イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

無責任な会 ~人が陥るアナふたつ~

2025-02-09 17:07:10 | ニュース

 中居クンこと中居正広さん(“元SMAP”はもう付けなくていいですよね)が報じられてるようなかたちで芸能界を去るとは思いませんでした。

 とは言え現状ではこれしかないでしょうね。月河の非高齢家族などは「出てきても正視できないし」「出るほうより見るほうが辛ぇよな」って言ってます。月河もだいたい同感です。

 アイドル、現役でも“元”でも、言い古されてるけどお客さんに夢を売る商売なんで、見るほうに、可哀想とかこっ恥ずかしいとか痛々しいとかシャラくさいとか、何かしら居心地の悪さを与えたらもう無理だと思います。やった“事”、やったと報じられている“事”が正しいか正しくないか、許される許されないの問題では、この場合、ないでしょう。よく罪を憎んで人を憎まず”とも言いますが、アイドルならずとも芸能人って“人”がすべてなんですよね。売ってる“夢”が正しければ、正しいつまり美しくキラキラしてれば、それを売る人が汚れててもダサくてもいいってわけにはいかない。

 このブログで触れたか触れなかったか忘れましたが、某興業所属芸人のヤミ営業問題のとき、ビートたけしさんが「芸人が笑えなくなったら終わり。笑えない会見を芸人に顔出してやらせる会社がおかしい」と言っておられたことも少し思い出しました。

 月河は客に数えられる年齢層から大幅に上にズレているので、SMAPにも中居クンにもニュートラルで熱っついファンでも強いアンチでもないですが、SMAPというグループが存在することを知る前に中居クンは単体で知ったのでちょっと思い出す材料はほかの元メンバーよりはあります。

 十中八九、93年だと思います。前の年に自宅のテレビがBS環境になり、物珍しいのでテレビつけれはNHKBS-1か2のどっちか流してた時期なので、妙に記憶に残っています。

 日曜の夕食準備どきに『アイドルオンステージ』というそのものずばりな番組があり、ピンでMCしてたのが当時推定21歳の中居クン。レギュラーに女の子アイドルグループも複数いて、たぶん曲間トークの流れだったと思いますが、「オレはこれから二枚目路線で行くんだ」と宣言、ひとわたり女の子たちに引かれたあとで、いま思えば無謀なことに、ソロで歌い出したんですよ。曲タイトルは見逃しました。なんかあまーいラブバラード。

 ・・・ワンコーラス終わったとこで高齢家族が「可愛いコだけど歌手じゃねぇ」とバッサリいってました。「歌手の声の出し方じゃないもん」。

 月河はもうひと昔前のたのきんトリオバラしソロ売りなども一応リアタイ目撃してましたから「まあこれから売れればうまくなるかもしれないし」と誰からもどこからも頼まれもしないのにフォローしたりして。すると、ちゃんと歌聞いてなかったもうひとりの高齢家族が「この男の子、藤沢周平原作の『腕におぼえあり』に出てたぞ」と言い出し、「学問所にかよってる部屋住みの役だから殺陣とかはないけど芝居は出来るぞ」なんで歌なんか歌ってんだ?しかもズラつけないと茶髪なのか、不良臭いな・・って混ぜ返して、いっとき日曜の食卓が中居正広クンとかいう若手の現在および将来を考える”無責任言いたい放題プチ会議室になってたような。

 94年以降の活躍はご存じの通り。『美味しんぼ』とか『ナニワ金融道』シリーズなど高齢組のほうが熱心に視聴してたかもしれません。

 ただ月河が思うのは、『白い影』『砂の器』等のシリアス路線の作品でも、不思議と脇の、親世代・上司世代役のキャストのほうがこれでもかと粒揃いで濃いぃ事が中居さん主演のドラマの場合特に多かった気がする。そのせいか、“主演中居!”の印象が突出して強烈だったという作品って意外と少ないし思い出せないのです。彼単体のもっと高体温なファンなら違うのかもしれない。

