イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

追憶のマーメイド時代

2007-09-30 21:19:56 | テレビ番組

自宅の近辺に、新刊書籍や雑誌の並ぶちゃんとした書店はないのに、BOOKOFFはなぜか徒歩圏内に2店あります。

あの悪評高い“山彦コール”って言うの?アレは世間で言われるほど月河は気にならないんですが、どっちのBOOKOFFにも共通の、廃品倉庫みたいな古臭い匂いが嫌で、手持ち“在庫”のやむなき処分目的以外どうしても立ち寄る気がしませんでした。

ところが先日、高齢家族の通院付き添いで、たまたま30分ぐらい単独行動できる待ち時間ができてしまい、病院前のいつものコンビニも行き飽きてるし…と思って反対方向を見ると、あらら、ここにもBOOKOFFがある。

ここらへんは学生さんも多いし品揃えがちょっと違うかなと、あまり期待せずに入ってみたら、おお、薬臭い病院内にずっと居たから鼻がバカになって匂いがあまり気にならないぞ。

しかも、CDの棚“TVサントラ”の仕切りで、一週間ほど買おうかどうしようか迷っていた『沙粧妙子‐最後の事件‐』オリジナルサウンドトラックが結構な廉価で出ているではないか。

何かが“引き会わせてくれた”ような気がして、迷わず購入して帰宅。

『沙粧』は、90年代、いちばん高体温で次回を鶴首した連続ドラマです。音楽担当・岩代太郎さんのお名前は最近では藤沢周平さん原作の映画『蝉しぐれ』で見かけました。

ドラマ本編のイメージからか、ぞくぞくするスリリングな曲揃いだったように記憶していたのですが、意外に静かめな、ヒーリング・ミュージックのような曲が多いのが意外でした。

2 :THE SHADOW STEPS3: CHASER FIELD、メインテーマである5: UNBALANCED辺りは、あー『沙粧』の世界が帰ってきた、という満腹感がありますが、その他は10: LA ISLA BONITAインストヴァージョンなども含めて、むしろ仕事を終えた深夜・明け方や、昼下がりなどの癒しタイム向き。

にもかかわらず、解説ブックレット中の岩代さん自身からのメッセージには「“殺人”という行為が持つ怪しげな魅力に身を委ねながら制作した」とアジテーティヴな言葉があるのが興味深い。

もちろんドラマ自体が“快楽殺人”を中軸にしたものだったから、サントラ作曲者のイマジネーションの中心に“悪意”や“破壊衝動”があるのは当然ですが、突き詰めて行くと“再生”“蘇生”と重なる音的イメージに行き着くのかもしれません。

もっとホラーチックな、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』シリーズのような音を期待したのですが、10年以上も前のドラマの記憶って変わるものですね。思いがけずポジティヴな気分を誘うアルバムでした。

『爆笑オンエアバトル』(282420~)は、最上位2組がシュール系コントだったせいか、レベル的にはともかく印象としては良くも悪しくも落ち着いた回でした。

1チョップリン477kb、いきなり便器二つ並べての便意ネタで尾篭なスタートでしたが手堅くまとめた。ヒゲのなすび似の人のカン高い声質がメリハリ的に効いている。特に高い爆笑ピークはないんだけど、“音姫”で「恥ずかしさの順番間違ってるでしょう」や、照明落として「グランプリはどっちだみたいになってますよ」など、“節目”の敷き詰め密度が高い。“工事中”のオチがちょっと水圧足りなかったかも。

今回群を抜いてよかったのは2461kbフラミンゴ。前回オンエアのネタ“新幹線車中”での欠点・“一本調子”が、ワンテーマのショートコント連作形式で払拭できた。“イス取りゲーム”→“イス取り取りゲーム”→“イス取り取りトリゲーム”と来て“鳥イス取りゲーム”になるナンセンスっぷり、そこから正統お芝居コント“イス取り恋愛ゲーム”に一気に吊り上げる“標高差”の使い方が良かった。

