代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

革命派に粛清された開明的信州人たち

2008年03月06日 | 赤松小三郎
 最近ブログ A Tree at Ease のLuxemburgさんからTBをいただいたのを契機に、一連の記事を興味深く拝読させていただきました。とっても面白い。皆様、お勧めです。

 A Tree at Ease の最近の記事には「米軍基地は要りません」「沖縄独立という選択肢」「明治維新は反動クーデター」「江戸時代の民主制」など物議をかもしだしそうな刺激的なタイトルの記事が並んでいます。実際に物議をかもしコメントがたくさん。私も「ノドまで出かかっているのだが、さすがにそこまでは書けない」というような主張が目白押しです。ああ、長年ノドにつっかえていたものが取れた、と、Lxemburgさんのブログを読んで爽快感を味わった次第です。

 本日は、「明治維新は反動クーデター」という記事に触発され、一信州人として、薩長の革命派に対するウラミを書かせていただきます。私は明治維新を「反動クーデター」とまでは、さすがに言う勇気がないのですが(苦笑)、彼らの陰湿な策謀に関して、言いたいことはたくさんあるのです。

開国の隠れた立役者

 まず、Luxemburgさんは「進歩的だったのはむしろ幕閣」として「諸外国が互いにけん制しあうように」、有利な条件で条約を結んだ幕末の幕閣たちの姿勢を評価しています。

 日本史ではほとんど忘れ去られているのですが、開国にもっとも熱心だった老中は、千葉佐倉藩主の堀田正睦(老中首座)とともに、私の故郷の信州上田藩主・松平忠固でした。開国を設計したのは、じつは井伊直弼ではなく、堀田正睦と松平忠固なのです。井伊のやったことはといえば、その堀田と松平を粛清したことでした。忠固は、安政の大獄で堀田とともに老中を罷免され、上田に帰って失意のうちに亡くなってしまいました。

 松平忠固は、上田藩の殖産興業と製糸産業の振興に力を入れました。幕末当時は、のちに日本最大の製糸産業地帯になる諏訪・岡谷よりも、上田の方が生糸生産が盛んでした。忠固は、この生糸の輸出によって、日本が開港しても耐えられるはずだと深謀遠慮の戦略を練っていたのでしょう。幕末の横浜の貿易統計を見ると上田藩産の生糸が輸出額でナンバーワンだったのです。ちなみに二位が会津藩です。(西川武臣著『幕末明治の国際市場と日本 ―生糸貿易と横浜』雄山閣出版、1997年、参照)

 開国後の日本が貿易赤字で苦しまずに近代化できたのは、もっといえば植民地にならずにすんだのは、薩長の力ではありません。ひとえに信州・上州・奥州など佐幕諸藩の生糸輸出のおかげで外貨を稼げたからといっても過言ではありません。信州・上州・奥州の農民たちが、世界でもっとも競争力のある生糸を生産し得たからです。その技術の蓄積が江戸期に存在したからです。
 アジア諸国はといえば、関税自主権のない不平等な貿易自由化による英国の工業製品の輸出攻勢によって、地場産業を破壊され、貿易赤字で疲弊して、植民地化されていきました。
 日本はその轍を踏みませんでした。開明的老中・松平忠固は、開国をにらんで貿易収支を均衡させるためにも、自藩の特産品である生糸を日本の一大輸出産業にしようと構想していたのです。残念ながら、薩長中心史観の中で、このような幕末の政治指導者の存在も、日本史ではほぼ忘れ去られています。

薩摩に粛清された信州人たち
 
 つぎに、Luxemburgさんは、「志士は視野狭窄の小者」「日本は貴重な幕府の人材を失った」とズバズバと主張します。

 まず革命派のテロルによって命を失った開明的信州人というと、何といっても儒学者であり蘭学者であり、日本初の電信実験を行った科学者でもあった、真田家松代藩士の佐久間象山です。象山は徳川慶喜に招かれて京都で公武合体を模索していたという理由で、肥後藩のテロリスト河上彦斎に斬殺されました。
 
 他に、薩摩藩の謀略によって歴史から抹殺された信州人を紹介したいとい思います。私の故郷の上田藩には赤松小三郎という英国兵学者、政治思想家がいました。その能力と実績に比して、正当な歴史的評価を受けていない人物です。今のままの歴史的評価では、あまりにもかわいそうです。それも一重に薩摩の陰惨なテロルのせいなのです。
 赤松小三郎は、幕府の長崎海軍伝習所の卒業生です。オランダ語のみならず英語にも堪能で、日本における英学の草分け的存在でした。『英国歩兵練法』などを訳出して当時は相当に有名でした。「前へならえ」「右向け右」などは、赤松の訳語がいまに伝わっているものです。
 また赤松は、政治面でも上下二院制の議会制度の開設を求めた『御改正之一二端奉申上候口上書』という建白書を幕府顧問の松平春嶽に提出しています。坂本龍馬の船中八策は、赤松の建白書をマネたという説もあります。それほど赤松の建白書の内容は先進的なものです。私は高校のときにそれを読んで、「これは船中八策よりはるかにすごい」とえらく感動したものでした。
 つまり、幕府があのまま政治をしていても、佐幕派の諸藩に赤松のような開明学者がたくさんいたのですから、いずれは憲法も発布され、議会も開設され、老中は首相になり、将軍は単なる名誉職に…という感じで近代化していった可能性が大です。攘夷派がやっていたことは、幕府側のそうした有能な人材を斬り殺していくことでした。

