最終回は「無題」でした。大河ドラマ史上初のようです。タイトルは各自つけてくださいということでしたので、あれこれ考えてみました。「偃武」はどうでしょうか。
大坂の陣から400年にして、それをドラマで描く意味は、内戦の時代を終結させた最後の戦いを描くことで、250年の平和をもたらした「元和偃武」の意義をかみしめることだと思うのです。
これからの日本を考える上でも、異国の紛争には干渉せず、分権的で内需主導の国造りに舵を切った、400年前の元和偃武の経験から学ぶことが肝要であると思うからです。
その意味でも、最後に本多正信の領国・相模玉縄の平和な農村を描き、本多正信と真田信之がこれからの領国経営のあり方について話し合うシーンで終わったのは象徴的でした。信之は、戦のないこれからの時代になって、領国経営に注力せねばならないと既に頭を切り替えていたようでした。手の中の六文銭を握りしめながら。「元和偃武」を象徴するシーンだったと思います。
合戦シーンは、大河ドラマ「風林火山」の最終回を彷彿とさせるものでした。ドラマの主人公が戦場で討ち死にして終了というのも「風林火山」以来でした。あのとき主人公の山本勘助(内野聖陽)は、最後に救援に駆けつける真田幸隆(佐々木蔵之助)の六文銭の旗を見ながら、武田軍の逆転勝ちを確信して息を引き取りました。今回、山本勘助は徳川家康へと転生していましたが・・・・。
家康と幸村の直接対決のシーン、「戦で雌雄を決する時代は終わった」と叫ぶ家康。それを重々承知の上で、なお父のため友のため、家康を討ち取ろうとする幸村。戦乱の時代が終わるのを承知だからこそ、その最後の合戦で無様な姿は見せられない。全力を尽くし、最後まで徳川を苦しめることで、今後の徳川政権に対して戒めを与えようとしていたのだと思います。
三谷脚本の大河ドラマ「新選組!」では、主人公の近藤勇が打ち首の刑に処せられ、真っ暗になって終了でした。今回は、主人公の死まで描きませんでした。幸村の最期はどう描くのだろうと興味深かったのですが、自決説を採用していました。
最近、福井で松平忠直の家臣の西尾久作が「真田と槍を交えて戦って討ち取った。誰か知らずに戦い、あとで真田と知った」と言っていたと記している新史料が見つかって話題になっています。このとき幸村はすでに深手を負って、十分に戦えない状態だったと思います。最期まで槍をふるって戦い、討ち取られたという方が真実味を帯びています。私も、幸村だったら、自死ではなく討ち死にを選んだだろうと思っています。やはり、戦いながら討ち死にするという脚本にしてほしかった気がします。
さて、最終回にサプライズがいくつもありました。最大のサプライズは、スピンオフの短編ドラマ「ダメ田十勇士」が出演したこと。決戦前の一般の雑兵の心情を描くという意味でも、彼らを登場させたの良かったと思います。
真田vs真田の直接対決が描かれたこともサプライズでした。
信吉の真田隊が毛利勝永軍にさんざんに打ち負かされたのは史実ですが、真田vs真田の直接対決は、ドラマの脚色です。しかしながら、敢えて脚色してでもこのシーンを入れたのは、ドラマ的には大成功だったと思います。矢沢三十郎や小山田茂誠など、重要登場人物を最後まで大切に扱い、その心情を最終回まで丁寧に描き切ってくれました。
思えば、ドラマの始まりは源次郎と三十郎が甲斐に侵攻する徳川軍の探索をして二人で逃げ回るシーンでした。あの仲の良かった主従が最終回で直接対決とは・・・。三十郎が号泣するシーン、演じる迫田孝也さんは感極まっている様子でした。源次郎と一年間ともに歩んできた役者として、最後に戦場での対決という形での別れることは、真に涙が止まらなかったのではないでしょうか。
徳川の敵として憎んでいた叔父の幸村が「小物にかまうな」と叫びながら立ち去るのを呆然と見つめる真田信政のシーンも良かった。何のセリフもありませんでしたが、あのひねくれ者の信政の表情に、叔父に対する畏敬の念が芽生えた様子が浮き出ていました。
堀田作兵衛は、満身創痍のまま、自分の畑を守るために大坂城に戻り「おめーたぁ!」と叫びならが壮烈な討ち死に。ドラマの中ではじめて上田の方言が使われました。「おめーた」は「貴様ら」「お前ら」の意味。これまで、「上田の方言出てこないなあ」とおもっていましたが、最終回で方言を使ってくれました。うれしい。ちなみに、「おめーた」は信州のどの程度の範囲で使われているかはよく知りません。信州は山を越えると方言も変わるので・・・。
