イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

月と狸

2009-08-29 21:27:16 | 昼ドラマ

『夏の秘密』最終話でいきなり護(谷田歩さん)が介護福祉士志願に転じていたのは、直接的には自分の身代わりに刺された加賀医師(五代高之さん)の退院後のお世話しているうちに、眠っていたホスピタリティ適性が目覚めたんでしょうな。納豆入り卵焼き。どうもこの町の人たちは、伊織(瀬川亮さん)を筆頭に、納豆に格別の思い入れがあるようで。田舎ではない、さらに西日本でもない、東京の下町の朝には、確かに納豆がよく似合います。

護のような絵に描いたようなコワモテ、好ガタイで、外見的にはもっと荒っぽい職業のほうが合ってそうな屈強男性が、笑顔や親切身上のサービス業やってると、逆に信頼性が高まるかもしれませんね。劇中世界としては、一攫千金の儲け話に釣られる虚しさ、アブク銭をかさに着て偉くなったつもりになる愚かさに気がつき、同時に姉と偽って自分を育て庇って来てくれた母・蔦子(姿晴香さん)の思いに報いたいと遅ればせながら考えるようになった護を“目標を持って学問している”姿で締めくくりたかったのでしょうね。

ドラマ公式サイトの金谷祐子さんのインタヴューでいろいろ興味深い話題が読めます。今作はセレブの匂いのする環境ではなく、あえて下町を舞台にするところから作品を作りはじめたというのがまず面白かったですね。かつて妾宅であった戦後浅い頃からの古アパート“夕顔荘”を中心に立ち上がった、“下町”という名のミクロコスモス。これがドラマの大きな魅力のひとつになりました。

劇中、下町を襲う経済不況や自営業の後継者難、再開発や地上げの話題も出ましたが、一応リアル世界の時事に即しているようで、そこはかとなくファンタジックで浮き世離れした、自己完結なお伽の国として成立していました。言い換えればフィクションとして純度がきわめて高かった。借金苦で家庭崩壊自殺未遂、就職難引きこもり、出資金詐欺商法、違法金利の街金などタイムリーに心ささくれるモチーフも盛り込まれていたけれど、“身につまされて、観てると落ち込む”と思った観客はいないはずです。

終盤、裏に羽村社長(篠田三郎さん)が糸を引いているとも知らず地上げの手先となる雄介(橋爪遼さん)は、一応“不動産屋の若社長として形に残る大きな仕事をしてフキ(小橋めぐみさん)の心を捉え伊織から奪いたい”という動機があっての暗躍なのですが、なんだか“悪い魔法使いの魔法で催眠術かけられてた”みたいでした。

現実世界と隣接しているようで、実はファンタジー世界として独立しているという絶妙な舞台装置には、限られた予算と時間の範囲内で細部に工夫を凝らした美術スタッフさんの頑張りも貢献しているし、ほぼ毎話、下町シーンへの“入り”に、運河の水路や河川敷の遊歩道、橋といった“廊下風景”“流水”遠景を配置した撮影編集のセンスもあずかって力大。あの水路の絵は、毎回ほとんど“ここを越えればファンタジー世界に入る、境界線のお濠”のような役割を果たしていたと思います。

登場するたびに天使のような笑顔と、妖精のような独特の透明感ある台詞発話(←“棒読み”なんて言うヤツは石になれ)を披露してくれた紅夏ちゃん(名波海紅さん)の存在も、ファンタジー世界へのこの上ない水先案内人となってくれた。0507年の“背徳三部作”で主舞台をなした富豪豪邸やセレブ隠れ家リゾートなどの密室的小宇宙感とはちょっと違う、複数の人々の生活や家庭を抱く“町”“国”としての虚構を立ち上がらせ、最終話まで呼吸させた、これはこのドラマに力があったからこそ。

何より、事件の被害者であり第一当事者である“吉川みのり”という女性の容姿を、叙述上一度も正面顔で画面に登場させなかったのみならず、誰も彼もがカメラつき携帯持って、何を見た誰と会ったとかしゃかしゃ撮りまくっている時代に、「みのりさんって、どんな人だったの、顔のわかる写真はある?」という言葉、疑問を、紀保(山田麻衣子さん)からも誰からも発せしめず、「これがみのりの、いついつ頃どこで撮った写真だよ」と伊織に言わせることもなく、遺影どころか近影スナップの一葉も部屋にもアルバムにも掲示しておかなかった。

