代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

吉谷純一氏の緑のダム否定論への反論①

2005年05月26日 | 治水と緑のダム
 昨日のエントリーの続きです。昨年末に出た、蔵治光一郎・保屋野初子編著『緑のダム ―森林・河川・水循環・防災―』(築地書館)という本の中で、国交省所管の独立行政法人・土木研究所の吉谷純一氏が、「『緑のダム』議論は何が問題か ―土木工学の視点から―」という論文を寄せて、激しい緑のダム否定論を展開しています。吉谷氏の見解は、国交省の見解と基本的に一致するものです。そこで何回かに分けて、吉谷論文を批判したいと思います。
 ちなみに『緑のダム』という本は、緑のダム論をめぐって、異なる立場にたつ人々がそれぞれの持論を展開したものです。執筆者は学者が中心ですが、行政担当者、市民、ジャーナリストも含む幅の広い顔ぶれになっています。
 
 緑のダム機能を実証した吉野川流域ビジョン21委員会(NPO法人吉野川みんなの会が委託した学際的研究組織)は、基本高水流量(国交省が想定する150年に一度の確率の降雨の際の基準点における洪水ピーク流量)を決定するのに「タンクモデル」という流出モデルを採用しています。一方の国交省は「貯留関数法」という流出モデルを採用しています。そこで吉谷氏は、まずタンクモデルを批判しようと試みています。

 吉野川流域ビジョン21委員会がタンクモデルを採用するのはきわめて単純な理由です。タンクモデルの方が、貯留関数法に比べて洪水流量の予測精度が高いからです。しかも、タンクモデルですと森林整備による治水機能の向上をモデルのパラメーターに反映させられるのに対し、貯留関数法ではそれが難しい(というより不可能)だからです。というのも、貯留関数法は、実際の降雨が河川に流れ出す物理的なプロセスを一顧だにしていない概念上のモデルなので、森林機能の向上がどのパラメーターの変化に結びつくのか全く分からないからです。森林の洪水制御機能を評価しようというのが研究の趣旨なのですから、貯留関数法は使うことができなかったわけです。
 
 そこで吉谷氏は、まず吉野川の研究で採用したタンクモデルを批判しなければならなかったようです。ところが、これが全く批判になっていないのです。吉谷氏は次のように述べます。

「概念モデルとは、物理モデルとの対比において、降雨・流出の変換過程をブラックボックスとして扱うものをいう。したがって、必要な係数を過去の観測資料から同定する必要がある。タンクモデルは縦列配置される三または四段のタンクそれぞれが地層に対応しているので物理性があるという場合もあるが、それは推測であっても複数の地層からの流出を考慮しているので統計的手法よりは若干の物理的意味づけがあるという意味であり、斜面で起きている実際の流出現象をモデルの構造上再現できないタンクモデルはやはり概念モデルである。」
(吉谷純一「『緑のダム』議論は何が問題か ―土木工学の視点から―」。蔵治光一郎・保屋野初子編著『緑のダム ―森林・河川・水循環・防災―』築地書館、2004年、所収。121頁)
 
 この意味のよく通らない日本語からして、いかに吉谷氏が反論に苦慮しておられるか分かるでしょう。
 「タンクモデルもやはり概念モデルである」ことは私も認めます。しかし、吉野川流域ビジョン21委員会が主張しているのは、タンクモデルの方が「統計的手法よりは若干の物理的意味付けがある」というまさにその理由により、純然たる概念モデルである貯留関数法に比べて、より計算の精度は高いということなのです。
 政府が災害対策として国家予算を投入しようとする場合、予測精度が高いモデルAと、予測精度が低いモデルBがあった場合、より予測精度が高いモデルを採用して計画を立案するのは当然のことのように思われます。
 吉谷氏は、タンクモデルを一生懸命批判しようとしていますが、「ミイラ取りがミイラになって」いることが分かるかと存じます。貯留関数法よりはタンクモデルの方がより「物理的意味付けがある」ことを、実質的に認めてしまっているのです。

