代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

TPP:穀物価格の変動が激しくなり飢餓リスクが高まる(全国紙経済部記者Fukutyonzokuさんへ)

2011年12月28日 | 自由貿易批判
 全国紙経済部記者Fukutyonzokuさんとの討論の続きの記事をアップいたします。今回は農産物(とくに穀物)を自由貿易の原理に全面的にゆだねれば、価格の乱高下を増幅させ消費者にも生産者にもリスクが大きいという論点を中心に考察いたします。
 Fukutyonzokuさんが私を批判してきた記事の原文は下記の通りです。Fukutyonzokuさんの主張からの引用は、(1)~(4)の記事のいずれかからのものです。

(1)TPP反対派大学准教授のデタラメ農業保護論②
http://fukutyonzoku.blog.fc2.com/blog-date-201111.html
(2)「農産物関税を撤廃してはいけない理由その2 ―農業にグローバル市場は不要―」 への疑問
http://fukutyonzoku.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
(3)「農産物関税を撤廃してはいけない理由その2」への疑問②
http://fukutyonzoku.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
(4)関良基准教授への再々々反論
http://fukutyonzoku.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

農産物価格の変動の激しさ

 私は少しでも建設的な議論をしたいと思います。そこで記者さんと私の見解で一致している部分から取り上げたいと思います。少ない中にも、一致点はあるので、そこを重視しながら議論を進めるのが生産的だと思います。
 まずFukutyonzokuさんは、農産物価格が今後高騰する可能性を指摘し、次のようにおっしゃいます。

>国際的な穀物市場は上がっていく可能性が高い。(1)

>実際に起こることは、需給逼迫で価格メカニズムが働き、商品価格が上昇する。少なくとも費用だけが一方的に増えて利潤が減るということは起こらない。むしろ、需給逼迫が深刻であればあるほど、先物市場が過剰反応して市場価格が暴騰するから、利潤が増える可能性が高い。(2)
 

 Fukutyonzokuさんは、今後、需給が逼迫して穀物価格が暴騰する可能性もあるとおっしゃいます。私もそう考えます。ただし私は、農産物の需要特性から価格が暴騰するのは一過性で、同時に暴落のリスクも高まり農家の利潤が恒常的に増えるということはないと考えています。つまり価格は乱高下を繰り返すようになります。

 さて、農産物価格が高騰することもあるという予想は同じでも、記者さんと私の結論は正反対です。私は「高騰リスクがあるからTPPに参加すべきでない」と考えるのに対し、Fukutyonzokuさんは「だからTPPに参加すべき」とお考えです。
 Fukutyonzokuさんのお考えは、今後農産物価格が高騰していくので日本の農業も輸出産業として拡大できるということです。一方で私は、突然穀物価格が高騰した場合の飢餓リスクの増大を懸念します。

 しかし、他方で記者さんは次のようにもおっしゃるのです。

>現実に日本で起こっている餓死の問題は、農業自由化や農作物の価格変動とは全く無関係。むしろ、農産物関税を撤廃し、食品相場を下げた方が貧困層も食料を安く買えるので餓死者は減るでしょう。(1) 

 これは明らかに前の言明と矛盾しているといえるでしょう。

 私は、農産物関税を撤廃すれば、価格変動が激しくなり高騰することもあれば暴落することもある考えます。国際市場における穀物価格の乱高下が今よりも激しくなるのです。関税撤廃で一時的に消費者が利益を受けたかと思えば(このとき生産者は損をする)、国際市場で供給不足が発生すれば穀物価格が高騰することも起きる(このとき生産者は喜ぶが、国内外の貧困層に飢餓が発生する)と考えています。

 農産物の需要および供給の双方で価格弾力性が低いという特性の結果として発生する価格変動の不安定さに振り回されれば、消費者も生産者も耐えられない、安心して暮らせなくなります。それ故、私は農産物貿易を自由化すべきではないと書いたのでした。残念ながら記者さんはこの論点を認めてくれませんでした。

 しかし、その一方で記者さんは以下のようにも書いておられるのです。

>実際には作り過ぎて市場の需給バランスが崩れれば価格が低下し、利潤は減る。収穫逓減と似たようなことは農産物に限らず、工業製品にも起こる。工業製品にも自ずと利潤最適な生産量がある。市場変動が激しい点を除けば、基本的に農産物と何も変わらない。(2)