あたかも“それはもうわかっていることだから、コッチにおいといて”という文脈で貫き通した。

これ一つで、ものすごい強力なファンタジー、スーパーリアル感です。

殺害と思われる事件、それもエリート弁護士が容疑者ということで週刊誌ダネにもなった事件の、若い独身女性被害者です。伊織からも(←兄妹発覚前まで)柏木(坂田俊さん)からも、異性として慕われ、フキからは「伊織さんの心はあのひとのもの」と嫉妬され、しかも加賀医師の証言では「顔を変えることに執着して、まずチャームポイントの泣きボクロを取った」というみのり。第2部からは「奪われた自分の人生を取り戻すべく、羽村令嬢たる紀保にならんと、服装や髪型、持ち物や行きつけの店、食べ物の好みまで調べ上げ真似ようとしていた」というみのり。“どんな外見の娘だったのか”に、まともな知性のある人間なら関心を掻きたてられて当然の契機がテンコ盛りなのに、少なくとも紀保が「みのりさんってもともとどんな容姿で、私になろうと努力してどう変わったのかしら」と知りたがらず、伊織や近隣住民や、検死したであろう警察に「みのりさんの顔かたちがわかる写真はない?」と訊き回らないのは“ファンタジー世界だから”以外の何ものでもありません。

以前にもここで書いたかもしれませんが、フィクションにおいて読者観客を虚構に乗せる、うまいウソのつき方にはふたつあって、ひとつは“ちょっと違うような気もするけど、まあアリか”という程度の些細な、砂粒石っころくらいの小っさいウソを丹念に積み重ねて行って、気かつけばゴシック教会建築の如き精緻なウソの構造に隙間なく取り囲まれている…という方法。

もうひとつは、「絶対あり得ねえーー!」と圧倒させる、岩のカタマリの様などでかいウソで出会いがしら頬っぺた一発二発往復ビンタ食らわして、草むらに押し倒しガツン昏倒させてしまい、正気を取り戻したらすっかりウソに洗脳されていてビンタも押し倒しも記憶がなく、絶対あり得ねえと思ったことすら忘却の彼方…というやり方。

両手法の併用がいちばん強力ですが、今作『夏の秘密』は、“最大当事者のルックスに誰も好奇心を持たず追及せず、提示せしめない”という、さり気なく大いなるウソを通奏低音のように、息継ぎなしにつき続けて、結果的に“静かにファンタジック”なミクロコスモスを成立させ切った。

登場人物でもう1人、井口不動産の現社長=雄介父にして和美(山口美也子さん)夫、彼女曰く「うちのタヌキ」を最終話までついに画面に登場させなかったのも、みのりの外見を伏せ通すという形でのファンタジーを“下支え”する策だったかも。

昨日の記事に書いた様に、謎解きゆえに相愛のヒロインカップルの仲が逆風に翻弄されるストーリーならば、65話にわたって“(或る時点まで)叙述マスキングした回想内で謎解きが完結する”のではない物語が見たかったという思いは、最終話再生から24時間を経過したいまも強いですが、その物語、及び物語の主語となる人物たちを丹念に彫琢し動かし、接点を持たせ情動を起こさせるという姿勢において、ここまでやりきったドラマはやはり稀有。

目を惹く派手な場面や、ユニークな台詞、突拍子もない人物単体をご披露してウケて事足れりではなく、物語を“考えてこしらえ切る”ぞ!というハラが据わっているんですね。

改めて自分はこの枠の昼帯の、このスタッフの作品が好きなんだなあと実感を新たにしました。

次作までまた一年。なんだか、七夕の織姫彦星の逢引のようだなあ。

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こうすれば落ちない

2009-08-28 17:43:02 | 夜ドラマ

『夏の秘密』65話にして最終話。

全体としてはよくまとまっていたし大きな破綻もなかったと思いますが、ここで複数回書いたように、ヒロインカップルが必死に解明せんとする“謎”が、すべてドラマ開始以前の時制の、どうにでもマスキングorミスリード叙述し得る回想部分に終始していたこと、しかも謎のうちヒロインと相手役が結ばれる心理的障害となる部分が、ほぼすべて“親同士の被害加害因縁”に尽きていたことで10円“安”となってしまった。

