イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

最後に「汗」

2008-11-29 20:55:12 | お笑い

ナニ科であれ、高齢家族絡みでなく、自分の用事オンリーで総合病院を受診するのは久しぶりなので、ちょっとドキドキしながら(昨日の記事に書いたような事情で)整形外科に立ち寄ったのですが、時代は変わる。

大きな病院だとX線写真も、いまやあのセルロイド下敷きの薄めのヤツみたいな現物をビロビロ持ち運んで、でっかい茶封筒に入れて取り出して診察デスクの横の、壁型のホワイトライトにビロンと貼るなんてことしないんですね。ちゃんと院内オンラインでPCディスプレイに呼び出して、問題のあるカット、患部の箇所だけ拡大して見せてくれる。

最近はこの病院、各科とも主任部長・ヒラ部長さんクラスだとまださすがに文句なく月河よりご年配ですが、副医長さんぐらいだとタメか?やや若いか?出世早いのかコイツ?みたいな微妙な力関係になる。今回も外来前に掲げられた医師名プレートの並び順からすると、若干デリケートなランクの先生に当たりましたが、診察室で一見したところかなり年齢不詳。

あんまり具体的に描写すると個人情報に抵触しそうなんだけど、あのね、なんかね、俳優の阿藤快さんと、元横綱で元九重親方の北の富士勝昭さんを足して2、じゃなく1.7ぐらいで割った感じ。

…………当然、割り切れない。そして、やや怖め寄り。声もそんな感じで、冗談混じりにさばさばと一問一答喋ってくれる雰囲気ではない。

そういう風貌で、なおかつコッチと「タメか?プラマイ2学年ぐらいか?」な先生が、PCマウスでX線写真のカット替えや、拡大したり元に戻したりクリックするたびにクチで、肉声で小さく「…ピッ」て言うんですよ。

想像ですけど、ワンクリックで任意の検査画像をデスクトップに呼び出せるというシステムに、ベテランの部長さんクラスの先生だけでなく、月河とタメレベルの先生でもまだ慣れてない人がいるんでしょうね。セルロイドっぽいナマ写真出してビロンと貼るアナログな手ごたえに比べて、ワンクリックじゃクチ三味線の擬音で景気つけないと心もとない。

「…痛み止めの内服薬と、外用の塗り薬を出しとこうか」で、薬処方画面にする。「…ピッ」

5日分、いや、一週間分出すか」日数、数量入れる。「…ピッ」

最近未チェックだけど『ケータイ大喜利』“「診られたくない!」アホアホ病院、何をした?”ってお題が出たら、ドンズバ答えになりそう。

まさか、手術でメス入れるときも「グサッ、スリスリスリスリ」、縫合するときも「チクッ、チク、チク、チクチクチク、シュパッ、クルン、プチッ」なんて言ってはいないと思いますが。

27日放送(2440~)の『爆笑オンエアバトル』、オンエア5組は大声大会みたいでしたな。

3回目の挑戦で初オンエア、見事509kb1位のマシンガンズは、昭和からの“ぼやき漫才”の流れを汲みつつ、ツッコミもなだめる姿勢がまったくないぶちキレ漫才。ユニゾンツッコミはハリガネロックがよくやっていましたが、ツッコミフレーズだけでなく、両者のテンションごとユニゾンなのが新鮮だし、先に振る黒髪の西堀の地顔が泣き笑い顔なのと、中盤居酒屋バイト話に入ってから、「何がバカだって、お客さんがバカだよ」と一旦テンションを大人しくするメリハリのうまさが今回は際立ちました。

それと唐突な「…よし」「帰ろう」クロージングも不思議なくらい痛快。これ調ばっかりではさすがに飽きられると思うので、今後もコンスタントなオンエアを目指すなら引き出しを増やして見せてくれなければいけませんが、とりあえず、大声大会みたいになった今回オンエア中、一ネタ通してのやかましさが一番だった彼らが一番おもしろかったというのは、観る側にも収穫でした。