超新塾433kbは例によって例のスタイルで、その時その時の5人のノリコンビネーションや滑舌次第で20~30kbぐらい違ってきそうだけど、神田愛花アナとのネタ後トーク「昔は5人でキャンプとか行ってた」「いや、このカッコでは行かないですよっ」のほうが直球で笑えました。そりゃそうだろうさっ。この人たち、5人で私服でオフグラサンでネタ合わせしてる最中を公開したほうが笑い取れるんじゃないかなあ。

433kb同点3ブロードキャスト5429kb上々軍団、それなりの出来なんだけど、ひと言言わせてもらえば、もうみんなカマネタ少し自重しちゃどうか。面白ければ別に差別ウンヌン野暮なこと言いたくないけど、一連の流れがあってからカマ入るとたいていそこで“安く”なるんだ。

安くなって、そこから通常の高度に戻すのにえらくエネルギーを消費する。消費した挙句、戻せないこともあるし。子供の会話での“ウ○コ”“チ○ポ”と一緒で、笑いの取り方として卑怯だと思う。

2組の比較では、ブロードキャストのこなれ方が2歩も3歩も先を行っていました。あれで上々軍団と4kb差はちょっと会場きついわ。

ネタ後トークでの「ブロードキャス“ター”!」「“ト”!」で、10年以上前THE  YELLOW MONKEYの吉井和哉さんが当時レギュラーMCだった『オールナイトニッポン』で「ハガキにイエローモンキー“ズ”って書いてくる人いるけど、ウチはズは付かないんだってば」と嘆いていたのを思い出しました。

その昔、洋楽アイドルにモンキーズっていたし、当時は“安室奈美恵とスーパーモンキーズ”ってのもチャートにいたせいでしょうね。

そう言やブロキャスのボケ吉村は、どこかしらあの頃の吉井さんを思い出させる空気がある。確信犯的に道化チックな衣装のせいか、細め眉のせいか。

“メジャーになりかかったときには結構おっさん”風なとこか。

顔の下半分でボケても目が笑ってないのがいちばん大きいかな。

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高砂、高砂

2007-09-29 22:05:57 | スポーツ

昨日(28日)の『ザ・イロモネア6』は小島よしお公開処刑みたいだった(惨)。この人、おっぱっぴーとかネット上で小耳にはさんではいたんですが、“臨戦体勢”で芸をやってるところを見たのは昨日が初めてです。

想像はしていたけど、こんだけひどいとは思わなかった。汚い、キモい、使えない。何がうけて、何が面白がられて、ネットで名前仄聞する程度にでも売れたんだろう。「見てるほうが恥ずかしくなる」ってのはこういうことを言うんだろうなあ。安倍晋三さんじゃないけど、九分九厘線香花火だと予想つくものを、予想しながら表舞台に引っ張り上げていっとき太鼓叩いてスポットで照らし出す、マスコミというか、大衆って残酷だと思う。

「…でもそんなの関係ねえ」だけでも、無理矢理集めてはなわみたいにCD化しとけば、印税いくらかでも入ったのにね。

100万円は柳原可奈子チュートリアル

ヤナカナちゃんの“旬”ぶりは圧倒的だったな。21歳だそうです。きゃー。太めが売りのタレントさんで、この可愛さとキレイさは奇跡的。ステージ袖待ちの芸人さんたちの中にも、結構目がハートになってる人いましたよね。

お肌プリップリで桜色で、100万円獲得してキャッキャ飛び跳ねてる姿が、全然「ドスンドスン」という感じにならなくて、紅白のお餅の紅のほうが弾んでるみたいなんだ。若いってことは百難隠すなあ。しかも、芸のセンスと声の出し方が抜群。「ショートコント、ショップの店員」言っただけで5人中2人笑ったよ。一発ギャグの「やーいやーいオマエのバアちゃんマゾヒスト」でコロッと声変えたのもびっくりだし、ラストチャレンジ、サイレントやりますか?」とウッチャンに振られて「ハイ、あー、でも、ここでやめても(イオンの出る)洗濯機買えるよね」と迷った数秒間すら、いいクッションになった。

