代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

大河ドラマ「青天を衝け」で水戸徳川家をどう描くのだろう?

2020年08月28日 | 歴史
 来年のNHK大河ドラマの「青天を衝け」。前半では、血洗島村(現埼玉県深谷市)の豪農であった渋沢家と、のちに渋沢栄一が仕える徳川慶喜の出身藩である水戸徳川家をパラレルに描くという設定のようである。百姓の渋沢栄一と徳川御三家のプリンスである徳川慶喜という全く異なる二つの人生が邂逅し、交わっていく・・・・。面白そうである。
 水戸徳川家は、明治維新を生んだテロリズムの思想の発祥地である。若い頃の渋沢栄一も水戸学思想を信奉し、横浜焼き討ち(すなわち居住する外国人の皆殺し)を計画するという、ISの如き、恐るべきテロリストであった。前途ある若者たちを次々に自爆テロへと追いやっていったのが、水戸学という思想の魔物(大日本帝国の侵略主義の思想的背景)である。このテロリズム礼賛思想を、いったい大河ドラマはどう描くのか、興味津々である。
 水戸に感情移入するようにドラマを造れば、右翼テロ礼賛ドラマになってしまう。まさかそう描くことはないとは思う。水戸学が生んだテロリズムの思想を、ドラマの中でどう描き、それを通して視聴者にどんなメッセージを送ろうとするのか、興味は尽きない。本当に難しい題材だと思う。

 かつての大河ドラマ「花燃ゆ」では、家族ドラマ、青春ドラマ的な要素をふんだんに盛り込んで懸命に史実を美化して脚色しようとしつつも、史実として隠せない吉田松陰の松下村塾一党による老中暗殺計画や長州藩の開明派の長井雅樂暗殺計画などを描写していったところ、双方の描写のあまりのギャップに視聴者は混乱し、「そうか、要するに松下村塾ってテロリスト養成所だったんだ!」と、逆に強く印象付ける結果になってしまった。その吉田松陰も水戸学思想の信奉者だった。来年、水戸を描くときにはどうなるのだろう?

 私としては、現実から目を背けることなく、無理に美化しようとしたり、脚色しようとしたりせず、正面から陰惨なテロを描いて欲しいと願う。渋沢栄一の人生とは、その過去を反省し、テロリズムから脱却して更生し、実業家として大成していくという過程なのだから、それを対照的に印象づけるためには、思いっきり陰惨なテロリズムを描いてよいと思うのだ。

 それにしても幕末の水戸藩の血の粛清、内ゲバ殺人、そして内戦・・・・などは、ソ連のスターリンの血の粛清、日本の極左の連合赤軍のテロと仲間たちのリンチ殺人、中国の毛沢東の文革の内乱状態の要素を足し合わせたようなもので、どんなにがんばっても美化することなど不可能であろう。
 以下は、水戸藩士として徳川斉昭に仕えた青山延寿の孫にして大正から昭和に婦人運動家として活躍した山川菊栄の名著『幕末の水戸藩』(岩波文庫)からの抜粋である。菊栄の母、千世の回想をまとめたものだ。

*****(『幕末の水戸藩』岩波文庫版、363~364頁、380~381頁)**** 
 
 (慶応4年の)旧3月もそろそろ末に近い温かい、春の朝のこと、11歳になる私の母は8歳の妹のふゆといっしょに手習いに出かけた。(中略)自分の家からいくらもないその家へゆく途中、ふゆはキャッと叫んで姉にすがりつき、ブルブルふるえている。姉がその指さす方をふりむくと、道ばたの草むらの中に、血にまみれて、大きくふくれあがった男の生ま首がころがっていた。家に帰ってからその話をすると、母は、
「それはきっと久貝さんの首だろう。ゆうべ久貝さんの所へ人殺しがきたそうだから」
といった。このごろ許されて敦賀から帰ってきた耕雲(引用者注:天狗党の乱で斬首刑に処せられた武田耕雲斎のこと)の孫、武田金次郎が、部下をつれて自分勝手にねらいをつけた相手の家へおし入り、天誅と称して首をとるのを世間では、単に「人殺し」といっていた。
 (中略)
 門をドンドンとたたかれて、サア来たと思うと、しりごみせずに出るのは女、とくに主婦でなければまずい。男が出れば一刀のもとにやられる恐れがあり、女といっても女中を出すわけにはいかない。どこでも主婦が出て適当に応対するが、それすらまたずに押し入って、妻子の目の前で首をあげていくのもあり、長持の中にかくれていた主人を、そのまま斬りきざんでいったとかいう話もある。
 とった首は泉町の広場で戸板の上に並べて、夜店のカボチャそのまま、初めはこわかったが、じきに何ともなくなりました、という人が多かった。


