イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

はじまリングィネ

2008-03-31 21:30:05 | アニメ・コミック・ゲーム

「なんたるチア、サンタルチア」…ダウンタウン松本も『炎神戦隊ゴーオンジャー』観てるのかな。昨夜(3302326~)の『ガキの使い』“ききとんかつソース”を出会いがしら視聴でふと思いました。松本さん、ヒーローもの変身モノ好きそうだもんなぁ。

同日の本家『ゴーオンジャー』GP7は、ジャイアン族炎神キャリゲーターの戦列加入を説明するのにいっぱいいっぱいで、お話としてはあまり広がらなかった。

依然、ブラック軍平(海老澤健次さん)が何やってもいちばん持ってく感。「自分の何にこだわりを持っているか」「何をもってゴーオンジャーに適任と自負しているか」が、5人の中で最も明確に打ち出されているのが大きいと思う。刑事魂、射撃の腕前。相棒としてコンビを組む炎神と、いちばんキャラが近接しているのもブラック(=ガンパードもプライドあふれるスナイパー)だし。

『仮面ライダーキバ』10は、こちらはフロッグファンガイア=大村(村井克行さん)があらかた持って行きました。虹色の破片となって、かつて自分が作ったヴァイオリンの名器=ブラックスターの沈む湖底に消える最期。

“怪物の中にも人間と親和する感性(←今回は音楽を愛する心)を持ち、人間を害しない者もいるのに、怪物というだけでぜんぶ滅ぼすことは正義なのか?”という、仮面ライダー世界では古典とも言うべき問いを突きつけたエピソードでした。

村井さんは555のローズオルフェノク=スマートブレイン村上社長以来久々のこの枠。ヒーロー世界のモンスターを演じると、異形性とはひとつの貴族性である”を体現する見事な嵌まり様なのに、昼ドラ『レッド』(01年)、『永遠の君へ』(04年)辺りではどうもはじけ切らず、“ココリコ田中の浅黒こぢんまりヴァージョン”にしか見えないのは、彼の芸風や存在感に、昼ドラの空気感が合わないからなのかしら。体躯は標準だし、顔立ちも個性的ではあるけど整っているほうで、突出して怪異な感じではないのに、特撮世界でのこれだけの輝きが昼ドラに行って活きない、残念な俳優さんのひとりです。

昼ドラと言えば『花衣夢衣』が今日第1話。特撮界からはウルトラマン80長谷川初範さん、同ガイア吉岡毅志さんが参戦。ボウケンジャーの“おっさん”牧野=斉木しげるさんも入れてあげなきゃね。

流して再生した感じでは、主役の双子姉妹を演じる尾崎由衣・亜衣さん、ちょっと演技がリキみ過ぎで、もっとひそやかに話し交わしていいしんみりした場面でもキャピキャピキイキイ喋り倒しているのが気になりました。

“瓜二つなのにモテるのはいつも妹(=真帆)”という損な役回りの澪(由衣さん)の造形ももうひとつ説得力が足りないかな。途中で主役キャストがバトンタッチすることはわかっているだけに、序盤のキャラ固めはしっかりやってほしいところですが。

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僕らはどこへ行くのだろう?

2008-03-30 21:45:51 | アニメ・コミック・ゲーム

先週NHK BS27夜連続放送された『とことん!石ノ森章太郎』、放送中の『キバ』ウォッチャーとしては看過できず、昨日(29日)2000~の第7夜『仮面ライダーシリーズよ永遠に』をHDDに最高画質で録画。

とにかく深夜2645までの7時間弱ですからね。VTRでは3倍モードでも途中で1回テープを入れ替えなければならないし、まして翌日曜は朝730『炎神戦隊ゴーオンジャー』からレギュラー録画もある。夜中の300にごそごそ起きてテープのガシャ出し入れなんかとてもできない。