これだけは何度繰り返し強調しても、斯くも考え抜かれ丁寧に構成された作品に対してならば、失礼にはならないはずです。

今作、全65話を書き切った脚本の金谷祐子さんは、07年の同枠『金色の翼』公式インタヴューで、「3ヶ月放送の昼帯ドラマだと、話数が多く長いので、とかく“母子2代の物語”のようにしたくなりがちだけれど、あえて“ひと夏の物語”にしたいと思った」と語っておられます。今作は現在時制だけで“事件の夏”“再帰と解明の夏”“その後の夏”と都合3夏にわたりましたが、それは氷山の一角で、“すでに終わっている、親世代の青春時代”を取り込むことで、結局まんまと“親子2代の物語”にしてしまった。

しかもその、謎の核心たる親世代部分の物語については、ほとんど紀保(山田麻衣子さん)父=羽村高広社長(篠田三郎さん)の過去語り一本かぶり。足りない部分は、精神が壊れていたはずの伊織(瀬川亮さん)母みずえ(岡まゆみさん)がいきなり正気に戻って、筋道・時系列整った回想を繰り広げて補完してしまいました。

これは、3ヶ月1565話をもたせる方法論として、敢えて言いますが、狡猾と思います。

 改めて、長尺多話数連続ドラマにおける“謎引っ張り”手法の難しさを感じずにはおられません。伊織(瀬川亮さん)・みのりが恋人同士ではなく生別兄妹だったこと、みのり死の直前、加賀医師(五代高之さん)の居合わせたときかかってきた電話の相手先女性名が“さとみ”(=羽村高広社長の婿入り前の旧姓・里見)であること、この2大引っ張り謎が、今作あまりにあっさり見当がつき過ぎだったため、「実はこうだったんだ」との解明段階で「うあああーっ、それがあったか!」というサプライズ、カタルシスが少な過ぎた。

これが1時間枠1話完結の『相棒』や『9係』『おみやさん』ぐらいの叙述テンポ、解決スパンで提示された謎だったら、「えーっ、どういうことだろう?」「チョット待って、これこれの線もありじゃない?」→(CM挟んで)「うっわー、やっぱりそれだったか!」と、視聴者的にも謎提示→あれこれ推理→虚をつかれる解明の意外さ、とリズムがちょうどよくなるんですけどね。

1時間枠の中盤部分をギリもたせられる程度の単純な謎を、複数話、複数週引っ張ったために、ストーリー全体が間延びし緊張感を欠いてしまった。

生まれ育ちの違い以外は法的にも倫理的にも、外から課される禁忌はない紀保と伊織の相愛において、“あの人と結ばれてはならない”“好きになってはいけない”と拘束する要因は、“自分の親が相手の親を殺し(殺され)、精神を破壊し(され)、産まれた子を育てられなくし(され)た”という心理的罪悪感、自己規制のみ。2人とも早い段階で自分が相手を愛し大切に思っていることを相互に自覚して、ドラマ叙述表現上もわかりまくり、それでも一線を自主的に封印していただけなので、05年『危険な関係』に始まる背徳3部作のような“憎しみと敵対もしくは打算の衣の下、深く押し隠した思慕”といったアンビヴァレントな胸迫る緊張感も薄かった。

いま少し、“謎・真相究明のために同士を結んだが、真相が明らかになればなるほど、2人の距離が離れざるを得なくなって行く”構図が、複数週にわたってきっちり立っていたら、締まった恋物語になっていたのではないでしょうか。

……しかし、これらの残念な点を差し引いてもなおお釣りの来る魅力も数々ある帯ドラマではありました。何より、ヒロイン紀保役に、アラサー美人さん系から山田麻衣子さんを発掘起用したことはクリーン中のクリーンヒットだったと思います。昔“根暗”“根アカ”という言葉がありましたが、山田さんは“根アカ”と言うより“根華(はな)”なんですね。どんなに落ち込んだ場面、悩みに浸された場面でも“根に華”がある。劇中、「この状況なら、もうチョット見せる表情のバリエーションはないものか?」とじれったく思ったことも一度二度ではないにもかかわらず、「心のうちをわかりやすく顔に出すというのは慎みがない、そう育てられたセレブお姫さまなんだな、微笑ましい」と思わせてしまう力がありました。