 中居クンの演技が、良くも悪しくも“頃合い”なんですね。アイドルとしてはハタチすぎブレイクで遅咲きだったわりには、役者としてはクセがなく透明感があった。93年の初見のとき、高齢組が「ペットっぽい」と評したように、ガラが小ぶり(低身長)なのも影響したかも。

 この点、同じ元・SMAPメンバーで「何を演っても〇〇」と言われるほうの人とは対照的。身長だけなら言うほど大差は無いと思うんだが。こちらはどうしても作りが天動説方式になってしまうんですよね。

 どちらがいいとか悪いとかではない。思えばあの頃は、昭和四十~五十年代にあった夜8:00台の、小学校高学年~中学生ローティーン向けアイドルドラマという独立ジャンルが退潮して、大人向け一般ドラマと境目が混じってきた時代で、作り手側も素材に合わせていろいろやってみる、或る意味余裕があった。

 役者として咀嚼吸収力が旺盛な年頃をこの時代に生きられて、SMAPも、中居さんもツキがあったと思う。芸能人は時流に乗ってナンボですから、どうしてもどんな時流に生まれ合わせたかの影響は受けるし、時流で命運も決まります。

 芸能生活の終わり方だけに焦点を絞ると、ちょっと“時流で決まり過ぎ”な感もないではない。いや、もちろんご自身の行動で招いた流れですけど。

 タロティストとして、或いはもっと大きく、占いをよくする者としては、少し考えるんですね。どこかの時点で中居さんがクライアントになって来たとして占ったら、たとえば、そうね、「その会食はキャンセルしたほうがいいですよ」「その系統から次のお誘いがきてもとうぶん謝絶したほうがいいですよ」と言えるカードを引けたかしら、と。

 占いの中でも(月河はやらないし肯定的でもありませんが)、生年月日を起点に暦法天文で占う“命占”の占い師さんの一部なら、中学生中居正広クンに「芸能界向いてるから」「身長低くても、音感なくても売れる星持ってるから」とまでは言える人もいたかな。

 ただ、その先は・・ね。埼玉県の道路陥没トラック転落事故といい、最近、人間の運命って?と考えさせられるニュースが本当に多いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドーハの刺激 ~1993年の昔を語~る~

2022-11-30 19:32:57 | ニュース

十一月も後半になって師走の足音がヒタヒタと忍び寄り、街なかでは年末ジャンボの売り場に列ができ、年賀の喪中欠礼もポツポツ飛び込んできて気分はすっかり歳末・・となった頃に、皆さんは知ってました?月河は知らなかった。というより、忘れていた。

サッカーW杯があったのです。今年は。

夏の五輪の間隔の谷間、というより冬季五輪のある年はサッカーW杯もあるに決まっていたのに、今年は何故忘れていたのだろうか。TOKYO 2020が2021に延期になって、冬季五輪北京大会が翌年になって、そこらへんの年次感覚がオカシクなっちゃってたんでしょうかね。街がクリスマス仕様のイルミネーションやディスプレイにすっかり染まったそのあとに、遠い砂漠の国でサッカーW杯がはじまろうとは。

しかも因縁のドーハ、カタールで。あの“悲劇”からもう二十九年ですって。どひゃー。もう媒体でしか知らない世代が社会人になり、小学生の親ぐらいになっている。テレビ中継の回顧コーナーであのイラク戦のリプレイが出ると、画質が妙に白っちゃけていて低解像度で、すごい過去感です。

実は先週の、二十三日夜だっけ?非高齢家族がウチでNHK地上波放送のドイツ戦を観ていたのですが、こっちは全然W杯だという意識がないから“あぁサッカーか、野球シーズンが終わったらサッカー、もっと寒くなったらマラソンと駅伝のシーズンか、押し詰まってきたなぁ”と、W杯のWの字も脳裏をよぎらず、視界のすみっこで流し見していました。なんと世の中の流れから取り残されてきたことよ。ちなみに高齢組はこの時間(22:00~)とっくに就寝。