というわけで、今回は「HDD内蔵レコーダー買ってよかった」を心から実感の初体験となりました。

……しかし、一夜明けて、朝寝坊の900過ぎ、“録画済みリスト”見ると、この1タイトルで420分。最近は、居間のHDDから、高齢家族就眠後いつでも自室デスクのPCで再生できるDVDにムーヴしてファイナライズして、初めて録画一丁上がりと思っているのですが、「VTRじゃなくHDDに録画してよかった」が実感できるレベルの画質に焼くには、チャプター分けした上で、DVD45枚要する。

いつものように高齢・非高齢ともに家族の誰もTVもレコーダーも使用してない深夜・早朝の時間を選んでダビるとしたら、うまくいっても23夜かかるわけ。

ここまで作業予定組んで改めて自問してみたのですが、『仮面ライダー』って、月河の中ではあくまで“特撮TV番組”であって、石ノ森漫画(ご本人は晩年“画”とコンセプト表記しておられたようですが)ワールドの実写化、ではないんですね。

石ノ森(←やはり“石森”のほうがしっくりくる)作品は、月河にとって『佐武と市』『サイボーグ009』ぐらいまでで止まっている。石ノ森さん自身のご活躍と仕事量をよそに、月河の中ではそれ以上には拡がらなかった。

『クウガ』以降の所謂“平成ライダー”、特にリアルタイムで接した『龍騎』以降の作品は、OPクレジットに“原作 石ノ森章太郎”とあっても、言われなきゃ思い出さない…って、いやまさかそこまで失礼千万ではないまでもですよ、せいぜい“背景の地盤のそのまた地底が地続き”ぐらいの認識でしか観て来ませんでした。

冒頭のスタジオでは、スタジオにはライダー変身前OBとしてV3宮内洋さんと、555半田健人さんの2ショットも見えました。最近は昭和歌謡・高層ビルコメンテーターとしてNHKにも、民放クイズ番組でも重用されている半田さん。宮内さんはナマ出演姿は『深夜戦隊ガリンペロ』以来のような気も。BS2なればこその時間枠の長大さとも相俟って、スペシャル感はひとしお。

しかし420分。ふぅーーー。チャプター分けダビングの練習にもなるからきっちり保存はするつもりですが、“お宝映像”として以上の体温で、完走視聴できるかな。

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虹の都 光の港

2008-03-29 19:47:32 | テレビ番組

『トリビアの泉』か『伊東家の食卓』のどちらかだったと思うのですが、「童謡『うれしいひなまつり』と、同じく『どんぐりころころ』と、TV時代劇『水戸黄門』の主題歌『ああ人生に涙あり』は、ぜんぶ相互に歌詞を入れ替えても歌える」という豆知識を聞いたことがあります。

女声・男声ふたつのプロ合唱団の皆さんが、実際、入れ替え全ヴァージョン歌って聞かせてくれた記憶があるのでのでガセではありません。

どれも独特なシュールな味わいがあったのですが、特に『ひなまつり』のフシで歌う、

  ♪人生楽ありゃ苦もあるさ 涙のあとには虹も出る 

あーるいてゆぅくぅんだしっかりと じぶんのみーちをふみしめて

……は実に脱力な、あたかも春霞にけむった青空の向こうに虹を仰ぐかのような、一種、幻想的な気分さえ醸し出してくれたものです。

 28『安宅家の人々』最終話、危篤の宗一(内田滋さん)の枕辺で久仁子(遠藤久美子さん)が『どんぐりころころ』を歌いはじめた場面で、唐突にこの豆知識が想起されてしまい、フシが『ああ人生に涙あり』に変換されて、しかもなぜか譲二(小林高鹿さん)の声で、脳内にローローと響き渡ってどうにも止められなくなってしまいました。

  ♪どーんぐりころころ どーんぶりこ

   お池にはまって さーあ大変

   どーーじょおが出ぇてぇ来ぃて こーんにちわ

   ぼっちゃんいっしょに  あーそびぃまぁしょー

……“いっしょに”と“あーそびぃまぁしょ”の間で半パクおくところが、実にこのドラマの紡ぎ出す、“(良くも悪しくも)○ソがつくくらいマジメマッポウ”な空気感にあまりにもマッチしていて、宗一が息を引き取り通夜の場面に変わっても脳内再生がエンドレス。