 ちなみにwikipediaの「船中八策」の項目を見ると、はっきりと、船中八策の「もともとのオリジナルは上田藩士で軍学者の赤松小三郎の構想とも言われている」とちゃんと書いています。いやー、こんな誰も知らないような説まで取り上げてくれるなんて、誰が書いたか知りませんが、wikipediaってけっこうすごいですね。感動しました。感謝します。

 さて、赤松小三郎は薩摩藩に招かれ、京都の薩摩藩邸(現在の同志社大学のある場所)で、慶応2年(1866年)から英国兵学を教授していました。薩摩藩士たちに英国式兵学を教え込んだ立役者といってよいのですが、佐幕派の上田藩士であったため、薩摩の軍事機密を知りすぎたという理由で、慶応3年(1867年)9月に「人斬り半次郎」こと桐野利秋に斬殺されてしまいました。桐野本人が赤松の弟子だったにもかかわらずです。桐野の単独犯行ではなく、薩摩が藩として赤松の暗殺を指令した可能性が濃厚です。薩摩が藩として、請うて赤松を教授にしたにも関わらず、用が済んだらサッサと粛清したのです。権力奪取のためなら手段を選ばない、その陰湿な策謀ぶりに唖然とします。赤松が生きていたら、その後いったいどれだけ日本の近代化のために貢献できたでしょうか。
 薩摩は実際に、議会制度の開設を主張した赤松を、自藩の恩人をこのように粛清した実績があるのですから、「坂本龍馬暗殺の真犯人は薩摩だ」という説には十分すぎる根拠があります。
 薩摩藩が赤松を暗殺した真の動機はおそらく、武力討幕に反対し、出身にとらわれない機会平等な代議制の早期確立を主張した赤松のような開明学者の存在は、薩長の藩閥独裁権力を樹立する上で邪魔だと感じたからでしょう。
 
 ちなみに赤松小三郎の墓は、京都黒谷の金戒光明寺の会津藩墓地の近くにあります。三重の塔のすぐ下です。私は学生時代、幕末に会津藩の本陣があった金戒光明寺のすぐ近くに住んでいたので、夕暮れどきなどによく黒谷を散策して、会津藩士の冥福とともに、郷土の偉人・赤松小三郎の冥福も祈ったものでした。
 ちなみに赤松の弟子であった東郷平八郎は、明治39年に上田を訪れ、赤松に対する謝罪の意味もあったのでしょう、上田城の二の丸に赤松小三郎を追悼する記念碑を建立しています。その碑の写真は、このブログを参照ください。また東郷平八郎の碑文の内容は、このサイトに紹介されていました。東郷平八郎が薩摩人を代表して、師の赤松の霊を慰めるため、上田でこのような行動をとってくれたことに関しては、若干救われるものを覚えます。

 他にも薩摩の謀略で粛清された草莽の信州人はいます。これは結構有名ですが(漫画「るろうに剣心」のおかげで?)、赤報隊の人々です。「年貢半減」を掲げて新政府軍の先鋒として活躍した相楽総三率いる赤報隊には、信州人も多く参加していました。薩摩藩は赤報隊を利用するだけ利用して、最後には「ニセ官軍」の汚名を着せて、下諏訪で粛清(処刑)してしまうのです。うーん汚い……。
 

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11 コメント

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ありがとうございます (Luxemburg)
2008-03-07 06:50:00
記事で取り上げていただいてありがとうございます。
 「反動クーデター」は穏やかじゃないですね。書いてるうちに悲憤がこみ上げてきて筆が滑ったようなところもあります。
 高校生日本史必修化などの話題もある中で、一体何を子供に教えたいのか、と思うとまたこみ上げてきそうです(笑)。
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Luxemburgさま ()
2008-03-07 13:18:33
>「反動クーデター」は穏やかじゃないですね。

 いえいえ、今後も物議をかもすような大胆な主張をお願いします。それによって議論が盛んになるのはすばらしいことだと思います。

 「米軍基地は要りません」の記事にも大変に勇気づけられました。私のブログでも「米軍基地はいらない。日米安保もいらない」と書くだけでエライ批判されますので、心強いです。
 「安保破棄なら独自核武装しかない」という意見も多いです。また「核なしならミサイル防衛が必要」という意見も・・・。
 「核抜きで脱米する方法があるのだ」というプランを提示せねばと思いつつ、これまでうまく書けずにおりました。国連主導で世界各国の軍備を一律に削減しつつ、最終的に全地球を非核化するしかないと思います。
 今後ともよろしくお願いします。
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明治維新も国連も同じ「ゲーム」の内にあると思います (花ブナ)
2008-03-09 00:06:02
薩長による開明派国士の粛清はまさにおっしゃる通りです。

