最近、私のブログを見たといって、内容に関して新聞や雑誌などから問い合わせを受けることが多くなってきました。私の本来の専門であるところの途上国の森林保全や植林活動に関する問題で取材を受けたり、あるいは私の持論である関税必要論に関して雑誌から問い合わせもあったりします。
関税の必要性を訴える私の主張なんて、ちょっと前ならば日本の論壇からは完全に村八分になるはずの主張です。最近はうれしいことに、村八分どころか、私の関税必要論を読んで納得して下さる方が増えているようです。時代が変化しつつあるのを感じます。
このブログ、もう本人が書く気力もだんだん失せてきていて、すっかり更新も滞っていたのですが、問い合わせをいただくことが増えてきて、ありがたいことです。
しかしながら、私がこのブログでいちばん宣伝したかったのは、一貫して「エコロジカル・ニューディール政策」でした。しかし、この政策内容に関して、問い合わせを受けたことは一度もありません(涙)。
ネットで「エコロジカル・ニューディール」と入力して検索してみても、引っかかるのは、このブログを含め、この政策の提唱者である力石定一先生(法政大学名誉教授)の周辺の人々のサイトばかり。4年間ブログやって宣伝してきたつもりでも、この概念は全く広がらなかったのです(涙)。ちなみに力石先生がこの政策を提唱したのが1999年なのですが、あれから既に9年・・・・。
しかしながら「エコロジカル・ニューディール」という言葉こそまったく広がらないのですが、この種の考え方自体は着実に広がっているといってよいでしょう。そうした主張をテレビや雑誌などでする言論人は確実に増えています。例えば、金子勝さんや榊原英資さんといった有名知識人たちも、盛んにそうした主張をするようになりました。
私は、2002年に「経済学者が日本経済を救えないのは何故なのか」(力石定一・牧衷編『発想』第4号、季節社)という論文を書いたことがあり、その中で金子勝さんに関しては、「反新古典派なのはいいが、それへの対抗案の具体的中身が全くない」と批判したことがありました。金子さんは、最近はすっかり「温暖化対策を通した経済活性化」という、基本的に私がこのブログで訴えてきたことと同種の主張をしてくれるようになりました。ありがたいことです。
そして、こうしたエコロジカル・ニューディール的な考え方は、福田首相の置き土産というべき、政府の「11.7兆円の総合経済対策」にも反映されています。
力石先生は、1999年の段階で「全国に4万校ほどある公立の小中高校の校舎の屋上に、片端から太陽光パネルを設置するという公共事業を実施せよ」と主張していました(力石定一・牧衷編『発想』第1号、季節社、1999年)。私もこのブログでそう主張してきました。(たとえばこの記事参照)
今回の、福田内閣の置き土産である総合経済対策には、「持続可能社会への変革加速」ということで、「家庭・企業・公共施設等への太陽光発電の導入」という項目が入りました。これは評価できます。
今回の経済対策、確かに定額減税のような目的が分からないバラマキ的な内容もありますが、そうではない前向き・積極的な公共投資の側面も散見されるので、一定は評価できると私は思っています。
これまでマスコミは、「財政政策」というと、まるで合言葉のように「バラマキ!」と言い返して、ステレオタイプに批判してきました。今回もマスコミの多くは、そのように反応しています。本当に単細胞というか、信じ込みやすいというか・・・・。
財源不足を指摘する単細胞マスコミの声が大きいのですが、その気になれば財源なんていくらでもあるんだから。なんたって日本は世界最大の債権国なんだから。その気になれば手持ちの米国債をこっそり、バレないように売却しちゃえばいいんだって。
私は、完全雇用と有効需要の創出というケインズ型の財政政策をしながら、それをテコにして、持続可能な社会をつくるための新エネルギー産業を育成し、サプライサイドの改革も同時に達成してしまうのが本当の改革なのだと、一貫して主張してきました。財政は、誤って使われれば効果のないバラマキになってしまうし、質を考慮して正しく使われれば、新しい景気循環の波をつくるので財政赤字を拡大させるようなことはないのです。
つまり、「穴を掘ってまた埋め戻すような財政出動でもよいのだ」というケインズ原理主義も間違っているけど、「あらゆる財政出動はバラマキでしかない」という新古典派原理主義はもっと間違っているのです。日本のマスコミは、この点が全くわかっていなくて、この15年間以上にわたって、新古典派原理主義的な主張を繰り返してきたのです。
ところがです。新古典派の総本山とでもいうべき、日本経済新聞が、「バラマキ」と批判する他のマスコミとは一線を画す報道をしていました。新経済政策の中の太陽光など新エネルギー導入政策に関しては、前向きに評価する記事を書いているのです。
たとえば日経新聞の8月30日付け朝刊の3面記事には以下のように書かれています。