 記者さんは、工業製品の収穫逓増と農産物の収穫逓減という差異に関しては認めようとされないですが、農産物の特質として工業製品よりも「市場変動が激しい」という点を認めて下さったようです。ならば、穀物のように生活必需性が高いにも関わらず市場変動が激しい財を自由化してよいのかという根本的な問題をもう一度考えていただきたいのです。
 
 消費者が将来設計を立てて、平穏に暮らすことができるのは、生活必需品の価格が期待を裏切って大きく乱高下することはないという前提の上でです。その前提が崩れるとき、「平穏な生活」は吹き飛びます。
 関税というのは、平時においては消費者に見えない負担をかけているのは事実ですが、それによって予期せぬ価格変動リスクから消費者を守る役割もはたしています。それによって急激に穀物価格が高騰するというリスクを回避しているのですから、平時における多少の負担は必要悪だと思います。その関税収入を政府が国民のために使ってくれればよい。(付言すれば、関税は、農村の社会と文化、環境と国土を保全する機能を果たしています)。
 関税を撤廃し、価格変動の激しい穀物の国際市場の荒波の中に呑み込まれれば、時として、いま以上に穀物価格は上昇することもあるのです。そしてそれによって収入を得るのはもはや政府ではなく、穀物メジャーや投機家になります。同じ消費者負担といっても、その負担が政府に吸収され公的なものになるのと、一部の人間の私的利益になるのとでは雲泥の差です。
 
関税撤廃のマクロ経済に与える副作用

 記者さんは、関税撤廃は弱者の救済につながると言って次のように主張いたします。

>関税は消費者の100%負担です。しかも農産物という生活必需品にかけられているのだから、これほど低所得者にとって負担が重く、逆進性の高い税はない。消費税も基本は同じだが、欧州の付加価値税では食料品などの生活必需品は適用除外、または軽減税率が適用されているケースが多く、日本も今後消費税を上げていく過程で同じ措置が取られる可能性が少なからずある。また、そもそも財政支出(直接支払い)なら財源は消費税だけではないから、逆進性は薄まる。現在消費税は財源全体の9分の1、税収の4分の1以下に過ぎない。つまり関税こそが不透明かつ弱者を直撃する、とんでもない税なのですよ。(1) 

 農産物関税撤廃によって消費者が得をした分、消費税を増税する。他方で食料など生活必需品の消費税率を低くすれば、低所得者の負担は減るという主張です。
 記者さんが、本当に低所得者への配慮を考えて、このような主張をされているのだとすれば、それは傾聴に値しますし、記者さんのその姿勢は評価したいと思います。(他方で記者さんは、前掲のように農産物価格は今後高騰すると言っており前後矛盾するので、遺憾ながら本当に低所得者のことを真剣に考えているのか相当に怪しいのです)

 しかし、本当にこの政策を実施したとすれば、残念ながら日本のマクロ経済に与える悪影響は甚大なものとなるでしょう。食料品が無関税で流入することにより輸入が増え、その一方、内需向けの国産製品に対しては高い消費税がかかることにより需要は減衰します。
 記者さんの提案は、外国からの輸入食料品にやさしい消費税率を設定し、国内向けの国産工業製品に高い消費税率を設定しようということです。外国農産品にやさしく、国産製品に厳しい政策なのです。その副作用として、内需はさらに冷え込み不況を加速させ、失業者を増やします。
 
 記者さんのお考えは、内需を犠牲にしても輸出を伸ばすことが肝要というお考えなのでしょう。しかし、こんなことをすれば国内製造業の海外移転にはさらに拍車がかかりそうです。「これ以上、日本の産業構造を空洞化させてはならない」と考える点では、記者さんも私も同じ考えです。この点は一致しています。
 しかし私は「だからTPPになど参加してはならない」と考えるのに対し、記者さんは「だからTPPに参加すべき」とお考えなのです。私は、TPPに参加せず、健全な内需を維持してこそ、内需を指向した企業は国内にとどまると考えます。

 また記者さんの上記提案を実施すれば、国の財政支出の不安定性も増すでしょう。穀物の国際価格は乱高下するようになるので、価格が高いときには国内農家への補助金は出さずにすみますが、価格が暴落すれば内外価格差を埋めるための補助金支給額も増えてしまいます。国家予算の策定も、非常に不安定なリスクによって翻弄されるようになります。はたして、日本の財政がこれに耐えられるでしょうか?