絶叫、ガナりの使い方では一日の長があると思われた井上マー497kb2位と一歩及ばなかったのは、“有名テーマパークのジャングルクルーザー船長”という設定が若干一般性を欠いた分か。月河も「キャラクターの耳の付いた帽子」のくだりでやっと、あぁディズニーランドにそういう乗り物があるのねと気がついた。クリスマスイヴのデートコースのスタンダードが当該テーマパークではない地方の視聴者には伝わりにくかったのではないかな。地方収録回だったら使わなかった、渋谷での通常回だから出したネタでしょうね。そういう読みはベテラン若手(?)の井上らしいと言えばらしい。

それにしても前記のマシンガンズも、後述のエレファントジョンのネタもそうですが、芸人さんたち本当にサービス業接客業のバイト経験豊富で、どうにかしてネタに活かそうという意欲満々ですな。

どきどきキャンプ453kb3位は、“母と感動の再会果たしたミュージシャンがデス系”という、これまたやかましくなるしかない設定でしたが、ストーリーも単調なら演じも雑で、オンバトよりライブ、それも単独ではなく何組か合同ライブでどうかというレベルのネタ。司会者が呪いをかけられてデス伝染というくだりはかなり笑えたけど、直後のオチもしょぼかった。要練り直し。

マシンガンズ同様初オンエアのや団377kb5位で滑り込み。こちらは2度めのチャレンジ。なんてことないカップルのやりとりに、フリップめくりめくり本間が「ハイそこだ!」「さぁ続けよう!」と絶叫ツッコミつけていく構成は悪くなかったけど、オチで思いっきりゆるんでしまった。“手続き”としてオトしただけのように見える。コント担当の2人が退場しない状態でオトすことを考えたほうが、尻すぼみ感が少なかったと思う。

伊藤くんがヨシコちゃんを歩道の内側にして、「いい感じになってきた」~「“手汗スゴイ”そこは盲点だったー!」までの軽い溜めや、「ハイ“ディフェンスがうまい”」→「ハイ“賭けにでる”」→「ハイ“金に汚い”」辺りのたたみかけなんかはかなりリズム感、センスはあり、ストーリーとしては単純なのに飽きさせはしなかった。やはり次のオンエアに期待。

今回オンエア組の中ではいちばん安定株と言っていいエレファントジョン393kb4位は、いつもの回なら“やかましい寄り”なのに、今回に限っては他組との比較上、おとなしい寄りに見えましたね。ボケの節目に森枝のリアルジュニアの写真を使ったところが眼目でしょうが、いつもこの人たちの評価に天井となる“高原状態の一本調子”を打ち破るには至らず。ジュニアは幸か不幸かパパにあんまり似てませんでしたな。パッと見「ついて来~い」佐久間一行っぽかったような。気のせいですね。

回によって全体の出来の波はありますが、今回7301kbオフエアのザ・ゴールデンゴールデンも含めて、常連・準常連のトリオ諸組に活気があるのが最近のこの番組の好材料か。そろそろトリオの年間チャンピオンが出てもいい頃ではあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くたびれ儲け

2008-11-28 20:41:54 | 健康・病気

先週末、年末大掃除に備えていまのうちに配線のデリケートなステレオコンポを避難させておこうとしたら、日頃手を触れないからか、はたまた眼鏡の度が合わなくなってきてるからか、距離感がつかめずコンポ台に足先が激突。

なんかね、薄手のプラスチック製品を潰した系の、グチャッとかギチョッとかいう音がしたんですよ。あんまり気持ちの悪い音なので、しばし痛いのを忘れたぐらい。

音はともかく、テーブルの脚、椅子の脚のたぐいに激突したことは数限りなくあるので、今回も足指突き指の、二~三本まとまったヴァージョンだくらいに思っていたら週中以降靴が履けないぐらいに腫れてしまいました。

色も、この世のものとは思えない、“局所的に死相”みたいになっている(恐)。

 「複雑骨折に違いない」「組織が壊死してるかも」とか寄ってたかって高齢家族が脅かすので、今日、高齢組定期通院の付き添いついでに、同じ病院の整形外科で診てもらいました。

複雑ではないけど、やっぱり骨折してた(凹)。しかも、盛大に腫れているほうの中指ではなく、巻き添え食ったほうの薬指…足に薬指はないですね。第4趾か。そっちのほうが折れてました。

固定すれば二週間ぐらいで周辺組織がくっつくから、それまで傷んでない小指を添え木代わりにしてテーピングしてればOK、中指は捻挫みたいなものだから湿布とローションでおさまりますとのこと。

ついでに骨密度の検査もしておきましょうと言われ、断りづらい雰囲気だったので渋々応じましたが、そっちのほうがよっぽど心配だったりします。ホラ、激突時のあの音。どう考えても堅牢緻密な物質じゃなく、軟質のプラスチック、ポリ塩化ビニなんとか系に近い音だった。

知らないうちに、骨がプラ化しているのではなかろうか。だったらリサイクルできるけど。そういう問題じゃないか。

「アルコールは控えて」って言われませんように。師走目前の時期ソレ言われたら大打撃。被害妄想か。結果は一週間後。どうしよう。

逃げるか(走れないって)。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひま か?

2008-11-26 21:15:39 | スポーツ

大関昇進が決定した安馬(あま)関の新四股名・日馬富士と書いて“はるまふじ”。語呂はとてもいいけど、“”で“はる”って読みはアリなのか?と思って漢和辞典で調べたら、ちゃんとあるんですね。当用漢字としてはジツ(当日、元日)、ニチ(日曜、日常、今日)、ひ・び(朝日、夕日、日頃)、か(二日、三日、四日…)ですが、人名漢字としては“はる”とも読む。ひょっとしたら、リアルに男の子で日馬と書いて「ハルマくん」って日本のあちこちに居るかもしれない。

 おもしろいことに、“日”で“あき”とも読むらしいですよ(三省堂新明解漢和辞典第四版)。“明”から“月”がなくなっても“日”だけで「あかるい」「あける」からでしょうか。

“日”より“月”に縁のある月河としては、思わず“”は人名漢字では?と調べずにいられませんでしたが、当然“あき”とは読まず、当用のゲツ(月曜、満月)ガツ(正月、一月、二月…)つき・づき(月見、皐月、卯月)以外では“つぎ”と読むだけ。

“つぎ”と読む人名漢字には次・乙・二(『華麗なる一族』で相武紗季さんが万俵“二子=つぎこ”を演じていましたね)・亜・弟・承(皇族の高円宮承子女王は“つぐこ”)・続…などがあるので、“つぎ”としての“月”の意味もだいたい想像がつきます。

それはともかく、新大関・日馬富士関はモンゴル・ゴビアルタイ出身。モンゴルと言えば受験の世界史を何度賑わしたかわからない東アジア騎馬遊牧民族の雄。日本の“日”に騎馬の“馬”、そこへ師匠伊勢ヶ濱親方の現役時代の四股名・旭富士に由来する日本一の山“富士”と付けば、いよよますます強くならないわけがありません。

“日”はゴ“ビ”砂漠のビでもあるのかな。

新大関の相撲は、最近めっきり安定感を増してきた中にも、「何か突拍子も無いことをやってくれそう」というワクワク感にも依然満ちている。ここらが魅力でしょう。

新四股名決定の一報を伝えた、今朝の『スーパーモーニング』で赤江珠緒アナが「馬は残りましたねー」と言っていたのがおもしろかった。モンゴルでは馬は家畜と言うより、家庭の一部だそうです。