サッカーW杯ってこんな年末ぎりぎりにやってたっけ?ヨーロッパ各国のリーグ戦時期とかぶらないように結構暑い時期にやってなかった?と非高齢家族に訊いたら、ヤッコさんも確実な所は知らなかったんですが、「カタールが暑すぎるからじゃないか」と、実に漠然とした答え。

暑い国で開催するときは暑い時期を避ける。当り前だけど、それなら東京五輪もあの猛暑ピークの七月末からやらなくてもよかったのに。なんだかさっぱりわかりません。五輪に関してはUSAのテレビネットワークに、国際オリンピック委員会がタマシイを売っちゃったからなんでしょうが、サッカーはUSAであまり人気がない種目だから、暑さ回避に正直でいい、ってことなのかな。

大人の事情がモノを言ったり言わなかったりするんですね。

・・・・と、言ってる間にあの日は後半日本が先制して守り切り、優勝経験4回の格上ドイツに大金星だったようです。・・“ようです”ってのもなんだけど、ちょうど通信教育で取り込んでたもんでね。

その後TVで追いかけると、なんと次の試合次第で、即撤収帰国か、次ラウンド進出かが決まるんですって。・・“ですって”ってのもなんだけど。相手はスペインだそうです。無敵艦隊。ひぇーー。どんだけ不運なグループに入ったんだか。

12月1日の28:00~(2日AM4:00~)キックオフとの事で、月河は起床したらもう決着ついているか、アディショナルタイムの最中かぐらいになりそうです。勝てば文句なし勝ち上がり、引き分けだと微妙になるそうで、また“ドーハの〇〇”と見出しがつく現場を現在進行形で観ることになるのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キエフの消えた日 ~『白鳥の歌』なんか聞きたくない~

2022-05-05 20:58:31 | ニュース

 このブログから、というよりPC、紙も含めたデスクワーク全般からショートリタイアしている間に、2022年がまるごと“イヤーオブ戦争”になりつつある勢いです。

 ウクライナ共和国の首都が日本の世界地図では“キエフ”とカタカナ表記されるけれども、現地の発音では“きーう”に近いんだ、ということは何となく耳学問で知っていました。

 はるばるユーラシア大陸を渡って訪ねたことはさすがにありませんが、思い出されるのは1972年だったか、キエフ・バレエの来日公演です。公演パンフが結構立派だったから、実家に行けば保存してあるかもしれないのですが、ウロおぼえで、冬靴冬オーバー着込んではいなかった気がするので、たぶん春か秋、月河は中一になったばかりだった筈です。

 札幌の厚生年金会館が、当時の時点で東京以北最大の収容人数を誇る本格的総合ホールとして前年にオープンして間もなく、これもウロなのですが実家母のお友達が、当時、地元大手の興行会社に勤めていた縁で「あまり良い席ではないんだけど時間があったら・・」と、良い席ではなくてもマトモに買ったらかなりなお値段のチケットを2枚、回してくれたので、中一坊主もちゃっかり恩恵にあずかったわけです。

 同級生のお姉ちゃんやご近所さんのお稽古発表会以外の、本格的なバレエ公演を鑑賞するのは人生初です。それも当時、“ソ連三大バレエ”の一郭と言われたキエフ・バレエ。チケットを融通してくれた母のお友達さんも「ボリショイ、レニングラード(←現サンクト・ペテルブルク)・バレエは知ってたけど、三大って言うからには三つあったのね」“きえふ”ってドコ?と、その先は中学地理分野世界地図帖を出してきて、月河が教えてあげたものです。

 月河は小四ぐらいから外国モノの少女漫画に飽きてしまって、ドストエフスキーやらプーシキンやらを読みかじるようなクソガキだったので、“キエフ”が“ソビエト連邦”の一隅の“ウクライナきょうわこく”の首都であることぐらいは大人に説明することができたのです。アタマの良さ、記憶力の確かさでは、月河、中一~二ぐらいの当時がキャリアハイだったかもしれない。

