うわわわわ、えらいことになりました。「二月は逃げる、三月は去る」なんて言ってる間に四月はおろか五月も三分の二、居なくなって、遠く背中も見えなくなってしまいました。
何してたんだ自分。何かしようとはしてたんだな。小室圭さんと眞子内親王の件は、四月アタマぐらいにはもう少しここで書こうと思ってました。
・・とは言え、小室ママ佳代さんのモトコンが何を訴えようが、圭さん本人がA4二十八枚ぶっ書き散らそうが、結局、眞子内親王が「この人と結婚する、するっつったらする」って言い張ってる限り、山も川も谷も何も動かない話なのでした。
普通の二十代後半の結婚コンシャスな、普通にいい家の、物堅い育ちのお嬢さんが、おいおいそんなんでいいの?という男のコにぞっこんになって結婚するの!するの!と一人で息巻くということは結構ある。気の置けない仲の女友達や、学生時代の部活もしくは職場の先輩が、極力頭ごなしにでなく、抑制した口調でダメ出しを試みたとしても、物堅いまじめな娘さんほど、まず通じません。定職は?暮らして行けるの?お姑さんと同居になるのでは?昔、借金あったらしいじゃない?返さなくていいの?等々いくらチクチク言ってみたところで、“人が惚れてる彼氏にケチ付けてどうなる”って話にしかならない。虚しいにもほどがある。
ケチつけられればつけられるほど、ご本人は「ワタシだけが彼の良さをわかってる」「人にわかってもらえない彼を、ワタシがとことん愛して守ってあげなきゃ」「守ってあげられるのは世界中でワタシだけ」の袋小路で籠城戦に邁進するだけです。
もうこうなったら、とことん行くところまで行かせてあげて、飽きてウンザリするのを待つしかないんじゃないかな。「結婚は両性の合意のみに基づく」という日本国憲法第24条(←ですよね?)の基本的人権が、皇室の面々にも認められるのかも種々議論はありましょうが、「皇室の一員なんだから、“そんなんでいいの?”ってな相手に惚れちゃダメ!」と断じる権利は、それ以上に、誰にも無いでしょう。
実生活の付き合いでも、客観的にみて“おおかたがもろ手を挙げて、百パー祝福できる、しっくりお似合いのカップル”なんて、そうは居ませんよ。いやホント。居ますか?むしろ少なくないですか。月河は自分が女なので、女の子のほうに視点を寄せて、もうすぐ旦那さんになるのがこの人か・・と思って見ることが多いけど、“なんか頼りない”“ずっとタイプって言ってたタイプと違う”“見てても会話かみ合ってない”“服のセンスも違う”“やってけるの?”と思うほうが多いです。
うちの高齢家族と高齢友達軍団なんかは、それプラスお互いの両親とか、特に父親の勤務先や役職などの辛口情報も含めて値踏みしますから、御両人と面と向かってる間はともかく、帰った後も「ピッタリね、いいご夫婦になるわぁ」と万々歳になる確率はいやがうえにも低くなります。
この際、日本国民全体“披露宴の友人席”になって、表向き笑ったり歌ったりしながら「ダッサいよね」「すぐ別れるよ」とヒソヒソニヤニヤささやきかわしつつ送り出しちゃったらどうですかね。いやそのダッサい新郎に国庫から結婚一時金1億ウン千万円支出されるのどうしてくれんの!?とお怒りの向きもありましょうが、宝くじの、前後賞込みで1億円かそこらのなら、年間何十人もダッサいやつが当ててまんまと手に入れてるはずです。悪銭なら身に付かないで、つまらんマンションやクルマに消費されて経済回して終了になるんだから、放置でいいよ放置で。
この話、所詮は、“人の好いたホレた”って話で、ワタアメみたいに取っ掛かりどころのない、ギュッてすれば体温で溶けるていのふわふわした話に過ぎないのを、血税の使途だとか、ひいては天皇制の存否だとかにぶっこんで鹿爪らしく論じようとするから、消化に悪いのです。
・・・あと、有名人の訃報もここんとこ多かったですね。キャリアの長かった人の場合、受け止める側の年代によって、イメージとか代表作、当たり役が様々に出てくるのが、不謹慎ながら興味深いと思いました。
田中邦衛さん88歳、ここ7~8年は完全に媒体から退いておられましたから、もうそんなお年だったのかと驚きますが、1970年代後半より後に生まれた人にとっては、ほぼ全員『北の国から』の黒板五郎さんなんですね。月河の年代では、コレちょっとした驚きのため息です。ちょうど一番テレビドラマを見なかった時期の、苦手なジャンル&脚本家さんの作品なので、邦衛さんの名前とイメージが紐づくことはこれからも無いと思う。
さりとて昭和40年代初期の『若者たち』の長男役を想起するには、当時が幼すぎる。邦衛さんといえば「長男の太郎」と覚えているのは、団塊世代より上でしょう。高倉健さんの網走番外地シリーズなど、劇場公開の任侠映画ファンならそちらでの舎弟役のほうが強烈かもしれない。月河は、加山雄三さん主演の若大将シリーズでの“青大将”役は2作ぐらい見ました。
むしろ、渡辺謙さん主演『仕掛人 藤枝梅安』シリーズの、仕掛の総元締・音羽の半右衛門役のほうが、何かやりそうでやらない不気味さをたたえていて印象深かったりします。平成初期の放送ですから、邦衛さんまだ五十代だったのかな。個性の強い、バーッと表出してくる系の俳優さんが、抑えて抑えておだやかな演技をしているとき独特の、目の離せなさがあって大好きでした。不思議と、邦衛さんと近接世代のはずの月河家高齢組も、訃報を聞いて最初にクチにしたのが「モトジメ役良かったよね」でした。
田村正和さん77歳。この人も一線を退いて数年経っていましたが、遺作となった『眠狂四郎 The FINAL』(2018年2月放送)に出演されたときは74歳になっておられたわけで、事実上、現役役者で生涯を終えたと言ってさしあげて良いのでは。媒体に姿を見せなくなっても、見せないというかたちで“役者”を貫いてくれたわけです。
正和さんと聞いて『古畑任三郎』(1994年~2006年)を真っ先に思い出す人が多いのは、もう仕方がない。一話完結で3シリーズのほか、SPも都合6話放送されましたからね。
1970年代初期の木下恵介アワーで、あおい輝彦さんを苦悩させる陰険で残酷な性格の義兄役(『冬の旅』)や、血縁のない障碍者の妹・大谷直子さんへの思いから、ワルい恋人近藤正臣さんと対立する役(『冬の雲』)など、二十代のひたすら重っもーく、メランコリックで沈潜した正和さんを、小学生坊主でもリアルで見られたのはラッキーでした。みずから「あまり好きじゃない」と言っておられたコメディドラマに、特に四十代以降積極的に挑戦してきたのは、あの時代の重さがあったからこそなんでしょうね。
ベテランで、いいお年で当たり役が幾つもある俳優さんがちょっと最近見ないね?となると、うちの高齢組はすぐ「・・生きてたっけ?」と失礼なことを言い出しますが、「出続ける」「いつもの感じを維持し続ける」だけが役者の真骨頂じゃないよなぁと思います。
たとえ賞賛の意を込めてでも“老優”なんて呼ばれたい役者さんは居ないと思いますもん。