 タンクモデルも貯留関数法も日本で考案されたモデルなのですが、国際的評価はタンクモデルの方が圧倒的に高いようです。タンクモデルはより正しく流量予測ができる手法であると国際的にも認知されていますが、貯留関数法など相手にされていないようです。貯留関数法を重宝して使っているのは、日本の国交省だけなのかも知れません。ちなみに、災害をより学術的に研究する文部科学省所管の独立行政法人・防災研究所では、洪水予測にはタンクモデルが使われています。それはタンクモデルの方が高い精度であるからに他なりません。

 私の推測では、国交省が貯留関数法に固執する理由は、予測精度も低いし、森林の機能も無視できるので、洪水ピーク流量の予測値を、実際にその降雨があった場合の現実の値よりも高目に算出するのに都合がよいからです。洪水流量の計算値が水増しできれば、ダム建設の根拠を捏造しやすいというわけです。(この点に関しては、このブログの2月23日のエントリーをご覧ください)。

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7 コメント

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一緒! (いち研究者)
2005-09-22 16:52:36
タンクモデルも貯留関数法も同じ。いわゆるニュートン力学には則していないから、お互いの議論は閉じないでしょう。

ちなみに、貯留関数法が国際的に認められていないというのは間違いです。世界中で使われているけど、「貯留関数法」という名前を知らないだけ。

日本のような急流河川における洪水を当てるには、極めて精度が高いです。でもそれは、現象を当てるだけで、現象を理解するための道具ではありません。

かといって、タンクモデルも同様。元々は単なる算数の結果であって、物理的なプロセスを理解するためのものではない。

いずれにしても、最初に書いたように、両者とも負け!って感じですかな。

左翼系の人にはわからんでしょうが、役人だって好きでダム作ろうとしているんじゃないですよ。法律でそうなっているから、仕方なしに。住民がそんなにも森林が好きなら、ダムなんて作らなくてもいいじゃないかと、省内では言っているでしょう。そんなに森林を信じるなら、洪水が起きても、政府のせいにしないシステムが必要ですね。だって、自分たちで決めたのだから。

緑のダム論争、論争なんてする必要ないよ。
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いち研究者さま ()
2005-09-30 23:45:18
 コメントありがとうございました。

 森林整備(適正間伐による混交林化)で、ダムを上回る治水機能があることは、科学的事実として次々に証明されてきています。

 私は専門が森林政策分野なので、森林水文分野の実証的研究を自ら行うことはできないのですが、今後の研究によって確実に証明されるだろうと思います。

 私たちは、誰よりも洪水を起こしたくないので、「ダムよりも費用対効果が高い適正間伐を」と訴えております。

 洪水被害も怖いし、財政破綻の被害も怖いので、ならば少ない予算でより効果があがる手法を選ぶべきと考えるのは、普通の思考だと思います。

 最近の研究は、国交省のこれまでの論拠の誤りも次々に明らかにしています。例えば、「人工林でもホートン型地表流は発生しない」という国交省の論拠は観測的事実から反証されてきています。今後、さらに研究が進むでしょう。 

 これまで河川工学と森林水文学のあいだの対話が少なかったことは、やはり不幸なことだったと思います。

 
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いち研究者さま(2) ()
2005-10-01 10:12:09
 続きです。

 

>日本のような急流河川における洪水を当てるには、

>極めて精度が高いです。でもそれは、現象を当てる

>だけで、現象を理解するための道具ではありません。



 貯留関数法でも、より近い時点での観測データをもとにパラメーターを決定すれば精度は向上すると思います。

 私にとってどうしても信じられないのは、拡大造林の最中で山が皆伐されていたり幼齢林の多かった1970年代の洪水データから決定されたパラメーターを、それから30年を経た今でも使い続けているということなのです。

 私は、河川工学者の方々に質問したいのです。本当に70年代のパラメーターが今でも有効だとお思いですか? 幼齢林と壮齢林とで基本的な保水機能が同じだという命題を本当に信じているのですか?