 それはともかく、公演の演目は小学生でも知っている『白鳥の湖』で、伝統の全三幕四場に、一部、“今公演で初めてイタにのる、キエフ・バレエ独自解釈の新しい演出”が加えられていることがパンフで喧伝されていました。こういう大事なことは覚えていなきゃいかんと思うんですが、最終幕で悪魔の呪いがとけてオデット王女と侍女たちが白鳥の姿から人間の姿を取り戻した(ということを表す)瞬間、髪につけていた白い羽がポロッと落ちる、というシーンがあったのは覚えています。能舞台みたいに、「いまこういうモノに変身しました」「いま元に戻りました」を、お面で表現するわけにはいかないバレエなのでこうしたんでしょうが、これが“独自解釈の新しい演出”の一環だったのかは、当時も、いまもよくわかっていません。

 この瞬間舞台のライティングもほわっと明るくなるのですが、オープンして一年も経っていないはずの厚生年金のステージ床はすでにオケのピアノやら何かの楽器台やらの痕がべたべた付いていて、バレエ専用のイタじゃないからしょうがなかったんでしょうけど、天下のソ連三大バレエの一郭の来日公演です。「東京とかならこんなんじゃないんだろうな」と、子供心になんだか恥ずかしい気がしたのは、不思議とわりに鮮明に覚えています。

 主演のオデットと悪魔の娘オディールという、クラシック・バレエ最大の二役ヒロインを演じたソリストは、この公演ではダブルキャストで、“ウクライナ人民なんちゃら芸術家”その他の称号をすでに複数持つベテランさんと、当時20歳だかの新進気鋭さんで、月河が観た日は新進さんだったと思います。お二人ともいま思えばとてもウクライナっぽい姓名だった気がしますが、公演パンフが見つからないしウロで書いちゃいけないのでここは控えて。

 それより月河はのちの特撮ヒーロー悪役好きの片鱗がすでにのぞいていまして、第二幕の悪魔ロットバルトの、黒鳥の翼をイメージしたのであろうマントが真っ赤なスポットライトを受けて赤く染まり、クルッと翻した翼の裏がもともと赤だった、という外連味たっぷりな登場シーンにワクワクしたものです。

 今でいえば元・横綱日馬富士関の仕切りにも似た、重心を極限まで低くして後ろから前、前から後ろと地を扱き攫いあげる様な振付がほかのどの役の踊りよりカッコよくて、パンフの配役表を見てこの人の名前だけはすぐに憶え、いまも記憶しています。ヴィクトル・リトヴィノフさんという方で、のちに振付・演出の分野でも才能を発揮され、1990年の公演では芸術監督・首席バレエマスターの肩書で来日、さらに2010年代にはこの人が振付した版の『シンデレラ』『ドン・キホーテ』など伝統の演目が、日本公演のレヴューでも好評を博しています。

 考えてみればクラシックバレエはバロック・ロココ時代の“王侯貴族”というソサエティの栄華があって隆盛になり洗練されてきた芸術ですから、旧ソ連の共産主義政治とは根本的に相容れないものだったはずですが、“国威発揚”“外貨獲得源”として使えるなら、国を挙げて徹底的に尊重し、保護し、囲い込んで上げていこうという考えだったのでしょう。

 その後いろいろあってソ連は瓦解しウクライナは独自の道を歩み始めていたはずだったのに、大国ロシアの“あそこらへんなんもかんも元はと言えば我がロシア”“我がロシアあればこその経済、文化だったはず”という、ショベルカーでグチャッと削り取って自国にくっつけるみたいな拡張・併呑思考はひそかにつのる一方だったようで、2014年クリミア半島での無理スジが、とうとう押し通って戦端を切ってしまいました。

 公演パンフで「森の都」と言及されていた“キエフ”、“キーウ”と本来の発音に近い表記がされるようになったのは、本来ならウクライナ国民の皆さんに喜んでもらえるはずなのに、こんな痛ましい戦乱がきっかけとなっての表記変更では変更する私たちのほうも嬉しくありません。

 意欲的に海外公演を行なっていたキエフ・バレエが名実ともに“キーウ・バレエ”と名乗って再び日本に来演できるのはいつになるでしょうか。

 厚生年金会館のあのホールは、その後維持費がかさむことから経営主体がかわり、ネーミングライツを使って名前も変わったりもしましたが、3年前、老朽化ということで閉鎖され解体されてしまいました。

