イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ユッケ食いたし

2011-05-24 22:19:20 | テレビ番組

一昨日(22日)午後深い時間にNHK総合『韓国歴史ドラマの巨匠 イ・ビョンフン監督の世界』を飛び込み視聴。もっと先の時間帯で『イ・サン』の“まだ間に合うおさらい”があると聞いていたので早めにNHKをつけたらやっていたのです。なんと、前・後編合わせて1時間半のドキュメンタリー。『宮廷女官 チャングムの誓い』の人気以来、NHKはこの監督の作品を相当見込んでいるらしく、かなりチカラ入れてインタヴュー、ルポしています。

最近、BSプレミアムの『同伊(トンイ)』と総合の『イ・サン』、日曜夜の、家事お風呂タイムまで間にはさんでくれた親切な間歇リレーに、ずっぽし嵌まっている月河にとってもありがたいタイムリー放送。いいぞNHK。がんばれNHK。でも高いな受信料。まあそれはおいといて。

 激戦韓国TV界のヒットメーカー・イ監督、さぞかしギラギラしたギョーカイ人かと思いきや、素顔は俳優の平田満さんにも、ゴルフの杉原輝雄プロにも似た、色黒タレ目の素朴なおっちゃんでした。イメージとリアルとのミスマッチ。これは夢を売る仕事の人にはつきもの。

 いやまーしかし、聞きしにまさる鉄火場ですな、韓国TV界。台本が上がってくるのが撮影入りの5時間前。俳優さんたちは大車輪で台詞をアタマに押し込み、もちろん監督同席で行なわれるホン読みは、全員テンション上がって、台詞内容の盛り上がり以上に、まるで怒号が飛び交う工事現場か魚市場のような空気です。

 聞けば韓国には全国ネットのTV局が3社あり、夜8時から11時のいわゆるゴールデンタイムは3局ともドラマをぶつけてくるので、視聴率パイの食い合いはすさまじく、前回の数字や視聴者からの反応をぎりぎりまで織り込んで台本が何度も書き直されるため、収録は押して押して、夜も深い時間帯から始まって終わるのはたいてい早朝。歴史ものなど話数の多い作品はそれが1年以上続くのだとか。

 『同伊 トンイ』のヒロイン・トンイ役に抜擢されたハン・ヒョジュさんが「とにかく倒れないこと。(主役の)私が倒れたら大勢に迷惑をかけてしまうから」とナチュラル素顔メイクで苦笑したり、粛宗(スクチョン)さま役のチ・ジニさんが楽屋で王さま衣装のまま「このシステムはどうにかしてほしいですね」と王さまフェイスでやんわりブーたれたりするインタヴュー部分もなかなか興味尽きなかった。チさん、『同伊』当時39歳、ホン読みでの王さまお帽子なし私服姿だと普通にラフな、リーマン若パパの休日スタイル。日本でも昭和の頃は、いつも時代劇ばかりでヅラつけて目張りメイクした顔しか見たことない役者さんが結構いたものですが、さほどごってりメイクの世界じゃないと思う韓国時代劇ドラマでも、やはり衣装かぶりもの効果は大きいか。

イ監督自身がインタヴュー部分で「韓国人は“ドラマにとり憑かれた国民”と言ってもいい」と喩えていたように、韓国の視聴者はとにかくドラマが大好きらしいのです。

イ監督は「半島の小国なため、周囲の大国(←監督、礼儀?で“日本”も加えてくれてました)の脅威に長年さらされ苦難の歴史を歩んできたので、ドラマでひととき厳しい現実を忘れ、夢を見たり癒されたりしたいのです」と、夢の作り手らしい分析をされていましたが、我が国日本でも『ザ・テレビ欄 19541974』の前半をざっと見ただけでも、ゴールデンに23局以上がドラマで平気で競合していた時期がかなりあり、「経済成長で競争社会、でもなかなか上がらない給料、ウサギ小屋から満員電車のハードワークで厳しい現実世界→→→(回り回って)→→ドラマ観たい大好き!」という流れはなんとなくわかる気がする。