何だかんだ言っても、思えば、“自分が現在直面している謎、疑問点、打開せねばならない局面”に真剣に立ち向かい、掘り下げれば掘り下げるほど“自分の出生以前に親たちがやらかしてしまった不始末、不首尾、罪科”に突き当たるというのは人生の普遍かもしれない。紀保も山田麻衣子さんもよくやった、よく戦った。

最終話、脇の諸君諸姉の後日もよく拾ってくれたと思います。個人的に何より感動ものだったのは、蔦子さん(姿晴香さん)との出生の秘密を胸に秘めたまま、いつか来る実母とその夫(=加賀医師?)との日々のために?介護福祉士の資格取得に励む護(谷田歩さん)。

この下町から、堅気でやり直す決心した護が、酒好きにふさわしい居酒屋でも、鱶鰭スープの中華飯店でもなく介護士。コレ、『任侠ヘルパー』とのコラボと見ずして何と深読みしようぞ。タイヨウに就職して、背格好容貌そっくりの二本橋(宇梶剛士さん)に「あなたも研修ですか」→(つかつかと耳元で)「…雉牟田興業から?」とささやかれる姿が目に浮かぶじゃないですか。“隼”會の“鷹”山(松平健さん)の傘下に、“雉”牟田(四方堂亘さん)がいてもおかしくない。護は雉牟田に借金のある身です。

「ちっ違げーよ!オレはおふくろ…いや姉さんが店閉めたとき役に立てればと思って…」…顔を見合せる彦一りこ五郎三樹矢、ソッポ向く六車、「いやね、皆さん力を合わせてね、現場を知ってください、お願いしますよ」と所長(大杉漣さん)…という図が速攻思い浮かびます。

雉牟田興業と言えば、加賀医師のおかげで「オレ死にたくねーよぉ」から一命を取りとめたらしい、GLAYTERU似の犬山(井澤正人さん)も、元親分の雉牟田に背中蹴っ飛ばされてフキ(小橋めぐみさん)&雄介(橋爪遼さん)の町内会披露宴に角樽届けに来てましたな。『任ヘル』7話で初美(西田尚美さん)に気持ちありそげだった同級生滝本(小市慢太郎さん)の酒屋で働いてたりして。あちらは千葉だったからちょっと無理あるか。

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稟務議

2009-08-27 20:55:32 | 

先日、ビン缶ペットボトル収集の日にゴミステーションに行ったら、見慣れない缶を大量に発見。

SUNTORYジョッキ生に似てないこともないブルー基調のデザインで“こだわり 凛麦 生”。メインロゴの上のほうに、KODAWARI RINMUGI NAMA とあるので、読んで字のごとしのようです。

“リンムギ”と音だけ聞くと何やらお役所用語のようですが、どう見ても冷やし泡モノ。さては新製品か!と、夜半のゴミステーションでよそのお宅が分別して袋詰めした空き缶を街灯の明りにすかし、ためつすがめつの不審人物と化する月河。

職務質問受ける前にどうにか、リキュール類の新ジャンルで、原産国:韓国の舶来品で、輸入者:アクサスというところまで読みました。

 帰宅してネットで調べると、AXASは徳島を本拠にした流通グループで、凛麦は韓国メーカーと独自に共同開発したラベルのようです。特に日本の大どころ泡モノメーカーが提携している形跡はないですね。

 ラベル名で検索したら、酒類通販サイト群で普通に大量に取り扱われていますよ。送料込みでも350ml缶で単価90円程度、送料抜きなら80円を切ります。ややっ安い。本当にお酒だろうか。工業用アルコールの炭酸割りではあるまいね。“リキュール類”の分類、日本の酒税法に基づいているのだろうからまさかウソはないでしょうが。

 映画で見たんだったか伯父とかから聞いたんだったか、終戦後間もなくの焼け跡ガード下で、「メチル飲んで目がつぶれた」なんて話が一瞬脳裏をよぎります。

先日某大手スーパーで“泡麦”88円也を見かけたばかりですが、新ジャンル低価格戦略に“韓国”を抱き込むという手法、流行りなのかしら。かつてはワンコインでひと缶買えるのが売りだった第三のビールも価格改定のたびに割安感が薄くなっていますからね。いかにして100円以内で市場に出すかを考えたときの、目のつけどころとしては悪くないと思います“韓国”。