 

 長野県では、70年代に経験的に定められたパラメーターで基本高水流量を決定していたため、昨年の台風で100年に一度の想定降雨に近い雨量がありましたが、実際の観測では基本高水の6分の1しか流れていなかったそうです。

 これでも、「精度が高いから信頼せよ」とおっしゃることができるのでしょうか?

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パラメータ。 (いち研究者)
2005-10-14 20:57:00
最初に記載しました通り、パラメータの議論をしてはいけないと思っています。

先述の通り、近年の観測データを基にしたパラメータの決定によって、精度は向上する”かも”しれません。しかし、それでは何も解決になりません。

貯留関数法を使っている限り。

70年代のパラメータが有効か否かははっきりいってどっちとも言えません。結果さえ合えば、合っているのでしょうし、結果が合わなければパラメータが間違っているということでしょう。

この議論は、本当に脱出しなければ、元の木阿弥。

どうしても、森林の保水機能を証明するには、物理科学(サイエンス)でぶつかるべきでしょう。

なので、近年、目覚しい数学による最適化手法が考案されてきています。70年代には確かに経験的にしかできなかったことが、ある程度数学的にできるようになっています。少なくとも、パラメータの設定には、そのような手法を使うべきだとは思っています。

なお、人命や財産を天秤にかけたとき、さすがに森林の保水機能を期待して、ダムは不要である!と言い切れるほどの学者はまだいないでしょう。いたら、それは無責任すぎます。

私はあまり日本ではなく諸外国、特に途上国に携わっていますが、先進国が、特に日本が、明確な、森林の機能と人工ダムの定量的・定性的な評価を行わないことには、途上国で本当に必要な治水・利水ダムの建設が滞っていて、困っています。

政府は、現時点において、「科学」で説明できることと、できないことをきちんと分離し、どこにどれだけの安全率がかかっているのかを明確にすべきであると思います。

あとは、流域内住民の理解によって、好きな方を選択すれば良いのではないでしょうか。

貴殿のように高い意識を持っている方もいる中で、なんだかんだいって、ダムがあった方が良い、という人も多くいます。安心しますから。そういう人々に、「適正間伐」だけで治水はOKだよ、と誰もが納得する説明を政府はできないのです。

結局は、今までの農水省の森林政策、森林の多面的効果の検証の精査をしてこなかった無策が悔いやまれるでしょう。はっきりいって、農水省は隠れてかなり相当に無駄使いをしてきています。

ちょっと箇条書きみたいになり、すいません。

貴殿が極端に左寄りじゃなくて安心しました。
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こちらでご挨拶します。 (Chic Stone)
2005-10-14 22:43:53
こんにちは。常々拝見しておりました。

「数学屋のメガネ」でお目にかかったChic Stoneと申します。コメントへの横入りにご親切な案内をいただいてありがとうございます。

考えが合わぬことも多いかと思いますが、よろしければ拙サイトの「枕元の計算用紙」なども見てみてください。

こちらにはメール欄が見当たらなかったので、とりあえずこちらでご挨拶がてらコメントを。



僕は森林、治水の専門家ではないので門外漢の発言ですが、「緑のダム」の効果は漢方薬のような、「コンクリートのダム」の効果は外科手術のようなものではないでしょうか?

だとしたら、「緑のダム」を科学的に評価するにはかなり長い目で見た統計を用いる他ないのではないでしょうか。

それとコンクリートのダムが比較しにくくなるのは仕方ないかもしれません。



治水についてですが、本質的に考えてみれば洪水は山火事同様「自然」なことです。それを無理に押さえ込もうとしたら、山火事を抑えすぎてひどいことになったアメリカの国立公園管理同様ひずみが出るのは当然ではないでしょうか。

こちらが、洪水に合わせて被害が最低限で済むよう、何より死者は出ないように工夫する必要もあると思います。

都市部の地下遊水地の拡張、河川の浚渫、河川に近い家屋などのかさ上げなども重要なのでは?