**引用開始********
「今回の対策メニューをみると、省エネルギー・新エネルギー技術の開発促進など日本の強みを生かした国際競争力強化への意欲を読み取れる部分もある。また、従来の公共事業中心の対策とは一線を画した苦労のあともうかがえる」
**引用終わり********
これは驚きでした。以前の日経でしたら、新エネルギーだろうがなんだろうが、「あらゆる財政出動はバラマキである」という原理主義的原則を堅持していたはずですから。これは、かなりポジティブな評価です。やはり経済紙なので、今回の危機がそんじょそこらの危機とは違うということがわかるのでしょうか。この日経の前向きな論調の変化については、率直に評価したいと思います。
もっとも、今回の政府の太陽光支援策についても苦言はあります。太陽光パネル設置への補助金を復活させようとしていることです。これは止めた方がよい。政府の支援なしで自律可能した新産業を育成したいのであれば、補助金という手法は好ましくない。あくまでも公共施設に設置していくという力石プランでいくべきでしょう。
規模の経済を働かせて生産費用を低減させていけば、あとは自動的に普及します。最初の「産みの苦しみ」を助けてあげるのが政府の務めなのです。
そのためには、補助金という供給サイドへの資金供給ではなく、価格が多少高くても、それを政府が公共施設に設置するという公共事業を通して買ってあげ、規模の経済を働かせて費用を低減させるという、需要サイドから攻めていく戦略の方がはるかに効果的なのです。
補助金で業界を助けてあげようとすると、やはりそれが甘えの元になって、本気で生産費用を低減させようとする努力を阻害することになるからです。
日本のマスコミは、「財政=バラマキ」などという、なんでも批判して足をひっぱりゃいいのだみたいな、単細胞的思考停止状態を早く脱すべきです。そして、どうすればバラマキにはならない質の高い財政出動が可能になるのか、その方策でも真剣に考えて記事にすべきだといえるでしょう。
関税の必要性を訴える私の主張なんて、ちょっと前ならば日本の論壇からは完全に村八分になるはずの主張です。最近はうれしいことに、村八分どころか、私の関税必要論を読んで納得して下さる方が増えているようです。時代が変化しつつあるのを感じます。
このブログ、もう本人が書く気力もだんだん失せてきていて、すっかり更新も滞っていたのですが、問い合わせをいただくことが増えてきて、ありがたいことです。
しかしながら、私がこのブログでいちばん宣伝したかったのは、一貫して「エコロジカル・ニューディール政策」でした。しかし、この政策内容に関して、問い合わせを受けたことは一度もありません(涙)。
ネットで「エコロジカル・ニューディール」と入力して検索してみても、引っかかるのは、このブログを含め、この政策の提唱者である力石定一先生(法政大学名誉教授)の周辺の人々のサイトばかり。4年間ブログやって宣伝してきたつもりでも、この概念は全く広がらなかったのです(涙)。ちなみに力石先生がこの政策を提唱したのが1999年なのですが、あれから既に9年・・・・。
しかしながら「エコロジカル・ニューディール」という言葉こそまったく広がらないのですが、この種の考え方自体は着実に広がっているといってよいでしょう。そうした主張をテレビや雑誌などでする言論人は確実に増えています。例えば、金子勝さんや榊原英資さんといった有名知識人たちも、盛んにそうした主張をするようになりました。
私は、2002年に「経済学者が日本経済を救えないのは何故なのか」(力石定一・牧衷編『発想』第4号、季節社)という論文を書いたことがあり、その中で金子勝さんに関しては、「反新古典派なのはいいが、それへの対抗案の具体的中身が全くない」と批判したことがありました。金子さんは、最近はすっかり「温暖化対策を通した経済活性化」という、基本的に私がこのブログで訴えてきたことと同種の主張をしてくれるようになりました。ありがたいことです。
そして、こうしたエコロジカル・ニューディール的な考え方は、福田首相の置き土産というべき、政府の「11.7兆円の総合経済対策」にも反映されています。
力石先生は、1999年の段階で「全国に4万校ほどある公立の小中高校の校舎の屋上に、片端から太陽光パネルを設置するという公共事業を実施せよ」と主張していました(力石定一・牧衷編『発想』第1号、季節社、1999年)。私もこのブログでそう主張してきました。(たとえばこの記事参照)
今回の、福田内閣の置き土産である総合経済対策には、「持続可能社会への変革加速」ということで、「家庭・企業・公共施設等への太陽光発電の導入」という項目が入りました。これは評価できます。
今回の経済対策、確かに定額減税のような目的が分からないバラマキ的な内容もありますが、そうではない前向き・積極的な公共投資の側面も散見されるので、一定は評価できると私は思っています。
これまでマスコミは、「財政政策」というと、まるで合言葉のように「バラマキ!」と言い返して、ステレオタイプに批判してきました。今回もマスコミの多くは、そのように反応しています。本当に単細胞というか、信じ込みやすいというか・・・・。