“どんぐり”という言葉、イメージもこのドラマを象徴するのにナイスマッチでしたね。中央競馬にも90年代後半から、2000年に入っても平地芝~障害レースと活躍したドングリって馬がいて、名前のキュートさだけでいつもそこそこ人気していたよなあ、とか余計なことまで思い出してしまった。

久仁子とのたった一度の愛の交歓で、命を宿して逝った宗一さん。「愛はひとつだけじゃない、夫や妻、恋人を思う愛、花や自然や生きとし生けるものを思う愛、その人のことを思うだけで幸せになる、それこそが無償の愛」を皆に教え伝えるためだけに、この世に短期滞在したような存在でしたが、それなら34歳の中年男性にまで引っぱらずに167の少年で描いて終わらせてもよかったような気もしますがね。

55話(21日)の久仁子との愛の場面も、久仁子は自棄になった譲二に暴行されかけ逃げ出した直後、宗一は「雅子さん、自由、追いかけません」と自分に言い聞かせている最中という緊急避難みたいな地合いじゃなくて、もっと“お互いに唯一無二の存在”が伝わる描写で結ばれてほしかったな。

とりあえず、ありがちな不倫三角関係やレイプで望まぬ妊娠、報復の連鎖などさんざん手垢のついたモチーフを筋立て上ほとんど使わずに3ヶ月、60話もたせ切った(そのためにお話が全般にキレイ事主導というか、絵に描いた餅っぽくなったうらみはあるものの)心意気には、この枠の“進取の気性”を感じさせてもらいました。

しかも、昼ドラベーシックの一環である“親の因果が子に報い”だけは、先代安宅宗右衛門・綾子夫妻の遺志という形で最終話までしっかり報いまくっているという伝統芸的抜かりのなさ。

どうせなら高原ホテルの10周年記念パーティー、宇田川母・さきさん(山本みどりさん)、譲二母・佳恵(奈美悦子さん)、宗彦叔父さん(小野了さん)も顔見せてくれて、久仁子の元フィアンセ稔(阪本浩之さん)も「誰も知らなかったと思いますが実は独立して事務所開業してたんです」と花束持参で来訪、従業員幸太郎くん(荒川優さん)とマリちゃん(松下萌子さん)が「誰も知らなかったと思いますが実はボクたち付き合ってました、結婚します」って発表するとかすれば『蒲田行進曲』のエンディングみたいで壮観だったでしょうにね。

このドラマのような『○○家の人々』『~~一族』とタイトリングされる夫婦-親子-きょうだい、ファミリーに焦点を絞ったお話には、血縁のない“他人”を飾りでなく本気で23からませると、一気に物語世界に広がりと奥行きが出てくる。3ヶ月、月~金12週いける枠だからこそのダイナミズムもいつか見せてほしいものです。

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フランス中華トルコ

2008-03-28 15:23:24 | アニメ・コミック・ゲーム

仮面ライダーキバ』の紅音也役・武田航平さんは、誰かに似ているなと思ったら、70年代初期にカバー曲『ポーリュシカ・ポーレ』が売れた歌手で、青春ドラマの俳優としてもアイドル的人気があった仲雅美さんに、撮られ方にもよりますがよく似ているんですね。

甘系の端整ハンサムだけど輪郭サイズ比目鼻立ちが求心的(=“建蔽率”が低い感じ)で、ちょっと古めなところ、体型に縦長スレンダー感が少ない(それ以上に、がっしりずんぐりとか太め感もないのですが)ところも似ている。

いや、ルックスもさることながら、スポーツやケンカなど体力系分野より、お芸術やお文学な繊細路線が得意そうなキャラであるというところがいちばん似ているのかも。

…ついでのようですが、見かけるようになって浅い有名人や一般人を「○○似」と喩えることができるのは、だいたい、その○○さんにはあまり思い入れやリスペクトがないとき限定ですよね。