朝廷の側からしても、本来の国士と呼べる者は倒幕の薩長ではなくて、公武合体派の方に多かったのです。維新後の薩長史観で「朝敵」の汚名を着せられている松平容保(京都守護職・最後の会津藩主)などもその代表でしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B9%B3%E5%AE%B9%E4%BF%9D

反動クーデターよりももっと過激な説として、孝明天皇暗殺・明治天皇すり替え説があります。真偽は確かめようがありませんが、明治維新には、未だ明かされていない大きなタブーが眠っていると思っています。

おそらく英国がその全てを握っています。要するに当時の長州渡英派(長州ファイブ)が、英国の中枢にいる人々とある種の契約をしたのです。日本国内の開明派の『粛清』はその契約の延長上にあるはずです。

簡単に言えば、日本の場合、英国は直接日本を植民地支配する変わりに、現地代理人を立てたということです。また、彼ら代理人は英国「奥の院」主催の『金融王と奴隷ゲーム』にプレーヤーとして参加する条件・ルールを守るための契約書にサインした(させられた)、と想像します。

この当時の薩長グループや討幕派のこうした行為を売国と見るか、あるいは日本を守るために仕方のない「取引」であったと見るのか、ここが一番重要で難しいところです。おそらくですが、当時でも人により内心が大きく異なっていただろうと想像します。

すなわち「取引」には応じたものの、国内の敵・味方に工作を行って民を救おうとした龍馬のような人もいれば、英国の代理人として国内・国外を植民地化する「金融と奴隷ゲーム」に積極的に参加した日本人プレーヤーも(間違いなく)いた、ということです。(今でも竹中某というのがいますね)。

ただ、近代以降のアジアその他第三世界における戦争・動乱・社会崩壊による被害を鑑みれば、日本が他の植民地よりはましであったことは認めるべきことと思います。ですから当時の「取引」の結果は全てネガティブに評価できない面があります。

重要なことは、早くこうした「近代のしがらみ」から抜けて、過去を冷徹かつ柔軟な目で見つめ、何が日本を苦しめてきた正体であり、何が日本をどん底に落とさずに済んだ要因であったのか、個々人ではっきりさせることだと思います。

また
>国連主導で世界各国の軍備を一律に削減しつつ、最終的に全地球を非核化する
についてはどうしても申し上げておきたいことがあります。

まず、各国の軍備を制限できるほどの力を持った「国連」とはどのような存在になるでしょう?(具体的な力や利益提供がなければ、各国にそんなことは強制できません)。同時に現在と同様の金融資本を前提として、そのような「国連」に資本の運営や所有権が渡ればどんな世界になるでしょうか?

共産主義も市場原理主義もグローバリズムも全て同じ根っこから生まれた世界レベルの実験であり、「ゲーム」は今なお続いています(それを否定する材料がありません)。国連というのは、そのゲームの中から生まれたものでしょう。国連は明らかに国際エリートが意図して作ったものであり、決して世界市民の総意などでできたものではありません。それが今後どのような「役割」を担わされようとしているのか。私はまさに上記で関さまのおっしゃる通りの言葉が「表面上」の理由として出てくると予想しています。

私は「ゲーム」発案者やその継承者を相当に「エグイ」人々だと見ています。
その半分が見えていたマルクスは『地獄への道は善意で敷き詰められている』と警告を発しました。

このゲームが「世界の中央集権化」で終わるのであれば、それは間違いなく一般民衆にとって「バッドエンド」でしょう(見えない牢獄に自ら入るということです)。ゲームの企画者は、アメリカを「ボケ」につかって、国連を「突っ込み」に使っているように見えます。彼らは常に「右と左」の選択を儲けて、人々をコントロールするからです。

正直、国連主義者は、既存の右左には囚われない、といいながらやはり「彼ら発の提案」である「A帝国か国連か」という新たな「右左の選択」にはまっていると感じます。

長州渡航派を篭絡したゲームの「発案者ら」は人間心理を良く理解しているのです。「彼ら発の提案」に乗る限り、全てはバッドエンドになると思ったほうが良い。彼らは愚民(失礼)がゲームの罠に乗せられて自ら牢獄に入る様や戦って共倒れする様を楽しむような心の非常に冷たい人間なのです。

関さまは『千と千尋』という映画を見たことがあるでしょうか。
もしあるなら、主人公の千尋が最後に湯婆婆に答えるシーンを思い出してください。

我々に必要なのは、あの千尋の決意であり、彼ら発の提案とはまったく違う発想で世界を取り戻すことが「契約」を無効にする唯一の方法だと思います。
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Unknown (Unknown)
2008-03-09 23:22:17
関氏の、【日米安保もいらない】の件に関して私見を述べさせていただきます。