ヴィジュアルどうこう以上に、いまトーク番組であれクイズ、バラエティ番組であれお笑い芸人の出る番組見てていちばん気持ちが萎える要素である“イタさ”“貧乏臭さ”が見事にひとっかけらもない。カラッと乾いてる。

ああ、天才出現を見たと思いたいなあ。ダイエットしてスリムになったり、逆にブルドッグっぽく垂れ下がったりしないでほしいし、プリッカラッとしたいまの質感を保ったままでいろいろ出てほしい。

チュートリアルは、芸そのものより、ジャンル選びのBGMで会場をライブ風にしたり(次課長河本がエアベース)、福田「(自分のビートたけしモノマネをウッチャンに新境地と茶かされ)ただのちょけたオッサンでしたけどね」、徳井「(自分のサイレント異常者ネタに)あんまおもんなかったですけどね」などのつなぎ部分で醸し出す勢いで100万円。徳井のモノボケ人体模型の肺で「ごめんなさい~」と「ショートコント、どうすればよかったんだろう」はもっと笑い取ってもいいと思ったがな。

この2人、1分間の持ち時間で、滑り出し掴めなかったなと判断したときの、息の合った見切りの早さがいい。同じくらいのキャリアのコンビ群から、頭ひとつ抜け出たのはそこでしょう。

あとは、ペナルティ・ヒデのモノボケ「隣ならもう引っ越しましたよ」「これを暖めたら、これになったって?ウソつけ~」と、次長課長の一発ギャグで河本が井上にポケットを指して“ネタメモ見ていいよ”のサインを送ってたぐらいかな、爆笑は。

友近は信じられないくらい全ジャンル手堅いんだけど、こういうネタ番組は観ていて「巧いなー」「器用だなー」モードに入ってしまうと、見事に笑えない。

フットボールアワーは岩尾のモノボケ「今日もう体育休んだほうがええで」だけは笑えたけど、最後の2ステージ、後藤も何かやれよ。昨年のM1でも思ったけど、後藤何を根拠に、いつから、あんなに偉そうなんだ。

勝山梶も全体に思いのほかバランス良かったと思いますが、とにかく、コンビだということを全然知らなかったので、ずっと梶のほうに視線釘付けで別の意味で笑うどころじゃなかった。

中川家FUJIWARAは、この番組だと舞台芸人臭というか、ちょっと酸っぱくなりかかっている。

録画失敗で、出だし20数分見られなかったんですが、袖の顔ぶれ見ると長州小力バナナマンだった様子。小力はともかく、バナナマンは見たかったな。設楽何やったんだろう。100万円取れなかったわけだし、必見!てほどは面白くなかったんですよね?誰かそうだと言って(渇)。

昨日、前半で安心し過ぎて流した『金色の翼』最終話後半は、修子(国分佐智子さん)が罪を自白したことで“心の自由”と“愛”という名の両翼を手に入れる…という結末。これなら、61話でセツ(剣幸さん)が自首した段階でもう絵解きが済んでいました。

64話終盤で一転、玻留(倉貫匡弘さん)の拳銃自殺を止めようとしたトビウオダイブが、駆けつけた槙(高杉瑞穂さん)の「玻留を生かして、おまえも生きるんだ、俺がついてる」の悪魔祓い効果あっての結果だとしたら、修子に“翼”を与えたのは槙の愛の力だったと言えなくもないのですが、昨日も振り返ったように槙の修子への愛って、「おまえからすべてを奪ってやる」「地獄に叩き落とすのは俺だ」などと一時はめっぽう威勢がよかったのに、結局、終始一貫、善良なる光のこっち岸にがっちり立脚したうえで闇の対岸に向かって秋波送る類いのものだったから、ラブストーリーとしては後半あらかた失速してしまいました。