 1972年に『白鳥の湖』を踊ったソリストさん、団員さんたちも、存命としても人生の後半戦でしょうが、バレエが国の誇り、国民の財産とされ、栄誉ある三大バレエのメンバーとして遇され、踊ることにプライドを感じてきたであろう日々を、いまどんな思いで振り返り、どんな立ち位置でこれからの未来を見ているだろうかと思います。

 最終幕で王女たちの髪から白い羽が落ちるように、武力侵攻と言う名の呪いが解けてウクライナの人々が人として再び自由になれる日が、一日も早く来ますように。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっとこヤットコ繰り出した ~野党の待~ちだラッタッタ~

2021-09-12 08:41:23 | ニュース

くっそー、オモシロクなってきちまったじゃないか!

どこのチャンネルも自民党総裁選の話題ばっかりっすね」

入れ替わり立ち代わりテレビ映りやがって、何がサナエノミックスだ!顔のパーツがミックス焼きだっての!」

「あわわ一発炎上ですって容姿ネタは!それより党首どうします?それでなくても薄い我が党の存在感がますます薄くなって空気同然ですよ」

「全員呼び出しかけて党本部前に集合させろ!並んで順番に一発ギャグだ!

「密になるからテレビカメラが集まりません!毎度国会でギャグやってるから新鮮味もないです!」

「それもそうだな毎度スベって・・・誰がだ!よーし、かくなるうえは我が党も自民党の向こうを張って党首選挙をやるぞ!まずは現職党首のオレがいちはやくまさかの不出馬宣言をぶちあげてだな、世間をダイコンランにおとしいれる!」

「そこまで影響力ないと思いますけど・・」

・・・・・・・・

「党首たいへんです!我が党の党首選挙が新聞に!

「おう一面トップを飾ってるか!?」

めちゃめちゃ扱いが小さいです!」

「なに!?どれどれ『ビートたけしつるはしで襲撃される』・・」

「もっと下」

「『金爆鬼龍院翔に二股疑惑』?誰だキンバクキリュウインショウって」

「切るとこが違いますよ!もっと下」

「字が小せぇな!アズキルーペもってこい!・・『釧路市立動物園のレッサーパンダに赤ちゃん誕生』?」

「もひとつ下」

『民民党党首選挙』・・やっと来たか、なになに『現職党首成り行きで不出馬』なんだよ成り行きって!決然たる決意で発表したのに!おまけに民の字が誤植でネムネム党になってるぞ!」

「意外と本質ついてたりして」

「まぁいい、いまどき紙の新聞なんか誰も読んでねエからほっとけ。・・しかしあれだな、ビートたけしも大変だな、事務所移籍して、離婚して家から何から明け渡して、再婚した嫁が新しい事務所仕切って、きっついんだろ?団塊だからもうすぐ後期高齢者なのにやってらんねえな」

「なんすかそのアバウトな芸能情報」

「言ってたぞ、『ゴゴスマ』でそのまんま東が」

「党首ねえ、どんだけ平日昼間のテレビ見てんですか

「だってなんだもん。与党の奴らが国会開けねえしコロナ禍で移動自粛だから地元に帰るわけにもいかないし」

「地元帰っても相手にされませんからねはっきり言って」

「淋しいこと言うなよ。世間は冷たいもんよな

「政権与党時代は良かったですよねえ。ボクも副大臣のときなんか地元で秘書募集したら100人も応募来ましたよ」

「オマエですら100人か。可愛い子いたか?」

「何考えてんすか。あのころと違っていまそういう発言したら女性議員に袋叩きっすよ」

いちばんおっかないのが我が党にいるしな」

「声がでかいすよ。・・事務所にも桐箱に入った大福餅の差し入れが“縁起物です”ってどかどか来たもんですングッ

「ングッって来週のサザエさんかよ・・って黙って聞いてたらオマエさっきから何ひとりで食ってんの?」

「誰も差し入れしてくんないから自分で買ってきた大福餅です。白大福と草大福と豆大福とありますから党首もひとつどうぞ」

「ぶはは、オマエが食ってると白大福が白大福食ってるみたいできしょいな」

「きしょいって・・あ、いっぺんに三つ取らないでくださいよ」

「党首!大変です!我が党の党首選挙!

