来月の最終回を控え、来たる「真田丸ロス」におびえる視聴者も多いことでしょう。かつて大河ドラマ「新選組!」にスピンオフドラマ「土方歳三最後の一日」があったように、皆の願いが届けば、大河ドラマ真田丸にもスピンオフドラマがきっと製作されるに違いありません。できれば、たった一回なんてケチなこと言わず、5本でも10本でもスピンオフドラマをつくって欲しいものです(もちろん可能な限り同じキャストで)。そうすれば真田丸ロスは来ない。
というわけで「こんな真田丸スピンオフドラマを観たい!」とNHKにリクエストしようかなと思うものを、二つほど挙げておきます。
「真田丸前史」としては三方ケ原を舞台にしたものと、「真田丸後史」としては3代将軍家光治世下での真田信之の活躍を描くスピンオフ。
(1)「家康よ直虎よ、これが武田の赤備えだ」
ときは元亀3年(1572)。打倒織田信長の旗を掲げ、ついに西上の途についた武田信玄。
来年の大河「おんな城主直虎」でも、武田vs徳川の三方ケ原の合戦は描かれるはず。当然、徳川・井伊サイドの視点で描かれます。このとき井伊直虎は、武田最強の赤備え部隊・山県昌景に敗れ、井伊谷城を山県軍に明け渡す。もしかしたら、これが後年、井伊が武田の赤備えを継承する伏線になるのか・・・??
「おんな城主直虎」の三方ケ原の放映に合わせて、同じ三方ケ原を武田サイドから描く真田丸のスピンオフドラマをつくるというのはどうでしょう。新旧二つの大河が邂逅するという画期的な試みになると思います。
武田サイドの主役はもちろん武田軍の若き侍大将・武藤喜兵衛(真田昌幸)。このとき武藤喜兵衛は若干25歳ですが、もちろん武藤喜兵衛役は草刈さん以外にはあり得ない。若き日の室賀正武も出浦昌相も武田軍の中で大活躍。そのとき、脱〇して逃げる家康を守り抜き、獅子奮迅の活躍をする若き本多忠勝(藤岡弘、)! 年齢なんてすべて脳内補完!
(2)「江戸城真田濠物語」
舞台は、大坂の陣が終わってから20年後の寛永年間の江戸。世は徳川家光の治世にあって、泰平の時代を迎えていた。
家光(星野源)は、200年後の軍事技術を駆使した巨砲であっても、なお江戸城を攻略できないであろう壮大な惣構えを整備すべく、江戸城の外堀工事に着手していた。
「果たして、江戸城の弱点はどこにあるのか。そして、それをどう守ればよいのか?」
家光は、戦国乱世を知る最後の生き残りである二人の大名に諮問した。一人は伊達政宗(長谷川朝晴)。そしてもう一人は真田信之(大泉洋)。
政宗は江戸城の北の本郷台地の弱点を指摘。それに対し信之は城の西の高台である四谷台地に弱点ありと指摘。
家光は、本郷台地と四谷台地の防御機構の整備を、それぞれ政宗と信之に命令した。二人は、200年後まで見据えても落城しないであろう鉄壁の防御機構を整備するために知恵を出し合う。政宗と信之は、後世にそれぞれ「仙台堀」「真田堀」と呼ばれることになる堀の工事に着手する。
政宗の家臣団の中には、片倉守信(浦上晟周)という青年がいた。この守信こそ、真田信繁(幸村)の忘れ形見である大八その人であった。信之は、片倉姓を名乗るこの青年が自分の甥であることに気づいていない。守信は、自分が幸村の子であると公儀に発覚すれば、自分の命はないし、主君の政宗すら改易処分に追い込まれないと覚悟していた。そのためには叔父の信之の目すらも欺かねばならなかったのだ。
家光は、かつて真田幸村が真田丸を築いて大坂城を難攻不落にしたが如く、江戸城の弱点の高台にも真田丸を整備せよと信之に要請。信之が挑んだのは、高さ20mの高台である四谷台地を掘削して水堀にするという難工事。これは当時の土木技術では不可能事に近かった。どうする信之!?
・・・・・・ とまあ、こんなストーリーは如何?
