イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

朝も夜もひかり

2009-02-28 00:13:08 | 昼ドラマ

2月末、ここから一気に春に向かうかと思いきや何やらグズグズ。カラッ、ジリッと夏らしい季節感を求めて、最近再び岩本正樹さんの『白と黒』サウンドトラック(←←左柱←にタイムレス・マイベストとして載せています)も聴き直していますが、やはりいいですね。

ドラマや映画のサントラCDは、1曲めに主題とも言うべき“劇中いちばん頻繁に流れて、耳馴染みができた曲”をもってきて、締めには最終話のクレジットに流れたテーマをいきなり荘重なアレンジで…というラインナップが多いように思いますが、この盤はすっと忍び足のように始まって、二つから三つのピークをきちんと上り下りし、過剰にテンション上げずにラストの『ひかり』(原曲はプッチーニ作の歌劇『トゥーランドット』より)インストにつなげる。

アタマから順に通して聴いたり、ランダムで聴いたりしていると、本当に部屋の中に夏のひかりが、高原の緑の匂いを連れて差し込んでくるよう。

ドラマ本編は、先日もここで触れたように、放送終了後地点から再展望すると、少なからず残念な点が散見されるのですが、この音楽だけで取り返して二往復分ぐらいお釣りが来る。唯一不満は、劇中かなり印象的、効果的に使われていた記憶のある曲が、いくつか未収録という点のみです。

放送中公開されていた番組公式サイトで、岩本さんはこのドラマ音楽のテーマを“まなざし”“情熱”においてみた…と語っておられました。TVドラマの劇伴のつね、放送開始までには全曲完成済み、放送中どの場面にどの曲を使うかは選曲、音効担当さんのお仕事の範疇になり、曲から場面や台詞が派生してくることはまず無いのでしょうが、この曲たちが先に完成していて、曲のイメージから脚本が書かれていたとしたら、いま少し“理屈の小骨”の抜けた、情緒的にふっくら肉付きのいい作品になったかもしれないなとふと思いました。

ドラマを視聴していて、若干気持ちが置き去りにされてしまう局面も、このサントラによって湧いてくる感興で橋を架ければ、かなり解釈が助けられるし、人物をより好きにもなれる。音楽が想像力に働きかけるパワーのすごさを改めて感じます。

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いま以上それ以上

2009-02-26 20:34:59 | 特撮・ヒーロー

仮面ライダーの造形(彩色込み)と言えば、個人的に初見でいちばん衝撃を受けたのはどの作品の何ライダーだっただろう?とふり返ってみました。

個体数としては、劇場版も入れると触れ込み通り13体のライダーが入れ替わり立ち代わりした『龍騎』が圧倒的ですが、あらかじめ明らかに正義ではないライダー、性悪なライダーとして登場したヤツらもいて、“仮面ライダーらしくなくてむしろ当たり前”感があり、造形的にそんなに暴走していた印象はありません。

襟足に尻尾風のお下げがついてたライア、肩からにょっきりツノが生えてたガイ、胸当てや肩が毛皮仕立てだったインペラー、マスクの上アゴにヒゲヒゲのタイガなど、基本的に戦隊の動物モチーフ怪人でも使えそうな着眼点でなかなか愛くるしいヤツばかり。いずれも、シリーズ主役で唯一無二の正義のライダーとして出てきたらさすがに違和感があったかもしれませんが、元祖仮面ライダーのような改造人間ではなく、そこらにいる普通の、いろんな欲や願望を持つ若者たちが“モンスターと契約して得た、かりそめの変身能力”のヴィジュアル化としてはうまくいっていたと思います。

ガイやタイガ、TVSPのベルデなど、立ち居から戦法から何からあからさまに敵性というか、“正義なるものに背反”感に満ちていました。カメレオンの舌先で空中ブランコして敵を地面にアタマからぶっ刺したり、虎にズリズリ引きずって来させて、自分は立って待ってて爪ぐっさり突き立てたりする正義のライダーなんかいるわけがない。「綺麗事の正義や世のため人のために戦ってるんじゃない、オレはオレの欲しい物、叶えたい夢のために戦うんだ」という、正統派ライダーとは違った切実感があって、カッコいいとか強そうとかを超えた魅力がありました。『龍騎』はヒーロー物語としての異色性が、造形の異色性とうまいこと地続きになって、両方が成功した好例と言っていいと思います。