少なくとも、その有名人一般人ご本人に比べて、○○のほうに圧倒的に尊崇度や好感度が高ければ、喩えに持ち出して来ないと思う。

 今回の例で言えば、月河が70年代初期の仲雅美さんを子供心に贔屓で、映画『同棲時代』を観に行きたくて親にねだって叱られたみたいな経験があれば、音也=武田航平さんを喩えるのに引き合いに出していなかったでしょう。

仮面ライダーつながりで思い出すのですが、23年前、ブレイク直後でいまよりずっと勢いのあった亀梨和也さんが雑誌の表紙にさかんに起用されていた頃、「『龍騎』の城戸真司役・須賀貴匡さんに似ているな」と何度も思ったものの、須賀さん単体のコアでディープなファンではなくても『龍騎』は月河に人生2度めの特撮ブームを起こしてくれた記念碑的な作品、須賀さんはそのタイトルロール俳優だったのですから、「いかん、こんな亀なんちゃらいう海のものとも山のものとも知れないジャニーズタレントに似てるなんて思っちゃ『龍騎』に失礼だ、ドラゴンライダーキック食らえ自分」と必死に打ち消していた記憶が。

どっちにも失礼なんだけど、当時の月河としては、亀梨さんに対するより須賀さんに対する失礼感のほうが重罪に感じられた、ということ。

逆に言えば、たとえば宮崎あおいさんのファンで部屋にポスター貼りまくっている男子高校生が、通学電車でふと見かけた少女を「あおいちゃんに似てる!」と思ったとしたら、その高校坊主は、もう宮崎さんよりその少女にラブなのです。

木村拓哉さんが理想の彼氏で、そこらのブサ芋男とは付き合いたくないわと思って彼氏なしを続けている勘違いOLが、合コンで第一印象憎からず思った相手から熱心にアプローチされれば「キムタクとは似ても似つかないけど、そうね目元とか国分太一っちゃんとちょっと似てるかも」と、当たりじゃなくても遠からずのところで自分を納得させ折り合いつけてうまいこといくかもしれない。

もちろん、彼女にとってドンズバ赤い糸な相手と、カド曲がったところで正面衝突なんかしようもんなら、それが100人見て100人とも「キムタクと双子?」と思うルックスの男性でも、彼女は「キムタクに?そう言えば似てるかもしれないけど、彼のほうがずっといい男よ」と言い張るに違いない。

“○○似”はある意味、世俗地平、自分が牛耳れる世界への「引きずり下ろしの修辞」とも言えます。

月河は学生~サラリーマン時代のタテ社会にいたときは、苦手な上司・教師や先輩と、苦手でもなんでも一定期間どうしても付き合わなければならないと決まると、無理やりにでもソイツを“誰か(or何か)似”と見ることで不快感や圧迫感の軽減につなげてきました。

小姑みたいな給湯室お局さまを「海○名美どりがデブってどうするよ、どうしたビッグアップル殺人事件は」言うことコロコロ変わるくせに威張るだけは一貫している課長を「なんぼ威張ったって鼻がせんだ○つおじゃん、ダメな男のロックじゃん」とハラの中で思ってればストレスもたまりません。

ヤンキース松井秀喜選手のお相手似顔絵を見て“長澤まさみ似”とテロップ出したTV局員は、松井選手ご本人への、これから先も取材させてほしい相手としての気遣い以上には、長澤さんをうっとりご贔屓ではないんでしょうな。

ところで『キバ』第78話でプローンファンガイア=犬飼伯爵として登場した咲輝さんは、角度によってびっくりするほど石立鉄男さんに似ていますが、数々の大映ドラマやわかめスープでお付き合いの長かった石立さんより、やっぱり月河は現時点では昨年秋の『愛の迷宮』1作・航太役1本で、咲輝さんのほうにより好感度シンパシー強く持ってるようです。

コメント (2)
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ビクッとすな

2008-03-27 21:20:44 | テレビ番組

今頃になって昨年の『M1グランプリ決勝』のVTRを捜し出して再生しているってことは、月河、自分で思っている以上にトータルテンボスが好きだったってことなのかな。

改めて思うのは最終決戦3組の中で、キングコングだけは優勝あり得なかったですね。中田カウス師匠の評通り、ジェットコースターのようなスピード感と言えば言えるけど、怖いもの、ノリが。笑えるけど、笑いながら怖い。特に西野、要所で目が据わってるし。

