前の記事の続きです。退牧還草によって、非常に収益性の高かったカシミヤ生産がほぼ壊滅する中で、代替産業は何か?
これはNGOと政府が支援して、ガチャ(モンゴル語で「村」の意味)の住民が共同出資して合作社方式で乳牛飼育場と搾乳場をつくった事例です。
賀蘭山で放牧していたのは、モンゴル民族よりもむしろ後から入植してきた漢民族の方が多かったそうです。このガチャの住民は漢民族の方が多数でした。
いま牛乳の価格が上昇していて、山羊飼育を止めた元牧民たちは、乳牛の所有頭数を増やしていました。「カシミヤから牛乳へ」、これは非常に大きな可能性になっています。
ただし問題なのが、牛の飼料になるトウモロコシが大量の地下水を必要とすることです。この合作場のあるガチャ(村)では、1970年代には地下水位は14mほどだったそうですが、現時点では30mにまで低下しています。塩類が集積してきて、水はしょっぱい味がします。村人たちは水に砂糖を入れて飲んでいます。
NGOが依頼して中国の研究者が水文調査を実施したところ、「畑の取水量を半分に減らさねば水収支は均衡しない」との調査結果が出ました。
いま井戸から畑まで水を引く際の水分損失を抑えるために地下にパイプを通して灌漑するというプロジェクトを実施しています。しかし、この技術でも節約できる水の量は15%程度。
取水量を半分に減らすためには、点滴灌漑の技術を導入する必要があります。しかしかなり高度な技術です。NGOは、それを実施するには、住民たちの対応能力が十分でないとの判断で、点滴灌漑のプロジェクトは未だ実施していません。「いきなり高度なことをやろうとすると絶対にうまくいかない。何事も、ゆっくり時間をかけてやることが大事」と、私の知り合いの儀さんは(このプロジェクトを手掛けたNGOのリーダー)言っています。
うーん、この言葉、JICAなど日本の援助関係者にも聞かせてあげたい……。 (つぎの記事に続く)
これはNGOと政府が支援して、ガチャ(モンゴル語で「村」の意味)の住民が共同出資して合作社方式で乳牛飼育場と搾乳場をつくった事例です。
賀蘭山で放牧していたのは、モンゴル民族よりもむしろ後から入植してきた漢民族の方が多かったそうです。このガチャの住民は漢民族の方が多数でした。
いま牛乳の価格が上昇していて、山羊飼育を止めた元牧民たちは、乳牛の所有頭数を増やしていました。「カシミヤから牛乳へ」、これは非常に大きな可能性になっています。
ただし問題なのが、牛の飼料になるトウモロコシが大量の地下水を必要とすることです。この合作場のあるガチャ(村)では、1970年代には地下水位は14mほどだったそうですが、現時点では30mにまで低下しています。塩類が集積してきて、水はしょっぱい味がします。村人たちは水に砂糖を入れて飲んでいます。
NGOが依頼して中国の研究者が水文調査を実施したところ、「畑の取水量を半分に減らさねば水収支は均衡しない」との調査結果が出ました。
いま井戸から畑まで水を引く際の水分損失を抑えるために地下にパイプを通して灌漑するというプロジェクトを実施しています。しかし、この技術でも節約できる水の量は15%程度。
取水量を半分に減らすためには、点滴灌漑の技術を導入する必要があります。しかしかなり高度な技術です。NGOは、それを実施するには、住民たちの対応能力が十分でないとの判断で、点滴灌漑のプロジェクトは未だ実施していません。「いきなり高度なことをやろうとすると絶対にうまくいかない。何事も、ゆっくり時間をかけてやることが大事」と、私の知り合いの儀さんは(このプロジェクトを手掛けたNGOのリーダー)言っています。
うーん、この言葉、JICAなど日本の援助関係者にも聞かせてあげたい……。 (つぎの記事に続く)
他の記事で紹介されているように今回調査されてきたプロジェクトには評価できる部分もあるとは思います。
