気が付いたら大河ドラマ「西郷どん」も明日で最終回を迎える。
幕末編は、あまりの歴史改ざんぶりに辟易とした気分で視聴していたのだが、明治時代に入ってから結構面白くなった。
長州閥の汚職体質 -国家予算・資産を私物化して政権中枢を取り巻くお友達に分配し、私腹を肥やすという現在に続く体質- もちゃんと描かれていた。長州政権の肝いりで制作されたドラマにしては、がんばったと思う。
山縣有朋は、長州のお友達商人山城屋と組んで、陸軍省予算の1割弱を勝手に生糸投機に注ぎ込んで巨額損失を生んだ山城屋事件を引き起こす。大蔵大輔井上馨は、盛岡の商人の私有の鉱山であった長去沢銅山を、詐欺的手法で強奪し、それを長州閥のお友達に分け与えて私物化を図った(尾去沢銅山事件)。現在進行形で発生していることのルーツはここにあるのではないかと思わせる、これらの事件を取り上げたことも評価できた。描かれたのはほんのわずかであったが・・・・。
岩倉使節団の洋行中、留守政府は、汚職長州閥の山縣や井上を相次いで失脚させた。気が付けば留守政府は、ほぼ「お飾り」の西郷を除けば、実質的に江藤新平や後藤象二郎らを主軸とする「肥前・土佐政権」になっていたのだ。肥前や土佐の近代化論者たちが、学制、徴兵令、地租改正、太陽暦の採用、司法制度の整備といった近代化政策を次々に実施していったことになる。
ドラマでは、岩倉使節団の帰国後、怨念に燃え、失地回復を図ろうとした長州閥が、大久保利通を味方に引き入れ、留守政府の参議たちを失脚させた様子も描かれた。
「西郷どん」で視聴者に印象付けられたのは、なんだ岩倉・大久保・山縣・井上などよりも、肥前と土佐の留守政府の方がよほどまともではないか、ということだった。
巷で言われている「征韓論」は口実にすぎず、明治6年政変の本質は、肥前・土佐が勝手に改革を進めることに対して、除け者にされた大久保や長州閥が嫉妬して、彼らを追い落とそうとしたことが問題の本質であるという描き方がされた。私は、ドラマのこの解釈は、基本的に正しいと思う。
江藤や後藤は元来が立憲政体論者である。彼らにも問題はあったにしても、少なくとも、留守政府がそのまま政権を維持していたら、明治時代は、実際のそれよりもはるかにまともな時代となっていただろう。そして今に至る長州レジームは発生していないことになる。
山縣の山城屋事件のが発覚した際には、桐野利秋が「こん男、許さん!」と一刀のもとに斬り捨てようとしたところ、西郷が止めに入って、すんでのところで山縣は一命をとりとめた。もちろんドラマの脚色であるが、こういう脚色は、ドラマを面白くする上で良いことであろう。当時、山縣と桐野の対立は実際にあったのであり、それをたった一コマの脚色エピソードで視聴者にわかりやすく伝えたのであり、背景となる事実関係を捻じ曲げているわけではないからだ。
残念に思うのは、留守政府編がわずか一回の放映分しかなかったことだ。いまさらながらに、幕末編での磯田屋とかひー様とか、どうでも良い話に尺を費やしすぎたことが惜しまれる。
余談になるが、拙著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』の中で、私は次のようなエピソードを紹介した。
文部省の維新史料編纂課にいた松尾茂という人物が大正時代に書き残しているエピソードである。
山縣(有朋)が、「桐野(利秋)から、こんなに早く幕府が倒れるなら、(赤松小三郎を)殺さなくてもよかった、惜しいことをした」という述懐談を聞かされていたというエピソードである。
桐野は、薩摩軍を英国陸軍式で調練した恩師・赤松小三郎を暗殺した実行者の一人であるが、後年になって、山縣有朋に対し「殺すんじゃなかった」と愚痴を言ったというのである。
これはかなり意味深なエピソードであると思う。
私の解釈はこうである。
桐野は、汚職事件を引き起こした山縣有朋を完全に失脚させたかった。しかし、山城屋事件のわずか1年後、西郷は山縣を復職させてしまうのである。この背景には、陸軍内の人材不足があったと言われている。
桐野の、山縣に対する上述の愚痴は、その際に発せられたものではないかと、私は推測している。桐野の真意はこうだったのだろう。赤松小三郎が生きていれば、赤松が陸軍の要職について軍の整備を行っていたはずであり、お前(山縣)なんか出る幕はなかったはずなのだ。ああ、赤松が生きていればなあ、斬るんじゃなかった・・・。
斬ったのはお前だろうと、思わず言い返したくなってくる。しかし、桐野があえて山縣にこう言ったということは、以下の事実を示唆しているのだと思う。すなわち、桐野は上から命令で赤松小三郎暗殺を実行したこと、その上からの命令は山縣や品川弥二郎ら長州側からの要請もあって薩長首脳で合意したものであったこと、である。
