代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

21世紀の帝国主義

2015年10月02日 | 政治経済(国際)
 前回の記事に続き、薩長公英陰謀論者さんからいただいた投稿を新記事として掲載させていただきます。私は過去「ブロック経済が戦争の原因で、それを防ぐには自由貿易しかない」という安倍首相やマスコミ各紙の言説が全くの虚構であり、自由貿易こそ世界システムを不安定化させ、恐慌と失業の原因となり、人々の思考から理性と道理を失わせ、排外主義を高めて、戦争の原因になると論じてきました。薩長公英さんが、さらに以下のような論を展開して下さいました。


******以下、引用********

http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/116c458193d9b2df457bc827f1f6ca8c

21世紀の自由貿易帝国主義。グローバル企業植民地主義と新帝国主義戦争の危機に直面して何をなすべきか。(その1)   (薩長公英陰謀論者)2015-09-28 00:06:39


ブロック経済戦争犯人説は、第一次世界大戦が19世紀末大不況のあと20世紀初頭に出現した「三国協商vs三国同盟」の対立、また「英国の3C政策vsドイツの3B政策」の対立から起きたという、また第一次大戦後の世界恐慌後に英ポンド、米ドル、仏フランによる三大ブロックが形成され、遅れてきたドイツ・イタリア・日本が締め出されて、この三つの国が軍国ファシズムに走って英米仏に挑んだことによって第二次世界大戦が起きたという、ジャーナリスティックな図式化から来るのではないでしょうか。
 そこで戦争の原因であるブロック経済に対して、自由貿易が平和のキィワードになると。

 このブロック経済戦争犯人説は、二つの世界大戦が単なる軍事的勢力争いや侵略征服戦争ではなく、19世紀以降の資本主義経済の発展によって飛躍的にかつ空間的・時間的に不均等に増加した供給力(生産力)と市場とあいだのさまざまな意味でのギャップを解消するための戦争、すなわち帝国主義戦争であったことを覆い隠すものであると思います。

 イギリスにおいて夜警国家に対応する自由競争資本主義が独占資本主義に発展して国家を資本の道具とする段階に至ったのは19世紀ヴィクトリア時代(1837年~1901年)においてだそうです。

 ヴィクトリア朝以前の19世紀初頭には、ナポレオンによるもののような軍事的征服を意味しており、植民地という含意を持っていなかった帝国主義という言葉が、ヴィクトリア朝末期の19世紀末大不況(1873年~1896年)の時期に入ると海外植民地に対する力による支配の問題を指すものとして盛んに論じられるようになったとのことです( 参照:『 Imperialism : Critical Concepts in Historical Studies 』Edited by Peter Cain and Mark Harrison, Sheffield Hallam University 2000年 )。

 いまだに頻繁に参照する世界史の受験参考書には、帝国主義という言い方は、政治家ロバート・ロウ( Robert Lowe 1811年~1892年 ) による1978年の論文「 Imperialism 」によって英国において一般化したと書いてあります。

 19世紀末大不況によって大きな打撃を受けた「世界の工場・英国」が、急速な重化学工業化を達成したドイツとアメリカによって激しく追い上げられる時期に新聞の通信員として南アフリカの植民地を取材した経済学者ホブスン(1858年~1940年)による『帝国主義論』(1902年)が書かれ、それをもとに、第一次世界大戦開始後レーニンによって『資本主義の最高段階としての帝国主義』が1916年に書かれるわけです。

 なお、ホブスンが、ケインズの有効需要論に引き継がれる景気変動と過剰生産についての考え方を示し、またヴェブレンに影響を与えた、自称「異端の経済学者」であったと聞いて驚きました(参照:ウィキペディア「ジョン・アトキンソン・ホブソン」)。

 ここで決定的に重要なことは、第一次世界大戦において戦争が総力戦、すなわち、その国の工業生産水準、技術水準、資源・食料調達備蓄水準、といった国力のすべてを動員して戦うものとなったことであると思います。際限のない破壊による純粋な消費が膨大にまた長期にわたっておこなわれるようになった戦争が、過剰資本を解消するために絶好の経済活動になったわけです。
 クラウセヴィッツの言う、政治的目的達成の手段としての戦争が、20世紀において、経済活動としての、それ自体が目的である戦争に変貌したということであると思います。

 レーニンは彼の帝国主義論において、19世紀ヴィクトリア朝の中葉においては「ソフトな自由貿易帝国主義」であった英国の植民地主義が、19世紀末期には「力をむき出しにしたハードな自由貿易帝国主義」に変貌したことを以下のように述べています:

 「イギリスにおける自由競争の全盛期、すなわち1840ー1860年代には、イギリスの指導的ブルジョア政治家たちは、植民政策に反対であり、植民地の解放、イギリスからの植民地の完全な分離を、不可避でしかも有益なことだと考えていた。M. ベーアは、・・・ディズレリーのような一般的には帝国主義的な傾向を持っているイギリスの為政者が、1852年には、『植民地とはわれわれの首にかけられた石臼だ』といったことを指摘している。
 ところが、19世紀の末には、イギリスにおける時代の英雄は,公然と帝国主義を説教し、このうえもないあつかましさで帝国主義的政策を遂行したセシル・ローズやジョゼフ・チェンバレンのような人たちであったのである」(レーニン『帝国主義』岩波文庫、1956年;p129~p130)

