イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

三月や尋ねもせねど花だより  

2025-03-29 12:32:00 | 四季折々

 今年も南九州~南関東と、本格的に桜前線が北上を始めたようです。

 東京限定で言えば、月河が住んでた頃、そのあと地元から頻繁に往来していた頃の七十年代末~八十年代前半比でいうと、皮膚感覚で一週間ぐらい、開花が繰り上がった気がします。当時は四月のアタマ、入社式や入学式の頃に開花~満開のお花見真っ盛りで、朝方、公園など通ると前夜の宴会の“残り香”がぷんぷんだったような。

 いまは三月下旬の春のお彼岸明けの頃には開花宣言出るのが普通になってますよね。入学式より卒業式の背景になりました。

 寒冷地の月河地元も、ひところは五月アタマの、大型連休後半に開花が間に合うかってところでしたが、最近、特にここ十年ほどは普通に四月中に余裕で開花するようになりました。

 着々とすすむ地球温暖化。

 ・・とはいえやはり寒冷地のつね、平地の市街の公園などでは花見日和でも、ちょっと風が強くなると、大型連休の頃は近郊の山にまだ雪が残っていますから、めっきり冷気を運んできます。夜桜見物には中綿入りベストが必携。

 月河も新入社員時代には場所取り要員のアタマカズに使われて、一席無事終わった後、よく風邪ひいてました。

 個人的には、せかせか咲いて、咲いたそばからせかせか散るより、の花のほうが品よく落ち着いている気がして好きなんですけど、当地では桜の開花の間際に梅もツユハライみたいに一緒に開花期が来るので、つい桜に気を取られがちで、梅の花鑑賞に精魂傾けてる人はあまりいません。

 立ち木の枝ぶりや花の付き方なども梅のほうが雅で心がせわしなくならないし、季節感の使者としても圧勝だと思うんですが。

 月河の居住地だと梅がまとまって咲いている名所は、いくつかいずれもちょっと距離があってすんなり出かけてもいけませんが、近隣の個人のお宅にはスポットで“見どころ”があります。こぢんまりしたお庭にすんなり一本、さりげなく剪定された姿でお行儀よく春の日差しを受けほころぶ梅。心が洗われるようでいいもんです。

 遠目には白梅と見えて、近くに寄ってみると花芯近くがほのかに紅色だったりして。見る場所やお天気、日の向きにもよって風情が違うのも梅の良さです。今年もそろそろ花芽がつくられる頃かな。

 梅よりさらに前、本当に春のさきがけに咲く辛夷(こぶし)は四月の声が聞こえてくるとそろそろです。いちはやく雪が消えた南向きの山の斜面に、刷毛ではいたように白い花の帯ができる頃には、平地の庭にも街路にも。月河家のいちばん最寄りの公園にも一列、いい枝加減の北辛夷(きたこぶし)があります。

 久しぶりに句作吟行に出てみるかな。・・・ただ坐骨神経痛がねぇ。一昨年の初冬の、最悪の時期よりだいぶマシになって足が上がるようになったところではありますが。

 一月往く、二月逃げる、三月去る・・と、一年の序盤は、春待望と、年度替わりの節目にも急かされて毎年あっという間。

 個人的に四月は「知る」の四月にして、新たに学びを始めたいと思っています。  

     花待つや老いの庭にも箒音 

     桜餅花芽の庭に待つ子らに   たびと

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豆から餅へ ~春の“和”~

2025-02-28 17:19:08 | 四季折々

 一月往(い)く、二月は逃げる、三月去る・・なんてこの時期になると毎年言ったり書いたりしてる気がしますが、とにかく二月は“二十八日しかない”というのが大きいですね。

 節分の豆まき用の豆菓子アソートと、豆大福がついこの間で、あっという間にひなあられと、三色ひし形ひなおこしを買ってくるタイミングになってしまいました。このインターバル、毎年ほんと短いと思う。二月が二十八日しかないからですよ。おおかた、そうですよ。