洪水を利用して地味を肥やした古代エジプトの知恵に学びたいです…洪水で家財、家族を失った人には受け入れられないことでしょうが。
返信する
いち研究者様 ()
2005-10-16 08:41:07
 コメントありがとうございました。



>70年代のパラメータが有効か否かははっきりいって

>どっちとも言えません。

>結果さえ合えば、合っているのでしょうし、結果が

>合わなければパラメータが間違っているということ

>でしょう



 拡大造林の最中だった70年代から30年が経過しており、流域の森林の状態は大きく変わっています。70年代のパラメーターを21世紀にも適用することによって、基本高水が過大に算出さえているということが、この間、あちこちの河川で指摘されてきています。

 この問題に関しては、あいまいな回答で逃げるのではなく、全国の多くの河川において、70年代のパラメーターは今も有効かどうか再検討すべきかと存じます。

 私は、それを行えば、基本高水は大幅に引き下がり、多くのムダなダムを建設せずにすむだろうと予想しています。





>日本ではなく諸外国、特に途上国に携わっています

>が、先進国が、特に日本が、明確な、森林の機能と

>人工ダムの定量的・定性的な評価を行わないことに

>は、途上国で本当に必要な治水・利水ダムの建設が>滞っていて、困っています。



 本当にその通りですね。ただ、植林によってどの程度の洪水流量の削減が可能なのか(ピークを半分に減らせるのか、はたまた10分の1にまで減らせるのか)はやってみなければ分からないものの、大幅に減らせることだけは途上国政府も確信していますので、中国も長江洪水を押さえ込むためには、やはり植林を最大のプロジェクトとして位置づけています(ダムも造っていますが・・・)。フィリピンも同様です。



 また、日本では広葉樹と針葉樹の保水機能の差異は学説定まらず、論争が続いていますが、中国では「広葉樹の方が高い」と学者はふつうに考えているそうです。それで、植林する際も、日本のように針葉樹のモノカルチャーにせず、広葉樹と針葉樹を混ぜるように指導しています。

 中国国内で、広葉樹と針葉樹の保水機能の差異に関してどのような研究がされているのか、論文を調べてみようと思っています。

 

 これまで日本の農水省・林野庁の多面的機能に関する研究が怠慢であったことは、本当にその通りだと存じます。ぜひとも、農水省にしっかりするように働きかけていかねばと思います。

 

 ありがとうございました。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 
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Chic Stone様 ()
2005-10-16 14:44:23
 Chic Stone さまの素晴らしいホームページも拝読させていただきました。また参照させていただきます。



>だとしたら、「緑のダム」を科学的に評価するには

>かなり長い目で見た統計を用いる他ないのではない

>でしょうか。



 この点、私もその通りかと存じます。実際、長期の洪水流量の統計データはありますので、ちゃんと計量的に評価すれば、同規模の降雨に対して、拡大造林(広葉樹を伐採してスギ・ヒノキを再植林すること)の最中には洪水流量が拡大し、その後、漸次的に逓減してきていることは明らかになります。つい最近の実証事例が川辺川や吉野川の研究でした。



 国交省はそうした研究をせず、流域の森林が荒れていた70年代に発生した洪水データから決定したモデルを、2000年代の今日にもなお有効であると考えて流出計算を実行してきました。「緑のダム論」は、その点をまずおかしいと主張しています。

 ダムをたくさん造れば、洪水ピーク流量を10-20%ほどは削減できますが、70年代から森林の状態が改善してきたことにより20-30%はピーク流量が減っていることが明らかになってきています。

 適正間伐で、さらにピーク流量は減るはずなのです。これは、かなり計量的にダムとの比較ができるのです。



 また昨年・今年の台風の犠牲者も、洪水そのものよりも土砂災害による死者の方が圧倒的に多いです。人命を最優先に考えても、ダムよりも森林整備の方が、緊急を要する政策課題だと思います。

 

 

 

 
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