穀物は備蓄で対処可能か?

 記者さんは、価格変動が激しいのは農産物のみではないと反論して次のように主張されています。

>例えば石油・化学製品などの市況性の強い工業製品は、常に激しい価格の乱高下に見舞われていますよ。(1)

 石油は工業製品でしょうか? 石油は一次産品です。
 もちろん多くの工業製品は石油なしには造れないわけですが、加工度が高く、製品価格に占める一次産品価格のウェイトが低くなれば、石油の価格変動の影響は薄められ、価格は安定していきます。
 
 石油も、生活必需性が高く需要の価格弾力性が低いという点で、穀物と同様な傾向を持ちます。穀物と石油は同質性があります。

 だからこそ、石油は国が備蓄して、いざという時に備えねばならない財です。決して、市場原理に全面的にゆだねてはいけない財なのです。

 Fukutyonzokuさんも、この点には同意してくださるようで、農産物の関税撤廃と引き換えに穀物も3年程度の備蓄をして備えればよいとおっしゃいます。これも一つの見識として評価したいと思います。

 しかしながら穀物と石油では決定的な違いがあります。石油は備蓄しても劣化しませんが、穀物は劣化していくのです。
 それは消費者が定期的に古米や古古米を食べさせられることを意味します。相当に消費者の評判が悪くなる政策であろうことは想像に難くありません。「消費者負担を減らす」と事あるごとに訴えられる記者さんにしては、ずいぶん消費者に迷惑をかける提案をされるものです。

農産物と工業製品の自由貿易は不均衡をもたらす

 私は、収穫逓減産業である農業と、収穫逓増産業である工業の自由貿易は貿易収支の不均衡を拡大させると書いておりました。記者さんは、それに反論して(2)の記事で以下のように書いておられます。

>国際経済に対する理解が足りませんね。アメリカが慢性的な貿易赤字になる原因は工業に競争力がないからではなく、基軸通貨国という国際資本市場での特殊性や消費市場が開放的で大きいからといのが通説でしょう。(2) 


 もちろんアメリカの貿易赤字に関しては、米ドルが基軸通貨であるという特殊事情も要因であることには同意いたします。しかしそれのみが要因ではありません。工業製品輸出国では貿易黒字になりやすく、農産物輸出国は貿易赤字になりやすいことも厳然とした事実です。アメリカの場合、二つの要因が組み合わさっていますので、赤字に歯止めが効かなくなってしまったのです。

 例えば、現在のユーロ安という条件は全欧州に当てはまりますが、それによって貿易黒字を増加させているのは工業製品に輸出競争力のあるドイツであり、農業や観光が主産業のギリシァやポルトガル等は慢性的に貿易赤字です。工業製品の競争力の弱いスペインなどもやはり貿易赤字。同じ通貨を使用していても、工業国と農業国では大きな差がでます。
 同じく、一次資源や農産物に輸出競争力があり、工業製品には競争力の弱いオーストラリアなども貿易赤字が基調です。いずれも米国のような基軸通貨国ではありませんが貿易赤字です。
 供給面での収穫逓減と、需要面で国際市場がすぐに飽和するという二つの要因によって、農産物で貿易黒字を稼ぐのは難しいのです。

 Fukutyonzokuさんは、農業も工業も基本的に同じと主張しますが、それは認めることのできない主張です。二つの財の性質は需要面でも供給面でも大きく異なります。

マーシャルとクルーグマンの収穫逓増理論

 収穫逓増と収穫逓減の問題、古くはアルフレッド・マーシャルが『経済原理』の中で論じています。非常に古くて新しい問題だといえるでしょう。マーシャルは、農産物生産が収穫逓減で、工業製品の生産が収穫逓増であるとして、以下のように論じています。

「生産において自然の果たす役割は収穫逓減の傾向を示し、同じく人間の果たす役割は収益逓増の傾向を示すといってよいだろう。収穫逓増の法則はつぎのように述べることができる ――労働と資本の増大は、それらの果す仕事の能率を増大させる、改善された組織に導かれると。」(マーシャル(永澤越郎訳)『経済学原理2』岩波ブックセンター信山社、266頁)