“安馬”の字並びを見ると、競馬ウォッチャーとしてはつい“高馬(たかうま)=有名血統、有名牧場産でウン億、ウン十億円で売買された馬”に対する“安馬(やすうま)”を思い浮かべてしまい、昔で言う抽籤馬か?タカツバキかイソノルーブルか?はたまたコーセイか?ミヤギロドリゴか?いや暮れの雨の阪神牝馬特別で穴を空けたユーセイフェアリーもいたぞ…等と脳内をドカドカドカドカと蹄音が往来して仕方がなくなるので、改名は大歓迎です。

年間グランドスラムを達成した後の06年辺りから、横綱朝青龍の集中力が思いのほか急速にダウンしつつあるので、新大関の“もうひと声”は結構早いかもしれません。もちろん日本人、欧州勢も負けずに張り合ってほしいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛人ではなかった

2008-11-25 22:43:14 | ニュース

先週の土曜夜の小泉容疑者出頭のニュースを受けてというわけではありませんが、両事務次官OBと夫人の殺傷事件の一報後、不謹慎なヒマ推理に花を咲かせていた連中のひとりと今日になって電話で話す機会があり、「出頭だって、どう思う?」と訊いたら、“ズブズブの私怨説”だったソイツの表現がふるっていて「なんか、風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話だよな」…

確かに、小学生時代に飼い犬を処分された憤懣が、30年以上ためにためられて、当該保健所の担当職員でも所長でもなく、中央の統括官庁たる厚労省の事務方トップの、さらにそのOBの、さらにそのご家族に凶刃を向けるきっかけになったとは、えらく遠回りした話のようです。

いまや、誰がどんな動機で誰を殺傷するのも“有り”になってしまったようです。むごたらしい事件の後「人を殺したかった、誰でもよかった」という供述が何回伝えられたことか。夫婦喧嘩でムシャクシャしたからという動機で、当の奥さん旦那さんでなくバス停で前に立っていた人を刺し殺すのも有りだし、八百屋さんの対応に腹が立ったからと魚屋さんを殺すのも有り。江戸の仇を長崎でじゃないけれど、東京でたまった鬱憤を、名古屋や大阪での凶行で晴らすこともあるかもしれない。

二・二六事件、ミッドウェー海戦等の局面での戦没者、戦災死者とその配偶者ご家族の声なき声を長く取材し数々の著作をものして来られた作家の澤地久枝さんが以前NHK教育TV『知るを楽しむ・人に歴史あり』で、「“異形(いぎょう)の死”を地上から無くしたい、私の取材調査や著述はそのためにある」という意味の発言をされていました。澤地さんの言う“異形の死”とは、家族に看取られ天寿を全うする所謂“畳の上”の死ではなく、徴兵や戦災、人災、処刑、犯罪などで人為的に、理不尽に命を断たれることです。

平和呆けと言えばそれまででしょうが、直近の戦争の記憶も薄れ、かつては不治、致命的な病だった疾病もほとんどが治療可能になって久しい昨今の日本、“命は長らえるのが当たり前”“病気も治って当たり前”になってしまい、“異形の死”をむしろひそかに待望、渇望するような風潮になっている気さえします。それも「自分が異形に死にたい」向きと、「異形の死を目の前で見たい、なんなら死なしめてみたい」向きに分かれるような。

今回の容疑者の場合、幼い頃のペット処分の記憶が高官OBに直結して30余年を経たとは考えにくい。報じられるところ家族もなく、郷里の両親とも音信なく、定職も友人も近隣の付き合いもなく、ただ大学時代から理系でコンピュータ関連の就業経験もあったことからインターネットとの親和性はきわめて高く、いろんな人との肉声の雑談混じりの意見交換でガス抜きあるいは方向転換・分散される機会がほとんどないまま「オレがこんなに不遇なのも、世の中おもしろくないことばかりなのも、ひいては役所が悪い、なかんずく官僚が悪い」「ホラ見ろ年金不正で、社保庁厚労省こんなに叩かれている」「昔オレの愛犬を処分したのも元締めは厚生省だった」「だったらやっちまってもいいじゃないか」式に、自分の中のもやもやした積年の不定形無方向な私憤、私怨が、ネットにあふれる“体制アンチ”気分とだんだん重なって一体になってしまったような気がします。