加えて韓国の人たちはキムチを常食していますから(それだけじゃないけど)、体力、フィジカルが底堅い。パワーがある。体温が高い。ドラマ鑑賞にそそぐ精神的熱っつさが、一汁一菜の侘び寂び日本人の比じゃない。

韓国のドラマは日本のように週1ではなく、“月火”、“水木”、“週末”と、週2話ペースで毎週続くというのは聞いて知っていましたがそれも納得です。週1なんかじゃ食い足りなくてしょうがないのです。街頭市民インタヴューでは、TVしか楽しみがなさそうな杖ついた高齢者などではなく、若くて身なりもいま風の、ケータイやゲーム世代の学生やOLさんまでが、「現代もの(ドラマ)はすぐ終わってしまうけど、時代ものは話数がたくさんあって長く楽しめる(から好き)」と答えていました。

濃くて、長くて、ヴォリュームたっぷりの、登場人物数も膨大なら敵味方、感情のベクトルも縦横に入り乱れている歴史大作的な作品を、おもしろいと思い、好んで嵌まる、嵌まりたくてウズウズしている人が多いのです。そういうゴリゴリ歯応えある系についていけて、倦まない、投げ出さない体力が、皆さん有り余っている。思えば侘び寂び日本では、昭和のドラマ黄金期も、大人の時間のゴールデンでこぢんまり30分枠の、もちろん週1のドラマが結構ありました。

期せずして翌日23日の『あさイチ』も韓国特集で、MCの柳沢秀夫解説委員が触れていたのですが、日本人は、韓国のことをつい「北朝鮮と国境を接している」と考えがちですけれども、あれは韓国の人にとっては“国境”ではなく“戦線”なのですね。同じひとつの国、ひとつの民族が分裂敵対関係になって交戦した朝鮮戦争が、60年後のいまも終結はしていない。バックについていた大国同士の諸般の事情があって、たまたま一時的に“休戦”しているだけなのです。

韓国の人たちにとっては、血で血を洗う、負けられない、負けたらお終いな戦争は昨日も今日も、先週も今週も来週も続いている。だから男子は兵役に備えて身体を鍛え、女子は鍛えたたくましい男子に惚れる。必死に戦い、必死に元気を出す。必死に美味しいものを探して食べ、必死に遊び、必死に楽しむ。たまたまいまはドンパチやっていないだけで、戦争なことにかわりはないのだから、くすんでしょんぼり見えたら負けです。

意地でも元気いっぱい、華やかにキラキラして、カッコよく活力あふれていなければ、「あいつらもそろそろ終わりだ」と舐められてしまう。少々、底が浅くても、見掛け倒し張りボテでもいいのです。

夜討ち朝駆けのホン読みリハに収録、胃の腑のねじれるコンマ刻みの視聴率競争も何のその。日本で67年前の冬ソナブームの頃、人気の要因として、「昭和4050年代の日本のドラマを見て感覚を磨いた世代のPや監督が携わっているから、同じ年代の日本人が共通な感覚をおぼえて懐かしさがある」なんて分析をよく聞きましたが、そういう「古くさいからおばちゃん、ババアが喜ぶ」みたいなわかりやすい要因も、あるにはあるけれど、それだけではないということが今回よくわかりました。

観たくて観たくてウズウズしている熱っついファンがごまんといる。またそれに応えて、何としてもライバル局より多くのファンを掴んで見せるぞと手ぐすね引くプロも大勢いる。年間を通してものすごい本数のドラマが企画され、製作され、放送され、消費されている。日本のBSで放送されたりDVD化されたりしている作品は、それなりにヒットし好評だったからそうなっているのであって、実際のところ、惨憺たる不評のうちに打ち切られたような作品も相当存在するはずです。そういう挫折の後「ダメだったからこの枠はもっと手軽なバラエティにしよう」とはならず、「これを糧に今度こそ他局に勝てるヤツを」と、焦土から這い上がる負傷兵のようにまた新作が企画される。

まだイ監督の2作品しか本格的には視聴していませんが、クロージングでのあざとめの引きや、特に追跡逃亡シークエンス、感情流露シーンの必要以上の念の押し方など、日本人の目で見るとスマートでない、胃にもたれるふしは所々あるものの、この国製のドラマの、尽きない“握力”“牽引力”の大っきさ、なりふりかまわぬ野太さのようなものは、イ監督の謂い「ドラマにとり憑かれている」国民性、とり憑かれてでもいないと沈んでしまうが、沈んでなんかいられない必死な状況からこそ、生まれるのかもしれません。

そうです、掴もうとして、牽引しようとして作られてるんだから、思うさま掴まれて牽引されていいわけですよ。引きずり回されたっていいんだトンイの探す“蝶の腰飾りを着けた、闇夜に手話で何事か合図していた女官”がチャン尚官だと、いつわかるのか。チャン尚官=チャンヒビンとトンイはいつ光と影の対立関係になるのか。対立したらスクチョンさまはどっちをとるのか。

いや、その前に、“戦えない、塀乗り越えられない、役に立たない判官さま”が王さまだと、いつトンイは気がつくのか。

『イ・サン』のソンヨンはいまだ世孫さまに思い出ラブだけど、バーが高すぎるから、やっぱりテスとくっつくのかな。こうなったらとことん引きずり回してくれ。1年以上あるけど。気が遠くなるな。体力つけるか、キムチ食べて。

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良識とちょいワルと

2011-05-22 20:38:33 | ニュース

東京発・本州重心のニュース映像で街行く人たちの服装など見るにつけ、今年は震災後一気に春が“通過”してしまったようで、暑さの到来が意地悪く早いせいでしょうか、「そんなご高齢ではなかったはず」「そんなに体調が悪かったのか」と驚くようなかたの訃報が続いています。

先般の児玉清さん、長門裕之さんの相次ぐ死去も、ついこの間までTVで頻繁にお見かけしていただけに衝撃でしたが、何が驚いたってこのおふた方、年齢まったく同い年なのね。ともに77才。長門さん193312月生まれ、児玉さん翌341月生まれで、お誕生日も2週間ほどしか違わない。

亡くなられたかた、それも数々の出演作で楽しませてくれた名優さんたちをつかまえてこんな失礼なものの言い方もないもんで、絶対なんらかのバチが当たるだろうなと覚悟決めて書きますけど(それほどでもないか)、俳優・タレントさんにおける年齢イメージと実年齢とのギャップの絶好例が、期せずして“2個セット”で出現した思いです。

児玉さんはまだかなりお若い頃から“現役世代の上司”然としていて、“リタイア年齢前後”に見えるようになってからはほぼその位置で足踏みしていた感じだし、かたや長門さんは、1995年の大河『八代将軍吉宗』で水戸光圀を演じた頃から“立派な老爺”に見えましたが、実はまだこの頃は60代になられたばかりでした。要するに、若見えさんと老け見えさんの代表選手が、期せずして同い年だった。うんとお若い、俳優人生スタートの時期ぐらいまで遡るとわからないけれど、2人とも、結構、同年代の人たちがまだちゃらちゃらしていた頃から、早めに大人っぽく老成されたタイプだったのではないでしょうかね。こういうタイプは、年齢イメージが一度固定すると長続きすることが多い。最晩年はご自身や、長門さんは奥様の患いもあって、ちょっと老化が巻き入ったかもしれませんが。

児玉さんと言えば最近は、『アタック25』やNHKBS『週刊ブックレビュー』司会がある意味ライフワークとなっておられて、俳優さんとして新作ドラマでは拝見する機会がなかったのですが、1978年の『白い巨塔』での、田宮二郎さんの財前を訴える原告側の関口弁護士役を筆頭に“知性”“良識”“清廉”担当をつとめることが多かったように思います。70年代初期の、石井ふく子Pによる一連のホームドラマでも、“良き夫”キャラだった記憶はうっすらある。