 月河はひなおこしより、三色プチ(寿甘)のほうが好きなんですけど、目につくところに置いとくと高齢組が喉につまらせて大騒ぎになるかもしれないので一人分だけ買ってこっそりつまもう。

 思うんですけど、桜の季節には桜餅、五月の端午の節句が近づいたら柏餅とちまき(粽)、って定番があるのに、梅の季節に“梅餅”ってなくない?・・・と言ったら、非高齢家族が「梅にはウグイスだから、うぐいす餅があるじゃないか」。

 そうそう、うぐいす餅。表面にまぶしたうぐいすきな粉が餅生地にくっついてベタベタしてこないうちに食べるのがいいのよね。当地はまだ雪景色で梅の季節はずっと先ですが、春のカレンダー歳時記を見るとなぜか和菓子が次々に浮かんできます。明日から三月。うぐいす餅探してこよう。

 

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無責任な会 ~人が陥るアナふたつ~

2025-02-09 17:07:10 | ニュース

 中居クンこと中居正広さん(“元SMAP”はもう付けなくていいですよね)が報じられてるようなかたちで芸能界を去るとは思いませんでした。

 とは言え現状ではこれしかないでしょうね。月河の非高齢家族などは「出てきても正視できないし」「出るほうより見るほうが辛ぇよな」って言ってます。月河もだいたい同感です。

 アイドル、現役でも“元”でも、言い古されてるけどお客さんに夢を売る商売なんで、見るほうに、可哀想とかこっ恥ずかしいとか痛々しいとかシャラくさいとか、何かしら居心地の悪さを与えたらもう無理だと思います。やった“事”、やったと報じられている“事”が正しいか正しくないか、許される許されないの問題では、この場合、ないでしょう。よく罪を憎んで人を憎まず”とも言いますが、アイドルならずとも芸能人って“人”がすべてなんですよね。売ってる“夢”が正しければ、正しいつまり美しくキラキラしてれば、それを売る人が汚れててもダサくてもいいってわけにはいかない。

 このブログで触れたか触れなかったか忘れましたが、某興業所属芸人のヤミ営業問題のとき、ビートたけしさんが「芸人が笑えなくなったら終わり。笑えない会見を芸人に顔出してやらせる会社がおかしい」と言っておられたことも少し思い出しました。

 月河は客に数えられる年齢層から大幅に上にズレているので、SMAPにも中居クンにもニュートラルで熱っついファンでも強いアンチでもないですが、SMAPというグループが存在することを知る前に中居クンは単体で知ったのでちょっと思い出す材料はほかの元メンバーよりはあります。

 十中八九、93年だと思います。前の年に自宅のテレビがBS環境になり、物珍しいのでテレビつけれはNHKBS-1か2のどっちか流してた時期なので、妙に記憶に残っています。

 日曜の夕食準備どきに『アイドルオンステージ』というそのものずばりな番組があり、ピンでMCしてたのが当時推定21歳の中居クン。レギュラーに女の子アイドルグループも複数いて、たぶん曲間トークの流れだったと思いますが、「オレはこれから二枚目路線で行くんだ」と宣言、ひとわたり女の子たちに引かれたあとで、いま思えば無謀なことに、ソロで歌い出したんですよ。曲タイトルは見逃しました。なんかあまーいラブバラード。

 ・・・ワンコーラス終わったとこで高齢家族が「可愛いコだけど歌手じゃねぇ」とバッサリいってました。「歌手の声の出し方じゃないもん」。

 月河はもうひと昔前のたのきんトリオバラしソロ売りなども一応リアタイ目撃してましたから「まあこれから売れればうまくなるかもしれないし」と誰からもどこからも頼まれもしないのにフォローしたりして。すると、ちゃんと歌聞いてなかったもうひとりの高齢家族が「この男の子、藤沢周平原作の『腕におぼえあり』に出てたぞ」と言い出し、「学問所にかよってる部屋住みの役だから殺陣とかはないけど芝居は出来るぞ」なんで歌なんか歌ってんだ?しかもズラつけないと茶髪なのか、不良臭いな・・って混ぜ返して、いっとき日曜の食卓が中居正広クンとかいう若手の現在および将来を考える”無責任言いたい放題プチ会議室になってたような。