 とはいえ、レーニンの研究によって英国が植民地争奪戦争から距離を置いていたとされている1840年ー1860年代において、1840年にアヘン戦争が始まり、1856年にアロー号戦争がおこなわれ、1857年にセポイの乱が始まっています。あの下関戦争は1863年と1864年です。
 イギリスの為政者の「インフォーマル(でソフト)な帝国主義 @ ギャラハー/ロビンソン『自由貿易の帝国主義』はきわめて主観的なものであったのでしょうか。

 おそらくは、当時の英国本国政府と在アジア英国現地勢力との関係は、現在の米オバマ政権とネオコンの関係に相応するものであったのではないか、そういう仮説が成り立つのでは、と類推想像いたしております。

 興味深いことに、レーニンは上の引用箇所に続いて、以下のように述べています:

 「セシル・ローズは、彼の親友でジャーナリストであるステッドの語るところによれば、1895年に、彼の帝国主義思想についてステッドにつぎのように述べた。『・・・私の心からの理想は社会問題の解決である。すなわち、連合王国の4000万人の住民を血なまぐさい内乱から救うためには、われわれ植民政策家は、過剰人口の収容、工場や鉱山で生産される商品の新しい販売領域の獲得のために、新しい土地を領有しなければならない。私のつねづね言ってきたことだが、帝国とは胃の腑の問題である。諸君が内乱を欲しないならば、諸君は帝国主義者にならなければならない』」(レーニン『帝国主義』岩波文庫、1956年;p131)

 レーニンが紹介したセシル・ローズの主張は、あまりにあざやかに帝国主義と帝国主義戦争の素顔が露呈したものであると思います。戦前生まれの世代の語る「満州」の話を伝え聞いたときの印象と苦痛とともに重なります。
 昭和天皇が天皇否定の「共産革命」(内乱)を怖れて、米国からその地位を安堵されるまで帝国主義戦争の終結を決断することができなかったということを読んで茫然としたこととあわせて。

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第一次世界大戦後1929年大恐慌を経て第二次世界大戦に至る間の世界経済における各国の不均等発展は、産業革命から19世紀末大不況を経て第一次大戦に至る経緯によく対応していると思われます。ふたつの戦争の主役はドイツです。

 ただし第一次世界大戦開始時には、この世界大戦を結果として準備したと言うことができる辣腕宰相ビスマルクは、暴飲暴食で節制ができない彼を嫌いながら二正面作戦をさせないという点で政治家ビスマルクを芯から信頼していた稀有の参謀総長モルトケとともに既になく、歴史に名さえ残っていない首相(テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク)が、血筋だけで死ぬほど凡庸だった参謀総長小モルトケに引き回されて「軍部独走」による戦争に突入したとのことです。

 そしてレーニンは、第一次世界大戦にキャピタライズして、資本主義先進国での革命を期待していたマルクスの期待とは大きくズレたロシア革命を敢行しました。生産力未発達の国における生産関係の先取り変革による生産力の急速育成という点で明治維新と軌を一にした無理筋の似非社会主義革命でありました(偏見的私見です)。

 しかし、欧米のバックアップに頼った鹿鳴館式明治維新によって近代化をおこなった日本とは対極的に、無理筋の無理をそのまま受けて立った後継者スターリンによって社会主義という理想を地に墜とし泥まみれにされるという悲劇を予感しつつ、レーニンは働き盛りで世を去りました。

 第二次世界大戦の火蓋を切ったヒトラーについては、・・・彼には大衆を惹きつける魅力と才能があり、あろうことか気の毒に自分の本分を芸術家だと信じており、政治家としての個人的身辺は清潔、そして、上流階級を敵視して「国家社会主義ドイツ労働者党」を名乗った政党を率いた、門閥血筋皆無の独裁者であったということ以外にあえて語ることはありません。
 そうなのです、見ていて気が○○ほど(放送禁止用語)凡俗なアベ某とその取り巻きたちとは似て非なる存在です。
 だからといってヒトラーのひそかなファンには絶対になりません・・・かような余計な寄り道をしてしまうのはアベ某のせいだということに。

 ともあれ、大航海時代以降二つの世界大戦に至るまで、欧米先進国がアジア・アフリカの後進国に押しつけた自由貿易が平和と同義であったとは、世界史において実際に起きたことから見て、噴飯ものという以外にありません。

 戦後すなわち第二次世界大戦後に大急ぎで飛びます。戦後すぐに東西冷戦を英国首相チャーチルが宣言し、世界史上初の「政治経済社会体制イデオロギーによる世界のブロック化」が始まりました。

 この、すさまじい世界分割・ブロック化は、文字どおりの冷戦を半世紀にわたって固定化し、宇宙技術を含めた技術革新競争・軍備更新競争の継続によって米軍産複合体の胃袋を満たし、核戦争を回避しつつ、朝鮮戦争に発し、ベトナム戦争に代表される「局地的世界大戦」を引き起こしてゆきます。
 そして、GATTからWTOに至る米国お得意の「自由貿易によるブロック経済」の形成維持がおこなわれるわけです。