「おぅ選管委員長来たかングッ!どうだ!ネットでバズってるか!?

誰も立候補しません!

 

・・・・・おあとがよろしいようで。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

好いたホレたの基本的人権について、 及び“老いて優れる”

2021-05-20 19:15:10 | ニュース

 うわわわわ、えらいことになりました。「二月は逃げる、三月は去る」なんて言ってる間に四月はおろか五月も三分の二、居なくなって、遠く背中も見えなくなってしまいました。

 何してたんだ自分。何かしようとはしてたんだな。小室圭さんと眞子内親王の件は、四月アタマぐらいにはもう少しここで書こうと思ってました。

 ・・とは言え、小室ママ佳代さんのモトコンが何を訴えようが、圭さん本人がA4二十八枚ぶっ書き散らそうが、結局、眞子内親王が「この人と結婚する、するっつったらする」って言い張ってる限り、山も川も谷も何も動かない話なのでした。

 普通の二十代後半の結婚コンシャスな、普通にいい家の、物堅い育ちのお嬢さんが、おいおいそんなんでいいの?という男のコにぞっこんになって結婚するの!するの!と一人で息巻くということは結構ある。気の置けない仲の女友達や、学生時代の部活もしくは職場の先輩が、極力頭ごなしにでなく、抑制した口調でダメ出しを試みたとしても、物堅いまじめな娘さんほど、まず通じません。定職は?暮らして行けるの?お姑さんと同居になるのでは?昔、借金あったらしいじゃない?返さなくていいの?等々いくらチクチク言ってみたところで、“人が惚れてる彼氏にケチ付けてどうなる”って話にしかならない。虚しいにもほどがある。

 ケチつけられればつけられるほど、ご本人は「ワタシだけが彼の良さをわかってる」「人にわかってもらえない彼を、ワタシがとことん愛して守ってあげなきゃ」「守ってあげられるのは世界中でワタシだけ」の袋小路で籠城戦に邁進するだけです。

 もうこうなったら、とことん行くところまで行かせてあげて、飽きてウンザリするのを待つしかないんじゃないかな。「結婚は両性の合意のみに基づく」という日本国憲法第24条(←ですよね?)の基本的人権が、皇室の面々にも認められるのかも種々議論はありましょうが、「皇室の一員なんだから、“そんなんでいいの?”ってな相手に惚れちゃダメ!」と断じる権利は、それ以上に、誰にも無いでしょう。

 実生活の付き合いでも、客観的にみて“おおかたがもろ手を挙げて、百パー祝福できる、しっくりお似合いのカップル”なんて、そうは居ませんよ。いやホント。居ますか?むしろ少なくないですか。月河は自分が女なので、女の子のほうに視点を寄せて、もうすぐ旦那さんになるのがこの人か・・と思って見ることが多いけど、“なんか頼りない”“ずっとタイプって言ってたタイプと違う”“見てても会話かみ合ってない”“服のセンスも違う”“やってけるの?”と思うほうが多いです。

 うちの高齢家族と高齢友達軍団なんかは、それプラスお互いの両親とか、特に父親の勤務先や役職などの辛口情報も含めて値踏みしますから、御両人と面と向かってる間はともかく、帰った後も「ピッタリね、いいご夫婦になるわぁ」と万々歳になる確率はいやがうえにも低くなります。

 この際、日本国民全体“披露宴の友人席”になって、表向き笑ったり歌ったりしながら「ダッサいよね」「すぐ別れるよ」とヒソヒソニヤニヤささやきかわしつつ送り出しちゃったらどうですかね。いやそのダッサい新郎に国庫から結婚一時金1億ウン千万円支出されるのどうしてくれんの!?とお怒りの向きもありましょうが、宝くじの、前後賞込みで1億円かそこらのなら、年間何十人もダッサいやつが当ててまんまと手に入れてるはずです。悪銭なら身に付かないで、つまらんマンションやクルマに消費されて経済回して終了になるんだから、放置でいいよ放置で。