 放送前の紙媒体で見て、いちばん驚いたのは翌年の555でしょうね。TV誌の白黒写真で偶然目にしたのですが、“先端企業(スマートブレイン社)が開発した超性能工業製品”という設定解説がなかったら、「もうコレ仮面ライダーじゃないし」と脱力して視聴しなかったかもしれません。

1号ライダーからずっと、“含有量”を匙加減しつつ継承されてきた“昆虫モチーフ”“動物っぽさ”が完全に払拭され、ギリシャ文字のΦから発想されたという無機的な工業性全開のルックス。そのため期せずして“無機的な工業製品が、人間を愛する心を持って、人間らしい動きで人間のために戦っている”という特異な構図が生まれ、これまた異色の魅力作、魅力キャラになりました。

しかも敵対する怪物群=オルフェノクは、ファイズたちライダーの無機性とは対極的に、思いきり動植物っぽい有機性を湛えつつ、彩色は遺灰を思わせる基調のモノトーンで“命あるものの終焉、衰亡”を体現していました。人として一旦死し、人に敵対する者、人の滅亡をもくろむ者として再生する存在をヴィジュアル化したら、生々しい彩色を持たないああいう形になるのは自然。『龍騎』とはまた少し違った意味で、造形の冒険が奏功した作品と言えるでしょう。

こうして見てくると、平成ライダーの歴史は、“もともと異形の者として設定された‘仮面ライダー’を、異形という前提からさらに踏み出して異形化することで、どれだけの物語を紡ぎ出し得るか”の挑戦の歴史のように思えます。

始まったばかりの今作『ディケイド』は「あらかじめすべてを失った者」と設定されています。言い換えれば、『クウガ』から『キバ』までの9ライダーは、すべて門矢士である可能性があった。士=ディケイドはそれぞれのライダーの“世界”で、“自分だったかもしれない”ライダーと共闘したり援護したり、揉めたり敵対したりしなければならないのです。

言わば“敵も味方ももうひとりの自分”

いままで、自分を含む人類を脅かす敵と戦って勝利するのがデフォルトだった正義のヒーローとして、これ以上の“異形性”はありません。前の記事でピンクメインカラーにグリーンアイズの、カラーリングの突飛さに注目してみましたが、今後は物語として“自分がネイティヴヒーローだったかもしれない世界”“通りすがり(=どこかから来てどこかへ去る第三者)の仮面ライダー”として戦うディケイドが、どれだけ膨らみ、味を出してくれるかを見守りたいと思います。

最後に駆け足になりますが今日はこれに触れないわけには行かない、と言うより今日しか触れる機会はないと思うので書いときます。不倫交際から23年ぶり復縁入籍の玉置浩二さん石原真理子さん。第一報聞いての感想は「大丈夫か玉置」

芸能記者に詰め寄られて涙の会見やってた頃の石原さん、「痛いから本当にやめて」と訴えながら膝裏蹴られて階段転落、救急搬送された頃の石原さんではなくなっていることに、玉置さん、気づいているのかどうか。あの後の23年少々、玉置さんはバンド解散や俳優業への転身、再婚→離婚→再々婚→再々離婚、その間には腸憩室で入院など芸能人なるがゆえのプレッシャーを数々こうむってきましたが、石原さんは、ご本人の自覚はいざ知らず、傍目からはまったく矯正も抑圧もされることなく、青天井でここまで来ています。

月河のカラオケテリトリーの中に結構な曲数があるので、いまだにPVなど観る機会が多いのですが、80年代中盤のナル全開で、アイラインに肩パッド衣装でブイブイ言わしてた頃の玉置さんならともかく、五十路を迎え体調も万全でなく、新譜の報もついぞ聞かない玉置さんに、“DV後青天井23年”の石原さんを制御する、あるいはせめて伴走するエネルギーが残っているかどうか。

なんとなく、高齢家族の近似年代女友達のうち、少なくない人数の皆さんが冗談めかして「ウチの旦那にはわがまま放題、女遊びに賭け事好き勝手されて泣かされたたから、定年後介護が必要になっても絶対面倒見てやらない、カタキとってやる」と笑っていたのを思い出してしまった。玉置さん、よもや女を舐めちゃいないか。本気で惚れた相手だからこそ、煮え湯飲まされた経験は、女は(それこそオルフェノクじゃないけど)灰になるまで忘れないからね。