ただ、この牛とあわせたトウモロコシ栽培はすぐにでもやめるべきです。JICAをことさら庇うわけではありませんが、地下水位の低下に伴う塩類の集積は末期的症状であり、のんびりと構えているNGOリーダーの認識の方が間違っています。すでに住民の生活に必須の水質に影響が顕れていることが何よりの証拠です。このようなことをやって生活用の井戸が枯れてしまったり、地下の地質に含まれていた有害な重金属成分などが飲料水に混ざって、余計に住環境を悪化させることが途上国では往々にしてあるのです。
http://page.freett.com/virtual_water/snapshot.html
http://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu030630.html
『中国の内モンゴル南部はこの半世紀、黄河から多量の水を引き、次々に井戸を掘って大穀倉地帯に変わった。一方で、井戸水のヒ素汚染が深刻化している。私が訪れた内モンゴルの村は、住民350人の半数近くがヒ素中毒だった。汚染は急激な開発に対する自然の逆襲にも思われる』
持続型でない乳牛飼育をだらだらと続けることは、要するに貨幣経済優先の発想であり、住民の命の保護に基づく判断ではないと思います。「牛肉」であろうと「牛乳」であろうと、非伝統的な生産方式は、水の無駄遣いであることに変わりはありません。内モンゴルという環境はそもそも水資源が非常に限られている土地でしょう。人間側の都合で増えた人口や家畜を支える水資源がないという厳然たる事実をまず認めるべきです。
良質な水は、牛にではなく、人間と人間の生活に必須な作物に回すべきです。貨幣収入の問題はその次です。この順番を間違ってはいけません。他の対策も一長一短ありますが、乳牛飼育については、明らかに大きなデメリットを抱えていると思います。
人間は貨幣によって生きるのではなくて、安全・安心な食と住があるから生きれるのです。事実伝統的なモンゴル人が家畜の数を減らして貨幣的な損失を受けても、己の生きる環境を守ることを選択したのはその想いがあるからであり、民主的プロセス云々というよりももっと深いところに動機があるのではないでしょうか。その思いを裏切ることのないよう対策方法は是々非々で慎重に選ぶ必要があると思います。
で、こうした問題が生じてしまう根本を辿れば、すでに関様が書いた以下の一文にたどり着くと思います。
『モンゴル民族よりもむしろ後から入植してきた漢民族の方が多かった』
正直、個人的経験から、アジアにおけるNGO活動は決してピュアなものだけでなく、様々な問題を抱えていると感じます。上記NGOの活動がモンゴル人の環境や生活の保護より、漢民族の自己都合、すなわち入植者の食い扶持確保や短期的な砂漠化抑制策を優先させていないかどうか、もう少し厳しい目で評価すべきではないかと感じます。
本来の代替案は、まず内モンゴルへの漢民族の入植活動を止めさせ、これまでの入植者もできれば元の出身地に戻ってもらうことを基本政策として、内モンゴル人の伝統的なライフスタイルをベースとした生活改良や砂漠拡大の防止策を実施することと思います(乳牛の飼育などは、もっと適した場所でやって、そこで労働力を吸収するべきです)。
批判ばかりで申し訳ありません。ご研究の努力を否定しているわけではありません。ただ、どうしても以上の点だけは指摘しておきたいと思いました。
ヤギの退牧還草のときにしても、皆は「陳情に行った」という表現をしていましたが、その実態はほとんど「暴動」だったようです。
また、乳牛の所有頭数そのものは、山羊の放牧禁止後の住民の自発的な適応戦略として増えてきたものです。NGOは搾乳場をつくっただけなので、とくに、このプロジェクトのせいで乳牛頭数が増えているわけではありません。
賀蘭山脈からの雪解け水なども地下水として流入する場所なので、取水量を、地下水の年間浸透量以下にさえすれば、ある程度の作物はつくってよいと思います。