天王寺で死なせずに、畑まで戻らせるところも三谷さんのこだわりの脚本だったと思います。半農半士の戦国の地侍の代表としてドラマに登場した作兵衛。百姓は土地を守るために生き、そして土地を守るために死ぬ。作兵衛は、あくまで武士ではなく、百姓として死んだのだと思います。
きりも無事に千姫を連れ出して徳川の陣にたどりつけました。その後のきりを描くスピンオフドラマも観たい気がします。
そして、最後のサプライズは、有働アナのナレーション。なんとナレの中で、佐久間象山が登場。一挙に250年先に飛び、「幕末、(真田信之を藩祖とする)松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけをつくる天才兵学者、佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である」というもの。ツイッターに、「徳川幕府、ナレ死」とつぶやいている方がいて、笑ってしまった。
皆様のツイッター上でのやりとりやすばらしい「丸絵」の数々で、ドラマの後も二度楽しめました。すばらしい丸絵を描いて下さった皆様、一年間ありがとうございました。
有働アナが佐久間象山を登場させたところで、ここで物語は、「新選組!」第一話に飛ぶ、といったつぶやきもありました。新選組!では、第一話から佐久間象山が登場しました。
物語は「真田丸」から、「八重の桜」第一話、六文銭の旗を掲げた佐久間象山らの松代藩士たちがペリーを応接する横浜の警護をするシーンに飛ぶことも可能です。ペリーを迎える横浜の警護をしていたのが松代藩で、星条旗を掲げて上陸するペリーに対し、松代藩は六文銭の旗を掲げてペリーを迎え入れていました。ペリー艦隊の乗務員たちは、六文銭が日本の国旗と思ったことでしょう。ペリーは、佐久間象山があまりにも威厳に満ちているため、通りすぎるときに思わず会釈をしてしまうわけです(史実)。
佐久間象山は、たしかに真田家臣として、真田左衛門佐幸村を意識して生きていたと思います。日本国中が攘夷熱に沸き返っていた際、象山は藩主の真田幸教に対して、「攘夷など、楠公でも、ご当家の左衛門佐様でも無理でございます」と語ってます。つまり軍神・楠正成や真田幸村が今の世に転生しても無理なのだから、誰がやっても無理なのだといって藩主を説得したわけです。象山がこう語ったとき、自分を幸村に重ね合わせていたのでしょう。
250年後の佐久間象山にもこのような勇気を与えていたということを見ても、真田源次郎信繁が生きた証は、この世に残り続けました。彼の死は無駄ではなく、その後の歴史に影響を与え続けてきたし、これからも与え続けると思います。
さて、本当は、有働アナには次のように言ってほしかった。
「幕末、松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけをつくる天才兵学者・佐久間象山を、そして上田藩は、軍神・東郷平八郎に兵学を教え、立憲主義を唱えて徳川の世を終わらせた赤松小三郎を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である」
と・・・・・。
赤松小三郎があまりにも無名であるため、こうしたナレにはなりませんでしたが、いずれはこのようなナレが流れる日がくるでしょう。来年の大政奉還150周年には上田市も赤松小三郎をアピールしていくことになります。
私も、来年の大政奉還150周年にあわせて、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 -テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)を書き、先週、発売されました。赤松小三郎が大政奉還にいかに貢献しているか、本書を読んでいただければ納得していただけると思います。
赤松小三郎が消されることがなく、薩摩が方針転換することがなければ、大政奉還からすみやかに日本は議会制民主主義に移行していたであろうことも・・・・・。太平洋戦争の悲劇も回避できていたであろうことも・・・・。赤松小三郎が真田昌幸の兵学を継承していることも納得できると思います。
アマゾンでは以下のサイトにあります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4861826047/