たぶん2001年に決勝進出したことでひとつの達成感を得てしまい、以後あまりM1に執着が持てなくなっていたんでしょうね。0204年の早期敗退、0506年の不参加を経てこれではいかん、自分らに喝!心機一転!の勢いが前面に出過ぎた。

日頃、店屋物とデパ地下惣菜で済ませてる奥さんが急に覚醒して手料理10品“美味しいでしょ攻撃”、返す刀でコンロと換気扇の掃除まで始めちゃったみたいな感じですか。ご本人的には生まれ変わったが如き爽快感に満ちているのでしょうが、出来栄えは別にして周りは息苦しい、落ち着かない、いっそハタ迷惑。

やっぱり、1回戦敗退するぶんでも、0506年は出場だけはしておくべきだったかな。

お笑いに限らず一般的な職場やサラリーマンの世界でも、士気高い新人若手にこれをわかってもらうのはむずかしいし、言って聞かせにくくもあるのですが、高いパフォーマンスが望めなくても、さほどの熱意もモティベーションもなくても、「この時期はこれをやるのが恒例」という、だらーんとした平準化の流れに乗ってしまう、巻き込まれてしまう、ってのが実は高パフォへの最短経路であることって結構多いのです。

『安宅家の人々』はいよいよというか、漸くというか、明日(28日)最終話というところに。

このドラマ、当初から“嵌まるとしたらココ”というツボが2箇所ありました。

と言うか、2箇所しかない。月河は早い段階で久仁子(遠藤久美子さん)と雅子(小田茜さん)の“頭でっかち理想論合戦”にはいくら付き合っても無駄と思い、ひたすら以下の2点に焦点を絞って観てきたつもりです。

ひとつは宗一(内田滋さん)の境遇や心情に、あるいはもっとイージーにルックスや喋り方に気持ちを沿わせ「かわいい」「かわいそう」「幸せになってほしい」という視線で見つめるポジション。

ここに立てれば、毎話の鑑賞もずいぶんスムーズで快適だったことでしょうが、過去のいくつかの知的障碍者ドラマ(『ピュア』『オンリー・ユー ~愛されて~』『聖者の行進』程度)で、自分はそういう観かたが得手でないとわかっている上、ドラマ上宗一にとって何が幸せなのか、彼が本当に心から熱望するのは何と設定されているのかが、どうにも掴めそうで掴めなかったため、中盤であきらめざるを得ませんでした。

ただ、実母・綾子(一柳みるさん)の死が理解できず、「起きてください」と笑顔で遺骸を揺り動かす場面だけはいまだに、思い出してもかなりグッと来ましたね。彼にとって“母親”は唯一絶対だったのでしょう。

しかしその後は、幼時からの姉的存在・久仁子とベッドも込みの本当の夫婦になることなのか、雅子への異性としての愛慕が受け容れられ男女関係になることなのか、はたまた花や園芸の才能を伸ばすことか、ホテル支配人として客に喜ばれることなのか…「最終話では宗一さんにこうなってほしい」と願わしいゴールを思い描くことがどうしてもできなかった。

恋愛絡みであれ、お仕事や自己実現系のサクセスストーリーであれ、観ていて「この人にこんな結末よ来たれかし」と視聴者が自然に気を乗せて行ける“波”を作れなかったのはこのドラマのいちばん残念なところ。久仁子と連れ添っても、雅子と両想いで結婚しても、宗一にはお似合い感がなかった。

で、もうひとつの嵌まりポイントは、宗一の異母弟・譲二(小林高鹿さん)の屈折した悪役ぶりです。06年『偽りの花園』で小林さんのクセのある演技力は確認済みだし、実は、ドラマ開始前はここにいちばん期待していました。TVドラマに限らず映画でも、小説でも漫画アニメでも、悪役・仇役・憎まれ担当に惚れることができれば“勝ったも同然”ですからね。