それより、せっかく、それぞれの事情を抱える曲者客が集うグランド・ホテル形式で語り始めたのだから、それぞれのつかんだ翼、旅立ちを理生らの説明台詞でさらっと触れるだけでなく、ワンシーンずつでもいいからきちんと描写してほしかった。

月河がいちばん序盤から憎からず思っていた奥寺(黒田アーサーさん)に関してだけは、欲が災いしての社長失脚→愛娘玖未(上野なつひさん)の出産を認め家族への愛という原点に戻る…という、かなり時間をかけた描写がありましたが、結局あれほど事業興しては潰す繰り返しだったのに理生への父としての愛をよすがに定職におさまれたのか誠司(五代高之さん)、収監中の好敵手にして親友・セツとの再会を夢みている間に自分が詐欺立件されやしないのか静江(沖直未さん)、最後の画面登場が厨房でエアギターか石野料理長(田中聡元さん)など、不憫というかもったいない。

こういう扱いをされると、キャラとして脚本家監督にも、スタッフにも愛されてなかったんかな、と、ずっと観てきた視聴者のほうがへこみます。

昼ドラにしては異色の、“ネタ的に指さして笑えるべく用意されたツッコミどころ”の少ないドラマではありましたが、ラストで来ました。

あれだけ取りたい、取れないとやきもきしていたパイロット免許を1ヶ月後”の字幕ひとつで槙がいつの間にか取得、実況検分のため島に再び連行された修子が、絹子刑事(高嶺ふぶきさん)の「帰りは東京まで、彼が送るわ」の粋な計らいでひととき手錠を外され空のドライブを許される場面。

絹子は槙が修子と深い仲だったことを知っているし、警察官として、このまんま飛んで逃亡されるかもしれないリスキーな許可を与えるはずもない。そもそも、槙のかねての、不幸な事情で断たれたゆえにより強いパイロット志望自体、奥寺の会社の株買い占めるの何だので久しくストーリー上放置プレイだし。

何よりあなた、“1ヶ月後”って。これ、笑うところだよね。

ただ、ひとつはっきりしたのは、肩章のついたあのシャツを着れば、誰でも説明なくても飛行機操縦免許保持者に見えるということ。某・話題の相撲部屋親方がいたくお気に入りだというのも、こんなところで納得がいきました。

結局、このドラマ、いちばん噛みごたえがあったのは岩本正樹さんのサントラ盤、ほとんどそれだけだったなあ。

脚本金谷祐子さんの東海テレビ昼ドラ三部作として、05年の『危険な関係』再評価のためにも、今作は昨年の『美しい罠』に続く完全版DVD化の運びになってほしかったのですが、知略サスペンスとしても、事件解明ものとしても、ワンシーズンワンステージの群像劇としても、恋愛メロドラマとしても求心力を欠いた仕上がりになってしまったので、空気的に望み薄そう。

次の機会こそ、此岸から彼岸に引き込まれ抜け出られなくなって人生が狂って行く男と、清らかな顔で彼岸から手招き、すべてを失って泥に沈み行く男に微笑みだけ残してつれなく背を向け去る女、ジャンヌ・モロー主演『エヴァの匂い』のような正調“ファム・ファタール”ものを、もう一度金谷祐子さんの脚本で、ここの昼ドラ枠で観たいものです。

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そして誰も死ななかった

2007-09-28 22:08:21 | コスメ・ファッション

久しぶりに中心街の、客層平均年齢若めのショッピングモールに出たら、女性の“ブーツ率”が一気に上昇していてちょっとドギマギ。つい先週、当地観測史上最遅の真夏日ってのもありましたからねー。まだいけるだろうと思って、白のバスケシューズを履いて出たら、ショーウィンドウの陳列品が深秋ものばっかりなのも相俟って、どう考えても居心地が悪く、バス乗り継ぎに20分ぐらい浮いたんですが試着もする気になれませんでした。