また、砂漠化が進むと砂地に降った降雨はすぐに蒸発してしまいますが、退牧還草によって、灌木が増えてきているので降雨の土壌浸透量も増えるはずです。つまり地下水の蓄積には有利です。
水文調査の結果、1ム(0.067ha)あたり年間300立米程度の地下水の浸透はあるようです。それが現在は600立米も組み上げているそうです。
可能な限り早く、どうしても300立米未満に取水を制限せねばなりません。
点滴灌漑の導入と、トウモロコシの作付制限、アルファルファなど水分消費量の少ない別の飼料作物への転換を計ることが必要でしょう。
ただ、それにも皆が危機感を共有した上での合意のプロセスが必要になってきます。
頭ごなしにやると、どうしても暴動が・・・・。
また人間の数が多すぎるという点ですが、この集落は一人っ子政策をかなり優秀に守っていました。これ以上、土地も資源もないという認識をしているからでしょう。
私の別の調査地の貴州省なんて、みな3人4人と子供をつくって、誰も一人っ子政策を守っていませんでしたので・・・・。
一人っ子政策が守られれば、これ以上に人口は増えません。
その結果がどういうことになるかということを誰かが説明しなくてはいけませんね。危機感があまりない状況ならば、色んな方法で危機感を高めるしかありません。それでも暴動をさけられないのであれば、それはもう仕方がないように思います。
塩害が酷くなれば、結局トウモロコシも人が食べるのに必要な作物も作れなくなります。水質や土壌の悪化は概して不可逆的です。退牧還草の意義は否定しませんが、一つバランスを間違えば全てを失う可能性が高いような気がします。
人口の話は、地元で生まれる子供より、カシミアという換金手段を得るため外部からの入植が起きたことが問題の根本ではないかということです。地元の人々の伝統的放牧だけならともかく、外部入植者の活動が全ての過負荷の要因ではないかと。
まず点滴灌漑が導入されるまで、300立米未満の水で栽培できるトウモロコシの作付と乳牛数にまで減らし、その分どうしても生活に必要な放牧は認めてもらう方向で政府と交渉すべきと思います(暴動が避け得ないとするなら、この方向がより低リスクでしょう)。
より本質的には、入植者が持続可能な方法で生活できるようになることですが・・・
>が起きたことが問題の根本ではないかということです。
私も今回はじめて内モンゴルに行ったので、いつ頃どういった理由で漢民族が増えたのかよくわかりませんが、賀蘭山脈の場合、例の毛沢東の大躍進政策の失敗の悲劇のときに、なかば難民のようになった人々が流入したりしたことが大きかったようです。これは、もう起こってしまったことなので、どうしようもありません。
今は、新たな開拓入植のようなことはないと思います。(今度、詳しい人に聞いてみます)。漢民族が、これ以上にモンゴル民族の資源に圧迫を加えるような入植は決して許してはいけないと思います。
>その分どうしても生活に必要な放牧は認めてもらう
>方向で政府と交渉すべきと思います
この提案には賛同します。いま草原は順調に回復しつつありますので、いずれ頭数を制限した上での放牧の再開は可能になると思います。
とにかく言えることは、市場原理に任せてはだめということです。地下水の取水量も自然生態系のキャパシティーに規定された上限がありますし、放牧地に放てる家畜の数も自然生態系に規定された上限があります。住民も政府もNGOも協力しながら、その範囲内に抑えるように、皆で話し合って合意するしかないと思います。
自然生態系の原理を無視した、「利潤最大化」「効用最大化」なんてバカな原理で動いたら、地球はメチャクチャになるだけです。
「自然資源にも万事私的所有権を付与していけば、市場に任せても環境は守られるんだ」などと主張する、一部のバカな新古典派経済学者どもの妄言を抑え、エコロジカル・エコノミーに移行せねば、ホントにメチャクチャになるだけです。
資源の生産量は、利潤・効用の最大化原理に依存するのではなく、生態系の許す範囲に収まるように規制をかけねばどうしようもありません。