財源不足を指摘する単細胞マスコミの声が大きいのですが、その気になれば財源なんていくらでもあるんだから。なんたって日本は世界最大の債権国なんだから。その気になれば手持ちの米国債をこっそり、バレないように売却しちゃえばいいんだって。
私は、完全雇用と有効需要の創出というケインズ型の財政政策をしながら、それをテコにして、持続可能な社会をつくるための新エネルギー産業を育成し、サプライサイドの改革も同時に達成してしまうのが本当の改革なのだと、一貫して主張してきました。財政は、誤って使われれば効果のないバラマキになってしまうし、質を考慮して正しく使われれば、新しい景気循環の波をつくるので財政赤字を拡大させるようなことはないのです。
つまり、「穴を掘ってまた埋め戻すような財政出動でもよいのだ」というケインズ原理主義も間違っているけど、「あらゆる財政出動はバラマキでしかない」という新古典派原理主義はもっと間違っているのです。日本のマスコミは、この点が全くわかっていなくて、この15年間以上にわたって、新古典派原理主義的な主張を繰り返してきたのです。
ところがです。新古典派の総本山とでもいうべき、日本経済新聞が、「バラマキ」と批判する他のマスコミとは一線を画す報道をしていました。新経済政策の中の太陽光など新エネルギー導入政策に関しては、前向きに評価する記事を書いているのです。
たとえば日経新聞の8月30日付け朝刊の3面記事には以下のように書かれています。
**引用開始********
「今回の対策メニューをみると、省エネルギー・新エネルギー技術の開発促進など日本の強みを生かした国際競争力強化への意欲を読み取れる部分もある。また、従来の公共事業中心の対策とは一線を画した苦労のあともうかがえる」
**引用終わり********
これは驚きでした。以前の日経でしたら、新エネルギーだろうがなんだろうが、「あらゆる財政出動はバラマキである」という原理主義的原則を堅持していたはずですから。これは、かなりポジティブな評価です。やはり経済紙なので、今回の危機がそんじょそこらの危機とは違うということがわかるのでしょうか。この日経の前向きな論調の変化については、率直に評価したいと思います。
もっとも、今回の政府の太陽光支援策についても苦言はあります。太陽光パネル設置への補助金を復活させようとしていることです。これは止めた方がよい。政府の支援なしで自律可能した新産業を育成したいのであれば、補助金という手法は好ましくない。あくまでも公共施設に設置していくという力石プランでいくべきでしょう。
規模の経済を働かせて生産費用を低減させていけば、あとは自動的に普及します。最初の「産みの苦しみ」を助けてあげるのが政府の務めなのです。
そのためには、補助金という供給サイドへの資金供給ではなく、価格が多少高くても、それを政府が公共施設に設置するという公共事業を通して買ってあげ、規模の経済を働かせて費用を低減させるという、需要サイドから攻めていく戦略の方がはるかに効果的なのです。
補助金で業界を助けてあげようとすると、やはりそれが甘えの元になって、本気で生産費用を低減させようとする努力を阻害することになるからです。
日本のマスコミは、「財政=バラマキ」などという、なんでも批判して足をひっぱりゃいいのだみたいな、単細胞的思考停止状態を早く脱すべきです。そして、どうすればバラマキにはならない質の高い財政出動が可能になるのか、その方策でも真剣に考えて記事にすべきだといえるでしょう。
実際には原油高騰で、苦しい中小企業が一時しのぎで借金をしやすいようにする、というものですから、原油高騰が続くことで、借金で倒産する呼び水となるものでしょう。
オバマ候補の経済政策と「ネクスト ニュー・ディール」
http://www.news.janjan.jp/world/0809/0808315895/1.php
>11兆円の大半の9兆円は、中小企業向けの貸し倒れ引当金を政府保証として積みます、という内容です。
私も、総合経済対策の多くの部分はダメな内容だと思います。また言われるとおり、真水の部分が少なすぎますね。ただ、低炭素社会実現という部分的に、エコロジカル・ニューディール的な戦略投資の萌芽があるので、その部分を評価したのみです。
ダメな部分をけなすよりも、わずかでも希望が見える部分を救いあげて評価してあげた方が前向きかなと思ったもので・・・・。
アメリカですが、この状況になれば、オバマもルーズベルトに学ぶしかないでしょう。「ネクスト・ニューディール」みたいな発想は当然出てくるだろうと思います。アメリカでもケインズ復権の時代を迎えるのは間違いないと思います。
大恐慌後にフーバーからルーズベルトに政権交代したのとまさに同じロジックで、オバマが勝つのではないでしょうか。しかし、アメリカの場合、それこそ財源が苦しいわけで、これから大変でしょう。米国債乱発しても、もう日本だって買えませんしね。中国と貿易摩擦を起こして、米中構造協議みたいな形で、中国に無理やり米国債を買わせて財源にするとか?