軍事というものを、政治の延長として看做さないのであれば、日米安保は不要でしょうね。
しかしながら、現実の世界では軍事は政治と一体ですし、経済とも一体です。
具体的な例としてクェートを引き合いに出しますが、非力なクェートはあっという間に占領され一時的に併合されてしまいましたよね。
現在のイラクは米国が懲罰行動をしてますので、クェートにとって、なんら脅威ではありませんが、もし当時の米国の介入もなく、未だイラク軍がピンピンしている状態で、クェートに対して諸外国からの投資が呼び込めるでしょうか?
不可能ですね。そのような国には誰も投資しません。
回収の見込みが無いのですから。

http://diamond.jp/series/tsujihiro/10008/?page=1
このような話もありますが、これも尤もな話でもあります。

そこで、日本の置かれている軍事的な環境を、クェートと比較せねばなりませんが、率直に言ってクェートと大差ないと思われますね。
領土問題を抱え、領空、領海侵犯をする中国・ロシアに挟まれ、テポドンで威嚇する北朝鮮に睨まれる軍事環境下に置かれております。
このような環境下で、日本が率先して軍備削減をした場合に、果たして外国資本が流出しないでしょうか?
投資した先が焼け野原になるリスクを常に抱えるようでは、恐らく世界中のどの投資家も食指が動かないでしょうね。
株式の世界で言えば、上場廃止リスクを抱える株を買うようなものですし、そのリスクを最小限化するのが【国防の役割の1つ】であると確信しております。

勿論、私自身は外国資本に頼るような経済構造を是とはしませんが、流出しまくるような事態も是とは致しません。

次に政治と軍事の関係についてですが、これはもう話が長くなるのでアレですが、手短に言えば、90年代半ばより、米国からの申し入れに(半ば強要)より実現した、インターオペラビリティの呪縛を思い起こせば、ご理解いただけると思います。

国連に関しては花ブナ氏の見解に同意ですね。

最後に、かつての富国強兵策は、今の時代においても世界中で継続中です。
経済が少しでもよくなれば、それに見合って軍事力の強化が行われ、その流れに逆行する国は、我が国以外では寡聞にして存じません。
返信する
Unknown (FUTURE)
2008-03-09 23:23:17
失礼しました。ハンドルネームの記入漏れでした。
上記は私のレスです。
返信する
花ブナさま ()
2008-03-15 10:23:51
 多忙で返信が遅れてしまい申し訳ございませんでした。薩長倒幕派と英国との「契約」に関しては、何らかのことはあったのでしょうね。
 
>同時に現在と同様の金融資本を前提として、そのよ
>うな「国連」に資本の運営や所有権が渡ればどんな
>世界になるでしょうか?

 現在の金融資本の支配を前提にした国連にしてはいけない、という一言に尽きるのではないでしょうか。欧米の金融資本家たちによる世界支配を終わらせるための開かれた民主的な国連をつくることだと思います。
 世界の多くの国々を排除した、米と欧の金融資本家たっちによる密室政治を終わらせるためにも、他の国々がそれぞれ結束して、米欧の談合世界政治を終わらせることだと思います。
 ラテンアメリカも地域ブロックを形成しつつありますし、アジアもそれに習って結束して発言権を強めねばならないと思います。
 
>このゲームが「世界の中央集権化」で終わるのであ
>れば、それは間違いなく一般民衆にとって「バッド
>エンド」でしょう

 いえ、そうならないと思います。世界の多様性を確保するための「グローバル・ガバナンス」、そのように考えています。現在の自由貿易システムは、各国に低賃金競争を強制し、各国社会を安定化させてきた雇用慣行もことごとく破壊してきました。各国の国内制度の多様性を確保するためにも、貿易自由化や金融自由化を見直さねばなりませんが、そのためにもグローバルなガバナンスは必要です。
 たとえば私は世界の最低賃金制の導入や、農村破壊・食品の安全性破壊・環境破壊を食い止める適切な関税政策の導入を訴えていますが、各国が協調して話し合わねば、そんな国際ルールは導入できません。
 それ抜きに、各国が国家の意思によって無秩序に「脱グローバル化」を推し進めると、19世紀的な軍拡競争とパワーゲームの悪夢が再現されることになります。
 
 軍拡競争による経済的疲弊は防がなければなりません。軍拡競争による疲弊、軍部の横暴が再現されるのは、世界の中央集権化よりも不幸といえるでしょう。
 もちろん私は、「軍拡競争」にも「世界の中央集権化」にも、その双方に反対です。「軍拡競争を回避しつつ、なおかつ世界諸地域の多様性確保のためのグローバルガバナンス」、そのためにも国連の機能強化は必要です。
 まずは安保理常任理事国の五大国から「拒否権」という名の独裁権力を奪い、民主化をしていかねばなりません。

返信する
FUTUREさま ()
2008-03-15 12:06:32
 ご丁寧なコメントまことにありがとうございました。

>日本の置かれている軍事的な環境を、クェートと比
>較せねばなりませんが、率直に言ってクェートと大
>差ないと思われますね。

 戦争の原因ってなんでしょうか? 世界の紛争の原因の多くは、資源獲得競争がエスカレートしたものです。クウェートはその膨大な石油資源によって、長らく英国の支配下に置かれてきました。
 英国と米国は、石油資源の国有化を目指したイランの民主的なモサデク政権を1954年にクーデターで打倒しましたし、1963年にはやはり石油ナショナリズムを強めたイラクのカセム政権をクーデターで打倒しました。英米の石油利権確保のための軍事介入の数々が、かくも不安定な中東を生みだした根源です。
 