 ヘクシャー・オリーンの自由貿易論は、労働や資本といった生産要素がn倍になったとき、収穫もn倍になるという、規模の拡大に対して「収穫一定」を前提として構築されています。しかし、実際にはマーシャルも言うように、農産物は収穫逓減の傾向にあり、工業製品に関しては収穫逓増の傾向にあります。こうした場合、貿易不均衡は拡大しやすくなります。

 クルーグマンの収穫逓増の貿易理論も、このマーシャルの問題意識を引き継ぐもので、リカードやヘクシャー・オリーンの自由貿易論に挑戦する内容なのです。
 記者さんは、そのクルーグマンの貿易理論に対し、次のようにおっしゃっています。 

>(クルーグマンの理論が)自由貿易を否定する論理? そんな馬鹿な。
http://www.rieti.go.jp/users/tanaka-ayumu/serial/002.html
あなたに罹れば全ての理論はあなたの主張を裏付ける理屈に化けてしまうようです。(1) 


 これに関しては、申し訳ございませんが、記者さんがクルーグマンの理論を理解されていないのです。
 私の手元にあるクルーグマン著(高中公男訳)『国際貿易の理論(Rethinking International Trade)』(文眞堂、2001年)でクルーグマンは次のように述べております。

「・・・・新しい貿易モデルが明らかにしているところによれば、輸出補助金、一時的な関税等のような手段によって世界規模での特化がある意味では保護国に有利になるようにシフトする可能性(確実にそうなるわけではない)がある。」(前掲書、4頁)

 これが収穫逓増の貿易理論で得られる一般的な政策的含意です。もちろん保護の仕方が下手なら失敗しますし、上手なら成功します。

 よく言われることですが、戦後の日本がリカードの比較生産費説に従って貿易していたら、日本にはトヨタもホンダも存在しなかったはずです。1960年代当時、アメリカのビック3の生産する自動車の方が日本車よりも圧倒的に安かったからです。日本は60年代当時、輸入自動車に対して40%の高関税をかけ、日本車を保護しました。Fukutyonzokuさん流にいえば、消費者に40%もの「不透明な」負担を強制する、「消費者利益に反する」政策でした。しかし、政府が関税によって必要な保護をしたからこそ、トヨタもホンダもニッサンも自立できたのです。
 「原則関税撤廃」などという劇薬を飲んだら、こうした産業政策は一切不可能になります。
 
 その後、クルーグマンは収穫逓増の研究を止めてしまいます。というか研究そのものを止めてしまった感じですが。その後、彼は再び自由貿易を賛美するようになります。これはクルーグマンの「転向」と言うべきで、私は過去記事で彼の転向を批判したことがありました。以下の記事です。
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/29af93fd281b8c3ab1b8b304a3e2132d

 クルーグマンは80年代、アメリカ経済が絶不調のときには自由貿易を批判し、90年代に再び好調に転じると自由貿易を賛美するようになったのです。
 
 しかしながら、アメリカ経済が非常事態になった最近は、クルーグマンは再び自由貿易に懐疑的になっているようです。(ずいぶんコロコロと都合よく変わることです)

 クルーグマンは「ニューヨークタイムズ」のコラムで「Trade Dose not Equal Jobs」として、貿易は失業者を増やすと書いています。(たんさいぼう影の会長さんが、拙ブログのコメント欄に書き込んで教えてくれた記事です。)

英語原文 http://krugman.blogs.nytimes.com/2010/12/06/trade-does-not-equal-jobs/  
この原文を翻訳してくださっているサイト「道草」から引用させていただきます。
http://econdays.net/?p=2399

***引用開始****

また、貿易の増加は現在の文脈ではアメリカの雇用を減らす効果があるということについての議論さえ見られる――労働者一人当たりの付加価値がより高い職が得られた一方で、付加価値がより低い職が失われ、そして支出が変わらないのであれば、それが意味するのはGDPは変わらないが職は少なくなるということだよね。

***引用終わり****

 TPPは日本のためにもならないし、アメリカのためにもなりません。自分が勝ち組になると信じて近視眼的な利益を上げようとする一部の業界の声に押されて、米国政府も日本政府も、国民に正しい情報を伝えず、思考停止して推進しているだけと思います。
 両国政府が一部の大企業ロビイストの干渉を排して冷静になって検討すれば、両国の経済と雇用のためにならないという結論で一致するでしょう。しかし、米国も日本も政府首脳が一部大企業の操り人形になってしまっているところが、問題を深刻なものにしてしまっているのだと思います。

 私は、日米両国の民主主義が正常に機能するのであれば、両国の大多数の人々の反対によってTPPは不成立に終わるだろうし、そうせねばならないと思います。そうすることが真の、国民レベルの日米友好につながるのだと思います。

※ 本稿で書ききれなかった論点はまた追加でアップします。




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3 コメント

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Unknown (夕日新聞)
2011-12-30 21:47:36
こちらこそ、ありがとうございます。
農業が収穫逓減というのはわかりやすいですが、工業の場合はよくわからなかったので参考になりました。

>信じるものは救われる
あらゆるレベルでそうなっているような気がします。関税=悪(需要-供給)とか、貿易は互恵的(比較的優位)とか。
返信する
夕日新聞さま ()
2011-12-29 23:05:59
 コメントありがとうございます。

>農業と比べれば、かなり大規模な生産まで収穫逓増になりますので

 本当にその通りですよね。これを否定する新古典派の方々は、本当にどうかしていると思います。

>新古典派支持の人は、そんなことはないと言うかもしれませんし、工業の例だって考えているよと言うかもしれません。実際マンキュー経済学ミクロ編では自動車の例を挙げています(収穫逓減だと言うわけですが)。

 新古典派が工業でも収穫逓減を主張するのは、自動車の例でいえば「生産ラインの数は一定とする」という「短期」を前提として考えているからです。

 しかし、生産ラインを増やす、工場の数を増やすといった規模拡大を含む長期のケースを考えれば収穫は逓増します。
 さらに、学習の効果がある、技術革新がある場合は必ず収穫逓増になります。(技術革新までも含んだ収穫逓増の経済学に関しては、村上泰亮著『反古典の政治経済学』(中央公論社)が参考になるかと存じます)。

 収穫逓増の度合いは製品ごとに異なりますが、長期でみれば大概の工業製品は収穫逓増だと思います。ソフトウェア産業に至っては究極的に収穫逓増のケースです。

 新古典派は、あくまで「短期の事例」と逃げることにより、収穫逓減を正当化してきました。しかし「短期」に限定したって、生産ラインのキャパシティーいっぱいまでは収穫逓増ですよね。
 ミクロ経済学の教科書に出てくる費用関数はとてつもなくナンセンスだと思います。「(収穫逓減を)信じるものは救われる」と信仰心を植え付けているだけだと思います。
返信する
Unknown (夕日新聞)
2011-12-29 00:16:42
クルーグマンは同じことをここ↓でも言っていますね。
http://www.nytimes.com/2007/12/28/opinion/28krugman.html?ref=paulkrugman

 工業が収穫逓増というのは、条件によると思います。つまり、ある生産量までで、それ以上に生産量を増やしていくと生産単位当たりの費用が増え収穫逓減になります。例えば、生産量を増やすためには現在の工場では生産力不足で、新たに工場を建設しなければいけないというような場合。あるいは、自動車を例に挙げると、1台当たりの部品の数が多いので、あまりにも生産規模を大きくしてしまうと、部品の調達や、その部品をどのように組み立てていくかというような調整がうまくいかなくなり不経済になると思います(だからトヨタ生産様式のような発想が出てくる)。
しかし、工業では規模の経済が大きく働き、農業と比べれば、かなり大規模な生産まで収穫逓増になりますので、関さんが指摘されている点はその通りだと思います(私は経済素人ですので、私が賛成と言っても、それほど力になれませんが)。
 あげ足とりのような批判ですが、工業が収穫逓増で農業が収穫逓減だと言うと、新古典派支持の人は、そんなことはないと言うかもしれませんし、工業の例だって考えているよと言うかもしれません。実際マンキュー経済学ミクロ編では自動車の例を挙げています(収穫逓減だと言うわけですが)。
 新古典派を支持するために言っているわけではありませんが、気になりましたので。
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