今、日本テレビをチラッと見ていたら民営化賛成派の渡辺喜美議員、石原伸晃議員、反対派の小林興起議員らが討論をしていました。石原議員は、「これは攘夷か開国かをめぐる問題だ、もう金融は開国を決めたのだから後戻りできないのだ」と言っておられました。渡辺議員は、「郵貯というのは中国の国営銀行みたいな社会主義システムなんだから、民営化しなければいけないんだ」とおっしゃっておられました。
そこで石原議員や渡辺議員に一考していただきたいのは、銀行国有の中国が、なぜあれだけ経済成長を続けていられるのかということです。中国の国有銀行システムは、金融のグローバル・スタンダードに全く反していることをしているのかも知れません。しかし、まさに反することによって世界の成長センターたらしめているのだと私は思います。
中国では銀行が国有であるというまさにその事実により、伸ばすべき産業分野に対して戦略的融資が可能になっているし、民間企業を活性化させることも可能になっていると思います。中国の国有銀行は、日本の民間銀行のように貸し渋りなどしないからです。
私の専門分野である森林関係などを例にあげれば、中国は現在の5ヵ年計画で紙パルプの国産化を目指していますので、国有銀行は、民間レベルでのパルプ用材の植林事業とかパルプ工場への融資を戦略的に行っています。政府は、国有銀行に補助金を出して、パルプ用材植林を進める民間企業に対しては市場金利よりも低利で貸し出させています。林業の収益性の低さや、資金回収までの長期性を考えれば、市場に任せるのではなく、政府補助によって融資するのが当然だからです。国の産業政策と計画があるからそうしたことが可能になるのです。市場原理主義では、決してそんなことはできません。
中国のこうしたやり方は、そもそもは日本の傾斜生産方式や護送船団方式から学んだものだと思います。米国のシステムだけを「最先端」と信じて、こうしたやり方を「時代遅れ」と主張する人々は、いずれ自分たちが「時代遅れ」になっていくでしょう。米国のグローバル・スタンダードとは異なった「アジアのスタンダード」を確立させることこそ、今後、私たちが進むべき道です。
もちろん、中国のように全ての銀行が基本的に国有となると、それも行き過ぎていると思います。中国の国有銀行にも多くの失敗があり、不良債権を抱えているというのも事実でしょう。しかし、正の側面を評価することを忘れてはなりません。
銀行は全て国有は行き過ぎにしても、日本のように、個人金融資産1400兆円の4分の1ほどの350兆円を公的機関が持っているという比率は、民と官の資金配分のバランスとしてもちょうどよいくらいではないかと思うのです。民間も失敗するし、官も失敗するのですから、双方が機能を補い合うべきなのです。
公社のままの方が、資金を戦略的に民間に流すことは可能になると思います。ハゲタカに取られたら、その可能性は絶望的になるのです。
民主党を中心とする内閣が出来上がったら、是非とも、郵政公社の公的資金を民主的かつ戦略的に民間に流せるシステムを構築していただきたいと思います。
そこで石原議員や渡辺議員に一考していただきたいのは、銀行国有の中国が、なぜあれだけ経済成長を続けていられるのかということです。中国の国有銀行システムは、金融のグローバル・スタンダードに全く反していることをしているのかも知れません。しかし、まさに反することによって世界の成長センターたらしめているのだと私は思います。
中国では銀行が国有であるというまさにその事実により、伸ばすべき産業分野に対して戦略的融資が可能になっているし、民間企業を活性化させることも可能になっていると思います。中国の国有銀行は、日本の民間銀行のように貸し渋りなどしないからです。
私の専門分野である森林関係などを例にあげれば、中国は現在の5ヵ年計画で紙パルプの国産化を目指していますので、国有銀行は、民間レベルでのパルプ用材の植林事業とかパルプ工場への融資を戦略的に行っています。政府は、国有銀行に補助金を出して、パルプ用材植林を進める民間企業に対しては市場金利よりも低利で貸し出させています。林業の収益性の低さや、資金回収までの長期性を考えれば、市場に任せるのではなく、政府補助によって融資するのが当然だからです。国の産業政策と計画があるからそうしたことが可能になるのです。市場原理主義では、決してそんなことはできません。
中国のこうしたやり方は、そもそもは日本の傾斜生産方式や護送船団方式から学んだものだと思います。米国のシステムだけを「最先端」と信じて、こうしたやり方を「時代遅れ」と主張する人々は、いずれ自分たちが「時代遅れ」になっていくでしょう。米国のグローバル・スタンダードとは異なった「アジアのスタンダード」を確立させることこそ、今後、私たちが進むべき道です。
もちろん、中国のように全ての銀行が基本的に国有となると、それも行き過ぎていると思います。中国の国有銀行にも多くの失敗があり、不良債権を抱えているというのも事実でしょう。しかし、正の側面を評価することを忘れてはなりません。
銀行は全て国有は行き過ぎにしても、日本のように、個人金融資産1400兆円の4分の1ほどの350兆円を公的機関が持っているという比率は、民と官の資金配分のバランスとしてもちょうどよいくらいではないかと思うのです。民間も失敗するし、官も失敗するのですから、双方が機能を補い合うべきなのです。
公社のままの方が、資金を戦略的に民間に流すことは可能になると思います。ハゲタカに取られたら、その可能性は絶望的になるのです。
民主党を中心とする内閣が出来上がったら、是非とも、郵政公社の公的資金を民主的かつ戦略的に民間に流せるシステムを構築していただきたいと思います。
アホな官僚たちによって郵貯が変な使われ方をしてきたという事実は、私も十分すぎるほと認識しております。
ただ、私の見方では、郵貯の使われ方が全くおかしくなったのは80年代以降です。それ以前は、必要な社会資本整備に役に立ってきたと思います。郵貯がなかったら戦後復興も難しかったと思いますよ。
私の考えでは、新しい時代(ポスト石油・原子力時代の構築)のために必要な社会資本整備は山のようにあります。民間金融には、そうした社会資本の整備は難しいと思う次第です。