たまに自分と似たようなノー季節感な足元の同年代女性を見かけると、すれ違いざま耳に飛び込む話声で、あー台湾からの観光客様だとわかる(脱)。

せめて革のローファーぐらい来週は出さないとねえ。トップスもニットのアンサンブルとか裏毛のパーカとかに入れ替えにゃいかん。

秋の準備が迫ると、冬も刻々近づいているのを感じます。記録的に暑い夏だったとは言え、それによってめでたく冬が遅くなったり短くなったりするわけではない。

地球温暖化は由々しいけど、冬だけ温暖化なら大歓迎なんだけどな(暴)。

帰宅して早速『金色の翼』最終話をどかどかと録画チェック。

7月のドアタマから三ヶ月、まだあれほどオニ暑い夏になるなんてことは予想もしていなかった時分から、甲子園がありお盆休みがあり、中越沖地震、参院選、台風、安倍総理辞任…思えばずいぶん天災も政変もありました。

一緒に歩いて来たなあ“空と海のホテル”。

「どう気分は?少しは落ち着いた?」と絹子刑事(高嶺ふぶきさん)が話しかけてるのはだだっ誰だあ!という引っ張りもありつつ、修子(国分佐智子さん)は顔に血がついてるだけで無傷、修子から脇腹に一発食らった玻留(倉貫匡弘さん)も意識清明で意外と浅手、あとから入室してきた槙(高杉瑞穂さん)もケロッとしてる…というわけで、よかったー!誰も死んでない!

昨日64話の最終シーンで、負傷の玻留が修子と槙に向けた銃口は、ゆっくりと彼自身のこめかみに向けられ、止めようと『金メダルへのターン』(ふふっ古い!)みたいにダイブした修子ともみ合ううちに銃声は誰もいない空へ暴発していた…という種明かし。今日冒頭の修子の顔面の血は、玻留の手が触れてついたものとわかりました。

「罪深い姉に殺されたかわいそうな弟として、無実のまま死んで」と自分に銃を向けた修子、それでも急所は狙えず、自分がみずから頭を撃って死のうとすると命がけで止めてくれた姉に、玻留が救急搬送の途中「姉さんは僕を見捨てないってわかった、俺、生まれ変わっても姉さんの弟がいい」「玖未に伝えて“元気な赤ちゃんを産んで”って」と微笑みを浮かべて手を握ったところで、月河的にはすべて良し。

日ノ原の飛行機に細工して死なせた件で彼は間もなくブラジルへ送還され裁かれることになりますが、玻留にはこういう了見になってほしかったということは、この二言でほぼ尽くされています。

特に「俺、生まれ変わっても姉さんの弟がいい」には、息子(←居ないけど)に、「生まれ変わっても俺、母さんに産んで欲しい」と言われたくらいの幸福感。何なんだこの満ち足りた気分は。修子さんも同じ気持ちかな。

玻留はその後、出口で待っていた槙とも感謝と信頼をこめて握手。玻留はバスタブで溺れかけたときと合わせ、これで二度槙に命を救われたことになります。

修子、玻留、槙、この3人は、どの1人が死んでも残り2人の人生が“生きながら死ぬ”ことになる。単純にヒロインとヒーローが抱き合えばハッピーエンドになるわけではない。

昨日の槙の、修子を諌める台詞に端的に表れていたように、槙が終始一貫“こちら岸”に(ときどき足場ぐらついたり理生にくすぐられたりしつつも)とどまって、“向こう岸”の闇を弟とともに歩く修子に「戻って来いよ」と呼びかけ続ける…という構図になったのは、善良な凡人が“向こう岸”に引き入れられて人生を踏み誤って行く式の“宿命の女”物語を期待した月河にはある意味見事な期待はずれでしたが、その分、玻留と渾身演技の倉貫匡弘さんのおかげで、まったく予期しない別の宿命ドラマになりました。