大坂の陣から400年にして、それをドラマで描く意味は、内戦の時代を終結させた最後の戦いを描くことで、250年の平和をもたらした「元和偃武」の意義をかみしめることだと思うのです。
これからの日本を考える上でも、異国の紛争には干渉せず、分権的で内需主導の国造りに舵を切った、400年前の元和偃武の経験から学ぶことが肝要であると思うからです。
その意味でも、最後に本多正信の領国・相模玉縄の平和な農村を描き、本多正信と真田信之がこれからの領国経営のあり方について話し合うシーンで終わったのは象徴的でした。信之は、戦のないこれからの時代になって、領国経営に注力せねばならないと既に頭を切り替えていたようでした。手の中の六文銭を握りしめながら。「元和偃武」を象徴するシーンだったと思います。
合戦シーンは、大河ドラマ「風林火山」の最終回を彷彿とさせるものでした。ドラマの主人公が戦場で討ち死にして終了というのも「風林火山」以来でした。あのとき主人公の山本勘助(内野聖陽)は、最後に救援に駆けつける真田幸隆(佐々木蔵之助)の六文銭の旗を見ながら、武田軍の逆転勝ちを確信して息を引き取りました。今回、山本勘助は徳川家康へと転生していましたが・・・・。
家康と幸村の直接対決のシーン、「戦で雌雄を決する時代は終わった」と叫ぶ家康。それを重々承知の上で、なお父のため友のため、家康を討ち取ろうとする幸村。戦乱の時代が終わるのを承知だからこそ、その最後の合戦で無様な姿は見せられない。全力を尽くし、最後まで徳川を苦しめることで、今後の徳川政権に対して戒めを与えようとしていたのだと思います。
三谷脚本の大河ドラマ「新選組!」では、主人公の近藤勇が打ち首の刑に処せられ、真っ暗になって終了でした。今回は、主人公の死まで描きませんでした。幸村の最期はどう描くのだろうと興味深かったのですが、自決説を採用していました。
最近、福井で松平忠直の家臣の西尾久作が「真田と槍を交えて戦って討ち取った。誰か知らずに戦い、あとで真田と知った」と言っていたと記している新史料が見つかって話題になっています。このとき幸村はすでに深手を負って、十分に戦えない状態だったと思います。最期まで槍をふるって戦い、討ち取られたという方が真実味を帯びています。私も、幸村だったら、自死ではなく討ち死にを選んだだろうと思っています。やはり、戦いながら討ち死にするという脚本にしてほしかった気がします。
さて、最終回にサプライズがいくつもありました。最大のサプライズは、スピンオフの短編ドラマ「ダメ田十勇士」が出演したこと。決戦前の一般の雑兵の心情を描くという意味でも、彼らを登場させたの良かったと思います。
真田vs真田の直接対決が描かれたこともサプライズでした。
信吉の真田隊が毛利勝永軍にさんざんに打ち負かされたのは史実ですが、真田vs真田の直接対決は、ドラマの脚色です。しかしながら、敢えて脚色してでもこのシーンを入れたのは、ドラマ的には大成功だったと思います。矢沢三十郎や小山田茂誠など、重要登場人物を最後まで大切に扱い、その心情を最終回まで丁寧に描き切ってくれました。
思えば、ドラマの始まりは源次郎と三十郎が甲斐に侵攻する徳川軍の探索をして二人で逃げ回るシーンでした。あの仲の良かった主従が最終回で直接対決とは・・・。三十郎が号泣するシーン、演じる迫田孝也さんは感極まっている様子でした。源次郎と一年間ともに歩んできた役者として、最後に戦場での対決という形での別れることは、真に涙が止まらなかったのではないでしょうか。
徳川の敵として憎んでいた叔父の幸村が「小物にかまうな」と叫びながら立ち去るのを呆然と見つめる真田信政のシーンも良かった。何のセリフもありませんでしたが、あのひねくれ者の信政の表情に、叔父に対する畏敬の念が芽生えた様子が浮き出ていました。
堀田作兵衛は、満身創痍のまま、自分の畑を守るために大坂城に戻り「おめーたぁ!」と叫びならが壮烈な討ち死に。ドラマの中ではじめて上田の方言が使われました。「おめーた」は「貴様ら」「お前ら」の意味。これまで、「上田の方言出てこないなあ」とおもっていましたが、最終回で方言を使ってくれました。うれしい。ちなみに、「おめーた」は信州のどの程度の範囲で使われているかはよく知りません。信州は山を越えると方言も変わるので・・・。
天王寺で死なせずに、畑まで戻らせるところも三谷さんのこだわりの脚本だったと思います。半農半士の戦国の地侍の代表としてドラマに登場した作兵衛。百姓は土地を守るために生き、そして土地を守るために死ぬ。作兵衛は、あくまで武士ではなく、百姓として死んだのだと思います。