 94年以降の活躍はご存じの通り。『美味しんぼ』とか『ナニワ金融道』シリーズなど高齢組のほうが熱心に視聴してたかもしれません。

 ただ月河が思うのは、『白い影』『砂の器』等のシリアス路線の作品でも、不思議と脇の、親世代・上司世代役のキャストのほうがこれでもかと粒揃いで濃いぃ事が中居さん主演のドラマの場合特に多かった気がする。そのせいか、“主演中居!”の印象が突出して強烈だったという作品って意外と少ないし思い出せないのです。彼単体のもっと高体温なファンなら違うのかもしれない。

 中居クンの演技が、良くも悪しくも“頃合い”なんですね。アイドルとしてはハタチすぎブレイクで遅咲きだったわりには、役者としてはクセがなく透明感があった。93年の初見のとき、高齢組が「ペットっぽい」と評したように、ガラが小ぶり(低身長)なのも影響したかも。

 この点、同じ元・SMAPメンバーで「何を演っても〇〇」と言われるほうの人とは対照的。身長だけなら言うほど大差は無いと思うんだが。こちらはどうしても作りが天動説方式になってしまうんですよね。

 どちらがいいとか悪いとかではない。思えばあの頃は、昭和四十~五十年代にあった夜8:00台の、小学校高学年~中学生ローティーン向けアイドルドラマという独立ジャンルが退潮して、大人向け一般ドラマと境目が混じってきた時代で、作り手側も素材に合わせていろいろやってみる、或る意味余裕があった。

 役者として咀嚼吸収力が旺盛な年頃をこの時代に生きられて、SMAPも、中居さんもツキがあったと思う。芸能人は時流に乗ってナンボですから、どうしてもどんな時流に生まれ合わせたかの影響は受けるし、時流で命運も決まります。

 芸能生活の終わり方だけに焦点を絞ると、ちょっと“時流で決まり過ぎ”な感もないではない。いや、もちろんご自身の行動で招いた流れですけど。

 タロティストとして、或いはもっと大きく、占いをよくする者としては、少し考えるんですね。どこかの時点で中居さんがクライアントになって来たとして占ったら、たとえば、そうね、「その会食はキャンセルしたほうがいいですよ」「その系統から次のお誘いがきてもとうぶん謝絶したほうがいいですよ」と言えるカードを引けたかしら、と。

 占いの中でも(月河はやらないし肯定的でもありませんが)、生年月日を起点に暦法天文で占う“命占”の占い師さんの一部なら、中学生中居正広クンに「芸能界向いてるから」「身長低くても、音感なくても売れる星持ってるから」とまでは言える人もいたかな。

 ただ、その先は・・ね。埼玉県の道路陥没トラック転落事故といい、最近、人間の運命って?と考えさせられるニュースが本当に多いです。

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ハコか布か、帯かタスキか ~風呂敷広げ方畳み方~

2025-01-30 19:28:12 | グッズ

 行ってきましたよーー高齢組ふたり同行で、“世界のトランプ・タロット展”再訪。先々週、開催最終週に。

 ただねー、なにしろ元番の書籍棚と文具棚との間のスペースにテーブル2台の、超コンパクトな展示なので、プレイングカード選びに来たはずのヤッコさんたちすぐ飽きちゃって、ひさびさのメガ書店なもんだからあっちこっち見に歩き回って(徘徊ともいう)すぐ行方をくらますので、園児の引率して来た保育士さんみたいに月河がなってました。

 月河が本展、再訪したのはヤッコさんたちと別の動機がありまして、前回ちゃんと見なかった、置き型と携行型兼用のタロットボックスかケースを本腰で探したいと思って行ったわけです。

 ・・これ結構、切実でね。タロティスト志願者としては、タロットに関係ない野暮用で外出、外回りするときも、或る程度まとまった待ち時間や、会話の流れでタロット関係の話題を展開しても通じそうな相手があるときには、お気にのデッキを携行したい。

 しかしデッキによっては、付属のハードケースが単行本か、前にも書いたけど百科事典の一巻くらいの分厚サイズだったりするので、まるごと持ち歩くのは罰ゲームみたいなもの。バスにも地下鉄にも乗りますからぶつけたり押されたり、うっかり落としたりのリスクもある。

 んで、カード本体だけ取り出して収納するのに好適サイズの、なおかつ携行に耐える堅牢度のケースを、ここずっと雑貨屋さんや3 coinsなど覗いているんですけど、あらかた帯に短しタスキに長し。 目的物が“78枚フル揃ってナンボ”のやつですから、小さすぎたらもちろん入らないけど、タテにせよヨコにせよ、過剰に大きかったら、輸送中に中で揺れて、内壁にコトコトぶつかってヘリやカドの傷みを早めそうなんです。

 結局、デフォルトの付属ケースが、デカかろうが目立とうがいちばん安定だ、ってことなんですけど、それにしても見栄え的にも、中身を出さずにそのへんに置いといてもよさげな小ぎれいなハコ、どっかにないかなーと。

 デッキや占いグッズ専門通販店のウェブで、天然木製の、いい感じにアンティークなスライド開閉式のボックスを見つけたときもあったんですが、商品説明のサイズを検討するとどうにも大きすぎ。外観も、見ようによっては海賊のお宝箱みたいでなんか大袈裟。

 ・・そんなニーズを持って再訪した本展ですが、残念なことにタロット“バッグ”は若干、品揃えあったけどハコ系は無し。バッグなら、巾着型を中心に月河、結構コレクション既にあるんです(タロットカードと相性的にどうなの?っていう、きゃぴきゃぴキャラクター全開の柄・デザインも含む)。巾着って、入れたいモノに優しいんですよね。ジッパータイプのバッグやポーチだと、特にフルデッキの様な四角くて曲がらないモノを出し入れするときにどうしても、ヘリのどこかがジップにこすれたり、こすれそうになったりする。巾着は出し入れ口がやわらかくて金属パーツが一切無いので、この心配がない。

 ・・でも今日は、こういうやつじゃなくて、携行しても、出先でテーブルにトンと置いといてもいい、安定感のある箱型のイレモノが欲しかったんですけど。

 ・・空振りに終わった月河に対して高齢組はグルグル店内回った挙句カレンダーコーナーで“世界の橋”だか“世界の大河”だかの、風景写真の全紙版のウォールカレンダーを見つけてご機嫌。そんなおっきいの貼る壁面あったっけ。そもそもはプレイングカードを見に来た事なんかすっかり物忘れ・・じゃなく忘却の彼方。

 月河が「タロットカードケースあったかなーと思ったんだけどねー」と無念の弁を述べたら、あー、それなら!と高齢家族その2が、帰宅してからいそいそと出してきたのが、60㌢四方ぐらいのミニ風呂敷。シルク風化繊、江戸紫地に一部、七宝つなぎ柄。

 高齢組曰く「持ち歩いて良し、置いといて良しならコレよ」だって。なるほどね。金属パーツもついてないし、モノを出したら,、畳んで置いとける。

 しかも、広げればクロス代わりに敷いて、控えめにならシャッフルもできる。

 そうだこれだこの手があったー!・・・って、このサイズなら、綿ポリエステル混すべすべ素材のバンダナ、結構既に色々持ってるんですけど、確かに持ち歩き効率ならハコ型よりコレだったなぁ。

 デッキごとの、タテ辺ヨコ辺各数㍉~十数㍉差や、78枚重ねたときの厚みのサイズ違いも、風呂敷ならぶつかることなく吸収できる。

 高齢組なればこそのコロンブスの卵というべきか。・・なんかあっけなさすぎて、「それでもボックスはボックスで欲しい!」って自分に対して言いづらくなっちゃいました。こういうときこそニ択一で占ってみるかな。

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意志の上にも三年 ~物も良いようでカードが立つ~

2025-01-01 00:27:29 | 日記

 今年も残すところあと100数十min. となりまして、いまNHKラジオらじる☆らじるの配信でN響『第九』演奏会を聴きながら、同じパソコンでこのエントリを打ち込んでいるところです。

 先日の、ニチユ―株式会社さん主催『世界のトランプ・タロット展』で非高齢家族が気に入って、かなり衝動買いチックに買ってきたバンクシープレイングカードが思いのほか高齢組にウケがよく、「こんなのがいろいろあるんなら行って見たい」と言い出したので、年明け会期中に、天気と足元と相談で再訪することになりそうです。

 ジョーカーがゴリラ?オランウータン?の顔してるのとか、ほんと、リアルで笑っちゃうし。

 往年のハリウッドスターのポートレートをジャック~キングとジョーカーに使ったやつとか、“高齢者ホイホイ”なデザインいっぱいあったもの。自分もホントはもう一度行きたかったので、行く自体は歓迎。トランプはタロットより少ない全52枚で、フルデッキでもタロットのそれの半額か7掛けぐらいのお値段なのでわりと敷居は低いです。コントラクト・ブリッジサイズのカードでババ抜きやっても“大貧民”やってもいいわけだしね。

 ・・ゴリラのジョーカーがババ抜きで回ってきたら顔に出そうだな。

 ・・それにしても振り返ると、今年はこのブログでも書いた6月の“断崖出版白雪タロット(仮名)裁断ミス事件”から、月河よく立ち直ってタロットカード研究修業に戻れたなぁと我ながら軽く感心します。

 あの脱力感は自分でも衝撃的でした。人生初めての海外版元直予約→直販購入でテンション上がりきっていたのが、届いたら小学生の夏休みの自由研究失敗作か!ってぐらいの、稚拙そのものの不良品ですもの。

 見た目が超絶お粗末だったこと以上に、検品がまったくされないまま(お給料もらってる検品員でなくても、目が開いてさえいればパッと見で不良品とわかります!)透明フィルムで完全包装され海外便用の梱包を施されてきたという、“魂の入ってなさ”がショックでした。こんな人たちが作るモノに、ネットで見てハマってフトコロ痛めようという気になっていたのかと。

 あのままタロットという世界そのものから熱が引いて、手元にすでに入手済み、開梱浄化して試し展開済みのデッキも、関連書籍ともども買い取り業者さん行きにするくらいやるかと思った。・・自分の事に「思った」ってのもヘンですけど、自分で自分のやりそうなことに予想がつく、それほどの醒めきった“心に穴ポッカリ”状態でした。

 しかしねー。その時点で思っていた以上に、タロットというワールドと月河のご縁はしぶとかったんでしょうね。

 石の上にも三年と言いますが、来年、2025年が明けると、口火を切ってからちょうど3年になります。この関を超えたら、10年行くかもしれない。

 月河の“競馬時代”を思い出します。1991年3月、ヤマニンゼファーのデビュー戦目撃から始まった熱も、94年に彼が引退、“ナリタブライアンひとり勝ち”のシーズンが来ると「もう競馬観るのは自分の任じゃないかな」と思って一度引きかかったんですけど、翌95年にゼファーと母の父が同じマヤノトップガンが現れて強烈に給油され、結局、同じ母の父を持つ仔を見つけては追いかけて、テイエムオペラオーの2001年引退できれいに燃やし切りました。10年。正確には10年9か月。このときほど「やりきった」「興味関心一滴残らず注ぎ切った」感覚はありません。

 “3年超えたら10年続く”、月河の本領発揮成るかどうか、来年の日の出とともに真価が問われます。

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