ところが、こっちも序盤からなんか頼りないんだな。譲二、結構手放しにデレなのです。雅子には出会ったときから直球ベタ惚れを隠そうともせず、仁美(宮下ともみさん)帰国時にはあからさまに気弱さや優柔不断さを露呈、宗一に蔑みの言葉を投げつけている場面でも、憎憎しさよりむしろ“弱い犬ほどよく吼える”という言葉がぴったり。

小林さんの風貌が細おもてで神経質な文学青年タイプで、骨太な悪辣さや、世知にたけたギラギラした感じと程遠かったこともあるでしょう。吉屋信子さんの原作小説では、クチばかり達者で、いい加減な起業しては負債雪だるまで安宅家にたかる軽薄才子の譲二は、世間的な出世や名声・財力至上主義の“男性原理”の卑しい部分を象徴する重要なキャラクターだったに違いないのですが、吉屋さん得意の“女同士の精神の交流こそ崇高、男が入ると汚濁して邪魔”という世界観は昼ドラにそぐわないため、翻案脚色する過程で骨抜きにされバラバラ死体になってしまったと思しい。

53話で片脚の機能を失って杖の手放せない身体になってからは、もうノーズロでデレ。“手負いのワル”ってヴィジュアル的にもいちばん危ない色気を湛えていなきゃおかしいのに。前半を中途半端に軟弱な人物に描いてしまったため、ただの“逆境に負けた痛い人”になってしまった。56話では久仁子の胸で、今日59話では母・佳恵(奈美悦子さん)に抱きついて、泣きすぎだろう。泣きが安い。悪役なら泣くのは1回だけ、それも視聴者しか見てないところで泣けと。

「“悪いだけの人”は出て来ない」という売り文句を、「単純な善玉悪玉、勧善懲悪のお話ではない」の意味で使い、「だからひとりひとりの人物の、善いところも悪いところも両面描いた、人間洞察の深いドラマなんだよ」と持って行くのが昨今の昼ドラでは常道になっているようですが、「悪いだけの人が出て来ない」「善玉悪玉の話ではない」ってことと、「悪役仇役が骨抜きで魅力がない」ってことは全然違うのです。

舞台を高原のホテルに設定したこともあまり意味がなかった。宗一の支配人就任直後に、知的障害ゆえに善意でしたことが客を驚かせたり迷惑をかけたり(1話中であっさり誤解が解けるが)という描写があったぐらい。どれも「こういう人にこんな仕事させたら、こんなことが起きるの当たり前だろ」というレベルの、サプライズもエキサイトもセンチメントもなんにもない、ドラマ的挿話にすらならない描写。

昨年の『金色の翼』もホテルが主舞台でしたが、こちらはおもに女主人役・剣幸さんと、支配人夫妻役・佐々木勝彦さん増子倭文江さんの頑張りで、かなり想像力でゲタ履かなければならないまでも、とりあえずホテルとしての機能、成り立ちが窺い知れたし、放送が終了して秋になり冬になっても「いまごろ空と海のホテルはどうなっているかな」とふと脳裏によぎるぐらいの“人格”のキャラ立ちがありました。安宅高原ホテルは、よそながらどんな形であれ盛業をと祈りたくなるような、愛をこめた描き込まれ方がされなかった。

「舞台がホテルだったからこそこんなお話が生まれたのね」と自然に頷ける場面があまりにも少なすぎた。これも残念な点のひとつです。

意地悪な見かたをすれば、『金色の翼』から1作挟んだだけのまたもやなホテル設定、セット流用して安く上げようとしたんじゃないか?と思われても仕方がない。

まぁ、ダメ出しばっかりしていてもつまらないし、明日最終話は、いつもOPクレジットで流れる主題歌・新妻聖子さんの『ヴァージン・ロード』が、フルコーラス聴けるのをせめてもの楽しみにしましょうか。

♪ 貴女が歩くはずだった 運命のヴァージンロード …を行く“親友”と“恋人”は空から見守られるのか、はたまた天罰(?)が下るのか。

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