きりも無事に千姫を連れ出して徳川の陣にたどりつけました。その後のきりを描くスピンオフドラマも観たい気がします。
そして、最後のサプライズは、有働アナのナレーション。なんとナレの中で、佐久間象山が登場。一挙に250年先に飛び、「幕末、(真田信之を藩祖とする)松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけをつくる天才兵学者、佐久間象山を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である」というもの。ツイッターに、「徳川幕府、ナレ死」とつぶやいている方がいて、笑ってしまった。
皆様のツイッター上でのやりとりやすばらしい「丸絵」の数々で、ドラマの後も二度楽しめました。すばらしい丸絵を描いて下さった皆様、一年間ありがとうございました。
有働アナが佐久間象山を登場させたところで、ここで物語は、「新選組!」第一話に飛ぶ、といったつぶやきもありました。新選組!では、第一話から佐久間象山が登場しました。
物語は「真田丸」から、「八重の桜」第一話、六文銭の旗を掲げた佐久間象山らの松代藩士たちがペリーを応接する横浜の警護をするシーンに飛ぶことも可能です。ペリーを迎える横浜の警護をしていたのが松代藩で、星条旗を掲げて上陸するペリーに対し、松代藩は六文銭の旗を掲げてペリーを迎え入れていました。ペリー艦隊の乗務員たちは、六文銭が日本の国旗と思ったことでしょう。ペリーは、佐久間象山があまりにも威厳に満ちているため、通りすぎるときに思わず会釈をしてしまうわけです(史実)。
佐久間象山は、たしかに真田家臣として、真田左衛門佐幸村を意識して生きていたと思います。日本国中が攘夷熱に沸き返っていた際、象山は藩主の真田幸教に対して、「攘夷など、楠公でも、ご当家の左衛門佐様でも無理でございます」と語ってます。つまり軍神・楠正成や真田幸村が今の世に転生しても無理なのだから、誰がやっても無理なのだといって藩主を説得したわけです。象山がこう語ったとき、自分を幸村に重ね合わせていたのでしょう。
250年後の佐久間象山にもこのような勇気を与えていたということを見ても、真田源次郎信繁が生きた証は、この世に残り続けました。彼の死は無駄ではなく、その後の歴史に影響を与え続けてきたし、これからも与え続けると思います。
さて、本当は、有働アナには次のように言ってほしかった。
「幕末、松代藩は、徳川幕府崩壊のきっかけをつくる天才兵学者・佐久間象山を、そして上田藩は、軍神・東郷平八郎に兵学を教え、立憲主義を唱えて徳川の世を終わらせた赤松小三郎を生み出すことになるのだが、それはまだ遠い先の話である」
と・・・・・。
赤松小三郎があまりにも無名であるため、こうしたナレにはなりませんでしたが、いずれはこのようなナレが流れる日がくるでしょう。来年の大政奉還150周年には上田市も赤松小三郎をアピールしていくことになります。
私も、来年の大政奉還150周年にあわせて、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 -テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)を書き、先週、発売されました。赤松小三郎が大政奉還にいかに貢献しているか、本書を読んでいただければ納得していただけると思います。
赤松小三郎が消されることがなく、薩摩が方針転換することがなければ、大政奉還からすみやかに日本は議会制民主主義に移行していたであろうことも・・・・・。太平洋戦争の悲劇も回避できていたであろうことも・・・・。赤松小三郎が真田昌幸の兵学を継承していることも納得できると思います。
アマゾンでは以下のサイトにあります。
https://www.amazon.co.jp/dp/4861826047/
早速読んでくださって、まことに恐縮です。
来年は大政奉還150周年、再来年は維新150周年と、日本人として150年前のあの事件が何だったのかを問い直す動きが活発化することを祈っています。
皆さま、良いお年を。
ネット書店にての入手に10日ほどかかったことが遅参の言いわけです。おそらくは取次での立ち上がりがおくれているのでしょうか。
その後、前後から数回読み返し感じ入っておりました(本の最終ページから遡って読むくせがあります)。