********

 以上は、天狗党の乱の残党が、薩長が政権を掌握してから罪を許され、勝ち誇って水戸に帰ってきて、血の報復テロを行った際の描写である。このような事態が、城下町の生活空間の中で日常的に展開されていたのだ。正面から描けばホラー映画にしかならない。
 来年の大河ドラマは天狗党の乱も扱うようであるが、いったいどう描くのだろう。つくづく扱うのが難しい素材だと思う。


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4 コメント

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コメントありがとうございました ()
2020-08-29 22:23:40
大久保隼人さま

 コメントありがとうございました。来年の大河ドラマ、水戸に敬意を払いつつ、テロの陰惨さ悲惨さ不毛さをどのように描いていくのか、じつにチャレンジングな課題だと思います。NHKの大河スタッフ、本当に気苦労が多かろうと思います。

 哲学入門チャンネルは、生放送かと思っていたらそうではなく、本日録画して、編集のうえ来週ころ公開とのことでした。少々お待ちください。
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ご教授ありがとうございます (大久保隼人)
2020-08-29 08:59:33
>戦後歴史学の明治維新研究は、水戸学を賛美する戦前の風潮から脱却して、水戸を悪く描いてきました
「長州左派」と「長州右派」では水戸の扱いが違うのですね。
混同しないように気をつけます。

>山口県からの福島県からも受信料を集めて成り立っている公共放送としては
「西郷どん」の際は視聴率の西高東低が問題とされていましたね。
なるべく史実に忠実で、ドラマとしても面白く、特定の地域をディスらない作品を作らなくてはいけない……。
大河のスタッフは大変そうです。

>本日はとりあえず安倍退陣を祝いましょう。
管官房長官が「任期全うする見通し」と言っていた矢先でしたので、安倍首相退陣は驚きました。
河野さんが後任になってくれればいいのですが、麻生さんや管さんでは大して変わらなさそうです……。

そういえば、薬丸裕英さんが麻生さんを批判したことでネトウヨに攻撃されているようですが、ツイッターではこのようなツイートが伸びている(炎上している?)のを見かけました。

@miyu_political
麻生さんがどんなルーツか知ってて話してるの?
大久保利通の子孫で、実の妹は皇族。やんちゃな口調ではあるけど、まず副総理に何様って、制作サイドに指示されていたとしても、少しは考えて発言した方がいい。
https://twitter.com/miyu_political/status/1298864450011721728?s=20

いったい、彼らは何時代に生きているのでしょうか……。
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コメントありがとうございました ()
2020-08-28 16:25:27
大久保隼人さま

>光圀=善、綱吉=悪という風潮も、水戸学に影響を受けた人々によって明治に作られたものではないかという気がします

 これはその通りかと存じます。

>「長州正統史観」ならぬ「水戸正統史観」から脱却できるのか、楽しみですね

 戦後歴史学の明治維新研究は、水戸学を賛美する戦前の風潮から脱却して、水戸を悪く描いてきました。水戸をディスって長州を持ち上げるという形で戦後歴史学は成立したように思えます。しかし長州は水戸学思想を継承しているのであるから、水戸を批判するのであれば、長州も批判せねばならなかったはずなのです。

 今までもさんざんに水戸はディスられてきました。藤田東湖や天狗党など、水戸の尊攘激派を正面切って取り上げたドラマがなかったのも、戦後民主主義の中で、テロを煽り立てるその思想を正面切って描くのを憚られる雰囲気があったからだと思います。
 来年のドラマはその藤田東湖や天狗党などをちゃんと描くようなので、逆にその勇気を礼賛したくなります。彼らの思想を忠実に再現した上で、テロがいかに悲惨でむごく、国全体にとって害悪しかもたらさないのか、ちゃんと描いて欲しいと思います。

 かりに水戸学思想の延長上に、渋沢の実業家としての成功があったというように描かれると、それこそ水戸学史観、あるいは日本会議史観になりそうで、目も当てられない内容になりそうです.