とにかく“黄金の3人”が無事でよかった。残り後半20分あまりはもう付録みたいなもん…なんて言わないで、明日ゆっくり腑分けしましょう。

今日は『イロモネア』もあるしなっ。どこまでTVっ子だ自分。

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アフリカにもクマ

2007-09-27 23:22:20 | テレビ番組

昨夜、(正確には今朝)200から続いていた当ブログの“大家さん”=ブログ人のメンテナンス工事、今朝1000に終わる予定が途中でトラブル発生したようで、午後までログインできない状態が続いていましたが、どうやら復旧したようです。よかったよかった。

 閲覧に来てくださるかたにはわからないことですが、管理画面の文字などはひとまわり大きく、鮮明になり見やすくなりました。

機能的にも若干の向上がなされたようなので、時間のあるときゆっくり試してみようと思います。

さて、今日が最後のOPバンボレオ。『金色の翼』64話はえらいところでto be continuedになってしまいました。

修子から与えられた3発のあと、自分でこっそり装填した4発目を、修子(国分佐智子さん)にはめられたと気づいた玻留(倉貫匡弘さん)が、修子と止めに飛び込んできた槙(高杉瑞穂さん)に向かって発射。

玻留は修子との打ち合わせ通り槙に3発打ち込んだら、修子の知らない4発目は自分に使うつもりだったのか。「選んではならない愛の束縛から逃れるには、あなたか私、どちらかが消えるしか方法がない」「日ノ原も迫田も、やったのは私。あなたは無垢なまま、罪深い姉に殺されたかわいそうな弟として死んでほしい」と姉が向けた銃弾を、逃げようともせず静かな表情で受けました。

死ねば地獄だけれど、姉に見捨てられひとり生きるのも地獄。姉と一緒に地獄に落ちれば、今度は姉と弟でなく生まれ変わって来られるかも。玻留はそんな夢を見ていたのかもしれません。

「玻留を死なせたら、おまえも生きながら死ぬことになるのがなぜわからない?玻留を生かして、おまえも生きろ、俺がついてる」と槙の諌め方はこの世を前向きに生きたい善意の人にふさわしい、健康的な言葉ですが、あまりに健康的すぎて、姉弟が見てきた底知れぬ闇を救うにはいかにも迫力が足りない。

今日は客室でのこの深夜の修羅場をよそに厨房で酔い潰れる誠司(五代高之さん)、支配人夫婦と理生が留守でタガがゆるみすっかりファンキーになってる石野料理長(田中聡元さん)が笑えました。二人とも肝心なとき使えないのなんの。ね、だからセツさんに「俺が(檀殺害を)やったと自供することもできたのに」なんて、いいカッコしすぎだったのよ誠司パパ。

料理長はまた、ファンキーになってなくても銃声一発目で腰抜かしてただろうしな。

それに先立って、自分を島から遠ざけた修子の企みを察した槙が、なりふり構わず奥寺(黒田アーサーさん)に「今すぐ警察には内緒で島へ帰りたい、飛行機を出して下さい」と土下座する場面がちょっと良かった。

奥寺自身が社長解任されて丸裸となり、怪しいプライベートオフィス撤収中とは言え、金の力を鼻にかけた俗物の奥寺をあれほど軽蔑していた槙だったのに、結局、人間のプライドって、自分自身を満足させるためというより、自分の大切なもののためにあるものなんだと思う。

槙が姉弟の間に飛び込み割って入ったとき警察を連れてはいなかったから、奥寺は最終的には応じてくれたのかも。応じるところまで槙とのやりとりが描写されないのがまたいいんですけどね。そこまで奥寺を意気に感じる善人にすることはないし、「どうせ槙が駆けつけてくるのは、手遅れになる直前のいちばんキワキワな瞬間」と観てる方も承知なわけだし。

姉の銃弾を腹に受けた玻留が、最後の弾で狙ったのは槙か?修子か?

そもそも命中したのか?