オバマ流のニューディールがうまくいかった場合、あの国は、また戦争に持ち込むという最終カードを切ってしまうかも知れません。怖いことです。
不景気の際は、余った生産力を持続可能な社会に近づくための投資のために使えばいいだろうと私も思います。しかし、どの新エネルギー産業に予算をつけるか官僚が判断するとなると、「官僚主導のプロジェクトなんてロクなもんじゃない。過去の失敗した事例を見よ」とか言われて不人気な政策になるかもなあとも思います。
私は、総需要を拡大するため消費税を0%や、より極端にはマイナスにしてしまえばいいのではないかと考えています。「やがて失業率が下がりインフレになればやめますよ」と政府が宣言した上で。こう書くと「それはつまり浪費の勧めではないか」とご批判を受けそうですが、現代では利己的に振舞うのではなく消費行動を通じて社会に貢献したいという人々も多いのではないかなと思います。「太陽光パネルをうちに設置してもモトが取れるかどうかわからないけど、それが環境のためになるなら買ってみるか。今消費税かからないし」なんていう家庭も結構あるのではないかと。大変楽観的な意見かもしれませんが。
>田原総一朗さんが日経BPに連載のコラムで「バラマ
>キ」を激しく批判されているのを読むと頭がクラク
>ラしてきます(笑)。
私なんか、テレビで田原さんの発言聞いているだけで、ブラウン管ごとぶん殴りたくなる衝動にかられます。ですので、最近は彼の顔が出たら即テレビを消します。精神衛生に悪いので。イタリアには、あの手の無知な上に不勉強きわまりない言論人っているのでしょうか? まあ、田原の顔をテレビで見ることがないだけでも、kayさんは幸せですよ。うらやましい・・・。
>「官僚主導のプロジェクトなんてロクなもんじゃな
>い。過去の失敗した事例を見よ」とか言われて不人
>気な政策になるかもなあとも思います。
やっぱり官僚の手からプロジェクトの立案権を剥奪することですね。ケインズの言った「ハーヴェイ・ロードの哲人」が必要になるのではないでしょうか。
通常予算とは別枠の、補正予算や特別の経済対策に関しては、すべて首相が任命した「哲人委員会」に予算編成を委ねてしまうわけです。官僚は一切ノータッチにさせます。もっとも社会資本整備に対する納税者の要望は十分に汲み上げるようアンケート調査は綿密に行い、その結果を公表し、民意は確実に反映させます。その上で実現可能性も考慮した上で、優先順位を決めていくわけです。
私は、やはり何に使われるかわからない(貯蓄に回ったら最悪・・・)減税よりも、目的意識をはっきりもって歴史の歯車を回転させるために使う公共投資の方が、マクロ経済的には有効だと思います。
すいません間違えました。よく読んだらイギリスで就職されたのですね。Kayさんの日記にイタリアの話がよく出てくるので、勘違いしてました。
田原さんのような政治ジャーナリストはイギリスでは思い浮かびませんね。「バラマキのための財源はどう工面するのか」とか「そこにバラマく効果はどれほどあるのか」という議論はあっても、「それはバラマキだからダメじゃないか」では相手にされないでしょう。
>> 私は、やはり何に使われるかわからない(貯蓄に回ったら最悪・・・)減税よりも、
減税しても消費が伸びず貯金が増えるだけと言うのはリカードの中立命題が思い浮かびますが、これが成立するのは定額減税や商品券が配られるケースです。消費税率が下がる(しかも一時的に)場合は、貯金を減らして買い急ぐ消費者が増えると考えられます。
とは言っても、消費が伸びた結果バブルの時代みたいに街中ハイソカー(死語)が走るようになってはどうしようもありませんが。
でも何に使われるかが問題になるので・・・。新エネルギー関連に消費が向けばよいのですが・・・・。
本当に、そのくらいのことを主張したくなってきますね。とりあえず最低限の獲得目標として、民主党の公約である直接所得保障制度を実現させるよう頑張りましょう。