 クウェートは石油資源のために侵略の脅威にさらされています。
 一方で世界を見渡すと、土地も痩せていて資源もない中米のコスタリカなどは非武装中立を実践しています。
 コスタリカなどどこも侵略しません。貧しいコスタリカを占領したところで、金目のものはないのですから、戦争と占領の経費の方が高くついて採算が取れないといえるでしょう。

 クウェートに関しては、うまく占領して石油利権を確保すればその経費以上に利益がでます。つまり「儲かる戦争」ができるわけです。
 資源のない日本が、クウェートとコスタリカのどちらに近いのか? と問われれば、私はコスタリカだと思います。ですので、日本を侵略するようなマヌケな国は存在しないと思います。

 仮に侵略するマヌケな国があったとしても、日本人がガンジーなみの不服従抵抗を実践すれば、駐留経費の負担に耐えかねてすぐに出ていくでしょう。
 
>経済が少しでもよくなれば、それに見合って軍事力
>の強化が行われ

 米国のバブル崩壊が世界に連鎖し、中国のバブルも崩壊、今年中に世界恐慌に突入するでしょう。
 米国のオバマ候補は、「世界から核兵器の廃絶を目指す」と主張しています。米国は増大する軍事支出に経済的に耐えられなくなり覇権の放棄を模索しています。この世界不況を契機に、世界は軍縮に向かうと思います。米国が軍縮を呼びかければ、中国もロシアものってくるでしょう。
 またオバマの核廃絶政策に関しては、日本の防衛省OBの太田述正氏も支持を表明していました。
 ↓ この記事参照。
http://blog.ohtan.net/archives/51020953.html

 今後の世界は軍事費を可能な限り削減し、その予算を温暖化対策や砂漠化対策、水不足対、さらに雇用対策に振り向けねばなりません。人類に理性があるのなら、当然そういう選択をします。
 
 また資源をめぐる戦争をどう回避するのかですが、ヨーロッパの例が参考になるでしょう。1948年、ヨーロッパは「欧州鉄鋼共同体」を設立し、戦争の原因となってきた鉄鉱資源を共同管理し、公平に分配することにしました。それ以来、欧州共同体の歴史がはじまったのです。
 日中の天然ガス問題に関しても、日中天然ガス共同体の構築が解決のカギでしょう。、
 
 もともと天然資源なんて、人類が誕生する以前の地史学的出来事で存在するものです。たまたまその上に成立したという偶然性によって、国家が争奪戦を繰り広げるなどじつに愚かなことです。
 ヨーロッパの例にならうのなら、天然資源はすべて国連が管理し、各国に公平に分配するような枠組みをつくるべきでしょう。そうなれば戦争はなくなります。

 もっとも枯渇性の天然資源など、そもそも使用量を抜本的に削減せねばなりませんので、やはり問題解決のカギは自然エネルギーの振興だと思います。
返信する
たぶんもっと根っこの議論が必要だと感じました (花ブナ)
2008-03-29 13:14:31
お返事ありがとうございます。

関さまの私やFUTUREさまへのお答えを見て、やはり安全保障や国際関係のリアリズムについては、結構互いに立ち位置が異なるということが判りました。

この違いを埋めるには、結構時間がかかりそうな気がします。おそらく、以下のコメントについても完全にはご納得はいただけないかと思いますが、やはり重要であると思うので述べさせてもらいます。

まず世界の中央集権化が、軍拡競争や自国の軍部の横暴よりも不幸ではないと考えるのは非常に危険であると思います。

自国の軍部の横暴すら抑えられない人民が、世界政府の統治機構の横暴を抑えることができましょうか?

また、国や自治体から派生した武力集団は、自身の血族を含む多く構成メンバーや内部企業などの共同体と利害を共有しています。北京によるチベットやウィグルや東トルキスタンの抑圧がなぜ当地の自治や文化や人権を無視した形となるかわかりますか?それは、根本的には北京政府がそれらの地域を支配機構ではあっても、支配地の構成メンバーや共同体との利害(価値)を共有していないからです。

以上の法則は何も北京政府だけに帰するものではありません。人間という種が権力を有する場合に共通する「法則」だと思います。

私は現在の経済システムの根本的欠陥が放置されたまま、超国家的政府が実現した場合、地域統治・人民統治やのやり方は、おそらく今より冷酷になる可能性が高いと踏んでいます。この可能性が否定できない限り、バッドエンドにならない、軍部の暴走より不幸にならない、などとは断じていえないと思います。安全保障というのは、リアリズムに基づいて最悪のケースを想定して行うものだからです。ガンジー主義の徹底を国民に呼びかけるのはあまりに「独善的」すぎると思います。国民の大半が納得しない理想を望めば、そのこと自体がさらなる「非平和」状態を作ります。