続きは明日。収拾しなければならない項目が多くて、1話分におさまるのかちょっと心配ですが。

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ホタル飛んで行け

2007-09-26 21:03:48 | テレビ番組

第一次福田康夫内閣発足。仕事人として期待されていた厚生労働相舛添さんや、三回目のリリーフ登板農水相若林さんらは据え置きになりましたが、どうも党三役人事あたりから“派閥政治のぶり返しだ”“55年体制以来の古い自民党体質に逆戻りだ”とあんまり評判がよくなく、いささか気勢の上がらない新体制になってますね。

思うに、人選のやり方や選ばれた顔ぶれの新鮮味なさは、気勢の上がらなさ”を説明するためにマスコミが無理矢理探してきてくっつけた理由に過ぎないのではないでしょうか。

原因はすべて福田康夫さんの“顔つき”にあります。

この人は、森内閣の官房長官時代から、年中「やれやれ」という顔をしている。記者団から見え見えの質問をされても「やれやれ」、うまいこと切り抜けても「やれやれ」、不快だぞという気持ちを表明するときも「やれやれ」、逃げ通しても「やれやれ」。勝っても「やれやれ」、僅差で競っても「やれやれ」。

人(←月河だけ)呼んで“ミスターやれやれ”

広い意味で“年中お疲れ顔”の仲間には、政界では民主党の菅直人さんもいますが、菅さんが、声出して元気良くひとしきり笑ったあと脱力した「あーあ」顔なのに対し、福田さんは、何て言うかね、より低体温な「バカばっかりだから疲れるよ、やれやれ」顔なんだな。

24日朝刊には自民党本部で、お父上である故・福田赳夫さんの肖像画の下を通って登壇する写真が各紙に載っていました。赳夫さんは一高→東大法→大蔵省という典型的なエリート官僚出身の政治家で、(年代的に戦死など夭折した人たちを除くにしても)間違いなく“同世代に誕生した日本人男子の知性上位1%”の中に入る選良のひとりだったでしょう。いや、0.1%かな。

当然漢詩や歴史古典にも造詣が深く、「昭和元禄」「狂乱物価」などコピーライター的造語の才もありましたが「自分は頭がズバ抜けて良い」ということをすべての言動の前提としていて、「前提としていますよ、いいですね」という雰囲気を常に身にまとっていました。 

だからと言ってそれを鼻にかけたり、衒ったりしないことが真の頭の良い教養人だということも腹の底まで心得られているので、低身長痩せぎすで禿頭でどう考えてもあたりを払う貫禄あるヴィジュアルではなかったにもかかわらず、非常に独特な空気が一挙手一投足、一言一句に漂っていました。

パロディ漫画家が赳夫さんを登場させると必ずと言っていいほどフキダシの台詞に「ホーホー、ホーホー」と付けていましたが、言動に立ち込めるそこらへんの空気感を漫画家さんセンスで音声ヴィジュアル化するとこうなるといううまいやり方でしょう。

ジュニアの康夫さんは早大政経→丸善石油→父上の秘書と、略歴的には息詰まるほどの“頭良さファクター”は持ち合わせておられませんが、たとえば慎重さ、クチの軽くなさ、周囲のハラの読み方、偉い(と自分を思ってる)人たちの顔の立て方、目下の者に威張ってると思わせないソツのなさ、偉大なエリートお父上を引き合いに出されたとき謙虚に見えるような対応の工夫など、いろんなところで自分と、自分を取り巻いたり関わってきたりする他人とを比較して「疲れるよ、やれやれ」と思うことが多過ぎて、あの顔つきがしみついて取れなくなったのではないでしょうか。

世間一般と比較して頭の良い人は、当然世に出るチャンスが多いですから、TVでも少なからぬ人数見かけますが“自分が頭いいということ”と“世間一般は自分より頭悪い人々の集まりだということ”の両輪を、物心ついて何十年かの人生でずっと御しハンドリングしてきた結果、ものすごく独特の佇まいになっている人が大半です。