 問題はお味なわけですが、徳島発のPBでは遠く北国の当地で販売店を見つけるのは難しそう。ゴミステーションに空き缶出したいずこかのご近所さんはネットでお買い上げだったのだろうか。あの缶数から見てお一人様ではなく複数人数で、かなり大量にお飲みになったと思われます。旨かったから進んだのかしら。

もちろん“安いから”の援護射撃も強力だったのでしょうな。ネット上のいくつかのレヴューでは、さっぱりしてそこそこ美味しい、との声が目立ちます。

でもこればっかりは自分の舌とノド、あと肝臓で試してみないとね。さなきだにここ数年、月河の好みと市場のサバイバル実態とは乖離して行く一方で、“気に入った順に出荷終了”の傾向。凛麦、ディスカウント系のストアなら1缶からお試し買いできるかな。

一方、夏の終わりとともに秋季限定モノもちらほら顔を見せはじめました。今週は25日にSUNTORY発泡酒“旨味たっぷり秋生”26日にKIRINビール“秋味”と恒例の限定ラベルが出揃い、今日、いそいそとコンビニに寄ってみたのですが、“秋味”は入ってたけど“秋生”は未入荷でした。うーん。SUNTORYの泡モノはなかなか小さい店までは出回りませんね。

秋生が“大麦使用量1.4倍”を謳えば、秋味は“麦芽たっぷり1.3本分”と、いずれ劣らぬ、贅沢と思うべきか微妙にケチくさいと思うべきか、よくわからん数字アピール。どちらかと言うと一日だけ先んじてリリースされたSUNTORY秋生のほうにより挑戦マインドが感じられ、秋味より先に試してみたかったんですが、次回大型店に買い出しに行ったとき探すとしますか。

しかし北国の“秋”は短いですからね。あっという間に、今度は冬季限定ラベルの季節が来てしまいそう。

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選挙が占拠

2009-08-26 23:47:35 | CM

総選挙の告示後、投票日まであと1週の先週末辺りから、一気に選挙関係のTVCMが増えたような気がします。まずは恒例「投票日は○月○日、必ず投票に行きましょうね」の、棄権減らし投票率アップキャンペーン。

当地では、地元出身の、チームNACS俳優兼脚本演出家の森崎博之さんと、ヘキサゴンおバカキャラでおなじみハロー!プロジェクトの里田まいさんが、モリあがってマイりました。」と、脱力し過ぎて投票所まで歩けなくなりそうなキャッチコピーを笑顔で連呼しています。

老若男女、富める者も貧しき者も、それぞれの立場で考えられるだけ考えて、考えたなりに投票するなら普通選挙の本義にかなっているけれど、「TVで有名人が何度も言ってるからとにかく行って誰かかれか書いて入れよう」みたいな適当な人が大勢で投票率を押し上げたって、国がいい方向に向かうのかなぁ?と思わないでもない。「選挙の洗礼を受けない総理大臣交代なんて国民の意思を置き去りにして怪しからん」云々の論調が3年も4年も続いていて、それでさぁ待望の解散総選挙、民意を国政に反映させるチャンス!となった段で投票率が低調のまんまだったとしたら、それはそれで国民のひとつの意思表示とみてもいいと思う。

もうひと路線、露骨に目立ってきたのはもちろん各政党、与党野党のCMですね。TVだけではなく、このブログを書くために先日も某行きつけのエンタメ媒体サイトを開けたら、いきなりトップの上のほうに「日本を考える夏にしてください。自民党」という帯広告があって鼻白みました。特に政治色の媒体ではないんですけどね。

しかし、TVで、党首・党代表が顔出し声出しでアピールするタイプのCMとなると、歴然とセンスが悪くてかつ流れる頻度が過剰だと、“逆宣伝・逆効果”のリスクのほうが圧倒的に高いということ、当事者の皆さん本当に気がついているのでしょうかね。