そんな中で記憶に鮮烈なのは、笹沢佐保さん原作の『人喰い』での、十朱幸代さんを、強い味方の振りして騙す凶悪知能犯役。本放送はたぶん1970年頃で、子供には手の届かない夜10時台の放送だったと思うのですが、終了後1年ぐらいたってから、午後4時頃、ちょうど学校が終わって帰宅すると観られる時間帯に再放送枠があったのですね。夜やってたけど子供の身の悲しさ(大袈裟だ)で観られなかったドラマをこの時間帯に観るのは小学生坊主時代の月河にとって最大の楽しみだったのです。

逮捕された後も「後悔はしていない。(完全犯罪計画成就寸前で)失敗したのが残念なだけだ」と嘯く児玉さんの犯人役は、石井Pワールドの理想の夫イメージが同時進行だっただけに新鮮以上のものがありました。

小坊の月河同様この再放送枠ドラマを家事の合間の楽しみにしていた実家母は、『人喰い』最終回放送日に歯医者か何かで不在で、帰ってきてから月河に「人喰いどうなった?」と当然訊くので、月河がこれも当然「コダマキヨシが犯人だったよ」と答えると、「え゛ーーーーッんなまさかぁぁ!!」と目を剥いて、しばらく信用しませんでした。5話か6話の連続もので、最終話の、それもかなり後半になってからでないと児玉さん真犯人とわからず、十朱さん扮するヒロインが驚愕の真相を知ってからの叙述演出もかなりさくさくと優秀なドラマだったと思います。

児玉さんも役者としては良識清廉以外の、もっと黒い役なども演ってみたいと思った時期があったでしょうし、演れば『人喰い』のように意外に嵌まった可能性もある。ただ稀代の読書家、とりわけミステリ通で知られるように、どこか“俳優業は人生の一部”と割り切っておられるようなふしも垣間見えました。

近年、画像診断の技術が進み癌の中でも早期発見しやすい胃がんは肺がんや肝臓がん等に比べて致命率は下がっており、治療法の選択肢も増え予後は向上していると聞きます。児玉さんのような博覧強記で知的な人が早期発見の重要性、有効性を未知だったはずはない。聞けば最愛の娘さんも胃がんを患われ、在宅医療でご家族となるべく長く過ごす道を選んで、36歳の若さで亡くなっており、児玉さんもどこかで現代医療を相対視して「生死・死期や余命のつかい方を、医療主導で制御されたくない」思いをお持ちだったのかもしれません。

一方長門裕之さんと言えば言わずと知れた、そう言う月河が大幅に知らないかもしれない、日本を代表する芸能一族のご出身で、これという一本なんか挙げたらかえって失礼に輪をかけちゃうようなもんですが、やはり最近は中村吉右衛門さん版『鬼平犯科帳』の相模の彦十でしょうかねえ。

故・江戸家猫八さんが長年築いて来たイメージのあるキャラだけに、さすがの長門さんもいろいろ演じにくかったのではないかと拝察するのですが、この彦十、いまはお頭(かしら)長谷川さまの忠実で機転の利く頼もしい密偵ですが、かつては若き平蔵のやさぐれ時代につるんで、ともに盛り場をのして歩いたこともあるツワモノ。“昔はワルかったが、いまは忠実で気のきく人情派”というこの設定の中の、おもに前半に重心おいた感じが長門彦十の真髄でした。猫八師匠の彦十は、どっちかというと後半メインでしたから。長門さんが演じると、“昔ワルかったがいまも結構ワルい、けど忠実な(以下略)”になるんですよね。

『相棒』の、特命係創設のそもそもの功労者とも言える“閣下”=北條晴臣の再逮捕収監後の話も作れなくなりましたねぇ。繭子(高橋かおりさん)のひとり勝ちか。

長く続いているシリーズだと、作中でキャラとして退場させる前に、演じる役者さんのほうがリアル人生の幕を下ろしてしまうこともある。Season 4“閣下の城”にゲスト出演されていた田中実さんも気がつけば故人です。

先日放送された『どんど晴れ』新撮SPでお顔が見えなかったようだったので、長門さんが扮した南部鉄器職人さんの出番はないホンだったのかなと思ったら、別の俳優さんがその老職人役を演じていたそうです。映像を見ていると息の白くなる寒中の撮影が相当含まれており、やはりすでに体調を考えて交代せざるを得なかったのかもしれません。

児玉さんの『アタック25』もそうですが、長く続いた番組から“いつもの顔”が永遠に消えるというのは、TV視聴者として単純に淋しいだけでなく、生の無常のようなものをも感じさせます。それでも地球は回る。ショーは続く。

閣下の末路は、収監中の瀬戸内米蔵元・法務大臣(津川雅彦さん)にでもしっかり拾ってほしいし、『アタック』もこうなったら地球が滅びるまで続いてほしいですね。ショーマストゴーオン。

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鏑木だよ。

2011-05-19 18:37:27 | 昼ドラマ

「全国のタケオ(柄本時生さん)ファンの皆様、大変長らくお待たせいたしました!」とばかり、18日(水)の『おひさま』タケオdayでした。そうか、出てくるたび挙措がカクカクしているのは、あこがれの陽子ちゃん(井上真央さん)の前だと緊張してしまうからだったのね。タケオの出番はたいてい陽子ちゃんと出くわしたり挨拶をかわしたりの場面だから、それで“年じゅう”カクカクに見えるのか。

 …でも、なんとなーく、陽子も誰もいないところでも、“地”でカクカクしているような気がするのは何故だ。回想で、小学生坊主時代の校庭ラジオ体操中、陽子ちゃんの横顔を見つめていると動きが超マイペースに…という場面が出て、教師になった現在の陽子に「タケオくんも動きがヘンだったから、(教練についていけなくてへこんでいる生徒ミチオくんの)気持ちがわかるかなと思って」とニッコリグサグサ言われてましたが、確か陽子ちゃんが東京から引っ越して来たのは小4のときだったはず。その前は、流れるようになめらかな動きで皆に合わせて体操できていたのかどうなのか。

 しかしなんですな、ドラマ時制でたぶんかれこれ10年は経過しているのだろうに、いまだに「好きだ」のひと言も言えないタケオはもうキャラだからしょうがないとして、「(あの頃の動きのヘンさは)学校に好きな女の子でもいたの?」とニコニコずけずけ言えてしまう陽子の鈍感さもよくよく罪じゃないですかね。よくいるホラ、同性に嫌われるタイプじゃないのか。お茶の間朝ドラヒロインとしてどうなのか。奉公のため5年生途中で通学をやめなければならなかったユキちゃんさえ、タケオが陽子を好きだったと知ってるのに。

 こうなったら、スーパー戦隊における“イエロー回”のように、ヒロイン陽子はOPの顔出しだけで、あとは15分ほぼまるまるタケオの日常、みたいな日があってもいいんじゃないでしょうか。タケオの起床、タケオの顔洗い、タケオの朝昼晩メシ、タケオの入浴。きゃー。公式の人物紹介ではタケオくん、この後出征を余儀なくされるようなので、タケオが入隊して上官にビンタされたり、気をつけ!敬礼!捧げ銃!全速前進!したり、いっそ前線で米兵相手に大活躍したり。匍匐前進とか上手そうだし。軍隊は当然男社会で陽子ちゃんもいないからカクカクの心配もない。

 お国のために水漬く屍、草生す屍と化したりせず、ピンピン生還していまだ熟年陽子(若尾文子さん)に野菜貢ぐ犬塚弘さんになって健在なのもすでにわかっている。なんと安心して愛せるキャラであることよ。タケオあっぱれ。

 18日はその、教練についていけなくてショボーンだった生徒=ミチオくん役の子役さん(鏑木海智さん)(←かぶらぎ・かいちと読むそうです。浅野忠信さんが出ていた写メのCMを思い出しますね)が、夜、録画再生した『霧に棲む悪魔』でも登場。元気な漁港のワンパクくん役でリンゴ頬っぺのお顔を見せてくれました。弓月(ゆづき)だからユヅ兄(ニイ)か。「好きな人がいるなら早めに」「困ったときは相談に乗るよ」とこんなワンパクにうけ合われて、弓月(姜暢雄さん)形無し。

こちらの、太一くんだったかな?はなかなかスミに置けないヤツで、ミナミちゃんという名前の、タケオにおける陽子みたいな憧れ対象もすでにいるらしい。収録としては『おひさま』よりこちらが後だったのかな。子役さんと言えどもプロの役者。役の切り替えが大変そう。

『霧に~』を引き合いに出してしまったなぁ。昨日18日の第28話を御田…じゃなくて観た後ではもう軽々にレヴューとかできませんな。このドラマに関しては、筋立て展開どうこうについて最終話までここで論評しないことにします。しますったらします。何をリキんどるんだ。

…でも、個別のキャラや俳優さんについてはときどき単体で触れてもいいことにしよう。しようったらしよう。誰も止めてないし。

とりあえず弓月のあの微妙なパーマセミロン毛は風に弱いな。

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走ったことが無い

2011-05-18 00:38:46 | 海外ドラマ

15日(日)に第5話まで進んだNHK総合『イ・サン』

世孫(せそん)さま一気に成熟し過ぎ。前週4話の終盤、友ソンヨンとテスの呼ぶ声を夢で聞いているうちにドラマ時制は一気に9年経過。物語の始まった西暦1762年時点のあのお目々くりくりした子役さんが、いきなり、二児のパパぐらいでもおかしくないド大人になってしまいました。

 史実的には李朝第22代国王イ・サン=李祘=正祖(チョンジョ)は1752年生まれ。現代日本に直すと、小34のボウズが大学1年生、もしくは予備校生になったぐらいをイメージすればいいのでしょうかね。もっと文学的にざっくりと、“父恋しい盛りのいたいけなおさな子が、青臭いけれどもたくましい若者に成長”ということで片付けて前に進みましょうかハイ。何しろ全77話あるのです。

 史実の李祘=正祖の出生、即位から治世末年までを軽く調べるとちょっとドラマの先を観る気が失せてくる暗澹さなので、我が国・日本の大河ドラマ視聴の際おちいりがちな“答え合わせ”モードに走らず、あくまで“史実に材をとったエンタメTVドラマ”としてお手並み拝見といきましょう。

…しかし、フィクションにしても暗澹としないエンドに持っていけるのかな、この王さまのこの生涯で。

 あのくりくりおメメが妙に切れ長になったなとか、アゴもやけに横に発達したなとかもさくっとスルーで。ここ何週か韓国史劇ドラマを観ていると、主役・準主役級の俳優さんは男女ともに、日本人にとても近い、日本人俳優の中に入っても見分けがつかないくらいの顔立ちの人が多く、パッと見で速攻あの国の民族の人とわかる顔立ちの俳優さんは、たいてい端役というかモブ、さもなければ老け役だったりするのがおもしろい。ひょっとすると、日本人が、白人系のハーフっぽい彫りの深い顔立ちにあこがれるのと同じようなノリで、あの国の皆さんも“日本人顔カッコいい、あんな顔になりたい”と思っているのかもしれません。五十歩百歩だと思いますけどね。ご近所だし。

 さてまたさらに軽く調べると、『イ・サン』の現・王さま=9年後時制でもややおヒゲの白いものが増えた程度で矍鑠たる英祖(ヨンジョ)さまは、『同伊(トンイ)』のヒロイン・トンイがこれから側室となって産むお世継ぎにあたるらしい。第21代英祖1694年生まれ。『イ・サン』時制では、えーと、1771年になっているわけだから、77歳におなりですか。ふむふむ。つまり、『同伊』は『イ・サン』の、80年ぐらい前の事象を採り上げているわけですな。

 『同伊』の現・王さま=粛宗(スクチョン)さまは、15日放送の第6話では思いっきり笑かしてくれました。おしのび直々捜査に立ち寄った小屋の中で、ドラマらしく簡単に護衛兵士たちと離れて単身になり、これまたドラマらしくタイムリーに刺客に奇襲されピンチ。さらにドラマらしく物陰に隠れていた、未来の後宮トンイに窮地を救われ、怪しい奴らのひそむ家に忍び込んで、と言うか忍び込まされて、ますますピンチ。こういう、“臆面もなくドラマドラマしている”のも、韓国時代劇の微笑ましく心地よいところ。

このスクチョン役、数年前NHKで放送されて人気だった『宮廷女官 チャングムの誓い』で、ヒロイン・長今(チャングム)の運命の男性役も演っていた俳優さんだそうで、それを月河に教えてくれた高齢家族は「チャングムのダンナがこんなドジになった」と泣き笑いしてました。月河は『チャングム』は高齢組の随伴の、そのまたチラ見程度でしたが、この俳優さんはスクチョンみたいな、“おっとり澄ましておマヌケ”なキャラのほうが合うと思うなあ。ちょっとお若い頃、孝夫を名乗っていた頃の片岡仁左衛門さんにも似ている。スクチョンさま、目下、南人派が勢力拡大のため宮中に送り込んだオクチョン=チャン尚宮がお気に入り。ほのかーに“オンナ好き”の相もあるところがいいのです。

それにしても、ウチの高齢組からは、ちょうど並木史朗さんが30年近く「おしんのダンナ」と呼ばれ続けているのと同じように、終生「チャングムのダンナ」と呼ばれるのだろうな。

『同伊』のスクチョンの背後でうごめく南人派(ナミンは。チャン尚宮を推す派)vs.西人派(ソインは。スクチョン母・ミョンソン大妃や正室・イニョン王妃が属す派)の、殺人・偽装上等な政争、『イ・サン』で世孫の父・サド世子が陥れられ幽閉死させられるに至った老論派(ノロンは)vs.少論派の暗闘など、調べ出すと奥が深すぎて抜けられなくなりそう。何しろ、何年頃、誰が誰に何をしたか、どっちがどっちに勝ったか負けたか、なーんにも下地、予備知識がないもので。

こういうの何か活字資料ないのかいなと思ったら、検索一発で出てくる出てくる、韓流史劇ドラマって、冬ソナ系の現代ものメロドラマ、若者男女のトレンディドラマの類いとは別建てで、専門誌、ムック、山のように発刊されているんですね。

カラー写真満載のTVグラフ誌のつねで単価が白頭山並みに高いたかーい。こんなん得心いくまで買ってたら財力が幾らあっても足りない。特撮誌とサントラCDだけで年じゅう、財政破綻寸前なのに。

イニシエの世界史教科書参考書、少しは保存してなかったかな。あったとしても朝鮮半島史は、中国史の百分の一ぐらいしか扱われてなかったしなぁ。

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ラ・世孫・ダムール

2011-05-15 20:17:12 | 夜ドラマ

平均して結構な時間をTV視聴に費やしているウチの高齢組、ここ数年の韓流ブームなるものにはかすりもしなかったにもかかわらず、何ゆえNHKの韓国TV史劇ドラマにいまさら嵌まりつつあるかとつらつら考えてみるに、先日の記事でも月河みずからを振り返った通り、“モチーフになっているあちらの国の史実や実在人物について知識情報が少ないか皆無なので、安心して娯楽として消費でき、妄想も幻想も自由にふくらませることができる”というのは確かにあると思う。

特に高齢組のひとりは、もうひとりに比べて「学生時代、歴史の授業や、歴史の先生は好きだった」そうで、陶磁器や茶器の趣味も無いではないので、『イ・サン』など見ていて「李朝っていうのは気の毒な国でねー中国に攻められて…」と、おやおや受験科目に一応世界史を入れていた月河もびっくり!?な知識のカケラを披露してくれることもあります。

あと、もうひとつの理由として、“我が日本の歴史を主モチーフにしたドラマ、典型的な例を挙げるとNHK大河ドラマに、最近、歴然と元気がない”ということも言えるのではないでしょうか。

“元気がない”と言うより、“模索中で出力ダウン”のほうが当たっているか。もう信長も秀吉も、竜馬も海舟も、謙信も信玄も、平氏も源氏も、映像化、脚色、やり尽くしてしまっているんですよね。コミックやRPGも入れたら、有名どころキャラなら何百、何千ヴァージョン存在するかわからない。

こういうすれっからし状態になると、いまさら新作をいかがですかと見せられても、物珍しさや有り難味が非常に薄く、「今度はどんな竜馬かなー、なーんだ、こんな役者かぁ」「こんなちょろい秀吉あり得ないよ」「昔、○○が扮した信長は良かったなー」という、きわめてしらけた、上から目線な姿勢でしか視聴できません。

製作側は、「そこをなんとか」と、とにかく視聴してもらいたいばっかりに、やり尽くされた人物や史実をどうにか新鮮に仕立てようとして、トンデモ解釈や暴走ファンタジー脚色を加えてしまう。

現行放送中の『江 ~姫たちの戦国~』も、総合の本放送かBSの先行放送か、一週後土曜の再放送か、どれかこれかで一応高齢組、追尾はしているのですけれど、彼ら曰く「出ているキャラ(江はあまり知らないけれど、信長、光秀、勝家、秀吉、おね、茶々、三成、家康…(以下略))がどんな人となりで、どんな末路、晩年になるか大体わかっているから、そうでない振る舞いや退場のし方をしたらコジツケに見える」。

歴史もの、時代劇、いわゆるマゲものが好きで、長年いろんな作品を観て年を経てきた人たちなら、現代の現役世代のサラリーマンPに、漫画台頭期以降育ちの脚本家がタッグ組んで作る大河など、いくら人物解釈・翻案の斬新さ新奇さを競われても“衣装ヘアメイクだけ時代を冠した、ワカゾウたちのコスプレ”にしか見えないのかもしれません。

先月、BSプレミアムのSP『デジタルリマスターでよみがえる大河ドラマ』で、昭和40年代半ばまでの作品の最終話や総集編の一部を観る機会があったのですが、濃いやら黒いやら血糊が多いやらで驚きます。月河も子供だったなりに記憶のある作品や場面も無いではなかったけれど、明朝は仕事という日曜夜8時、いやがうえにも気の重い時間帯に、権力者同士のハラの探り合いや下剋上寝返り合戦、親の因果が子孫に報いる憎しみの連鎖や人の世の無常を、歌舞伎や新劇、新国劇のしぶーい重鎮たちのキャスティングで正面切ってどすんどかんと描いたこんなヘビーでビターな世界、当時の人たちはよくもまあ娯楽として、鬱に入らず享受できていたものと思います。

昭和40年代、大阪万博があり沖縄返還もなり、世の中全体が“リア充”で、希望と向上心と、働けば働いただけ豊かになり、努力すれば努力しただけ報われるという予定調和感にそこらじゅう満ち満ちていたのでしょう。だから昼間のレジャー(←懐かしい言葉だ)や家族団欒に寛ぎ足りた日曜の夜、何百年も前に死んだ歴史有名人たちのダークで屈折して血なまぐさい、最終的にはむなしい斬った張ったをも、“教養お勉強にもなる非日常感あるエンタメ”として楽しめた。

リアルがダークでむなしい現代に、エンタメとして受け容れられるものを制作して提供しようと思うと、どうしてもお花畑ファンタジーな、なんちゃってマゲものになる。

「コタビのイクサは、いかがでございましたか」「イヤにございます」「ソウユウウワサにゴザリマスれば」式の、小学校の子供が時代劇ゴッコしてるみたいなシロモノを、昭和40年代のダークへビー路線の大河を知る人たちに見せたって、半笑い以上の感想が出るはずがない。作るほうも「こんなんでいいんかなあ」という逡巡や気恥ずかしさが拭えないから、いま日本の“史劇”=大河ドラマは出力不足で元気がないのです。

一方、知らないがゆえに劇中でどの人物が何やっても、カッコいいものはカッコよく、いたいけなものはいたいけに、悪辣は悪辣に、おマヌケはおマヌケに、額面通りストレスなく受け容れられる韓国の史劇が、高齢組に歓迎される現状。日本の、日本人Pや作家さんたち手になるTV番組で育った、TVっ子第一世代としては一抹残念ですが、でも、おもしろいもんなあ『イ・サン』も『同伊(トンイ)』も。

OPで毎話、顔出し決めポーズ&決め顔つき“人物紹介”があるのも、スーパー戦隊っぽくて、月河にはフレンドリーなのです。

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