年中微量スカしていたり(故・宮沢喜一元総理など)、必要以上に幼稚園教諭よろしくしゃがみ込み目線で「えへらえへら」していたり(元大蔵省ミスター¥・榊原英資さんなど)、まだ悪事バレてもいないのに開き直って「いけしゃあしゃあ」していたり(めちゃめちゃ儲けた村上世彰さんなど)、普通に浮き上がっていたり(ノーベル賞大江健三郎さんなど)、「頭いいってことはそれだけでシンドイものなんだなあ」とつくづく思います。

クチで何を言っても顔が「やれやれ」な人がトップでは、気勢が上がるはずもなく、それでも「顔のせいだ」とはあんまり身もフタも、突破口も無さ過ぎて書けないし言えないので、“派閥復活”だの“論功行賞”だのと気勢の上がらない理由を、マスコミや世間はそれなりの惻隠の情でひねり出してあげたのでしょう。

批判したりこきおろしたりが使命でも、体制というものがまるごと滅びては自分らにも明日がないことを、マスコミも世間の井戸端も知っている。

頭良いほうに属さない大多数の人々が、凹まず落ち込まず、一片の希望をポケットに入れて、出して磨り減りきっていないことを確かめたり、またしまったりしながら日々を生きて行く知恵とはこんなものです。

『金色の翼』63話。

この枠のドラマ、最終話にはOPがないので、3ヶ月間耳になじんだ『Bamboleo』とも明日64話が最後になります。

奥寺(黒田アーサーさん)は脅迫結婚を取り下げて帰京したし、玻留(倉貫匡弘さん)が槙(高杉瑞穂さん)の命をなきものにせねばならない理由もいまとなっては特段ないような気もしますが、やはり彼の中では最愛の姉・修子(国分佐智子さん)の心を自分から引き離す邪魔者であることには変わりないようで、槙のガレージからジープを盗んで島を脱出したと見せかけ、いよいよ行動に出ようとしています。

疑問は、昨日62話の終盤で修子と手はずを打ち合わせしたはずなのに、なぜか「一度決めたことは必ずやる」と単独行動を匂わせる電話を東京の修子宅にかけていること。

自分がこうすれば修子が慌てて行動を起こすことは明らか。玻留の中では、表向き共謀に乗るふりでも“自分が罪を重ねることを止め諌めようと思っているに決まっている”修子をも出し抜く別の計画があるのかも。

さらに修子も、今日は見張りの刑事の目をくらまして、教会で何か“秘密兵器”を手に入れました。

修子は玻留にこれ以上手を汚させたくなく、命を張っても止めたいでしょうが、自分が死んで“一人では飛べない”弟だけがこの世にいままでの罪とともに残されるのも耐えられないはず。まして槙を巻き添えにすることは絶対に避けたい。

槙も玻留も、修子だけを愛していますが、修子はどちらをも、色合いこそ異なれ同じ体温で愛しているはず。

たぶん自分にとって最後の罪になるであろう計画を秘めて理生(肘井美佳さん)に「迫田を突き落としたのは俺」と打ち明け、「もし自首できないときは、理生さんが警察にぜんぶ話してよ、きっとだよ」「それと玖未(上野なつひさん)にも…あいつとは、これからもいい友達でいてくれると嬉しいな」と玻留。

自分との間に子を身ごもっている玖未、「玻留は何もしなくていい、ただ赤ちゃんを愛してくれればそれでいい」と言う玖未も、自分のいままでの犯罪を知ったらあきらめてくれるだろう、自分を追いかけるより、賢い理生さんに長く頼れる友達でいてもらったほうが…という、彼なりの“親心”なのか。姉から離れて一人では飛べないとわかった時から、人の子の親には自分はなれないと感じていたはず。

このドラマに“宿命の女”物語の匂いを嗅ぎ求めてここまで追尾して来ましたが、結局、いちばん“悲しきファム・ファタール”性を持っていたのは、実は玻留だったかもしれないなあ。

ファム…いろんな意味で。

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