このような観点において私は、仮想的な国際平和の理念に囚われている人々と大東亜共栄圏を掲げ勝ち目のない戦を支持した勢力は、精神構造の上において全く同じものを有していると考えています。これは直感ですが、戦前も戦後も日本の「教養ある人々」は、おそらく同じ種類の「洗脳」にはまっています。戦前は「武力」による統合が肯定される世の中であり、戦後は「民主制(という名の経済支配)」による統合が、世界の中枢から認められているだけです。パッケージの「装い」が変わっただけで、実は「何も変わっていない」ことです。世界の統治方法の中身は戦前も戦後も相変わらず「力の理論」です。このことを非常に勘違いしている平和主義者が日本には多いと感じます。よって、そのような人々はおそらく実際の平和を実現するための勢力になりえず、むしろ独善的に超国家的政府を支援する危険性があると私は思っていますし、事実そうした「二分化」進んでいると感じます。私は、それがある種の罠だと感じるのです。信じるも信じないも自由ですが、これだけはどうしても指摘せざるを得ないという気持ちがあります。

それから武力に関する大前提として、私たちは暴力の可能性や必要性を許容せざるを得ない場合、なるべく自分と利害の合致する勢力にそれを委ねるというのが原則だと思います。従って、武力を預ける理想があるとすれば、自分が生活する共同体レベル=藩レベルでの自給となります。それが無理で、国を選ぶか、国連を選ぶかとなれば、絶対に国です。国も藩あてにならないなら、利害が少しでも合致する他国や他集団と是々非々で取引するしかないでしょう。現在の日米関係に問題があるとすれば、この是々非々での取引が徹底されていないことです。

現在の延長で国連を改革しようとしても(拒否権の行使の仕方や担当国が代わることはあっても)本質は変わらないし、新たな民主的な国連を作るというのなら、その選出基盤をどうするかというところから考えなければいけません。私は世界規模で経済的、軍事的に自立した「藩」を作ることがその道に繋がると考えています。北京政府による地方政府の弾圧もこの方向で解決を考えるべきです。

私は無秩序に「脱グローバル化」が進むこと自体は別に悪いとは思いません。問題はその過程で軍拡競争やパワーゲーム、人民抑圧が繰り広げられる可能性があるということでしょう。

なぜそうしたことが起こるのでしょうか?

そのことを深く深く考えた結果として、私はその根本要因を取り除くために経済システムの変更、すなわち減価する通貨による「自然主義経済」への移行を提案しているのです。なぜ石油やガス田が欲しくなるのか、そういうことの根本が見えていなければ、全ての代替案は絵に描いた餅です。つまり、中国やロシアとガス田を共有せよ、といったところで、今のままでは必ず揉め事やどちらかの不満が惹起されるでしょう(それが起こらないというならその根拠を示す必要があります)。

問題はこのなぜ「揉めるのか」ということの根本解決を思いつくことなのです。地域間の紛争の要因(金銭的な富を生む資源や社会システムの奪取を求める動機)を取り除けば、今ほど無用な軍拡競争は起きなくなるでしょう。減価する通貨による経済こそがその「根本動機」を消し去ります。以前、関さんは「減価する通貨」の意味がいまいち良くわからないといっていましたが、おそらくやはりそこが判らないから、安全保障についても私とわかりあえないのです。なぜなら、私は経済問題と安全保障の問題を別個に考えているのではなくて、深い因果を含む一連の問題であると考え、その結果として「減価する通過」による経済を提唱しているからです。

また、相手に武力を捨てさせるには、相手を充分に制御できる実質的な「力」をまず自身が見につけ、その力を納得させた上で、他者の安全を保障してやる必要があります。その後に、やっとお互いに武力を放棄する条件が整うと考えています。前者がレーザー技術を活用して、核兵器を無力化するMDの開発であり、後者が自然主義経済であると考えています。

私の直感としては、関さまは「各論」はかなり見えているけど、根っこがまだしっかり見ていない感じです。であるので、私が不幸の「原因」と見ているものを関さんは「結果」であるといい、私が「結果」と見ているものを「原因」とみなしているようです。

私は、不幸の原因は「武力」にあるのではなくて、「武力」が「経済的な理由」の下に行使されることが人々を不幸にしている根本だと思っています。軍拡が経済的疲弊を招くのではなくて、現行の経済システムの抱える問題が、経済的な疲弊を「必然的に」起こし、その結果として軍拡や戦争という間違った選択がなされるのだと考えています(これについてはいずれ私のブログで関連記事をアップします)。以上の「根本原因」の見極めと、「武力」とはそもそも何なのかという根っこが、私と関さまでは大きく異なります。

国連をどうするかという話は、この辺りの一致が図れてからでないと、おそらくまともな議論にはならないでしょう。というわけで、それまで「国連」についての議論は保留し、それ以前の「武力」とはそもそもなにか、なぜ経済の問題が「戦争」を招くのか、そのようなレベルで、関さんとは議論しようと思います。これは守・破・離です。日本の平和主義的知識人は、安全保障に関しての「守」が理解できていないのに、いきなり「離」を唱えていると感じます。どうしても。

また、以上は関さまの様々なご活動の価値を否定するものではありません。上記のような議論とは別に関さまの活動は高く評価しております。そしてそれは関さまの「理念」ではなくて、優れた「感性」に支えられているものであると感じます。
返信する
花ブナさま ()
2008-03-30 02:19:41
>この違いを埋めるには、結構時間がかかりそうな気
がします。

 多様性のある社会をつくろうという点で、私たちのあいだに相違はないかと思います。安全保障問題などで違いはありますが、思想は多様であるべきなので、ムリに違いを埋める必要はないでしょう。違いは違いとして置いておけばよいのではないでしょうか。

 安全保障の問題では、日米同盟派、アジア安全保障派、非武装中立派、核武装中立派、世界連邦政府派など、いろんな人がいる中で、けっきょくは不確定な歴史の流れで落ち着くところに落ち着くのでしょう。その落ち着き方に異論のある人は残るでしょうが、少数派を弾圧してはいけないと思います。

>私は現在の経済システムの根本的欠陥が放置された
>まま、超国家的政府が実現した場合、地域統治・人
>民統治やのやり方は、おそらく今より冷酷になる可能性が高いと踏んでいます。

 これは、そうとは限らないと思うのです。たとえば北アイルランドにはイギリスに帰属意識を持つ人と、アイルランドに帰属意識を持つ人が混住し、悲劇が繰り返されてきました。国民国家の枠の統治が続く限り、この悲劇は続いてしまいます。しかしEUという大きな枠組みの中で、イギリスもアイルランドもEUの一部となることで、北アイルランドもEUの一地域ということで紛争解決の道が生まれると思うのです。
 
 スコットランドなんかも独立運動が強くなってきていますが、EUという大きな政治的枠があるからこそ独立も可能になってくると思います。
 
 ですのでチベット問題も、東アジア共同体にタイやカンボジアや日本などの仏教文化を尊重する国々が入ることによって、中国政府が弾圧しにくくなるだろうと思うのです。
 東アジア共同体が設立され、時がたち、中国のナショナリズムも沈静化してくれば、いずれはチベット独立を許す雰囲気も醸成されるのではないでしょうか。

>地域間の紛争の要因(金銭的な富を生む資源や社会
>システムの奪取を求める動機)を取り除けば、今ほど無用な軍拡競争は起きなくなるでしょう。
 
 これは同意です。そのための自然エネルギー振興という点でも全く同じ意見だと思います。

 減価する通貨に関しては、各地での実験が必要だと思います。これまでの歴史ではなかったものなので、「頭の中で理解しろ」と言われても、イメージで理解するのは難しいです。実際に地域で流通するのをこの目で見れば、私も納得するでしょう。その通貨に対する信用が生まれるかどうかがカギなので、誰がやってもうまくいくわけではないと思います。

>また、相手に武力を捨てさせるには、相手を充分に
>制御できる実質的な「力」をまず自身が見につけ、
>その力を納得させた上で、他者の安全を保障してや
>る必要があります。その後に、やっとお互いに武力を放棄する条件が整うと考えています。

 相手に軍縮を促すためにこちらも力を身につける必要があるというのは納得できます。その意味では、米中露などに核軍縮を促すために、「軍縮しないならこっちも核武装するぞ」と脅すくらいのことはした方がいいのかも知れませんね。でも、それをやらずとも、せまりくる各国の経済的疲弊によって自然に軍縮交渉も進みそうな気がします。
 MDに関しては、その開発が軍縮を促すのか軍拡を促すのか・・・・。前者ならよいのですが、私は後者になってしまいそうな気がします。
 でも、それが契機に宇宙開発が進むならマイナスばかりでなくメリットもあるのかも知れません。米ソ軍拡競争の副産物として宇宙開発が進んだように。もうちょっと自分なりに考えてみます。
 
 余談ですが、宇宙ステーションの活動を軌道にのせるためには、私は大気圏外までロケットを使わずに人と資材を運べる「宇宙エレベーター」の建設が必要だと思っています。
 
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>関さま (花ブナ)
2008-03-30 16:03:02
思想や価値観については、多様性が重要であり、これを埋める必要はありません。
むしろそうした多様性を生み、守るために、新たな経済システムと安全保障を考える必要があると思っています。

安全保障を真剣に考えれば、結局医療と同じように「対症療法」と「根本治癒」の二つのアプローチが必要であろうことがわかるはずです。前者は現実を見据えて有効な対策を行うことであり、ここは思想とは関係なく「リスク管理」を前提とした合理主義を徹底すべき部分と思います。後者に関しては、私には関さんの上げたどの派閥も、昔からある議論を何度も繰り替えして、結局どれも上手くいかないことがほとんど明らかなのに議論だけが続いているように思うのです。一番の問題は、どの派閥も、現行の経済システムを前提として「根本治癒」できると思っているからです。私はまずその前提が大きな間違いであるということを指摘したいだけです。細かいプロセスの違いはその後に議論されれば良いことであり、その優先順位と順番が逆転していると感じます。


それからEUについての評価が全く違います。
すでに国民国家枠の統治というもの自体、現代においては形骸化しています。実態としては株式会社「日本国」、チーム「イギリス」とか、そういう状態に推移しています。本質は、国際金融資本家によるインナーサークルが国家を「運営」しているに過ぎません。国民国家が旧式の方法で、そこに問題があると思わせるのは、それこそある種の誘導ではないでしょうか。EUにおいて、マスコミや識者による「ラッピング効果(地域の特性を活かし云々という美辞麗句)」以上のメリットが庶民に享受されているように見えません。むしろそうした中で中流以下の層と上層の格差が広がり、かつて国ごとにあった基盤産業・一次産業の崩壊が進んでいるように見えます。こうしたやり方は、国民国家レベルで起きていた摩擦よりも、将来もっと大きな摩擦や社会基盤の不安定化を生むと思っています。その過程で、超国家統治機構への支配力(武力含む)の集権化がさらに進むであろうというのが、私の「長期予測」です。

