イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

武者クシャする

2014-02-07 02:35:39 | スポーツ

 そんなこんなで季節は淡々と進んで行き節分の豆まきの豆が立春を呼んできて、気がつけば2月です。

 もひとつ気がつけば、1月のエントリを読み返すと、結局、『あまちゃん』を懐かしむ、つまり“あま懐(なつ)”だけで2014年の12分の1がはや過ぎてしまったようなものでした。

 これでいいのか!?と思っていたらまた何と不気味なまでに『あまちゃん』とシンクロする事案が世に出てきたではありませんか。

 国産クラシック音楽界にも落ち武者騒動。・・じゃなくて影武者騒動。

 しかも事の発端がゲームソフト『鬼武者』っていうんですから、なんか符合し過ぎてほとんど信じ難い。“事実が虚構を模倣する”ってことが本当にあるんですねぇ。いや、事案そのものは『あま』の構想などよりはるか10数年前に、隠密裏に進行していたらしいのですが。

 昨年の暮れ、NHK『あさイチ』でこの作曲家(=作曲したと自称していた人)さんのミニ特集があり、楽曲のひとつがチェロでスタジオナマ演奏される中、華道家の仮屋崎省吾さんが曲想にあわせて花活けパフォーマンスを披露するという、NHKでなければ絶対無理だろうなと思えるなんとも贅沢なオンエアぶりは未だ記憶に新しいものがあります。

 その時は、楽曲や音色が美しいことより、仮屋崎さんの生け花が迫力あることより、「コレNHK内部によっぽどこの作曲家さんの熱烈ファンで押してるディレクターか何かがいるんだろうな」というのがいちばんの所感でした。すまんね、失礼で。自慢じゃないけど心が濁ってるほうなもんで。

 あと、こんな事案が持ち上がったから安心して言うわけじゃないですが(と言いながら実はかなり安心してますが)、くだんの作曲家さん、中途失聴の全聾(ろう)で耳鳴りに悩まされながら絶対音感を頼みにフルオケの大作交響楽など書いてるというわりには、この時点の取材映像で見る限り、妙にガタイがよくて肉付きがしっかりしているのはちょっと違和感がありました。

 これは決して偏見ではなく芸術やアートに深い造詣の無いドシロウトだからこそ純粋に、“逆境に耐えて芸術に邁進している人には、やはり逆境感のにじみ出たルックスをしていてもらいたい”という、一種の幻想の様なものがあるわけです。ほとんど葉加瀬太郎さんレベルの栄養の良さなんだものなあ、佐村河内さん。

 ご自宅マンション内での場面で、仕事場の壁面にでっかい十字架像があって礼拝堂風のしつらえなのも一抹、ほのかに怪しさが漂いました。これも別に「芸術家が神信心してるのはケシカラン」なんていうつもりはないのですが、やはり芸術やスポーツ、芸能など“常人ならざる才能とパフォーマンス”の人が「信仰があるから力が出た」「神の恵みで着想が降りてきた」なんて思っているとしたらえらい興醒めです。才能ある人はもっと傲岸で、自負自尊のカッタマリでいてくれなきゃ、才能ない凡人の立場がないもの。

 この作曲家さんはそれ以前に、信仰心を創作活動の拠り所にしているタイプというより、もっと雑駁に“神がかっている”人にちょっと見えたのです。終末思想とか、輪廻転生とか好きそう。もっと言えば“電波”の人。

 んでまた、昨日(2月6日)になって「実作は私がやっていました、共犯者です」と名乗って会見した音大の先生が、すがすがしいまでに対照的なヴィジュアルの、餌の少ない川の“メダカ人間”みたいな人で。

  新垣さんは彼なりに遅まきながらいたたまれず、「公表してぶっちゃけて楽になりたい」思いもあっての行動だったのでしょうが、公表されて、真実を知って、幸せになる人が誰もいないのが“嘘いつわり”の罪なところです。嘘つき通すのも地獄、ぶっちゃけるのも地獄。

 『あまちゃん』内での“潮騒のメモリー”影武者問題は、何度も露見しそうな局面を乗り越えて、急転直下鈴鹿さん(薬師丸ひろ子さん)の、20数年人気女優を続けてきた伊達じゃない“プロちゃん”魂が奇跡の一発ライヴ歌唱でファンの夢を救いましたが、今回のコレはどうなれば救われるんだろう。新垣さんはもう一旦クチから出したものを引っ込める事は出来ないし、佐村河内さんは逆に、クチが裂けても「新垣さんの言った通りですごめんテヘペロ」とは言えないでしょう。しらを切りとおすしかない。とおせなかったら地の果てまで隠れているしかない。どうする広島の皆さん。どうする義手のヴァイオリニストさん。

 やっぱり高橋大輔選手の大復活金メダルしかないか(そっちか)。

コメント
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