赤松を殺した結果、山縣なんかを要職に就けざるを得なくなったことを、明治の桐野は心から後悔していたのだ。
幕末編は、あまりの歴史改ざんぶりに辟易とした気分で視聴していたのだが、明治時代に入ってから結構面白くなった。
長州閥の汚職体質 -国家予算・資産を私物化して政権中枢を取り巻くお友達に分配し、私腹を肥やすという現在に続く体質- もちゃんと描かれていた。長州政権の肝いりで制作されたドラマにしては、がんばったと思う。
山縣有朋は、長州のお友達商人山城屋と組んで、陸軍省予算の1割弱を勝手に生糸投機に注ぎ込んで巨額損失を生んだ山城屋事件を引き起こす。大蔵大輔井上馨は、盛岡の商人の私有の鉱山であった長去沢銅山を、詐欺的手法で強奪し、それを長州閥のお友達に分け与えて私物化を図った(尾去沢銅山事件)。現在進行形で発生していることのルーツはここにあるのではないかと思わせる、これらの事件を取り上げたことも評価できた。描かれたのはほんのわずかであったが・・・・。
岩倉使節団の洋行中、留守政府は、汚職長州閥の山縣や井上を相次いで失脚させた。気が付けば留守政府は、ほぼ「お飾り」の西郷を除けば、実質的に江藤新平や後藤象二郎らを主軸とする「肥前・土佐政権」になっていたのだ。肥前や土佐の近代化論者たちが、学制、徴兵令、地租改正、太陽暦の採用、司法制度の整備といった近代化政策を次々に実施していったことになる。
ドラマでは、岩倉使節団の帰国後、怨念に燃え、失地回復を図ろうとした長州閥が、大久保利通を味方に引き入れ、留守政府の参議たちを失脚させた様子も描かれた。
「西郷どん」で視聴者に印象付けられたのは、なんだ岩倉・大久保・山縣・井上などよりも、肥前と土佐の留守政府の方がよほどまともではないか、ということだった。
巷で言われている「征韓論」は口実にすぎず、明治6年政変の本質は、肥前・土佐が勝手に改革を進めることに対して、除け者にされた大久保や長州閥が嫉妬して、彼らを追い落とそうとしたことが問題の本質であるという描き方がされた。私は、ドラマのこの解釈は、基本的に正しいと思う。
江藤や後藤は元来が立憲政体論者である。彼らにも問題はあったにしても、少なくとも、留守政府がそのまま政権を維持していたら、明治時代は、実際のそれよりもはるかにまともな時代となっていただろう。そして今に至る長州レジームは発生していないことになる。
山縣の山城屋事件のが発覚した際には、桐野利秋が「こん男、許さん!」と一刀のもとに斬り捨てようとしたところ、西郷が止めに入って、すんでのところで山縣は一命をとりとめた。もちろんドラマの脚色であるが、こういう脚色は、ドラマを面白くする上で良いことであろう。当時、山縣と桐野の対立は実際にあったのであり、それをたった一コマの脚色エピソードで視聴者にわかりやすく伝えたのであり、背景となる事実関係を捻じ曲げているわけではないからだ。
残念に思うのは、留守政府編がわずか一回の放映分しかなかったことだ。いまさらながらに、幕末編での磯田屋とかひー様とか、どうでも良い話に尺を費やしすぎたことが惜しまれる。
余談になるが、拙著『赤松小三郎ともう一つの明治維新』の中で、私は次のようなエピソードを紹介した。
文部省の維新史料編纂課にいた松尾茂という人物が大正時代に書き残しているエピソードである。
山縣(有朋)が、「桐野(利秋)から、こんなに早く幕府が倒れるなら、(赤松小三郎を)殺さなくてもよかった、惜しいことをした」という述懐談を聞かされていたというエピソードである。
桐野は、薩摩軍を英国陸軍式で調練した恩師・赤松小三郎を暗殺した実行者の一人であるが、後年になって、山縣有朋に対し「殺すんじゃなかった」と愚痴を言ったというのである。
これはかなり意味深なエピソードであると思う。
私の解釈はこうである。
桐野は、汚職事件を引き起こした山縣有朋を完全に失脚させたかった。しかし、山城屋事件のわずか1年後、西郷は山縣を復職させてしまうのである。この背景には、陸軍内の人材不足があったと言われている。
桐野の、山縣に対する上述の愚痴は、その際に発せられたものではないかと、私は推測している。桐野の真意はこうだったのだろう。赤松小三郎が生きていれば、赤松が陸軍の要職について軍の整備を行っていたはずであり、お前(山縣)なんか出る幕はなかったはずなのだ。ああ、赤松が生きていればなあ、斬るんじゃなかった・・・。
斬ったのはお前だろうと、思わず言い返したくなってくる。しかし、桐野があえて山縣にこう言ったということは、以下の事実を示唆しているのだと思う。すなわち、桐野は上から命令で赤松小三郎暗殺を実行したこと、その上からの命令は山縣や品川弥二郎ら長州側からの要請もあって薩長首脳で合意したものであったこと、である。
赤松を殺した結果、山縣なんかを要職に就けざるを得なくなったことを、明治の桐野は心から後悔していたのだ。