それにしても、この足かけ二日で85年頃の、不倫交際時代のお二人それぞれのVTRをずいぶん見せられましたが、熱いなあ。お二人ご自身じゃなくて、映り込む芸能レポーター、カメラマン、インタヴュアー等等の体温が。ほとんどのVが夜中、マンション玄関口前やテレビラジオ局の駐車場か通路と思われる狭い空間で、ご本人の周りに押し合いへし合い、「どうなんですか」「どうするんですか」「退いて!」「開けて!」とかなんとか口々に叫んでいるんだけど、当時のカメラの夜間撮影で粒子が粗くて明暗のコントラストがきついので、いや増しの殺気と切迫感。

交際も妊娠も入籍もFAX一枚、メール一本、せいぜいブログの一エントリで公表を済ませるのが当たり前になった当節の芸能界、芸能マスコミ界に比べると、あの頃は取材するほうもされるほうも、アナログな、肉感的な熱気に満ちていたものですね。不倫となじり熱愛と持ち上げつつ、“生々しさ、人間くささへの希求”とでも言いますか。

当時の玉置さんぐらいのミーハー人気の既婚ミュージシャン(そもそも、居るのか)と、石原さんぐらいの美人お嬢さま女優の不倫交際の噂が立っても、いまのマスコミはあれだけ生身で肉弾突撃はしないでしょう。代わりに誰もがレポーター、カメラマンになれるネットというものがあるし、盗撮投稿サイト的なものもいくらもある。

23年を経て再び渦中の当事者となったお二人をよそに、世の中の“体温”“血圧”がずいぶん低下したものだなぁと思います。もう、あまり人間が人間を好きにならなくなった、人間に興味を持たなくなったのかもしれません。みんな自分のことだけでじゅうぶん忙しいし。

そんな時代だからこそ、“23年もたっていまさら復縁”のお二人には希少感があって騒がれるのでしょうね。

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通りすがりの

2009-02-25 00:32:33 | コスメ・ファッション

『仮面ライダーディケイド』22日放送の第5話では“父の願いを息子へ”を軸に『キバ』の世界をなかなかうまいことまとめていましたね。第4話で初登場時は「うわ、何この兄弟揉めてた頃の貴ノ花親方みたいなおばさんパーマ」と思った少年ワタルくん(深澤嵐さん)も自分の“行きたい場所”が見つかったときにはとてもいい、少年らしい表情をしていたし、こんな達成感が“ライダー世界”ごとに味わえるなら10年目のお祭り、大歓迎です。

しかし、主役のディケイドの造形デザイン、他のどの平成ライダーともかぶらないイメージで月河としてはかなり好感を持って見ていますが、小さいお友達にはアレ、人気なんでしょうか不人気なんでしょうか。マゼンタ寄りのチェリーピンク基調にグリーンアイズ、顔面マスクの鉄格子風タテジマはバーコードから派生したのか、空間移動感・タテ揺れ感があってなかなか喚起力に富んでいるけれど、色使い限定なら30年前の昭和ライダー期には“男の子向け正義のヒーロー”にはまず使われなかったコンビネーションではないでしょうか。

元祖“仮面ライダー”がブラウン管に登場する頃、昭和40年代中盤には、男の子が赤の、いまで言うカットソーみたいなものを幼稚園などに着て行っただけで「赤シャツ」「オトコオンナ」とからかわれるような土壌でした。赤系、ましてやピンクは、ランドセルや靴などの“大モノ”アウターはもちろん、筆箱、下敷き、消しゴム、鉛筆、鉛筆にかぶせるキャップといった端役グッズに至るまで“男の子が身につけたり持ったりしてはいけない、持っているところを見られたら恥ずかしい色”とされていた。戦後の男女共学公教育の弊害、とまではいかないけど少なくとも“弊”のひとつでしょうね。平等に、分け隔てなく取り扱おうとして、結果“自主規制”を強いている。