思い立って見ますと、アマゾンの明治維新本売れ筋1位は原田伊織『三流の維新一流の江戸』、2位がおなじくあの『明治維新という過ち』となっていて驚きました。
手もとにある『明治維新という過ち』初版本は2012年8月第1刷で当時は非常にマイナーな本だったのが2015年前後になってブレークしたように記憶しています。
ちなみに、2015年11月のネット記事に「立花隆氏が週刊文春、斎藤美奈子氏が週刊朝日の書評で取り上げて話題になりました」という出版社のコメントがあり、また「ツィッターで話題になって広まった」という2015年5月のネット書評記事がありました。
原田伊織氏に敬意を払いつつ率直に申しまして、関さんのご本は『・・過ち』とは次元を異にすると思いますから、おそかれ早かれもう少し異なった方々がメディアとネットの書評や記事で取り上げられることになろうと思います。あせらずにじっくりお待ちになればよいのではないでしょうか。
このウェブログをご覧の方でSNSをなさる方が、ご本を取り上げていただくことになればよいのですが。
今回のご本のタイトルと帯のコピーはじつにストレートフォワードなものであり、原田伊織本のスキャンダラスでショッキングなものと対極に位置するもののように思えます。
その「つかみのハンデ」を乗り越えるために連作をこころみられてはどうかと勝手に思ったりいたします。
松平忠固に照明をあてて今回のご本のテーマと結びつけるとか・・・差し出がましいことを申し上げて恐縮に思います。そして、もう少し「キャッチー」なタイトルと帯をつけるというのはいかがでしょうか。
関さんのご本によって赤松小三郎の「口上書」にあらためて触れ、その第二条、第三条にことのほか感動いたしました。
関さん、きのう夜中に先の投稿を書いていたときは、アマゾン維新本うれすじで、たしか198位とか268位とかだったのです。それであのようなことを・・・
それが、今日は一夜明けて8位とかにジャンプし、少しまた下げたあとで、いま見ますと4位、原田伊織氏の維新本トリオのなかに食い込みました。素晴らしい!読者の目を信じることができますね。
この順位には逐一左右されずに、長く読まれて現代の古典となりますことを。
新年あけましておめでとうございます。
除夜の鐘を聴きながら書いています。
すばらしい感想を書いてくださいましてありがとうございました。
原田さんの本、相変わらず売れているのはすごいです。しかし、やはり本の内容の半分は評価できますが、半分支持できない内容ですね。
原田氏の出自である武士階級に対する自尊心と、庶民に対する蔑視感情は支持できません。
『赤松小三郎ともう一つの明治維新』の順位が急に上がったのは、昨日(2016年12月31日)に「東京新聞」と「信濃毎日新聞」と「中日新聞(長野版)」が、本の紹介記事を書いてくださったためです。三紙に感謝申し上げます。
新聞の効果が消えれば、落ちていくものと予想されます・・・・。
今年は大政奉還150周年。大政奉還の真実への関心が高まり、赤松小三郎による江戸の民主憲法構想の認知度も上がっていくよう、頑張って参りましょう。
実は『赤松小三郎ともう一つの明治維新』について書評的なコメントを書くべきか否か迷っています。『自由貿易神話解体新書』もすごくいい内容でしたが、今回はさらに重厚な仕上がりだと思います。書評を書くのもかなり難しい気はします。
本格的な書評を書くのは時間もかかって大変かと存じます。ただ、簡単な宣伝・推薦など他のサイトにでもしておいてくださると大変にうれしく存じます。
何とか初版を売り切って、2刷を目指したいと考えております。何卒よろしくお願い申し上げます。
先日、家族3人で上田に行き、バスで真田まで足を延ばしてきました。短い滞在でしたが、上田人の心意気というか、精神性を大いに感じる小旅行でした。久々にお会いして色々とお話を聞いてみたいと思います。
何故か年賀状を失念していたようで、こちらにてとりあえずご挨拶申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いします。
また、熊本地震のお見舞い申し上げます。熊本城の復興も早く進むことを祈っております。
真田丸、登場人物に個性があって概ねよかったですが、清正の描き方はちょっと・・・・・・という気もしました。熊本の方々には不満もあったのではないかと推察いたします。
本年もよろしくお願い申し上げます。