少なくとも麻生太郎さんが、濁声で、スマイルなのか自虐なのか軽侮なのかはなはだ判然としない角度のついたおクチで、額に妙なシワ寄せて駄目押しのようにバストアップになるたび、「いま何十票」「また何十票」と票の減って行く“音”が聞こえるような気がするのですが。

がしかし、こなた鳩山由紀夫さんも、ツヤツヤ栄養の行き届いたお顔に宇宙人目玉、中途半端なおばさんウェーブヘアでじんわり汗ばみながら声を張り上げていると、スーパー夏向きでないヴィジュアルなので、「政権交代と聞こえはフレッシュだけど、成ったらアレか、アノ顔が総理か」と、上がった気勢に濡れ毛布をかぶせるような案配になって、差し引き結局マスコミが言ってるほど圧勝にも惨敗にもならないような気もします。

「期日前投票が前回総選挙の同時点の1.5倍」なんて報道も、「モリあがってマイりました」と同根の宣伝に感じられて、ちょっとイヤらしい。月河はできる限り「二世三世候補には入れない」「中央官僚や自治体公務員、公立学校教員や公的労組など、税金で食ってる仕事以外の職業でしっかり社会経験のある候補を選ぶ」「なるべく年齢の若い候補を選ぶ」ぐらいを基準にここのところ投票行動していますが、新型インフルエンザによる休校学級閉鎖の報があっちからもこっちからも飛び込んでくる状況で、学校の体育館の投票所は気が進みません。高齢家族は「60歳以上は免疫があるらしい」なんてほざいていますが、一緒にしないでほしいのだ。

いよいよとなったら“世間の良識に俟つ”という選択もあっていいと思いますが。あと4日。

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ここがおうちだよ

2009-08-25 21:49:37 | 夜ドラマ

『任侠ヘルパー』7話で感心したのは、“ありがちなシングル介護の悲劇”という茫漠たるお話にせず、介護される母と介護する独身ひとり娘の、それぞれに個性的な人物像をしっかり描写して、“こういう母でこういう子だから、こういう状況が出来し、こういう心理が掻き立てられた”という、“特殊性”をきちんと立ててドラマにしてあったところです。

「特殊をもって、普遍に迫る」…これこそフィクションの醍醐味。介護が誰にも遍く関わり得るモチーフだからこそ、“介護に追われて結婚も恋愛もできない”“付き合いが悪いため友人も離れる”“職場を頻繁に脱け出さざるを得ず常に解雇の不安”“低収入を補うため介護プラス深夜の内職で慢性睡眠不足”“疲労のピークでぶちキレ無理心中刃傷沙汰”など、誰でも思いつく最大公約数モチーフだけつないで描いたのでは何の感興も呼ばなかったはず。

今話の要介護高齢者・孝江(江波杏子さん)は中学教員を勤め上げ女性校長にまでなった経歴の持ち主。ひとり娘の初美(西田尚美さん)は母が教鞭をとっていた中学の卒業生で、同級生は皆、母を「孝江先生」と呼ぶ教え子たち。これだけで特殊すぎるほど特殊な母娘です。学校に行っても家に帰っても“先生”がいるという環境で、初美は成長してきたのです。

同窓会での女友達たちとの、なんとなく一抹よそよそしくお客さん扱いな再会シーンを見るにつけても「先生の娘」という特殊な視線が“気のおけない、バカ話もでき醜態もさらせ、校則抵触の共犯にもなれる親友”を作る妨げとなった、潜在的に居場所の狭い初美の青春時代をうかがわせる。。

最初に宅訪した晴菜(仲里依紗さん)と彦一(草彅剛さん)への、孝江の偏屈で拒否的な態度には、白内障や下半身麻痺など加齢障害で身体が言うことをきかなくなった老人特有の苛立ちや短気とともに、“要求水準に達しない者や仕事に駄目を出す”という姿勢でしか何十年も社会と関わってこられなかった、古いタイプの教師気質が根底にあります。

こういう母親のもとで成人した初美は、結果として“自分はお母さんの期待にじゅうぶんこたえられない、褒めて誇りに思ってもらえないダメな子”という刷り込みを潜在的に受け通して大人になってしまいました。母が嫌い自分も気が進まない宅訪ヘルパーを依頼してまで同窓会に駆けつけるのも、さして懐かしくも親しくもない級友たちと、是非とも旧交を温めたいわけではなく、恩師でもある孝江から、身体障害で出席できない自分に代わってスピーチを「してくるように」と指示“された”から。