一般市民の小中高校生男子で、私服私物にピンクがおシャレとしてオッケーになったのは、ものすごく大雑把に言えば、ヒッピーやフラワーチルドレンやグループサウンズ世代、さんざん男らしくない、不潔だ不健康だと言われながらロン毛(と言うより、当時の謂いでは“長髪”)に花柄スモック、ベルボトムGパン(ジーンズではなくとことん“Gパン”)でそこらを練り歩いていた世代が一応大人として社会に取り込まれていった昭和4850年以降ではないかと思うのですがどうでしょうか。

確か昭和47年の日本レコード大賞で、新人賞の郷ひろみさんがパステルピンクのシャツに同色基調の花柄のジャケを着て登場、同じく歌唱賞の沢田研二さんはコーラル味の深紅のベルベットのスーツで『許されない愛』を歌っておられたと記憶しています。彼らなりに他の歌手とは一線を画したくハリコんでのドレスアップだったのでしょうがかなりのインパクトで、子供心に「ああいう見た目(=細甘、中性的)で、ああいうキャラの人たちだから“女の子色”でも通用するのだな」と納得していたような。

1975年に放送開始した『秘密戦隊ゴレンジャー』企画時、“子供にいちばん好まれている色”が赤だということで、以降の歴代戦隊リーダー・主役は“レッド”が伝統になりました。赤は性別と関係なく、“太陽”“お日さま”あるいは“日曜日”と結びつく色としてお子さま人気が高いのかもしれません。

「この先スーパー戦隊に女性戦士レッドが登場することはあっても、男性戦士のピンクは出ないだろう」とよく言われますが、いち早く仮面ライダー世界には直球でピンクがメインカラーのライダーが実現しました。小さい男子のお友達から見て、ヒーローがピンクであることは「強くてカッコいい」の邪魔にはいまやまったくならないし、矛盾しないのですね。月河の子供時代は、男子も女子もずいぶんヘンなことにこだわっていたものです。

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“枝”“豆”

2009-02-23 00:51:38 | 特撮・ヒーロー

いいですねえ、モヂカラ。『侍戦隊シンケンジャー』。先週の第一幕で、レッド丈瑠(松坂桃李さん)が“馬”と書いたら馬が出てきた時点で、事実上魔法戦隊じゃん!と思ったのですが、“風”と書けば風が吹き、“石”と書けば石が転がってくる。グリーン千明(鈴木勝吾さん)は“草”の筆順が間違っていたので何も起きませんでしたが、正解だったら書板から草が生えてきたのかしら。

志葉家は丈瑠が十八代めの当主とのこと、途中で何代かは“”とか“”とか一筆奏上して楽しんでた不届きなバカ殿様もいたんじゃないかな。やってみたくなりますよね、人情として。

でも“折神(おりがみ)”に各メンバーが搭乗して、レッドの“合”で侍合体するところとか、「大シンケン、侍斬り!」で“斬”の字が出るところなんかは『ネプリーグ』の書き取りビームを思い出しましたね。

例年、顔出しや声でお笑い界から12人はゲストインするスーパー戦隊ですが、今年は波田陽区が死ぬほど出たがってるだろうなあ。毎日、テレビ朝日社屋の前を、売れてた頃のあの衣装で往復して声かかるのを待ってたりして。なんなら玄関前にテント張って泊まり込んでたりして。

ランドスライサーが飛び過ぎてレッドの戦闘を邪魔してしまったイエローことは(森田涼花さん)が責任を感じて、庇ってくれてダメージを負ったのに、「この程度で潰れるようなヤツは要らない、放っとけ」って殿様酷くない?と思ったけど、瓦礫の陰で逃げ遅れた子供を助けなければと思って、彼なりにメンバーともども自分を鼓舞しようとしていたんでしょうね。折神大変化後の“おでんフォーム”に「オレ余ってるだろ!」がおもしろかったので、今日のご無体な強腰は若さに免じて許しましょう。ことはには戦闘終了後に「おまえは強かった」とシャイにお褒めたまわってましたしね。

そのおでんフォームを作った張本人、勘違い街道まっしぐらのブルー流ノ介(相葉弘樹さん)「間違ってますか!?」、いきなり上半身脱いで切腹!?と見せかけて滝(←公園噴水)修行と、依然振幅が広い広い。“間違ってますか”のときの反っくり返り具合など、スーツアクターさんも流ノ介のキャラをよくわかっておられる。先週の第一幕限りのご出演かも知れませんが、流ノ介パパは加門良さんでしたから、シンケンジャーも先代までのブルーは落ち着いたキャラだったと思われるのですがね。