昨日のNHKのBSの「英雄たちの選択」は真田信之が主役でした(2016年11月17日放送)。番組の中で、千田嘉博先生は、「大坂城の外郭の防御を固めたのが信繁で、江戸城の西側の外郭の防御を固めたのが信之のつくった真田濠(真田堀)。大坂城も江戸城も外郭の守りのかなめは真田が造った」と発言。
じつは、2014年に私は「江戸城の真田丸」という記事を書いて、「仮説」としてこの説を提示しておりました。以下の記事参照。
千田先生も江戸城外郭のかなめの守りを固めたのが信之という見解を示してくださいました。これはうれしい。千田先生曰く「大坂城と江戸城という日本の二大城郭の外郭の護りを固めたのは真田である・・・」と。
参考「江戸城の真田丸」
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/81c67492243ad222dc5adbfa67e3821c
というわけで「こんな真田丸スピンオフドラマを観たい!」とNHKにリクエストしようかなと思うものを、二つほど挙げておきます。
「真田丸前史」としては三方ケ原を舞台にしたものと、「真田丸後史」としては3代将軍家光治世下での真田信之の活躍を描くスピンオフ。
(1)「家康よ直虎よ、これが武田の赤備えだ」
ときは元亀3年(1572)。打倒織田信長の旗を掲げ、ついに西上の途についた武田信玄。
来年の大河「おんな城主直虎」でも、武田vs徳川の三方ケ原の合戦は描かれるはず。当然、徳川・井伊サイドの視点で描かれます。このとき井伊直虎は、武田最強の赤備え部隊・山県昌景に敗れ、井伊谷城を山県軍に明け渡す。もしかしたら、これが後年、井伊が武田の赤備えを継承する伏線になるのか・・・??
「おんな城主直虎」の三方ケ原の放映に合わせて、同じ三方ケ原を武田サイドから描く真田丸のスピンオフドラマをつくるというのはどうでしょう。新旧二つの大河が邂逅するという画期的な試みになると思います。
武田サイドの主役はもちろん武田軍の若き侍大将・武藤喜兵衛(真田昌幸)。このとき武藤喜兵衛は若干25歳ですが、もちろん武藤喜兵衛役は草刈さん以外にはあり得ない。若き日の室賀正武も出浦昌相も武田軍の中で大活躍。そのとき、脱〇して逃げる家康を守り抜き、獅子奮迅の活躍をする若き本多忠勝(藤岡弘、)! 年齢なんてすべて脳内補完!
(2)「江戸城真田濠物語」
舞台は、大坂の陣が終わってから20年後の寛永年間の江戸。世は徳川家光の治世にあって、泰平の時代を迎えていた。
家光(星野源)は、200年後の軍事技術を駆使した巨砲であっても、なお江戸城を攻略できないであろう壮大な惣構えを整備すべく、江戸城の外堀工事に着手していた。
「果たして、江戸城の弱点はどこにあるのか。そして、それをどう守ればよいのか?」
家光は、戦国乱世を知る最後の生き残りである二人の大名に諮問した。一人は伊達政宗(長谷川朝晴)。そしてもう一人は真田信之(大泉洋)。
政宗は江戸城の北の本郷台地の弱点を指摘。それに対し信之は城の西の高台である四谷台地に弱点ありと指摘。
家光は、本郷台地と四谷台地の防御機構の整備を、それぞれ政宗と信之に命令した。二人は、200年後まで見据えても落城しないであろう鉄壁の防御機構を整備するために知恵を出し合う。政宗と信之は、後世にそれぞれ「仙台堀」「真田堀」と呼ばれることになる堀の工事に着手する。
政宗の家臣団の中には、片倉守信(浦上晟周)という青年がいた。この守信こそ、真田信繁(幸村)の忘れ形見である大八その人であった。信之は、片倉姓を名乗るこの青年が自分の甥であることに気づいていない。守信は、自分が幸村の子であると公儀に発覚すれば、自分の命はないし、主君の政宗すら改易処分に追い込まれないと覚悟していた。そのためには叔父の信之の目すらも欺かねばならなかったのだ。
家光は、かつて真田幸村が真田丸を築いて大坂城を難攻不落にしたが如く、江戸城の弱点の高台にも真田丸を整備せよと信之に要請。信之が挑んだのは、高さ20mの高台である四谷台地を掘削して水堀にするという難工事。これは当時の土木技術では不可能事に近かった。どうする信之!?
・・・・・・ とまあ、こんなストーリーは如何?
昨日のNHKのBSの「英雄たちの選択」は真田信之が主役でした(2016年11月17日放送)。番組の中で、千田嘉博先生は、「大坂城の外郭の防御を固めたのが信繁で、江戸城の西側の外郭の防御を固めたのが信之のつくった真田濠(真田堀)。大坂城も江戸城も外郭の守りのかなめは真田が造った」と発言。
じつは、2014年に私は「江戸城の真田丸」という記事を書いて、「仮説」としてこの説を提示しておりました。以下の記事参照。
千田先生も江戸城外郭のかなめの守りを固めたのが信之という見解を示してくださいました。これはうれしい。千田先生曰く「大坂城と江戸城という日本の二大城郭の外郭の護りを固めたのは真田である・・・」と。
参考「江戸城の真田丸」
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/81c67492243ad222dc5adbfa67e3821c
その時は、さらに番外編を加えていただきたいものです。
史実でなくて結構、単純にゴラクもので、真田十勇士を!