 そして、官僚統制の生産力至上主義の計画経済を社会主義というのは無理筋だったと思われるソ連型社会主義は、米国との宇宙戦争競争、アフガニスタン侵攻、チェルノブイリ・・・に持ちこたえることができずに自壊して1990年代以降、世界ブロック経済は消えました。
 よって世界自由貿易による平和が訪れるはずではなかったのでしょうか。

 それを何ゆえ、この第二次大戦終了後70年にして、アベ某氏はブロック化の危険と自由貿易を訴えながら、中国の軍事的脅威を言い立て戦時体制へとあおるのでしょう。中国とはすでに資本輸出までを含む巨大な自由貿易がなされているのではないでしょうか。

 戦後「西側世界」が「東側世界」を経済的に大きく凌駕することになった決定的な要因は、米国の力に加えて、敗戦国だったドイツと日本が速やかな復興と奇跡の成長を成し遂げる一方で、東側諸国にはそのような国は出現しなかったことによると思われます。
 
 そのドイツが中国との深いかつ友好的な経済的関係にあり、政治的軍事的敵対など考えられないのに対して、なぜ日本は・・・

 これは現在の世界が深刻な不均等発展によるあらたな帝国主義時代に入ったことを反映しているように思えます。


 これまで見聞きしたことから考えまして、突然に飛躍しますと、おそらく必要なことは、世界的規模の軍縮と、そのための軍需・資源エネルギー産業の社会的共通資本化ではないかと考えつつあります。

 民間軍事会社という私企業軍隊を含めて、私的な資本による軍需関連事業の運営が、国家というフォーマットをこえたグローバル企業植民地主義というべきものの形成に呼応しているように思えてなりません。
 あのベクテル社、あるいは旧ブラックウォーターを買収したモンサント社を見ますと、軍隊を持ち戦争遂行能力を持った企業であった東インド会社があらたなかたちで再来しているような感じさえ受けます。

 そこで、民間軍事会社は禁止解体し、原子炉の製造と維持運用を含めて、兵器・軍事関連物資の生産を営利企業/株式会社がおこなうことができないようにすべきであると思量します。
 おそらくこれができなければ、地上の人類は滅亡するであろうとひそかに思っています。

 じつは、それを担保するため、真に平和な自由経済を実現するためには、経験論的直感というべきものからのアイディアとして、社会的共通資本化に金融を含め、金融投機を禁ずるということが次の課題になろうかと思っております。

****引用終わり*******

 以下、私のコメントです。 
 
>GATTからWTOに至る米国お得意の「自由貿易によるブロック経済」の形成維持がおこなわれるわけです。

 米国がWTOを主導していた当時は、米国の一極支配による世界貿易秩序を目指していたと思います。米国の描いた戦略は、世界で唯一の保護主義国家米国を維持しつつ、国家機能を麻痺させてワシントンコンセンサスを唯々諾々と受け入れていく羊の群れのようなその他大勢の「国家」群を作り上げるというものでした。
  
 しかし、自国産業を保護しながら他国政府の産業政策のみ破壊しようという身勝手な戦略が、途上国からの猛烈な批判にさらされて続行不可能になるにつれ、WTO戦略は放棄して、自分の言いなりになる国々のみ囲い込むというTPP戦略に移行したのでしょう。
 まさに、かつての大英帝国が、世界大恐慌に際して、自由貿易を放棄して英連邦特恵関税制度を構築するというブロック化に至った歴史の再現です。TPPはある意味、アメリカ覇権の凋落の象徴といえるでしょう。
 であるが故に、世界大戦の危機は高まっていると思います。全力でTPPを止めなければと思いますが、現在の閣僚会合はいやな流れで、本当に心配です。

>軍需・資源エネルギー産業の社会的共通資本化 
>おそらくこれができなければ、地上の人類は滅亡するであろうとひそかに思っています。

 ローマ・カトリックのフランシスコ法王は本年、中南米を歴訪した際に以下のように述べられたそうです。
http://www.nikkeyshimbun.jp/2015/150711-24brasil.html

「本当の社会変革を望む。行き過ぎた資本主義にはもう耐えられない。労働者や農民、母なる大地の我慢も限界」と語る法王は、資本主義は「巧妙な独裁」だと評した。

 私もローマ法王の懸念に全く共感します。このまま資本主義の暴走を許せば、母なる大地は滅び、人類の滅亡も避けられないでしょう。世界中でますます多くの人々が法王の懸念に共感を強めています。それ故、アメリカの軍産複合体にとって、ローマ法王は「敵」になりつつあるようです。法王の無事を祈ります。

 資本主義の暴走を阻止するために、まずは軍事・資源・エネルギーの社会的共通資本化という提案、賛同いたします。
 まずは米国の軍産複合体の解体から始めねばなりません。日本が決然として、米国の支配から脱する決断をすることで、軍産複合体には大打撃を与えられるでしょう。

  


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