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イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

“鮨”

2009-03-31 00:04:09 | 特撮・ヒーロー

昼休みや飲み会の四方山話ではなくネットのここに書くときは、ドラマ・映画なら本スジの話、芸人・タレント・役者さんネタなら芸や演技の話に極力絞りたいと思っていますが、いま触れとかないと永久に触れる機会がないと思うので少しだけ。

藤原紀香さんの実家母上からの生々しい、しかし断片的な情報のせいもあって、主因は陣内智則さんの女グセ…という結論になりかかっていて、それもまぁまるハズレのまる濡れ衣、というわけではないのでしょうけれど、そういう性癖とか芸人としての生活志向みたいなものなら結婚前からある程度わかるはずで、それ単体で結婚生活破綻の決定打になったとはどうも考え辛い。あのいまどき珍しい、TV生中継つきクソ豪華な披露宴、ムダにクラシック本格的な挙式を思い出すにつけ、このカップル、“結婚の商品化・商材化”に失敗したという、それに尽きる気がします。

1971年生まれの藤原さん結婚当時35歳、売名でも宣伝でもなんでもなく普通に温かい家庭や良き妻への意欲はあったと思うし、陣内さんも「(若干トシ行ってるけど芸人にも人気の)天下の美女が嫁になってくれちゃってうらやましいオレ」という気分の弾みがあったと思いますが、それとは別な大きな力が“商売”を志向していたように思えてならない。式も披露宴もWBCじゃないけど、思わず“経済効果”という言葉を連想するしつらえだった。

よくある“落ち目・低迷芸能人の、私生活露出切り売りによる再浮上画策”(と地続き同類項ではあるけれど)よりもっと“大きな”力を感じました。

それが芸能事務所の力なのか、宗教団体もしくは政治的圧力団体の力なのかはしかとはわからない。

しかしご当人たち、誰であれ画策者たちの考えているよりずっと、“結婚”とはコントロールが難しいものです。他によく商品化の対象とされる、“闘病”“リハビリ”“出産”“流産”“不妊治療”“借金”あるいは“離婚”などと違って、“結婚”はひとたび商品化したら、絶えずメンテナンスしていかなければならないアイテムです。闘病なら根治、復帰とか、借金なら完済とか、離婚なら和解成立といった、「これにて一件コンプリート」ということがない。

妊娠出産のタイミング、何人作って産むか、夫婦2ショットあるいは子連れで露出する頻度やその際のファッションなどを含めて、結婚が継続している間じゅう“ランニングコスト”がかかるのです。何もコストをかけず、挙式披露宴のみ商品化してあとはおめでたの報もなく、当然流産や異常分娩の悲報もなく、嫁姑問題もなく夫婦露出もゼロの放置プレイとなると、“仮面夫婦”の疑惑を免れず、商品化した意味がなくなってしまう。

“結婚”がこれだけ手ごわい、手間ヒマのかかるアイテムだということに、当の陣内さん藤原さんも、商品化を企画した主体も気がついていなかったふしがある。切り売り露出の必要がない無名一般市民の男女ですら、“結婚”単体では御しかねて晩婚非婚が進み、よくて“できちゃった”婚で、“結婚”のありあまる濃度を“出産”“子育て”で薄めなければ挑戦できない時代だというのに。

企画主体にすぐれて受け身に“乗せられた”ほうである陣内さんが、浮気問題でも起こさなければ間が持てなくなったというのが正直なところではないでしょうか。いまとなってはイタい笑止対象になっている披露宴でのコブクロ弾き語り熱唱も、陣内さんとしては愛とか恋とかから発するものではなく“芸人として無茶振りにも応え、うまく演れてもトチっても、どっちに転がってもネタ化できる力量を見せた”つもりだったかもしれない。

月河としては今回の話題で、藤原さんの女優としての数少ない(と言うか、ほとんど唯一の)代表作だと思う99年のフジテレビ系『危険な関係』が再放送されないかなと期待しているのですが、当地、その気配はありませんね。藤原さんもさることながら、脇の稲垣吾郎さん、まだ主役とはいかなかった頃の篠原涼子さん、月河が個人的に贔屓のモロ師岡さんもとても良かったんだがなあ。

『侍戦隊シンケンジャー』29日に第7幕。行方不明だったカジキ折神捕獲に流ノ介(相葉弘樹さん)派遣、巷では猛毒霧を噴くアヤカシ・ヤミオロロ跋扈、毒霧に倒れる丈瑠(松坂桃李さん)たちシンケンメンバー、捕獲に手間取る流ノ介は元・侍と思われる漁師・朔太郎(綱島郷太郎さん)のアシストを受け…高熱のダメージをおして爺(伊吹吾郎さん)を振り切りひとりヤミオロロに立ち向かう丈瑠、「ひとりで目立ってんじゃねぇ」「ワタシたちだってできるだけのことは」と、毒霧にやられて変身する力がないのにもかかわらず追いかけ駆けつける千明(鈴木勝吾さん)、茉子(高梨臨さん)、ことは(森田涼花さん)、そこへ流ノ介がカジキを持って帰還し、殿もメンバーも海の浄化力で解毒され、カジキシンケンオーとなってヤミオロロ撃破。

流ノ介ら若い侍たちの忠誠心、代々シンケンジャーの親から刷り込まれただけではない、正義と信頼の心に感動した朔太郎は、一度去った志葉家に仕える道を再び選びひっそりと黒子へ…という転帰、30分枠の使い方として無駄なくうまいこといってはいるんですけど。

昨年『炎神戦隊ゴーオンジャー』GP7ではボンベ蛮機とキャリゲーターが参入していたっけ。あの頃に比べて『シンケン』が視聴していて心がはずまない理由は、メンバーの内面モティベーションやシンケンジャーのシステム的整合性(言われ、由縁)に重心が行き過て、シンケンレッド以下メンバーに天真爛漫さ、“戦士としての生を謳歌している”感がないからだと思います。

日々敵組織と、危険を冒し身体を痛めて戦わなければならないけど、「でも自分で選んだ生き方だし、戦士にならなければ得られなかったこと、出会えなかったもの、経験できなかったこといっぱいあるし」という、青空を仰ぐような気分が乏しいので、30分の中で「ここは、こういう意味を表しているんだよな」といちいち引っかかってしまう。

同じ宿命・世襲戦隊でもたとえば『魔法戦隊マジレンジャー』は、冒頭で母親が敵に倒され消滅するというショッキングな出来事が提示されても「ボクたち、ワタシたち魔法が使えるんだ、あんなこともこんなこともできるんだ」「知らないでいたことが次々にわかってきた」という気持ちの弾みがあり、「ボクらの魔法力を合わせれば必ず母さんを取り返せる、それを目標に敵を倒そう」という結束力、ポジティヴさにもつながっていた。

シンケンジャーたちは、彼らが戦士であることによって生じる、観ていて心浮き立つ要素がなく、戦士であるがために不自由や不安や、メンバー間のぎくしゃくに甘んじなければならないという苦痛要素ばかりが目立ちます。今後どう変わっていくでしょうか。

せめて『ゴーオン』のボンちゃんことボンパーくんや、『マジレン』のマンドラ坊やみたいな、間の緩衝キャラがいれば、物語世界の空気感が軽くなるかもしれませんが、そういうのを配しないことが今作の個性なのでしょうしね。

今話、数少ない笑いどころは流ノ介がモヂカラでカジキ折神を釣り上げようとする、その餌が“”の字だったこと。いいのか。ここに“”が付いたらアレになっちゃうぞ。

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呂律(ろれつ)

2009-03-30 00:47:34 | プロ野球

ローレルゲレイロ、ローレルゲレイロ、ローレルゲレイロ、ローレルゲレイロ…って5回ぐらい連続でハイスピード連呼するとかなり舌がロレロレしますな。

キングヘイロー産駒、父子2代のGⅠ高松宮記念制覇。いま考えると、自身の競走生活は血統があまりに純良過ぎ輝かし過ぎて、適距離適条件をつかむのに手間取った感のあるお父さん、遺伝子で息子に直伝する級の、疑問の余地なしバリバリのスプリンターだったわけですね。

カワカミプリンセスの06年オークス・秋華賞などの活躍で、満14歳になる今季も種牡馬として人気を集めていると聞くキングヘイロー、35月は本業でエンジン全開の日々でしょうが、息子の朗報に「ワタシのときより余裕で勝ってどうする、せめて写真にしろ写真に」と苦笑しているかもしれません(なぜかソフトバンクCMの“お父さん”の声で脳内再生)。

ローレルゲレイロと言えば06年、26月函館でのデビューで、同地の2Sでも2着、暮れのGⅠ朝日杯フューチュリティSでも2着と好走していました。比較的早い時期から能力を出し、勝ちきれずとも高めの能力を安定して維持、古馬になってからももう一段奥行きがある。成長曲線も親父似のタイプ。それにしても晴天の芝に青鹿毛は見映えがするなぁ。

ロレちゃんがデビューした当初、名前から安直に、サクラローレル産駒だと思い込んでいて、「にしては仕上がり早で素軽いな」と、かなり長いこと怪訝に思っていたことは内緒です(書いちゃった)。

さてと、今日ぐらいで週間報道番組のWBC狂奏曲は終息するかな。この一週間はまったく辟易しましたねぇ。好きか嫌いかで言えば、野球単体ならはっきり好きなほうに属するのに、何が辟易するって報道の地合いが“「日本全土が熱狂した」「全国民が感動した」「観た人すべてが勇気をもらった」と信じて疑わない、疑わせない”風圧なのにほとほと参りました。

近年のオリンピックの、野球以外で日本人選手がメダルを争った種目より救いようがなかった気がします。皮膚感覚としては同じ4年に一度の、サッカーW杯すら遥かに上回る息苦しさでした。やはり“日本が優勝しそう、できそう”となると、観るスポーツとしての醍醐味、お祭り感ともに、別建てで体温血圧上昇しちゃうんでしょうね。まして2連覇がかかっている。ラウンド勝ち上がりの仕組みとか投球数制限とか、USA基準でわけわからないローカルルールにがんじがらめな、どう考えてもせせこましいけちくさい大会だったのに。

間違いなく熱狂して感動して、勇気をもらっていたのは独占生中継したTBSと系列局、及び関係者だけだったんじゃないかな。勇気や感動なんかより、“経済効果”に真っ先に陶然となる奴ら。彼らが言う“日本全土”“全国民”の中に、月河は断じて入ってないぞ。勇気なんて他人からもらうもんじゃないしましてTVの向こうの、アホみたく高給取りの野球選手なんかから、勇気のユの字ももらってたまるか。

勇気ってのは誰の力も借りず自分ひとりきりで、何もない、草木一本生えないまっさらの荒野から掻き集めふるい立てて、自分で火をつけて、天まで地の果てまで燃やすものなんだ。

そもそも2009年の日本で“侍(さむらい)”を名乗るのは『シンケンジャー』限定にすべし

しかし、気がつけばローレルゲレイロの“ローレル”は、当然優勝者の月桂冠、“ゲレイロ”はポルトガル語で“戦士”の意味だそうです。しかもアナタ、15番人気で3着に飛び込んだのは“ソルジャー”ズソング。複勝ワイド2135,960円。地味にサイン馬券だったかも。こんなんで取ったと思いたくないな(取れてないか)。

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ありがたき幸せ

2009-03-29 00:54:33 | 特撮・ヒーロー

『仮面ライダーディケイド』“剣(ブレイド)”篇完結篇(322日)、とりあえず剣立カズマ(鈴木拡樹さん)が滅法いいヤツでよかったよかった。

それも、オリジナル『剣(ブレイド)』の剣崎(椿隆之さん)となんとなーく通底している、純真思い込み系のいいヤツに造形されていたのがうれしかったですね。オリジナル『剣』を視聴中、剣崎ってちょっと『龍騎』の真司に似ているかなとときどき思ったことがあるのですが、真司が仮面ライダーになったのは使命感より多分に“巻き込まれ”によるものだったし、無鉄砲、一本気、ピュアな善人っぷりの中にも“基本はジャーナリストの卵”らしい好奇心の塊りぶりも感じられたものです。

対して剣崎は、みずから選んでBOARDのライダーシステム要員となった動機に、幼い頃火災で目の前で両親を失ったトラウマがあったり、真司より切迫感やイタさ成分が多かった気が。組織や、先輩・同僚に対する忠誠心、義侠心など、伝統的には孤高のヒーローだった仮面ライダーらしくないキャラなんですけど、設定上のサラリーマン被雇用者ライダーに似つかわしく、いち人間として人を愛する思いと、世界を守る大義とのせめぎ合いは心を打ち作品の魅力ともなった。

ディケイドでのブレイド・カズマは、剣崎を下敷きにして“上昇志向”“序列にこだわる”という、組織に雇われる者がとかく嵌まりがちな卑小な要素をプラスし、そこが人間味、普通の若者らしさとなるように造形されました。

度重なるオリジナルの前期OP曲、相川七瀬さんが歌った『Round Zero』から派生させたと思われる“ゼロからの再出発”というモチーフを織り込んでくれたのも、あの曲のファンとしてはジンと来るものがありましたね。カラオケで何度か挑戦したんですけど、キーが高すぎて毎回ノドがライトニングスラッシュ(意味不明)。

「正社員としてのランクの上下に拘泥して“どうせダメだ”と投げ出さずに、自分がいまの場所でできることを精一杯やれば次の道が開ける」…非正規雇用者に甘んじ逆風を食らっている若者たちへの、ちょっと肉薄くして骨表れたメッセージではありましたが、カズマが厨房皿洗いバイトくん姿でもじゅうぶんカッコよかったのでスマートに伝わったのではないかな。オリジナル剣崎も、すべてのアンデッドを封印し終わった設定の劇場版でいきなりゴミ収集員になっていたり、非力を絵に描いたような体型にもかかわらず妙に肉体労働の似合うキャラでした。

カリス=ジョーカーが最強ライダーにして悪のライダー、という転帰はオリジナルの哀切な結末からするとちょっと残念かなとも思いましたが、カリスの最強感・間感あふれる造形から物語がre-birthするとなると、やはりこうなってしまうか。四条ハジメ社長(累央さん)の「君ら下々の者には経営者の苦しみはわかるまい」「アンデッドの脅威がなくなれば、我が社の存在意義は無くなる。国からの予算を得るためにはさらなるアンデッドの脅威が必要だ」「恐怖と安心のバランスは(経営者たる)私が決める」という大見得は、いまそこにある恐怖として説得力がありました。ライダー世界ならずともいつの世も、体制の管理者、統率者の論理とは斯くなるものかもしれない。

パラドキサ鎌田(入江雅也さん)と最強のライダーにして最強のアンデッド・ジョーカーたるカリス四条の、悪の世界統率コラボに、カズマブレイドと士(井上正大さん)ディケイドのタッグ。士が宣言した“進化”を“自分との戦いに挑戦、克服”と読み換えれば、オリジナルの世界とも見事に地続きになって、かつ、2009年の現実への翻訳もされている。

ディケイドが前に訪れた世界で入手した龍騎フォームでの、鏡面から出たり入ったりの攻撃も見応えがあったし、すべてが解決してこの世界をあとにする士にカズマが「また、会えるか?」と言ったときには、ぜひ再訪カモン!と心から思えました。たぶんユウスケ(村井良大さん)が救出したと思われるサクヤ(成松慶彦さん)とムツキ(川原一馬さん)がカズマと和解するところも見たかった。A(エース)としてBOARDで肩で風切っていたカズマの転落街道のきっかけはムツキを守ろうとした件だったのに、ヤッコさん劇中では感謝も反省の色もなかったですからね。できれば揃って社員食堂でAランチを食べてほしかったな。

士の黒字化テコ入れ策で、にわかに社員食堂を手伝うことになった夏海(森カンナさん)がメイド服、ユウスケがホスト風になり、夏海がおっさん社員に記念撮影をせがまれてる後ろで、女子社員に「カッコいい~」と迫られて逃げられなくなっているユウスケなど小ネタ満載。

OPクレジットで一瞬、前枠『侍戦隊シンケンジャー』で薄皮太夫の声出中の朴璐美さんが顔出し出演?と思ったら柊瑠美さんでした。木ヘンと王ヘンと“美”しか合ってませんでしたね。NHK朝ドラ『すずらん』から10年、少女・萌役で劇場版にも主演した柊さん、調べると87年生まれ21歳になっておられますが、根(?)が小柄なせいもあり、バリバリ当時の面影がありました。

役名がアイ、マイ、ミーと、そこらに普通に居そうで揃って居るのは珍しい“厨房1人称トリオ”、チーズ…じゃなくてチーフ去りし社員食堂で活き活き働いているかしら。

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どんじりに控えしは

2009-03-28 00:12:47 | 映画

NHK朝の連続テレビ小説『だんだん』もなんだかんだで明日最終話のようです。今朝久しぶりに見たら、祇園の節分の行事“お化け”っていうのがあるんですね。節分の厄除け、招福イベントとしては“恵方巻き”なんて当地でも近年売っていますが、災厄を“人を驚かすような仮装”で退けようという思想なのか、なんとなくキリスト教圏のハロウインを思い出します。花街、遊郭、芸能界を筆頭に、“お客様商売”の世界は、古くからの縁起や季節の節目を特に大切にしますしね。

『白波五人男』風名乗りの涼乃ちゃん(木村文乃さん)が、舞妓でも男装でもやっぱり個人的に一等賞。東京生まれだったんですね。“いけず”“いびり”の自覚があってやってたと、初めて知りましたよ。「いけずの涼乃どす!」本当に可愛かった。

「いけず」ってまさに京都の概念、京都言葉の典型だと思う。共通語の世界での「意地悪」「根性曲がり」とは、同じようで違うんだなあ。全方位キレイキレイの優等生や、見ててストレスたまる辛抱努力キャラは受けない時代だし、劇中、料理のしようでもっともっと魅力的になり得る人物だったのに、途中全然登場しない時期があって本当に残念。

木村文乃さんは宝塚娘役さんによくいるような清楚な目鼻立ちで、大人っぽく見えますが87年生まれ21歳、三倉茉奈・佳奈さんより一歳年下だそうです。女優デビュー作が、孤高の画家田中一村をモデルにした06年の映画『アダン』とのこと。田中一村は中央画壇と断絶して奄美大島で厳しい自然を相手に独自の制作に打ち込み、極貧の果てに没したものの、(後ろ盾のない芸術家によくあるように)死後再評価され近年は“日本のゴーギャン”とも称されている人ですね。木村さんは、一村のクリエイティヴィティが生み出した、一種の“脳内イメージガール”的な役だったようです。奄美ネイティヴに見えるように、撮影クルーの誰より先に島に入って日焼けしたと、公開時のインタヴューでも語っておられます。木村さん当時18歳。うぉーー日焼けしてるんだ。南国奄美だから肌露出も多いんだ。レンタルDVDでぜひ探したいですが、うちの近隣で見つかるかしら。ちなみに主役の一村役は、実生活でも画家として活動されている榎木孝明さんです。

花鶴さん姉さんの京野ことみさんは、むしろパリッ、シャキッ男装のほうが似合ったような気もしますね。男に惚れっぽく、それも格下めな男に「放っておけない」とマジになっては状況に立ち塞がられ、あるいは自分の見込み違いで散る繰り返しで、気がつけば場数だけ踏んだ“恋愛相談の達人”…というキャラも、女性メインのドラマにおいてもっと共感を集める人気キャラになってよかった。『ショムニ』『大奥』と、奥ゆかし&ドンくさ系の京野さんの新境地ともなったはずなのに、こちらも結局、馬の足さんと、男衆さんとのエピがちょっとあったぐらいで、限りなく消滅に近い後退。“人物を好きになってもらう”ことがドラマ制作上の王道なのに、涼乃ちゃん同様、美味しくなりそうなところを軽視してもったいない。

全体に、祇園が薄いまま終わってしまったのはこのドラマの残念なところのひとつです。全員が全員そうというわけではないでしょうけれど、東京以北の地方在住者から見ると、失礼を承知で思いっ切り言わせていただければ、東京以西で、かつ“田舎”に関しては、ローカル色をいくら強調されてもあまり興味がわかないものです。

自分の地元もじゅうぶん田舎なのに、遠く離れた田舎なんてどうでもいい(身蓋無)。

TVで放送されてそぞろ心惹かれるのはやはり京都、大阪、奈良、金沢といった歴史と伝統ある古都、あるいは博多、神戸、長崎といった異国情緒がらみの港町止まり。地方在住者のこういう“地方っぽさに倦んでいる”気分は、東京や大阪のNHKでドラマを作っている人たち、首都圏主体の視聴率リサーチをもとに動いている人たちにはわかりにくいかもしれない。彼らにとってはロケハンやロケで出向く“地方”は新鮮でしょうから。

今作はツインズヒロインの一方が祇園の舞妓という設定で、京舞や花街独特の空気感がたっぷり観られるかなと思ったのも、高齢家族に随伴して視聴始めた動機だったのですが、ここでも“双子設定”が足を引っ張った。

NHK朝に“花街的空気”を期待するほうが無理でしたか。お色気やエロティシズムが御法度の世界ですもんね。昭和の時代の朝ドラなら人気脇役になったかもしれない不器用無骨善良系の康太(久保山知洋さん)を筆頭に、ヒロインとからむ若手男性陣が、全員見事に視聴者のハートを捕らえず、枕を並べて終始スベり通したのも痛かった。

次クール『つばさ』は全47都道府県ロケの悼尾を飾る埼玉県舞台だそうですが、高齢家族、視聴する?と訊いたら「わからん。始まってみないと」とのことです。

いけずの涼乃ちゃん・木村文乃さん、だめんず花鶴さん姉さん・京野ことみさんは、個人的にはぜひ昼帯ドラ主役で、持てる力量と美貌を全開といってほしいところですが、まだ無理かなあ。

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隙隙隙隙

2009-03-27 00:41:57 | 特撮・ヒーロー

昨日触れた『ゴーオンジャーG3プリンセスG5プリンスProjectRスペシャルラップ』、昨日はメンズメンバーの“君ギュ”ソロヴァージョン・シリーズのあまりのインパクトで思わず取りこぼしてしまいましたが、忘れちゃいけないガールズの『G3プリンセスラップ~PRETTY LOVELimited』、早輝・美羽・ケガレシア、各ソロヴァージョン。

スルーのままではあまりにも失礼だし、『ゴーオンジャー』放送期間中、野郎メンバーと同じくらいガールズメンバーにも楽しませてもらった申し訳が立たないので、改めてレヴュっときましょう。

いや、実際、ここ10年ぐらいのスーパー戦隊シリーズ諸作品の中で、「ここは『ゴーオン』がいちばんでしょう」というセールスポイントを、無理やりひとつに絞って挙げるとしたら、「女性レギュラー(敵側含む)の“目の保養度”が圧倒的に高い」

………ひとつに絞るな!絞ったらソコかい!という抗議、ツッコミは甘んじてお受けしますが、個人的にはまったくこれに尽きますね。

“単品”で、可愛い子、顔立ちやスタイルにおいて目立って端麗な子がいるというだけの戦隊なら、多数の応募者から何段階ものオーディションを敢行してキャスティングする作品のこと、当然ながらそんなに珍しくありません。しかし『ゴーオン』、イエロー早輝の逢沢りなさん、シルバー美羽の杉本有美さん、ケガレシアの及川奈央さんと並べると、何と言うか、“華”の絶対質量が違うんですね。「可愛い」、あるいは「美しい」の後にいつの間にか“けれど”が来て、たとえば「可愛いけれど、どっかイタい」「可愛いけれど貧乏臭い」「きれいだけれどキャバっぽい」といった割引要素、がっかり要素が付いて回ることがいっさいなかった。演技し慣れていない、(特にムービーで)撮られ慣れていない新人さんの多い戦隊ガールズで、華を持ち通すというのは「それだけなら簡単」なようで誰にでもできるものではないのです。惜しみなく、思い切り良く、いつも華。しかも陽性にきらめき倒す華。

全員、野暮ったくない程度にいろんなところの肉づきがピチピチしているほうなのもプラス要因でしょうね。幸薄い感がまったくなかったですから。最年長…いやさ長姉格の及川さんは、通常時の衣装がハード&メタリックに固めているので、G3Pのぶりぶりピンクドレス姿を初めて見たときは腕や肩の細さに驚きましたが、ケガレシア衣装時の胸と太股(露出は右脚だけ)なんかは、“セクシーとは何たるかを知っている”貫禄でした。

さて、『G3Pラップ』ソロですが、初聴きでは区別がつかなかった(爆)。

早輝『Smile×Smile』、美羽『夢の翼』、ケガ『桃源郷(ユートピア)』とそれぞれのオリジナルソロ曲の後に入れるという編集上の親切がなかったら、ガチわからなかったかも。

誰がいちばんうまくて誰がその次、なんて線引いていても始まらない。「同じ詞曲を同じアレンジで一字一句違わず1人ずつ歌うほうが個性が際立つ」という感想を昨日書いたばっかりなのにナンですが、G3Pに関してはまったくプロデュースの勝利かも。危なっかしさと無難さ、“照れ”感と「でもこういうの着てみたかったのよネ」という血中“女の子テンション”上昇感のバランスが、全員同じ目盛りらへんで拮抗している。

強いて言うなら、早輝が最年少らしくふんわりおっとりシャイな感じ美羽はちょっぴりしっかり者と見えて実は天然なお姉さん風、ケガ様はさらにお姉さん風(当たり前か)。

及川奈央さんはキャラクターブックのG3Pページに「平成生まれのふたり(早輝と美羽)に、私が入ることで昭和風味のスパイスを加えられたらと思って(アイドルユニットに)挑戦しました」とコメントしていますが、これはナイス着眼でした。昭和っぽさってアイドルをアイドルらしくするために大切な要素。曲終わりの、♪未来の王子さま 早くぅっ! のケガ様ヴァージョンは必聴です。1曲前のオリジナルソロ曲『桃源郷』のミステリアスでノーブルな曲調と併せ技で聴くと、まさに「惚れなきゃ後悔」(@GP31)。

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