>安倍首相、あるいは制作時期的に山口県出身で『騎兵隊内閣』を標榜していた菅元首相から「長州を悪く描くな!」という圧力があった可能性も否めない気がする

 これについては、NHK側も長州を悪く描かないように細心の注意を払ったことは認めております。圧力というより忖度の次元だとは思いますが・・・・。
 もっとも政権からの圧力がなくても山口県からの福島県からも受信料を集めて成り立っている公共放送としては、特定の地域をディスらないというのは、すべての地域に平等にスポットが当たるように・・・ドラマを制作する上で、たえず心がけていることだと思います。
 本日はとりあえず安倍退陣を祝いましょう。
返信する
水戸といえば水戸黄門が有名ですが……。 (大久保隼人)
2020-08-28 09:33:14
ドラマでは庶民に味方するヒーローのように描かれている水戸黄門こと徳川光圀ですが、実際はを辻斬りしたり、能の公演の最中に家老を殺害したり、御三家の見栄で石高を実際よりも高く見積もった上、水戸学の編纂に藩の予算をつぎ込んで領民を困窮させたり……と、ろくでもない君主だったようです。
世間ではバカ殿と思われがちな政敵・徳川綱吉のほうが、よほど名君であったと思います。
水戸学は後世に与えた悪影響も甚大ですし……。
(これは私の想像ですが、光圀=善、綱吉=悪という風潮も、水戸学に影響を受けた人々によって明治に作られたものではないかという気がします)
「青天を衝け」はこういった、「長州正統史観」ならぬ「水戸正統史観」から脱却できるのか、楽しみですね。

ところで、大河ドラマといえば、私は最近「八重の桜」をDVDレンタルで視聴しているのですが、功績の割に過小評価されている佐久間象山や山本覚馬が活躍しているのは良いとして、「長州が良く、公儀が悪く描かれすぎではないか」という気がしています。

公儀は何かと古臭い、無能な組織のように描かれており、実際には捕縛がメインで、池田屋でも敵を皆殺しになどしていない新選組も殺人集団のようになっているのに対し、長州側は吉田松陰の良い部分ばかりが描かれていたり、下関戦争も「長州が攘夷の不可能を悟った、日本にとってプラスの出来事であった」かのように描かれていたり……。
忠固が登場しなかったのは知名度的に仕方がないにしても、慶喜の聡明さを相対的に演出するためか、家定、家茂が愚昧な暗君のように描かれていたのも気になりました。

会津の自宅で攘夷派に襲撃された際の「俺を斬ってそれが攘夷か!」という覚馬の憤りや、足利三代木像梟首事件を受けての「尊皇攘夷とは幕府を倒す名目ではないか!」という容保の発言には、「よくぞ言ってくれた!」と膝を叩いたのですが……。

関先生は「八重の桜」を高く評価しておられるようですが、こういった「長州史観」を引きずってしまっている部分に関しては、どのように評価しておられるのか気になります。
やはり、「あくまで会津がメインの話なので、会津と直接的に関係のない部分は、通説通りの描写になってしまうのは仕方がない」のでしょうか。
私としては、安倍首相、あるいは制作時期的に山口県出身で『騎兵隊内閣』を標榜していた菅元首相から「長州を悪く描くな!」という圧力があった可能性も否めない気がするのですが……。
特に安倍首相は、後に長州礼賛大河をNHKに作らせているわけですし、八重にも何かしらの干渉を行っていた可能性は高いように思えます。

それはそうと、明日は「哲学入門チャンネル」にご出演される日ですね。
どのような対談になるのか、楽しみにしております。
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