防ぐ努力をすべきでした。本当はプラザ合意になど持ちこまれる前に、黒字を自主規制すべきだったと思います。
同じことを繰り返さないためには、不均衡の累積を許さないような、貿易体制の再設計が必要かと存じます。
>前者はヨットとかを作っている労働者が悲惨な目にあい、金持ちは贅沢品を買わなくなるだけ。
税金を高くしたことによる政府の歳入増で公共投資・公共事業を起こせば、失業者はすべて吸収できます。金持ちの余剰貯蓄は、贅沢品の購入に回るよりも、投機に回る分が大きいので、雇用には直結しません。そういう余剰分は政府が税で吸い上げて、雇用創出に回した方がよいのです。
極論を述べて、今現在の貧困・悲劇から目を背けるような態度に、私は共感できません。
山辺さま
はげましのコメント、ありがとうございました。
保有外貨は結果に過ぎないでしょ>
本来結果に過ぎないはずなんですけどね。
そうでもないのが妙なところで。
「自由貿易主義」が「黒字主義」か>
そりゃ認識が間違ってますよ。
自由貿易主義は黒字主義を内包したりしてないですよ。
経常収支が黒字ということは、資本収支は赤字で>
当然ですね。
私が言いたいのは現象面の話ではなく意思の話です。
輸出競争力維持のため、製造業者が主流の経済団体が「結託」して派遣業法緩和に圧力をかけたんではないですかね。
彼らには企業の維持という動機があり、政府には雇用の維持という動機がある。
結果として経常収支の黒字維持。
これが問題なのにもかかわらず、皆「黒字は良い事」だと思っている。
非正規雇用を拡大させ、労働分配率が好況期に伸びないどころか国内経済を縮小させて、結果ますます輸出依存になっていたと。
そういう事だと思ってます。
あなたの書き方を見ていると,論文調にするのなら,もうちょっと箇条書きに整理して欲しいと思いますよ.何だか学生のレポートを読んでいるみたいで不愉快です.
それはさておき,
>それにしても保有外貨の積み上げにどんな意味があるのか?
迎さんは「結果に過ぎないのはなぜだろうか」という問いを発していることにお気付きになられていないようですね.
例えば隣の中国や韓国が良い例なのですけど,日本の保有外貨のほとんどはドルです.しかし,韓国や中国は半分近くがユーロなのです.
逆に言うと,米国の景気が悪くなれば,ストレートに日本の景気に影響するのは,保有外貨が全てドル建てだからなんです.そして,赤字国債を積み上げて,さらに日本は借金地獄へと,スパイラル的に落ち込んでいった結果が今回の総選挙なんですよ.国民は自分の生活が苦しくなった原因にやっと気付いたんです.
どうも,皆さん,経済学用語に振り回されていて,ミクロ経済の視点を忘れているような.
こんにちわ。
コメントありがとうございます。
何だか学生のレポートを読んでいるみたいで不愉快です>
すいません。御指摘どおり、論点整理せずいきなり平打ちしてます。
論文調と言う御感想がちょっと意外。
外貨準備に多様性があったほうがリスクが小さいのは同意します。
ただ、(結果論ですが)日本円は対ユーロでもそこそこ(私の感想では分不相応に)強かったわけですし、今般の危機ではユーロの下げ幅も大きいですから通貨バスケット制を導入してたとしてもその利点はそれほど大きくなかったのでは。
赤字国債を積み上げたのは、バブル崩壊で民間需要が縮小した分の肩代わりであって米ドル保有と直接関係あるとは思えません。準備外貨の運用で出せるはずの利益を失ったのはあるかもしれませんが。あ、あと、為替差損をこうむった企業からの税収の減少があるか。
個々の経済活動の総和として結果黒字になったり赤字になったりするのは良いんです。
結果としての黒字ではなくて黒字を維持しようという姿勢というか黒字を問題と考えない体質を問題にしてるんですが。
「加工貿易でないと日本は生きていけない」から「黒字が良い」という思い込みが根底にある気がしてしょうがないので。
逆に、国債残高が積み上がっていけば国際収支はそのうち均衡点を通過して赤字になっていくのかもしれませんが、それで良いとはとうてい思えませんしね。
それよりは「高コスト体質」で海外で物が売れず、黒字幅が縮小とか赤字転落するほうが国民の福祉としては良い気がしています。
「高コスト体質」を強引に「改善」したんで、「ゴールデン・リセッション」程度で済んでいたものが「格差社会」に変質してしまったわけで。「生産性」というのは賃金低下で達成しちゃだめでしょう。(ただし、パフォーマンスに比べて高すぎる賃金を貰っていた人々の実質賃金が(プリンティングマネーとか円安による)インフレの結果として低下するのはアリだと私は思ってますが。)