イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

どうするKK ~借りたのK、返さないのK~

2018-11-30 18:50:54 | ニュース

 小室圭さんの母上の“知人”なる人が貸したという、圭さんの入学金や初年度授業料、留学時の生活費の足し前その他400ウン万円なにがし、一方は「貸した金なんだから返すのが当たり前」と言い、もう一方は「贈与だったんだから、くれたもんなんだから返すに当たらないし」と言ってる時点で、もう何をかいわんやです。

 昔から「友達に金を貸すときは貸すと思うな、くれてやると思え」「貸した瞬間にもうこの世から無くなった金と思え」と言います。

 一方で「友達に金を借りたら友達を失うと思え」「友達を失ってもいいと思えるくらい必要差し迫った金に限る」とも言う。

 貸すも地獄、借りるも地獄の覚悟が要るわけです。

 とりあえず「返してほしい」と言われて「借りたんじゃないもん貰ったんだもん」の一点張りも芸がないなと思いますが、貸したほうも貸したほうでいまさら「貸した貸した」と言いつのるのは、いささか覚悟が足りなかったんじゃないかと思う。人間関係にカネを介入させるについて男も女もないですが、この“知人”なる人はさらに、圭さん母上と結婚の約束もしていたらしいので、まぁ“高めのクリスマスプレゼント張り込んだがやらせてくれなかった”ぐらいの話の範疇じゃないでしょうかねぇ。ご本人の憤懣もさることながら、伝え聞いた“知人”氏の関係者が週刊誌の取材に調子づいて喋り過ぎたような気もする。 

 ただ、貸したんだから返せと言われてのリアクションが問題ですよ。どんなもんでしょう、母上ではなく圭さん自身が、感謝と報恩の気持ちをオフレコででも伝えられなかったものかな。カネに色は付いていないとは言え、“知人”さんは圭さんの学費の助けになると信じたからフトコロを痛めたんだし、母上がどう思っていようが、圭さんはこれから一人前になろうとする男として「ボクが独り立ちしたらできる限りのことはします、圭に投資してよかったと思ってもらえるよう頑張ります」ぐらい、一発見得を切ったら“知人”氏もマスコミにもウケたのに。

 高円宮絢子さまのお相手守谷慧さんの報道とはずいぶん視線が違うのは、やはり世間は“大手の固い勤め人”が大好きで、“自由業”、“非正規雇用”には厳しいし冷たいということかも。

 だいぶ前、まだ紀宮清子さまが独身で、婚期がそろそろ・・と世間が気をもんでいた頃、“女性皇族の嫁ぎ先の条件”が週刊誌に載っていたことがありますが、一般には結婚相手候補として人気なはずの医師・弁護士は限りなくNGに近いんだそう。医師は間接的に人を殺すこともあるし、訴訟されることもある。ギリギリ“患者に直接関与しない基礎医学研究者で、国公立大学勤務”ならセーフとか。

 弁護士は本当に犯罪を犯した人でも弁護料もらえば弁護するから当然ダメ。

 圭さんも、普通に日本の司法試験を受けて司法修習して、大手事務所のスタッフの一郭にでも加われば、世間でも、眞子さまのご両親にもじゅうぶん認められるんじゃないかと月河なんか単純に考えていて、「さては司法試験通る自信がないんだなコイツ」とか思っていましたが、わざわざ事務所に大枚出してもらってニューヨークくんだりまで遊学してまで“国際”弁護士にこだわるのは、やはり日本で日本の事件の当事者から依頼受けたりしたくないのかも。そうなると、いまのいろんなトラブルその他が解消してめでたくご結婚成ったとしても、仕事と生活の拠点は外国ということになりますが、眞子さまもご両親もその点は了解済みなのかしら。なんだか一難去ってまた一難二難三難・・となるような気がします。

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韓国TV小説 その女の海 再び ~お前の中に母がゐる~

2018-11-29 22:19:55 | 海外ドラマ

 ―そして 母よ 仏蘭西(ふらんす)人の言葉では あなたの中に海がある

 ・・・なんとなく、国語の教科書にあった三好達治の詩を思い出させるタイトルでした『その女の海』(BS日テレ月~金16:00~)も、BS11の『あなたはひどいです』に続いて22日が最終回。

 全60話、もともと韓国では全120話で放送されていたのを半分の話数に圧縮したので、韓国ドラマとしては普通な変転幅だったストーリーも「あれよあれよ」と、気がついたら終わってしまっていたような感じでした。

 『あなひど』に比べれば設定もそんなに派手さはなく突飛でもありません。前にこのドラマに触れたエントリで書いたように、本妻とその娘たち+愛人とその息子が一つ家で同居し、二人の母が放埓で怠けがちな夫(←財閥でも何でもない落ちぶれ小商人)をカバーしつつ互いの子らを守り合う不思議な家族、という構図以外は、ごくごく普通の韓ドラ設定でした。

 若いヒロインが心変わりした恋人を思い切り家族にも告げずに故郷を離れシングルマザーとして働く展開も、コンサバなストーリーの多いTV小説としては斬新なほうでしたが、転職先の社長との格差恋愛や出生の秘密、結ばれない関係の新恋人と再会した元恋人との三角関係など、いかにもありそうな設定の範囲。

 ただその枠組みの中で、話の焦点=何が難題なのか、何がつらいのか悲しいのか?のフォーカスが次から次へと移り、それだけなら同じところを低回ループしているより展開に勢いが出るから結構な事なのですが、移ると、前に焦点だったことがあっさり放置されたり忘れられたりしがちで、そのために全体的に、ストーリーがかなり劇的なわりには要所での感動や胸迫る切なさの薄いドラマになったような気がします。

 本放送での2話を1話にカット圧縮して流したからいやが上にもこうなったのかもしれませんが、たとえば、序盤のヒロインの小学生時代のエピソード。

 ヒロインのスインは貧しいが成績優秀で、地元大手の社長の娘セヨンとクラス首位をいつも争っています。演劇発表会で負けず嫌いで目立ちたがりのセヨンが志願して主役の王女役、スインは主役の次に大役の魔法使いの役を振られますが、主役はセリフが多いのでセヨンは覚えきれず、リハーサルではスインに助けられてばかり。見かねた担任教師が主役はスインにと交代を命じます。

 発表会には王女役にふさわしい豪華な衣装を母が用意してくれた。孫娘の主役を楽しみに祖父母も来訪することになっている。でもライバルのスインに「主役を降りて」と頼むのはプライドが許さない。セヨンは悩んだ挙句スインの幼い異母弟ミンジェを連れ出して「スインが監督不行き届きで叱られればいい」と海辺に置き去りにしようと企てますが、これが思いがけず大事故につながり・・

 ・・んで、じゃ結局演劇の主役はどうなったのか、の描写がまるでないままなのです。この大事故のために、スインだけでなく家族も苦境に立ち状況は動いていきますが、これらは結果です。セヨンをそんな非道な企てに追い込んだ動機、原因のほうはどんな顛末を迎えたのか。主役に抜擢されたスインが、家族をゆるがす大事故の後でも持ち前のセリフ覚えを発揮しやりとげたのか、セヨンが目論み通り主役を取り返して祖父母らの前で鼻高々となったのか。

 別に大人数エキストラが必要な発表会シーンを実写で入れなくても、たとえば虚栄心の強いセヨンの母が発表会後の夕食の食卓で「やっぱり主役はセヨンがふさわしかったわね、ドレスが似合っていたしセリフも2回しかつかえなかったわ」「スインは大丈夫かしらね、弟が行方不明の上に父親も逮捕されては学校に来られないのは当然よね」・・うわの空で聞きながらセヨン沈んだ顔、ぐらいの描写でもよかった。

 このドラマは万事こういった調子で、人物が考えに考えて、悩んで、あるいはヤケくそで、何かの決断や行動を起こすと、その結果もしくは副産物として出来した状況は描写されるのですが、考えたり悩んだり彼らを追い詰める原因になった事象が結局どうなったかフォローされないので、結果のほうも、なんか軽い感じになる。これは月河の勘ですが、ノーカット本放送版を視聴して比べても大して変わらないような気がします。

 本妻スノクの実母、スインの初恋の相手で結婚を約束していたジョンウクの母と弟妹、身重のスインを自分の職場に紹介した女友達など、一時的ながら物語に重要な影響を与えた人物たちもあっさり途中から消息すら語られなくなりました。長尺のドラマではしばしばあることで、俳優さんたちのスケ縛り等大人の事情もからみますから一概に責められませんが、あの人物もこの人物もとなると、えらく建付けが雑な後味で終わるのは否めません。

 想像ですが、演出がこのドラマの4年前に放送された同局同枠の『ウンヒの涙』と同じ人なので、前作で後半~終盤“悪の張本人を暴く追及と、隠蔽偽装工作の蟻地獄”の繰り返しばっかりになった反省が、強く働き過ぎ、「とにかく話の焦点を動かそう動かそう」と、いささか腰の落ち着かない姿勢につながってしまったのではないでしょうか。

 “一つの話題のループを避ける”ことと、“顛末を置き去りにする”ことは全然違うのですけれどね。今作も終盤、スインたちがチョン社長の重ねた悪事の動かぬ証拠や証人をつかんでは、奪われたり拉致されたり始末されたりで空振りになる“繰り返し”はどうにかならないのかと思いました。

 個別のキャストを言えば、金の力に搦め取られてヒロインをうっちゃり、チョン社長の片棒を担ぐ悪となっていく、振幅の大きいジョンウク役を最終話まで出ずっぱりで演じたキム・ジュヨンさんが特に頑張っていたと思います。

 以前も書いたように『ウンヒの涙』組の俳優さんが大挙して出演、それも前作とは対照的なキャラを演じている人も多いので、“ドラマ仕立ての同窓会”のようでもありました。とりわけ前作で諸悪の根源なまま“壊れ勝ち”で逃げ切ったような役だった大御所パク・チャンファンさんは、今作でようやく役者として溜飲が下がったのではないでしょうか。

 ガタついたり隙間が多かったり不安定な建付けではありましたが、全100話超を半年近く平日オビで放送する図太さ、ある種の鈍感力な製作姿勢も日本ドラマにはない韓ドラならでは。今作の反省(してるよね)を糧に、懲りずにまた挑戦して放送してほしいと思います。

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あなたはひどいです三たび ~だからしつこいです~

2018-11-28 20:22:16 | 海外ドラマ

 昨年夏に新調したパソコンが通算三度めの本格的な挫折で、正味二週間以上の完全アナログ生活へ。

 その間に、BSの韓国ドラマ2本が終了。パソコンが無くネットも無いと、やはりテレビ放送やDVDソフトはかえって真剣に見ますね。

 『あなたはひどいです』(BS11、11月22日終了)全68話、全体的に、スタートで張りめぐらした人間関係を活かしきれずに、結末への求心力が薄く平均ペースで終わった感です。

 白黒微妙な財閥会長役チョン・グァンリョルさんを筆頭にキャスティングは要所で豪華で、期待を持たせたんですが。

 大物スター歌手vsそのモノマネで稼ぐキャバレー歌手の恋と名声を巡るバトル、そのスター歌手が無名時代にひっそり生んで捨てた子との再会をめぐる葛藤がまず芸能界側にあり、一方、かねてこの歌手に執心の財閥会長の夫人が不審な自殺を遂げたことから、会長と不仲の長男が疑惑を抱いて歌手に接近、さらには夫人が生前チャリティ後援していた盲目の若手ピアニストがひそかに夫人の遺言を託されていて・・

 ・・と、二つの世界を跨ぐ欲と愛憎の物語を繰り広げるのには申し分ない設定での船出でしたが、皮切りの“スターvsモノマネ歌手”の緊張感は「本家のスターの人気と知名度に便乗して仕事を得て家族の生計を支えている」という言わば“本質”を、冒頭の恋人を譲る譲らないの綱引きでカードとして使ってしまってからは、特段の展開もなく尻すぼみになりました。

 もともとこのラインは、下層のモノマネ歌手・ヘダンが、圧倒的なスター歌手・ジナに勝るとも劣らない芸能スペックと上昇志向を持っていなければ成立しません。ヘダンが、ジナを引きずりおろしてスターダムに上がりたがるでもなく、「テレビ出演なんて無理無理」「家族(=父親と三人の妹たち)の幸せが第一」と、むしろ家族に依存されて羽ばたけない状況に自分が依存しているような塩梅に落ち着いてしまったので、早い段階で物語の推進力を失いました。

 いまとなっては憶測しかできませんが、最初のヘダン役女優ク・ヘソンさんが病気で序盤降板、より線が細く淡白なというか、セクシー度の薄いチャン・ヒジンさんに交代したことも展開に影響したのかもしれない。交代後、劇中のヘダンがヒョンジュンの推薦でキー局のオーディションを恐る恐る受けるくだりがありましたが、彼女のモノマネ歌唱の技量は、一度はキー局Pに認められるも、ジナが圧力かけるとあっさり反故にされるレベルでした。

 そうなるとどうしても比重は財閥会長家のお家騒動にかかってきます。グァンリョルさん扮するパク・ソンファン会長はもともと一介の平社員で、財閥創業家の一人娘ギョンエの入り婿におさまったことで後継会長となった身。二人の息子をもうけたものの早々に愛も信頼もなくなり、岳父には疎まれ香港支社に飛ばされたこともありますが、息子とともに財閥家に乗り込んできた母親ギョンジャが猛烈に息子を押して逆に岳父を追い出し、嫁であるギョンエにも辛く当たって、ついには病に倒れさせてしまいました。

 パク会長の絶え間ない女遊びと、とりわけ歌手ジナへの傾倒に心を痛めたギョンエ夫人は、側近の悪知恵袋だった役員から、パク会長がのし上がるために手を染めた詐欺横領など違法の証拠を入手し失脚させようと企てますが果たせず、余命が僅かとなる中、最終的に自分の命と引き換えに会長を犯罪者にする計画を立て、証拠映像を残して、その隠し場所を記した手紙を、かつて施設で世話した盲目のピアニストに、自分の死後長男に渡すようにと託しました。

 もともと父会長と折り合いが悪く、溺愛してくれた母ギョンエから夫への恨みをたっぷり吹き込まれて成長した長男ヒョンジュンは、母の不審な自殺の報を受け留学先のアメリカから急遽帰国、父と不適切な関係にあるジナに邪な興味を抱き芸能事務所を立ち上げて契約をオファー、接近しますが、前の恋人との三角関係でヘダンに借りがあると思っているジナは二人ダブル契約を要求。ヒョンジュンは面接に呼んだヘダンの、モノマネのセクシーイメージとはかけ離れた雑草のようなたくましさと健気さにいつの間にか惹かれていきます。

 ・・ここまで舞台装置ができればもう結末は見えたも同然です。母ラブな息子は、浮気で母を苦しめる父を敵視し、父が男として愛した若い愛人を、自分が男として誘惑し本気にさせて寝取る事で“母さんの仇を討った”と自分を納得させ父に誇る。これは古来何度も西欧の文学作品で手を変え品を変えお話の外枠に使われてきたエディプス・コンプレックスの変奏曲です。

 このドラマではヒョンジュンがジナに深入りする前に、ジナと因縁を持つヘダンのほうに恋愛感情を抱いていくので、ヒョンジュンとジナの男女関係成立をもって会長への復讐とはなりません。

 さらに会長に最大の致命傷となるはずの証拠の在り処を握るのがジナの実子であり、そこに輪をかけてヘダンがそのピアニストと両思いになるので、変奏し過ぎの入り組んだ相関図となりますが、詰まるところは「長男と会長のどちらかがもう一方を転落させるか滅ぼすか、さもなければ刺し違えるか、まさかの和解か」という興味しか、途中早い段階から無くなりました。

 視聴者が回を追いながらどんな結末を望むか、恐れるかは会長の悪辣度、長男の一途度、ジナやヘダン、ギョンジャら女性陣との関係の熟し度などから微妙に振れていくはずですが、このサイドの部分が今作は如何せん弱かった。いつまでたっても「ギョンエの手紙の行方、証拠の在り処がどうだこうだ」の話から一歩も動かない時間が長すぎました。

 むしろ、サブストーリーのさらにサブみたいな扱いだった、ヘダン実家の父と妹たち及び次妹の夫と幼稚園の息子と姑と小姑(=夫の妹、バツイチ出戻り)の、一つ屋根ワイワイ同居すったもんだエピソードの集積のほうが“先が気になる、決着どうなる”吸引力がありました。

 ヘダンがキャバレーと地方回りで必死に稼いでいるわりに、家族は食っていく切実感はあんまりなく、のん気な小市民然としていて、コップの中で小さいプライドや家計権、家事を誰がやるやらないの綱引き合いに明け暮れ、ヘダンを通じて飛び込んでくる芸能界や財閥家の派手な話題に井戸端コメンテーターを決め込んでいます。こういう絵にかいたようなセコい家族に、ヘダンへの恋心から何かと構うようになった財閥長男ヒョンジュンが「家庭の温もりを初めて知った」「ここで一緒に暮らしたい」とベタ惚れになるさまはおかしなリアリティがありました。

 ともあれ、キャストも込みで韓国ドラマの野太いしたたかさを再認識できるドラマではありました。

 スターと無名下積みの下克上バトル~スターの暗い過去と隠し子の悲しい絆~財閥一族の骨肉のエディプスバトル~盲目ピアニストと家族を背負ったアラサー女子の年の差恋愛~と来て、さらに小市民一家の嫁姑&小姑バトルも加わるとなると、日本のドラマ界では全68話(韓国の本放送では全50話)一作の企画では到底通らないでしょう。「スターとモノマネ歌手」「スターの過去と隠し子再会」「財閥会長の疑惑」・・と4~5テーマに切り分けて、それぞれ全8話くらいのヴォリュームで、重ならないクールで深夜23時以降に放送がいいとこ。ここまで、いい意味でもツラの皮の厚いドラマの作り方はまずいまの日本ではできない。

 グァンリョルさんに会長母ギョンジャ役チョン・ヘソンさん、運命の女ジナ役オム・ジョンファさんたち大物ベテランに伍して、ガチに対峙するピアニスト役でKポップ出身の若いカン・テオさんが頑張ったなという印象もあります。

 長男と違って父会長に従順な次男役のイルさんも本業が歌手というわりには手堅い芝居で、最後のほうは微笑ましい味すら出していました。

 同じところを行ったり来たりしている展開のあいだは「もういい加減にせい」と一再ならず思うのですが、最終回まで来るとなんだか終わるのが惜しい気がするし、終わって一週間ぐらい経つと「またああいうしつこいのやらないかな」と番組表を渉猟したりする。この手の韓国ドラマは、特にアナログ人間には結構捨てがたい娯楽ジャンルだと思います。

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NHK『コントの日』 ~やることはどこまで?~

2018-11-10 22:40:14 | お笑い

 11月3日、文化の日というと、結構テレビで豪華特番が多くて、平成初期までは確かフジテレビで、日本IBMの一社提供で海外ロケもありの大型美術番組を放送していたものですが、バブル崩壊してしばらくすると、見事に無くなりました。

 今年も何もないのかなと思ったら、こんなのがありました。NHK総合『コントの日』(PM7:30~)、なんとニュースをはさんで二時間半枠でまるごとコントっていまどき贅沢じゃない?と、冒頭から見たんですが、コレ実に面白くなかった。

 “コント協会会長”役にビートたけしさんを筆頭に、東京03、サンドウィッチマン、ロッチ、ラバーガール、ロバート秋山・・と、ことコントに関しては鉄板の顔ぶれだと思ったんですが、呆れるくらい面白くなくて、ニュースをカットして正味2時間20分の再生の間、面白くないと思う自分がおかしいのかと何度か自問自答したくらい。

 何が面白くないって、まず一本一本が長い。8分から10分弱。コントってこんなものでしたっけ?もっとサクサクサクッといってポンと落とすか、ポッと投げ出すかしてパッと終わるのが、月河の中でのコントのイメージだったんですが。

 NHK総合で、SPでやるからこうなるのか。セットや美術もしっかりしているし、専業俳優さんの助演もきたろうさん、田中美奈子さん、風間トオルさん、山田裕貴さんなど豪華でしたが、そのせいでますますムダに濃厚になって、コントというより『世にも奇妙な物語』の短い版みたいノリなんですよ(『残留バブリスト』『何時だと思ってんだ』辺りは最初からそういう路線狙いのようでしたが)。

 ネタの中身も、不倫撲滅戦隊とかオタサーとかLGBTとか、ムダに特殊過ぎる。コントってもっと軽妙洒脱な芸で、なんてことない日常の平板な世界から何気なく切り取って展開した切り口を、サッと見せてスッと閉じてパッと撤収する、古典落語や漫才が中~長編小説だとしたら、俳句ぐらいまで語数を抑制してスリムに笑わせるのがコントの醍醐味だと思うのに。

 本ネタの合間の、劇団ひとりのCMパロディーがいちばん笑えたから皮肉なものです。パロディーですから、“似せて似せて作り込む”ほど、ねちっこくやるほど笑いのクォリティが上がっていく芸なので成功した。一連のこのパロにロッチコカドが「NHKで(CMネタやって)大丈夫なんですか?」と心配して見せ、たけしさんが「NHKは来年民放になるから」とムチャ返しした。そこらへんが番組的にピークでしたかね。

 この、スタジオで演者が一堂に会して、ネタVを見てツッコミ駄目拾いをしていくのも番組化するというスタイルも全体を冗長にした。ビートたけしさん来演ということでNHKがBSプレミアム不定期放送の『これがホントのニッポン芸能史』を意識したのかな。何十年も前の、すでに伝説になっている芸のVを肴にしていろいろ語るのならいいけれど、いまのいま、未公開の新ネタを、笑い取ったか取らないうちにスタジオで腑分けしちゃいかんでしょう。鮮度が落ちるに決まっている。採点して勝ち抜け決めるとかそういう番組でもないし。とにかくコントはサッと演って「あ、なに、いまの!可笑しくね!?」と思わせるうちにサッとハケてなんぼです。その“サッ”の間に美術や装置、カメラワークなどすべてを集中する。これこそ贅沢です。10分近く尺取るやつを何本も、長時間の枠でやるのがコントの贅沢ではないし、洗練でもない。ましてネタへの論評や演者たち同士のウラ話まで番組にするなら、後日の別枠でやらなきゃダメです。

 このなくもがなのスタジオトークで期せずしてわかったのですが、東京03豊本がたけしさんに「せっかくの(共演)機会ですから、我々メンバーをほめていただけませんか、今後頑張る励みにしたいんで」と水を向けたとき、たけし師匠、速攻「うまい!」とアゲたあとで、結構まじめに「03のDVD持ってるけど(←ここで三人最敬礼)、いまのテレビではあの面白さなかなか出ないじゃない。出て30秒で爆笑取るようなやり方してない、だから、それでいいんじゃないかな」と答えていた、まさにこのたけしさんの志向が直球で表れ過ぎた番組だったのかなと思います。

 もともと浅草の舞台芸人から1980年代の漫才ブームに乗り、テレビでブレイクしテレビで輝くと同時に、テレビで悩まされテレビで苦しんできたたけしさんにとっては、“テレビの何分何秒縛りに拘泥しない芸”というのが、芸の中で至高であるらしいのです。

 これ、超ベテランの言うことだけに正しいか正しくないか即決はできませんが、たけしさんの年代とお笑いキャリアを考えれば確かにそうなるだろうなぁとは思います。

 良くも悪しくも時代を感じます。番組の終盤近く、たけしさんが「コントの進化」という話をしていて、「笑わせる、落とすことに集中するのもいいけどそればっかりになっちゃって、“個人芸”がなくなってきてる」と言ってその個人芸の例に引いたのが、由利徹さんですから。昭和も昭和、昭和過ぎ。東京03やひとりクラスでも知ってるかどうか。しかもたけしさんが由利さんの得意芸について語ってる間ワイプで流れたVでの共演者が星セント・ルイスさん。この時点ですでに由利さんは伝説の大御所、つまりは過去の人だったのです。

 ビートたけしさんもこうして、芸能界サイクル的には何世代も後輩相手に、テレビであからさまに懐古トークをする人になった。当代有数のコント師、コントユニットのほやほやの新ネタを堪能しつつコント界のこれからを思うより、いろんな意味で時代と、時代の中で年を取る人たち、年を取る自分を思った文化の日の特番でした。

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まんぷく ~カムバック蘭丸~

2018-11-09 14:55:42 | 朝ドラマ

 10月から始まったNHK朝ドラ『まんぷく』はどうでしょうね。

 放送開始のずいぶん前から、日清チキンラーメンの父・安藤百福(ももふく)さん夫妻のお話と聞いていたので、日本におけるインスタント麺の勃興と発展とともに育ってきた世代として、月河も大いに期待していました。『ゲゲゲの女房』と似た動機で、同じくらいの体温でしたね。

 11月に入って、いま6週めですが、こんなもんなのかなーという感じですね。安藤サクラさん扮するヒロインの福ちゃん=福子さんと、長谷川博己さんの萬平さん、ここまでいい場面が幾つもあったんですけど、どうしても、見てるだけで自然にウフフッと頬がゆるんできて、この二人の人生をずっと見ていたいと思える“お似合いのふたり”に見えてこないのが惜しい。何というか、“きれいめのオタク中年がゆるキャラマスコットを愛しんでる”みたいなんですな。

 長谷川博己さんも安藤サクラさんも演技力の点では何の心配もない、いい役者さんだし、好きか嫌いかで言えば好きなほうなんですけど、組み合わせて夫婦役やカップル役に映えるかどうかは、演出や個々のキャラもあるしなかなかむずかしいですね。

 6週めというと同路線の“夫婦もの”朝ドラ『ゲゲゲ』では布美枝さんがしげるさんの漫画のベタ塗りなどのアシを始め、そこへしげるの悪友というか“男のヒモ”みたいなイタチこと浦木が入り込んで「少年戦記の会」なるファンクラブの看板を掲げ、怪しい模型付録つけてちゃっかり便乗小金稼ぎを目論むなんてエピをやっていましたし、『あさが来た』では炭鉱事業に前向きになるあさをよそに新次郎の朝帰りが続き、心配した姑が妾を囲うよう勧めて、あさも「旦那様に跡取りを」と一時はハラをくくったものの「・・やっぱりイヤや!」と本音を訴え、改めて夫婦の深い絆を確かめ合うというくだりがありました。

 どちらも毎朝、劇中夫婦のちょっとしたアイコンタクトや2ショット場面の空気感に、ふんわかニマニマしながら、夜、録画を再見、再々見してまで見入っていたものです。

 今作『まんぷく』ではヒロインと相手役の幼少時代や遭遇エピを語る“子役パート”がなく、第一話から本役の俳優さんたちが登場して、第1週の最後は実質プロポーズだったし、“夫婦もの”の軌道に乗るのは早かったはずです。

 演技力で押す派の安藤さんが、若妻の初々しさや一生懸命さを表現するために、殊更高い声で芝居しているのも一因かもしれません。「あ~、久しぶり~」みたいな、語尾だけどうしてもカタカナで表記したくなる金属音、まさに“ゆるキャラの声優吹き替え”っぽいんですが、特に朝の台所で、背中で音声だけ視聴だと、意外なほど耳障りです。

 第1話、昭和13年に高等女学校新卒で大阪東洋ホテルに就職した設定の福ちゃん、現在放送中の昭和21年初夏には二十代半ばのはずで、実年齢32歳のサクラさんがそんなにセリフ言いの面で若作りすることはないと思うんですが。

 劇中、“結婚して間もなく戦争が激化し、夫が特高に誤認逮捕されて不当な取り調べを受け健康を損なう”“空襲が迫り、福子の母とともに縁故疎開、終戦後は子だくさんの次姉宅で仮住まいを余儀なくされる”という流れもあって、この夫婦、なかなか夫婦らしい夫婦生活が持てないでいることも一因かもしれない。

 仲が良いことはわかる、福ちゃんが萬平さんの才能と人間性を心から信頼している一方、萬平さんは福ちゃんのほんわか笑顔に最初からぞっこんだったというのもとてもよくわかる。んでも、どうも、空気が熟してこないんですよ。

 萬平さんのように生活感のない相手役というのは、朝ドラでは珍しくなく、むしろ好感をもって受け入れられることが多いです。家族や肉親との縁がうすく天涯孤独の萬平さん、アイディアや技術は優秀だがカネ勘定や営業に疎く、苦労人なわりには浮き世離れしていて、食糧難の時代でもカスミを食って生きてるような雰囲気があり、“生活担当”のはずの福ちゃんがそれに対して、「萬平さんは立派な発明家です!」「萬平さんだからできることがきっとあります!・・私が見つけます!」と全肯定で、そこに摩擦係数がまったくないのも、逆に、夫婦間の熟しが進まない原因かもしれない。やっぱり、“オタクとゆるキャラ”の自給自足相愛ワールドなんです。

 喩えとして適切かわかりませんが、モデルが日清の安藤さんだけに、星野源さんと吉岡里帆さん演じる『どん兵衛』CMどんぎつねシリーズを思い出させるところがある。あれくらいのリアル感の希薄さ。想像上の動物との交流だからリアルに男女関係になる事は100%ない前提のあのしつらえと、誰もが見てわかる分、ふんわかニマニマくすぐったくなる度はこちらのほうが上で、成熟しているとさえ言える。

 ・・・それもあって、福子母の鈴さんが、顔さえ見れば「なぜ子供をつくらないの、早く孫の顔を見せて」「つくりなさいホラ、私がいるからつくれないなら、私は別の部屋で寝るからホラ」という調子なのも、あの時代には普通なこととは言えドラマとして見てるとやっぱり邪魔くさい。鈴さんを演じる松坂慶子さんが、こちらは演技派臭とは対極の、お若いときから変わらない天衣無縫な感じなので、だいぶしつこさが薄められるとはいえ、これだけ生々しさの希薄な夫婦ものドラマに、露骨な“子作り圧力ぶっ込み”は、女性視聴者の感覚でどう受け止められているのか。

 萬平さん≒安藤百福さんが、ふとしたヒントからスープでもどすフライ麺を思いつくところなど是非見たいので、継続視聴するつもりではいますが、朝のBS放送分の録画のアタマと尻尾を編集して、再生して見てからディスクに移す時間が、だんだん後回しになってきました。

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