文科省は大学の教員を仕事づけにして発言させないようにしたいのか、毎年毎年忙しくなるばかりです。参院選も何も書けずに申し訳ございません。
さて、選挙の次の日の7月22日、信濃毎日新聞の一面のコラム「斜面」で次のような記事が掲載されていました。大変にすばらしい記事でしたので、一部、抜粋して紹介させていただきます。全文はリンク先にあります。
******以下、信濃毎日新聞2019年7月22日朝刊「斜面」より*****
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190722/KP190720ETI090002000.php
慶応3年、幕末の京都で1人の信州人が暗殺された。上田藩士赤松小三郎。京都に私塾を開き、薩摩藩邸でも洋式兵法を教えていた。一方で、身分を問わない公平な選挙と二院制議会政治を諸侯や幕府に説いた先駆けの知識人でもある
◆
朝廷と幕府、諸藩の協力政体を描いたが、武力討幕に傾いた薩摩藩士の凶刃に倒れた。ここから男子による普通選挙実施まで61年を要した。自由民権運動や大正デモクラシーを経た昭和3年だ。女性を合わせた完全普通選挙は敗戦後の昭和21年まで待つ
◆
幕末から昭和に至るまで、普通選挙や参政権を求める人々は時の権力と闘い、長く弾圧を受け、血も流してきた。今日では当たり前の制度に見えるが、人々が非民主的な政治体制と闘っている地域は、世界に今なお多い。近くでは香港だ。緊迫を伝えるニュースから目が離せない
(後略)
****************
江戸時代から身分・財産・性別に関係のない「入札(いれふだ)制」(=普通選挙)を唱えていた人物がいたという事実は、日本人として記憶すべきと思われます。もしかしたら慶応年間に達成されていたかも知れない男女普通選挙。赤松小三郎が暗殺されてから、実際に実現されるまで78年間の月日を費やしたということは肝に命じるべきでしょう。
赤松小三郎の内弟子の中には新選組の隊士もいたと、暗殺者の中村半次郎の日記に記されています。つまり、小三郎の唱える議会制民主主義の理念に共鳴していた新選組の隊士もいたということなのです。しかし、いまだに新選組の誰が小三郎の内弟子だったのか特定されていません。
新選組が復活したことに、あの世の小三郎も喜んでいるかも知れません。
さて、選挙の次の日の7月22日、信濃毎日新聞の一面のコラム「斜面」で次のような記事が掲載されていました。大変にすばらしい記事でしたので、一部、抜粋して紹介させていただきます。全文はリンク先にあります。
******以下、信濃毎日新聞2019年7月22日朝刊「斜面」より*****
https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190722/KP190720ETI090002000.php
慶応3年、幕末の京都で1人の信州人が暗殺された。上田藩士赤松小三郎。京都に私塾を開き、薩摩藩邸でも洋式兵法を教えていた。一方で、身分を問わない公平な選挙と二院制議会政治を諸侯や幕府に説いた先駆けの知識人でもある
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朝廷と幕府、諸藩の協力政体を描いたが、武力討幕に傾いた薩摩藩士の凶刃に倒れた。ここから男子による普通選挙実施まで61年を要した。自由民権運動や大正デモクラシーを経た昭和3年だ。女性を合わせた完全普通選挙は敗戦後の昭和21年まで待つ
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幕末から昭和に至るまで、普通選挙や参政権を求める人々は時の権力と闘い、長く弾圧を受け、血も流してきた。今日では当たり前の制度に見えるが、人々が非民主的な政治体制と闘っている地域は、世界に今なお多い。近くでは香港だ。緊迫を伝えるニュースから目が離せない
(後略)
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江戸時代から身分・財産・性別に関係のない「入札(いれふだ)制」(=普通選挙)を唱えていた人物がいたという事実は、日本人として記憶すべきと思われます。もしかしたら慶応年間に達成されていたかも知れない男女普通選挙。赤松小三郎が暗殺されてから、実際に実現されるまで78年間の月日を費やしたということは肝に命じるべきでしょう。
赤松小三郎の内弟子の中には新選組の隊士もいたと、暗殺者の中村半次郎の日記に記されています。つまり、小三郎の唱える議会制民主主義の理念に共鳴していた新選組の隊士もいたということなのです。しかし、いまだに新選組の誰が小三郎の内弟子だったのか特定されていません。
新選組が復活したことに、あの世の小三郎も喜んでいるかも知れません。