 この話、所詮は、“人の好いたホレた”って話で、ワタアメみたいに取っ掛かりどころのない、ギュッてすれば体温で溶けるていのふわふわした話に過ぎないのを、血税の使途だとか、ひいては天皇制の存否だとかにぶっこんで鹿爪らしく論じようとするから、消化に悪いのです。

 ・・・あと、有名人の訃報もここんとこ多かったですね。キャリアの長かった人の場合、受け止める側の年代によって、イメージとか代表作、当たり役が様々に出てくるのが、不謹慎ながら興味深いと思いました。

 田中邦衛さん88歳、ここ7~8年は完全に媒体から退いておられましたから、もうそんなお年だったのかと驚きますが、1970年代後半より後に生まれた人にとっては、ほぼ全員『北の国から』の黒板五郎さんなんですね。月河の年代では、コレちょっとした驚きのため息です。ちょうど一番テレビドラマを見なかった時期の、苦手なジャンル&脚本家さんの作品なので、邦衛さんの名前とイメージが紐づくことはこれからも無いと思う。

 さりとて昭和40年代初期の『若者たち』の長男役を想起するには、当時が幼すぎる。邦衛さんといえば「長男の太郎」と覚えているのは、団塊世代より上でしょう。高倉健さんの網走番外地シリーズなど、劇場公開の任侠映画ファンならそちらでの舎弟役のほうが強烈かもしれない。月河は、加山雄三さん主演の若大将シリーズでの“青大将”役は2作ぐらい見ました。

 むしろ、渡辺謙さん主演『仕掛人 藤枝梅安』シリーズの、仕掛の総元締・音羽の半右衛門役のほうが、何かやりそうでやらない不気味さをたたえていて印象深かったりします。平成初期の放送ですから、邦衛さんまだ五十代だったのかな。個性の強い、バーッと表出してくる系の俳優さんが、抑えて抑えておだやかな演技をしているとき独特の、目の離せなさがあって大好きでした。不思議と、邦衛さんと近接世代のはずの月河家高齢組も、訃報を聞いて最初にクチにしたのが「モトジメ役良かったよね」でした。

 田村正和さん77歳。この人も一線を退いて数年経っていましたが、遺作となった『眠狂四郎 The FINAL』(2018年2月放送)に出演されたときは74歳になっておられたわけで、事実上、現役役者で生涯を終えたと言ってさしあげて良いのでは。媒体に姿を見せなくなっても、見せないというかたちで“役者”を貫いてくれたわけです。

 正和さんと聞いて『古畑任三郎』(1994年~2006年)を真っ先に思い出す人が多いのは、もう仕方がない。一話完結で3シリーズのほか、SPも都合6話放送されましたからね。

 1970年代初期の木下恵介アワーで、あおい輝彦さんを苦悩させる陰険で残酷な性格の義兄役(『冬の旅』)や、血縁のない障碍者の妹・大谷直子さんへの思いから、ワルい恋人近藤正臣さんと対立する役(『冬の雲』)など、二十代のひたすら重っもーく、メランコリックで沈潜した正和さんを、小学生坊主でもリアルで見られたのはラッキーでした。みずから「あまり好きじゃない」と言っておられたコメディドラマに、特に四十代以降積極的に挑戦してきたのは、あの時代の重さがあったからこそなんでしょうね。

 ベテランで、いいお年で当たり役が幾つもある俳優さんがちょっと最近見ないね?となると、うちの高齢組はすぐ「・・生きてたっけ?」と失礼なことを言い出しますが、「出続ける」「いつもの感じを維持し続ける」だけが役者の真骨頂じゃないよなぁと思います。

 たとえ賞賛の意を込めてでも“老優”なんて呼ばれたい役者さんは居ないと思いますもん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする