最近(でもないか)終了して淋しくなったTV番組のひとつに,日曜朝のNHK『新・三銃士』再放送があります。別チャンネルのスーパーヒーロータイムを録画回しながら、平日の朝ドラのノリで背中音声視聴するには格好のテンポ感でした。三谷幸喜さんのホンだから台詞がまずおもしろいし、声優さんたちも豪華。ちょっと手を休めて画面を見ると、キャラ人形がまた実に精緻で味がある。三谷さんそっくりキャラ(=貴金属細工師オレイリー)のみならず、ナレーターの爆笑問題田中のそっくりくん(=反乱軍カリスマリーダー・バッソンピエール。むっくり頬っぺの木目がキュート)でやめておかず、同太田のそれ(=反乱軍ヒラ兵士で元はチーズ職人のルミエール)まで出て来たのは、楽しいやりすぎでした。
暮れの最終放送回(12月26日)はラスト3話一挙放送だったので、濃いような、駆け足すぎてもったいなかったような。楽しみが2週分短くなってしまった。
とりあえずミレディーとロシュフォールの体型酷似ツンデレコンビがわかりやすく改心しなくてよかった。水木しげるさん(@『ゲゲゲの女房』)ではありませんが、良い人間が良きことをするだけでは、漫画も人形劇も、世の中もつまらんのですよ。オレイリーさんがバッキンガム公をIt’s aliveしちゃったことより、サルのブランシェと黒猫のケティーがああいう事になっちゃったのはぶっ飛んだね。一応、日曜朝の児童番組なのに…とか言ったら、『仮面ライダー』シリーズなんかもっとキワい話を平気でやってるわけだが。一体、ナニが産まれるのだろうか。
で、気がつけば、これに続く枠だった『週刊こどもニュース』も終了していました。そうか、それで12月26日の枠が空いて、『新・三銃士』の残り3話を詰めたのね。
こちらは1994年4月からの長寿番組でした。土曜の夕方に放送していた頃、まだ池上彰さんがお父さん役だった頃から視聴し始めたような記憶がありますが、とにかく美術さんが毎週、テーマやトピックに合わせてたいへん頑張っていた番組でした。微笑ましくもアナログな、手動模型のかずかずや、子役さんたちの学芸会風コスプレ小芝居など、授業や課外活動指導の参考にと視聴していた、学校の教員さんも多かったのではないでしょうか。
“こども”ニュースというタイトルで、文字通り小学生にもわかるニュース解説をという目標で池上さんみずからが中心になって企画、立ちあげた番組だったにもかかわらず、調査によると50代以上の中高年オトナの視聴者層のほうが厚かったとか。さもありなん。解説としてのわかりやすさ、親切さとは別に、あの体温体温したアナログ感、利発そうで元気いっぱいの子役さんたちがワイワイ擬似家族を演じる雰囲気は、どう考えても子供よりは中高年が喜びそうだものなあ。一定の社会的使命は果たしたと思うので、たたみ時と言えばたたみ時でしょう。
月河がこの番組の特別功労者として敬意と感謝をいちばん贈りたいのは、2003年ぐらいまで“お天気おじさん”役で参加してくれた気象予報士の渡辺博栄さんですね。気象界のかぶりものキング。お日さまや雨ガッパ、コウモリ傘、雪だるまはもちろん、ひまわり、アジサイなどの季節の植物(頭上にジョウロがあったりしたことも)まで、ありとあらゆるコスプレを見せてくれました。渡辺さんのあと、番組内にお天気専任のレギュラー人物が出なくなったのは、温暖化とともに異常気象が日常化してきて、猛暑や台風水害など、お天気絡みで、凄惨なニュースになってしまうケースが増えたからなのか。
はたまた「あんなカブリモノやらされるならオレは、ワタシはごめんだ」と、出演オファーに居留守を使う気象予報士さんが多かったからなのか。渡辺さん自身がたいそう子供好きで「気象予報士になっていなければ保育士か小学校の先生になりたかった」とのお話も小耳にはさんだことがあります。あの番組でああいうコトを担当するには余人をもって代え難い人材でした。いまもお昼の気象情報でお見かけしますが、『こどニュー』への貢献に関しては池上さんと並ぶ存在と言っても過言ではないと思います。
…で、後を受けて“週刊おとなニュース”的趣旨でスタートしたと思しき土曜朝(8:45~)の『ニュース深読み』ですが、紅白歌合戦総合司会経験もある大物キャスター・小野文恵アナをメインに持ってきてかなりの製作意気込みは感じられるものの、まだちょっとキレが悪いですね。先々週の“TPP”は、加入賛成派と反対派の論客がそれぞれの根拠・言い分を開陳し合っておもしろかったけれど、今朝の“タイガーマスクが残したもの”は、結局ナニを解説しようとしているのか最後までもやもやしました。
公的補助金が少なく寄付頼みの児童養護施設の苦境実態を訴えたいのか、税収減収と財政難がもたらす政策の福祉切り捨てや至らなさに、市井の善意の人々が苛立ち行動を起こしたということを賛美したいのか、その前に、キリスト教社会の欧米に比べて、日本には市民の寄付文化が根づいていないと嘆きたいのか、はたまた、「一過性のブームにせず、共助善意の輪を定着させましょう、ね」とアピールしたいのか。論客、事情通的な人は3人ぐらい出てきて、それなりの発言はしていましたが、終始論点がぼやけたままでした。
なぜぼやけたか。番組への視聴者意見にもあった通り、「いままでも、報道されない善意の地道な寄付を継続する人はちゃんといたのに、“タイガーマスク”“クリスマス~お年玉期”“ランドセル”というわかりやすい、TV的に絵になるキイワードが揃った途端、一気に報道ラッシュになった」という昨今の状況に、この番組を作っているNHK自身が、忸怩たる思いを持っているからだと思います。
しかも、コトが善意、子供の笑顔に直結する、基本的には全肯定するしかない話題だけに「賛成反対」の図式になりようがなく、「ツッコみどころ探し」も無理だから、余計、番組が盛り上がらない。
これは深読みならぬ、いささかヒネ読みになりますが、財源不足と福祉切り捨てへの批判に悩み、さりとて皆が喜ぶ打開策なんか考え出す能力も気概もないザ・無策政府が、「こうなったら世論操作しかない」とばかり、おそらくは総務省辺りを尖兵に、各報道機関に「匿名寄付を大々的に、肯定的に採り上げよ」「それも、絵ヅラの美しくない老人や障害者ではなく、喜ぶ子供のかわいい笑顔の映像つきで」との密命を、ニュース枯れになる年末を狙って発したのではないでしょうかね。NHKも「ウチも次期会長で揉めたし、言うこと聞いとくか」と不承不承乗ったと。
とりあえず、きっかけとなった“最初の伊達直人”さんが、その筋の仕掛け人ではなく、本物の、実在のピュアな市井善意の人だったら、タイガーマスク“現象”とかタイガーマスク“運動”などとマスコミに勝手に命名されて、「ホラあとに続け、ホラ続いた、こんなに続いた」みたいに持ち上げられることには複雑な思いでいると思います。善意というのは、常に“目立たないこと”“陰でそっと見守ること”を願うものですから。