「…何だ?」「おでん?」と首をかしげたり、ボケにはボケで対抗とばかり「コケオドシー!ダルマ落としー!」と調子を合わせてくれたりの巨大化オオツムジも一瞬可愛くて、「外道衆においとくのは惜しい、ガイアーク(@ゴーオンジャー)に来てほしい」と思ってしまいました。

もちろんこの番組の優秀さは、巨大ロボ合体違いでおでん型になるというボケ単体ではなく、そのボケの伏線としてAパートで本物のおでんを出しておく抜かりなさ、おでんフォーム仰望カットで鍋のグツグツ効果音をかぶせるという演出の小ワザにあるのは言うまでもない。

今日の第二幕で初披露のOP、レッド以下メンバーひとりひとりのアップにキャストクレジットが添う形でないこと、本編終了後ED前にCMがはさまり、“ゴーオンゼミナール”的なお楽しみコーナーがないことなど、前作『ゴーオンジャー』とも、その他の過去戦隊の公約数とも勝手が違う点がいくつかあってまだ戸惑いますが、“侍”の厳しさ、“正義”の言うは易く行うは難さ、チームワーク一日にして成らずを強調した今日のようなエピでも、変身&名乗りの前には黒子がどこからともなく何人も登場し志葉家家紋入りの旗さしものや幕を張るなど、戦隊ならではのネタもたっぷり。小さなお友達が手に汗握ってドキドキの局面があっても、基本的には大きいお友達も込みで明るく笑って観られるのがこの枠の魅力です。

それにしても、いいよなぁモヂカラ。一度に1文字ずつしか有効じゃないのかな。“”“”って書いて書板の前でジョッキ持って待ってたらどうだろう。

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ひさかたのひかり

2009-02-22 00:37:26 | お笑い

深夜、昼帯ドラマの再生チェックに充てていた時間帯が不本意ながら空いたので、時節柄夏らしい風景や空気感が恋しくなってきたこともあり、昨年7月期放送された『白と黒』の録画を少しずつ再生視聴していたのですが、“ラストがああなる”ということを念頭においたうえで観ると、やはりちょっと作品として弱かったかなと思いますね。

“愛する人を、愛するがゆえにみずから手にかける”という結末は文学作品や演劇、漫画でも枚挙にいとまがありません。このドラマではヒロイン礼子(西原亜希さん)が生来情熱家でも恋多き女でもなく、知的で良識あり自立志向も強い、激情や愛欲にいちばん流されにくいタイプの女性だったからこそ終局のカタストロフがいや増しに感動的にならなければならなかったはずなのですが、礼子の、人間的成熟はともかく、恋愛情熱面、官能面の漸進的上昇がやはり胸にあまり来ない。

ひるがえってそのお相手・聖人(佐藤智仁さん)も、コンプレックスと起伏に富み、意外性と、お約束的萌え性を兼ね備えたおもしろいキャラクターではあるけれど、礼子がなぜ“ラストにあんなことをする”までに思うようになったのか、そもそも、礼子が自分の社会的立場や、家族として妻として期待される役割の桎梏のもと、どれほど本気で聖人を熱烈に思っているのかも、鮮明かつ腑に落ちるように表現できているとは言い難い。

1作の放送クールの長い昼帯ドラマや、特に1年スパンの特撮では非常によくあることですが、「とにかくラストはこう締める」を端緒から製作スタッフ全員ハラに据えて、そこへ向かって本筋も脇筋も収斂して行くようには作られず、多かれ少なかれ“走りながら考える”ため、全話終了後、ラストを知った位置から展望して、特に前半の放送回を再視聴すると、かなり不整合だったり、整合してないこともないが“接着力”が弱かったりはするものです。

走りながら考えられ、走りながら作られているということは、それこそ当節流行りの“ぶれ”と言っちゃ聞こえが悪いけれど、放送途中での視聴者の反響や評判、スタッフみずから視聴してみた所感が以降の製作に取り入れられやすく、航路修正しやすいということでもある。ステージと客席が一体になって、上へも下へも、明るくも暗くも呼応し合う、一期一会のライヴ感とでも言いましょうか。これはこれで、あっていいと思う。