よって、現時点で、東アジア地域がEUに習うのは、私はあまりに危険であると判断しています。少なくともEUの本質や将来が確実に見えない段階において、私はそうした超国家システムを無批判に肯定する気持ちにはなれません。それに繰り返しますが「東アジア共同体」を性急に進めることは「戦前」の大東亜共栄圏の動きと極めて類似します。

私は最終的には、日本周辺のアジア諸国との貿易や連携は、互いのさらなる発展や安全保障に繋がると思っていますが、それは「自然主義経済」を前提としています。「資本主義経済」に基づくシステムでアジアに超国家的共同体を作ろうとすれば、それがどんな名で呼ばれ、どんな美辞麗句(平和共存など)で飾られようと、戦前のアジア経済一体化の試みと同じ失敗を辿ると予測します。歴史を反省すべきは、右翼や軍国主義者などではなくて、そのような非合理的な夢に洗脳された戦前および戦後の日本人の『良識的知性』全体です。私は、いまだにそうした妄想が「東アジア共同体」を語り、平和を語る人の中にあると感じます。


また、減価する通貨の実践例は、かつてのオーストリア・ヴェルグルでの成功例や現在のドイツのキームガウワーでの例などがあり、決して「頭の中の理論」だけではありません。

http://www.tradition-net.co.jp/door/door_esy2000/2tsuka.htm
http://mig76jp.wordpress.com/2006/05/09/
http://mig76jp.wordpress.com/2006/05/16/
http://mig76jp.wordpress.com/

もちろん今後はこうした活動の実践例を日本でも作る必要があるでしょう。問題は、それが軌道に乗ったときに、政府がどのように出てくるかです。ヴェルグルのように禁止されないためには、やはり政治的にこのシステムが認可される必要があります。また、地域における減価する通貨の経済を回すには、やはりきちんとした担保(農産物や再生可能エネルギー)の確保や労働者とそのための住居・生産地等が必要であり、自治体がそのために本格的な指導・協力の立場を示さねばなりません。そうしたビジョンと具体性が見えた上で、地道にやるしかないという段階です。


また、経済疲弊による軍縮が自然に起きる、などについてですが、私は下手な軍縮は、戦争リスクをむしろ高めると思っています(むろんだからといって軍拡を支持するわけではありません)。世界中にすでに、人類を何回も滅亡させる量の核兵器やその他大量破壊兵器がある以上、通常レベルの軍縮は、全く危機の本質を減じることに繋がりません。むしろ、軍縮を理由に、パワーバランス崩壊が招かれるほうが怖い。これも歴史が証明しています。

戦前のワシントン海軍軍縮会議やロンドン海軍軍縮会議の後に、第二次世界大戦は勃発しました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E6%9D%A1%E7%B4%84

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E7%B8%AE%E6%9D%A1%E7%B4%84

これらの条約の批准をめぐって、様々な対立が発生したことが、結果として各国の国内情勢の不安定化を招いており、それが第二次世界大戦の引き金の一つになったとも解釈できるでしょう。

こうした歴史に学べば、単に兵器を減らせば平和に繋がると安易に考えてはいけないことがわかります。何度も言いますが、だからといって軍拡を肯定するわけではありません。軍縮を主張することが、平和に繋がらず、むしろリスクを増大させる可能性があるといっているだけです。

結局、戦争を止めるためには、武人の心、鞘の内の力による制御、こうしたものの本質を理解した上で、「対症療法」と「根本治癒」を考える必要があると思っています。関さんが懸念するMDが軍拡を招くかどうかという点も、結局はそういう「鞘の内の力」を日本の軍人が理解しており、そのようにMDを運用でするかどうかだけです。MDが良いか悪いかなどという議論は実はあんまり本質ではないのです。「ナイフ」はうまく使えば、とても便利な道具になるだけです。それで人を刺すというような発想が生まれるとしたら、そのような発想が生まれる社会=人間にこそ問題があるのです。「ナイフ」が悪い、といくら主張しても、「ナイフ」以外で人を殺せばよいという発想が出てくるのであれば、その主張には何の意味もありません。むしろ「ナイフ」の利便性や安全な使い方を一般人が知ることを妨げ、もっと別の隠れたリスクを生み出すことに貢献します。

参考:平和党ブログ「ナイフのある平和な世の中」
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/34835729.html

これは私の考えですが、この世の中で最も賢い人は、人民が「平等」をうたうことで、不平等な社会が作られること、人民が「平和」をうたうことで、非平和な状態になることを知っているのだと思います。そこから解放されるには、一度既存の知識や理念を捨て「心を解放して」世の中や歴史を見直す必要があると思います。領民の平和を守る武人の姿がその先にあります。
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