体調を口実にしても足腰と視力以外は正常な孝江なら車椅子でスピーチぐらいできそうなものなのに、「慕われていた」らしい孝江は、要介護となった姿を生徒たちに見られたくないから、初美に命じて行かせるわけです。

“弱った姿を他人に見られては恥と思うがゆえに、家族以外寄せ付けず依存する”という家族介護の、これは普遍的過ぎるくらい普遍的な一側面です。

“幼少青年期に親に苦労をかけ、期待にこたえられなかった自分だから、親が老いたら自分の幸福を犠牲にして面倒を見る義務がある”“他の誰にも任せられない”という、後ろ向きに背負った考え方も、実親シングル介護のこれまた普遍的な暗部。

元教師の母親と、優等生になれなかったひとり娘という非常に特殊な母娘像を取っかかりにしたからこそ、介護をめぐる普遍的な人間模様にまでお話の読解余地を広げ得た。

介護問題のうわっつらを掬っただけの凡庸作なら、初美がついに逆上して孝江に向けた庖丁を、駆けつけた彦一がみずから流血しながら押さえた場面をクライマックスにし、孝江が初美の溜めていた疲労とストレスを知って、反省して母娘抱き合って終了…にしていたでしょう。ところがこのドラマは、“その後”を丹念に、しかしあくまでも好テンポで追尾します。

周囲の不安を押し切って彦一は孝江をタイヨウにショートステイさせます。視力がない上、娘と自宅から離れたことのない初美は当然猛反発。給食も拒否して個室に閉じこもりますが、夏休みでタイヨウの手伝いに来ていた涼太(いまや天下の加藤清史郎さん)に接するうち、徐々に心を開きはじめます。教師歴の長い孝江は、“先生と(従順で利発な)生徒”との関係を実感できると、落ち着きを取り戻すのです。ここらへんのパーソナリティの描き方も見事。

折りしも母・晶(夏川結衣さん)がマスコミに叩かれ、“自分の母親(←涼太にはお祖母ちゃん)を捨てた”報道に心をいためていた涼太、「孝江センセイは、自分の子のことが嫌い?」「ダメな子だから?」と問いかけます。

自分がいかに、点数や優劣抜きに娘を愛していたか、それゆえに甘えて依存していたかを遅ればせながら自覚しはじめた孝江に、彦一が「あんた立派な先生だよな、あんなに親の面倒を一生懸命見る生徒に育てたんだからよ」「だけどそろそろ卒業させてやってもいいんじゃねぇのか」と呟くように諭します。幼時に母親が出奔し、甘えられなかった(第5話参照)彦一は本能的に、孝江の中で初美が“娘”と“生徒”の二重像になっていること、そのために母娘ともに、親子でいることが窮屈になっていることを見抜いた。

やがて「…まずい」とブーたれながらも、晴菜の補助で給食を口にするようになった孝江を、りこ(黒木メイサさん)とともに彦一は見守ります。

一方、自宅では久々にひとりの時間を得た初美。就職情報誌で仕事を探しますが、自宅介護に半身縛られる前提ではなかなか面接にまでも漕ぎつきません。同窓会で再会し唯一親身に心配してくれたバツイチ男の同級生が、自宅からの携帯で中座したレストランデートの後の状況を案じて立ち寄ってくれますが、「お母さんを他人に預けて、ふらふらしてられないから」と玄関払い。バイクの前カゴのロゴから見て酒屋の若旦那らしい同級生は、「たまにはふらふらしてもいいんじゃないかな、また来るよ」と言い置いて、深追いせず辞去してくれました。

こちらも徐々にながら、実母の介護は償いでも罰則でもないこと、ときには制度や他人の手を借り、母自身を説得してでも自分の時間を作り、母のためではない自分のための人生を送ることをためらわなくていいのだと実感しはじめたようです。

いつでも自宅で無理心中できるようにと押入れに隠し持っていた練炭と睡眠薬を夜半ゴミステーションに運び、遠い音に振り向くと電線越しの夜空に花火大会。辛くても面倒くさくても、優等生でもできる子でもなくていい。できない子でも生きていこう、時に戦って乗り越え、時にはふらふらしながらやり過ごして、とにかく生きていようとじんわり決心した矢先の初美です。あの練炭で死んでいたら、あの花火は見られなかった。ここにいて一緒に見たら喜ぶだろうなと思う、母親も自分が手にかけていたかもしれなかった。でも生きている、母さんも生きている。涙がこみ上げます。

長い台詞の応酬でも、派手な立ち回りでもない、ありふれた人間の心が、ひととき“ありふれ”を抜け出て聖なる瞬間を垣間見た、そんなひとこまを描く。こういう場面のためにドラマというものは存在するのだと思います。音楽も素晴らしかった。

そして劇中の一夜明けて、さらにスマートなことに、ショートステイを経て互いに内心ひと皮剥けたはずの孝江と初美が、自宅引き取りで再会する場面を、このドラマはあえて画面に出さないんですね。

彦一の後から刃物現場にかけつけて事情を知っている晴菜は「お嬢さんどんな様子でした?大丈夫でしょうかね」と気遣わしげですが、所長(大杉漣さん)は「大変なことにはかわりないだろうけど、(訪問介護の申し込みが来てるから)これからはウチがお手伝いできるからね」。孝江の申し込みは「翼くん指名」でした。

“合格点かそうでないか”を基準に、“ダメなものにはダメ出し”を信条に生きてきた孝江先生が、社会通念上の介護職としては合格点であるわけがない彦一を“言葉遣いは荒いけど、いいヘルパーさん”と受け容れるまでに度量を広げたのです。

でも、内なるその変化によって起きたであろう、目に見え台詞になる言動の変化はベタに映像にせず、もっと見たいなと思わせて打ち止めにし、想像させるだけ。この辺りの叙述の節度がとても好ましい。

ちょっと心配な点を、無理やり探すとすれば、彦一がここんとこちょっと、“人をはばかる任侠ゆえの(結果的に好ましき)はみ出し”の域を超えて“介護ヒーロー”化し過ぎでしょうかね。押入れの練炭と睡眠薬、同じ時刻に2台も3台もセットされている目覚まし時計、行き当たりばったりに触ったところから、エスパー並みに速攻きわどい潜在事象を洞察するし、職業的ホスピタリティとは対極の不器用な、任侠らしいと言えば言える荒っぽいやり方で本質を衝く行動も言葉もいちいちピンポイントのジャストミート。

ショートステイの個室に案内されるや、「私イヤよ、こんなところイヤ、家に帰して~」と哀れっぽい声で娘の名を呼ぶ孝江に、思わず駆け寄りそうになる初美を“いまはダメだ、鬼になって放っとけ”“オレたちが悪いようにしないから”とばかり腕を掴んで無言で制するあたり、コイツどこまで酸いも甘いも噛み分けてるんだ?と舌を巻くくらいの人情通じゃありませんか。

目の見えない孝江に初美の庖丁沙汰を気取らせまいと、声を呑んだまま裸の掌で刃を握りしめ食い止める場面なんざあ、人命を救うためなら敢然と自身を犠牲にする、正義のヒーローそのもの。後から追いついたりこに「痛ぇぞ」と包帯を巻いてもらったあと、いまにも「通りすがりの任侠ヘルパーだ!覚えておけ」と言いそうでした。

孝江から指名されたことを所長から聞かされた後なのかまだなのか、エンドロールとともに涼太に「アニキ!早く」と食堂に手を引かれて行ったら、なんと自分の誕生日パーティー。日頃、彦一の手荒でぶっきらぼうな仕事ぶりがお年寄りに好感を持たれているとは思えませんが、彦一に手を焼きながらもリスペクトな晴菜ちゃんがうまいことアナウンスして興味持たせてくれたのかな。

「つばさくん誕生日おめでと~!」の大合唱に「ハァ?」と戸惑う顔、本当に人に構われるのが嫌いなのか、実は嬉しいんだけど照れて無理やり無愛想を装ってるのか、どちらともとれるちらつかせ方が鉄仮面顔の草彅さん、うまいですよ。ゲストキャラのその後を想像させ、レギュラーたちの今後と結末を気にかけさせる。大枠を1話完結に作りつつの引きの強度、心憎いばかりです。

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