ともあれ、昔のように「人の恨みを買う行動発言はしていないから」「狙われるような目立つ地位も容姿も、財産もないから」「危険な時間帯に、危険な場所に足を踏み入れたりしないから」殺されることはない、という常識は通用しなくなりました。戦争や飢餓と縁が薄れ、火急の病人はたらい回しするくせに、診療収入に結びつく延命ならいくらでもしてくれる歪んだ高度医療化社会の日本、“異形の死”を恐怖し嫌悪し自他ともに出来る限り避けよう遠ざけようとする健康なベクトルは限りなく衰弱しています。

あそこのあの人も、ここにいるこの人も、いつでも殺人の動機を持ち得る。実行に移し得る。逆に被害者にもなり得る。いまここにはいない誰かさんに積もる恨みを悶々抱いた人と、偶然通りですれ違いざま目が合ったら、刃物がニュッ、てこともあるかもしれない。

板子一枚下は地獄。いや板子自体もう無いかも。「物騒な世の中になった」なんてまとめてる場合ですらなくなって来ました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたを忘れる勇気

2008-11-23 16:15:02 | 朝ドラマ

朝ドラ『だんだん』がドラマとしてツラいのは、“歌手を目指すストーリー”でありながら、ヒロインたちが劇中で披露する歌唱が、どう贔屓目に視聴しても「ぜひ歌手デビューすべきだ」と音楽事務所のプロのスカウトが執心するレベルに見えないということにもある。

序盤の『赤いスイートピー』連発の頃から気がかりでしたが、最近はウチの高齢組などは(軒並みオリジナルを知らないということもあるけど)彼女たち、あるいは一方が歌い出すとみるみるつまらなそうな、シラけた表情になり、歌のシーンが終わって次に行ってもややしばらく興味を取り戻せないようです。

もちろん、三倉さん姉妹、子役時代にCDも出しているし、声質は悪くなく発声も子役からの演技歴相応に鍛えられてもいます。たとえば家族や親戚の集まりでギターとともに一曲、二曲披露してくれたら「歌うまい」「O塚愛ちゃんぐらいうまい」お酒の入った叔父さんや従兄とかなら「HA香やKK未より美人だから歌手になれる」ぐらい言ってくれて一同大ウケかもしれない。しかし、要するに“若さと愛嬌で割り増された、うまいシロウト”級であって、それ以上でもそれ以下でもない。

なんかね、節回しとか、声の質感とか、“古臭い”んだな。終始ニコッと笑ったクチの形のまんま声が出てる感じ。劇中のレパートリーが古い曲ばかりということはあまり関係ないでしょう。古い曲ほど、演奏者のセンスや技能が斬新なら「こんなのいままで聴いたことない」「新曲みたい」に聴こえるはずですから。

ドラマは虚構なので、すべてがリアルである必要はありません。極端な話、綺麗でも可愛くもない平凡な容姿の女優さんが、“モテモテ美女”役にキャスティングされていても、演技力と演出力で観客にそう見せ、納得させることはかなりの程度可能です。

その女性が実際モテている状況、美女として処遇され、美女らしく仰ぎ見られ、嫉妬もされている様子をリアルに描出できればいい。実世界でも、さほどでもない外見の人が「カッコいい」「かわいい」「おシャレ」ともてはやされチヤホヤされているなんてのはよくある図です。人間は社会的、集住的動物なので、或るアタマカズだけ取り巻きというかチヤホヤ隊を確保できれば、その外っ側にいる大勢は、ご本尊がチヤホヤされるに足る内容かを判断する前に、周囲のチヤホヤ行動だけを見て模倣してくれるということもある。