俳優さんたちにしても、「あなたの役は結末こういう行動をして、こうなるからね」と撮入前に言い含められてから、馴れ初めの頃からの演技を積み重ねて、結末へのベクトルを作っていくのは、演りやすいようで逆に難題かもしれない。

『白と黒』にしても、本放送中=“走っている最中”は観る側もそれなりに局面局面で納得して次の展開を待望しつつ最終回に突入したのですが、録画再視聴すると「“愛ゆえに殺める”がカタストロフになるようなテンションの話じゃなかったな」というのが正直な感想。

放送中何度も触れた脚本家さんの複数リレー体制ゆえに“唯一無二動かしがたいラストへの求心性”がぼやけたのか、演者たる西原さん以下若い俳優さんたちの読み込みの浅さと表現力不足の結果なのか、単純に“ぶれた末に間際になって決まったラスト”だったからなのかはよくわかりません。

聖人のコンプと屈折度、礼子への好感含みの接近を“失われた母親”に直結させて造形したのも遠因かもしれない。ドラマにおいて“母”の破壊力は最強ですから、これを出してしまうと他の肌理細かい設定や描写があらかた飛んでしまう。

月河はこの作品に関しては、1話冒頭の半横転自動車による『希望号の難破』(カスパー・ダヴィッド・フリードリヒ描く)風1カットをもって、後に続くすべてを正当としてもいいと思ってはいます。

4月から2ヶ月クールになるというこの枠の連続ドラマ、11話、局面局面でのキャッチー仕掛けに拘泥せず“連続性”を柱に保ちつつ、ライヴ感も悪くはないけれど“ラストのワンシーン”を確固と見据えてスターティングゲートを開くような、ハラくくった作り方を見せてほしいと思う。

『爆笑オンエアバトル』19日(2440~)放送は、オンバトヒーローズのタカアンドトシを目当てに録画視聴しました。18連勝のスタートとなった016月のV赤茶色の色鉛筆の削りたてみたいなタカに大爆笑。一方トシは体型こそ現在とあまり変わらないものの、こぼした黄ペンキ拭いた雑巾みたいなアタマ。何でまた2人揃って色素のうすーいイデタチで挑戦してきたもんだかなぁ。

ご本人たちがカミングアウトしているように、すでに常連として人気だった組との競演で、自信がないやら、それでも一丁アピールぶちかましたいやらで、千々に乱れた心境があのヘアファッションだったのでしょうかね。まぁ茶髪ブームも一巡して、やり過ぎ感漂う妙にケムったような、いぶしたようなヘアカラーが流行った時期ではあった。

本編はななめ45°タイムマシーン3が揃って517kbを記録しましたが、ともにパンチ力はもうひとつで“名前で入った玉”な感。4457kbえんにちも“いつもの感じ”だったし、もうオンバトの客層が、完全に新奇でオリジナルなものや新機軸的なことを期待していないのかな?とさえ思えた回でした。アイパーの「紅一点!高島礼子!」はキレがよくて笑ったけど。

そっか、お約束や既視感が好きならオレらはこの手だとばかり、445kb5位に食い込んだアームストロングは、前々回オンエアのコンビニ面接ネタをそっくり“性転換”、OL給湯室後輩イビりネタに化粧直しした確信犯。「座れ」「(椅子)2個使え」のところがどう“転換”されるか楽しみに見ていましたが、あぶらとり紙に形見のマスカラって。裏返し方があまりスマートでなかった上、「こうやんのよ」が前回ほどきれいにシンクロしなかったなど演じの雑さもあるけれど、“ゆるくてバカっぽい”という彼らの芸風の魅力に、“女子の世界”は相性が良くないんだと思う。

パップコーン3465kbは、オンエアごとにこちらも慣れてきたし、5人の演技が安定してきたことは認めていいと思いますが、募金の男と石売りが結託した段階で「グルの人数がだんだん増えていく話だな」と読めてしまった。こうなったら、アフロを諭しブレーキかけていたメガネも入れて“5人全員詐欺の練習中だった”までやらないとダイナミズムが感じられない。

今日の記事の前半とちょっと齟齬するようですが、“心情にも理にもかなう、唯一の結末”にあまりまっしぐらに求心し過ぎると、“途中で読めてしまう”というしらけに陥る弊も。ネタ作り、ホン書きとはむずかしいものです。

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