しかし、『だんだん』の双子、特にドラマ時制に入る前から音楽好きで歌手にあこがれていたという設定のめぐみ(三倉茉奈さん)のほうに歌う場面が多いのですが、地元の路上で歌っていた頃から、“素人っぽいありふれた女の子だけど何かが違う”と道行く人を釘付けにするような描写はない。褒めているのは常に“身内”“近隣”“幼なじみ”の世界の住人ばかりでした。

石橋(山口翔悟さん)の仕込みで京都のライブハウス飛び入りのシーンでも、居合わせた若い客たちの拍手や声援は、先に登壇して歌い始めたのぞみ(三倉佳奈さん)がすっぽり舞妓のいでたちだったこと、追いかけてギターとともにハモリ出しためぐみが瓜二つだったことを興がってのものともとれ、“歌唱力で初見のオーディエンスを酔わせた”とはとても見えませんでした。

よってドラマがどう見えるかというと、「石橋は下心があるから、親から引き離して自分のテリトリーに引き込みたいんだろう」…いやコレはウチの高齢組が言ってるだけであまり一般性はないんですが、とにかく客観的に認識できる双子の歌唱力と、劇中の石橋の手放しの褒めよう、ぞっこんぶりとにあまりにも差があるため、“夢を叶えるために若者が努力する姿”なんてことより“家族vs.下心”“地道な就学就業vs.一攫千金商業主義”みたいな、NHKがどちらに軍配を上げるかがそれこそシロウトでも見え見えの図式になっている。

以前にもここで書きましたが、このドラマはチーフPをはじめ制作陣が、本当に三倉姉妹の魅力にベタ惚れで、ぜひ彼女たちが主演できる年齢のうちにもう一本朝ドラを…という発想から立ち上がった企画で、家族の尊さや夢への努力どうこうは、“マナカナちゃんの演じるキャラが輝くように”と後付けされたファクターに過ぎないのだと思う。

ドラマの作り手が特定の俳優さんを念頭において、その人が演じたら引き立ちそうな人物、立ったら映えそうな舞台背景、言ったら決まりそうな台詞を積み上げて作品を作ることはそれほど珍しくないし、狙いがすべてピンポイント的中、かつ「星の数ほど役者が居る中、俺ひとりを輝かせようとしてここまで考え抜いてくれたのか」と意気に感じた役者さんからいやが上にも名演技を引き出して、傑作に仕上がることもあります。

しかし、ドラマは制作と俳優の仲良し会イベントではなく、不特定多数のお客さんに見てもらって商売にするものである以上、作り手が役者に惚れても惚れた思いに“淫して”はいけないと思う。

音楽であれ、映像であれ、文学であれ絵画彫刻などの造形美術であれ、モノを作って人に供覧することを業とする人間は、自分が作ったモノ、作りつつあるモノを愛し過ぎては絶対にいけません。自分の作品と自分とは、どこかできっぱり他人になるべきです。その作品に対して何の思い入れもリスペクトも持たない、冷たく意地悪な他人の目で、耳で、不完全なところも未熟なところも洗いざらい丸裸に一度はしてみることができなければ、“生業”としてのクリエイトとは言えない。身内や友人知人をひととき楽しませ面白がらせる、ただの趣味です。

『だんだん』にはそういう冷厳さ、外柔内剛の精神が感じられない。作っている人たちが観客よりいい気分でうっとり、あるいはほのぼのしているような気配がいろんなところからちょこちょこと匂う。

観客をどれだけ捉え得たかが速攻「スポンサーに切られる/切られない」に直結する危惧のない、NHKだからこうなってしまうのか。80作の歴史を重ねロケ地舞台が全国都道府県を一巡したことで来期からは見直しもささやかれる朝ドラですが、ロケ地の選択などより、“作っている自分たちの、内輪ウケ体質”をこそ真っ先に見直していただきたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする