すっかり秋ですねえ。
気がつけば(気がついたのか)、何のこっちゃない、NHK朝ドラが新しくなったときしか更新しない、怠けものの節句働き的(意味が違うか)ブログへの道をひた走ってますな。
だってね、朝ドラずるいんだもの。毎年、4月と9月に新シリーズが、民放のように"改編期の番宣祭り"などはさまずにすぱーーーっと切り替えて始まる。こちとらの生活日常茶飯や、アタマの中身の切り替えの節目にするのにしっくり合いすぎるんですよ。
もっとも、数年前までは月河にとってはこれが朝ドラではなく、昼1:30~の東海テレビ制作昼ドラマでした。1~3月、4~6月、7~9月、10~12月ときっちり3ヶ月ずつ年4作放送されていたので、まるで俳句の歳時記のようにシーズンの移ろい、「いま一年の中のいつ頃か」を知らしめてくれたものです。いや東海テレビさんも、というよりテレビ界全体も、あの頃は体力気力まだ漲っていたなぁと今にして思います。放送時間帯的にリアルタイム視聴層が限られているので、いろんな意味で団地サイズ、終わり頃は箱庭サイズのスケール感だったとはいえ、年に4作、月~金の週5話ペースで全60話クラスのヴォリュームの帯ドラマが、休まず作られ続けていたなんて、いまとなっては信じられません。
「連続もので欠かさないのは昼帯と特撮だけ」だった者としては寂しいことですが、TVドラマにあの時代は二度と来ないでしょう。いまや箱庭どころか手のひらサイズのスマホ内で、"あとをひく系"の娯楽は何でも消費できる時代になりました。バス停、バスの中、地下鉄のホーム、老いも若きも、誰もが手のひらで何かしらに興じています。毎日、28分ばかりの留守録設定をしておいて、夜遅く帰ってやおら巻き戻して(懐かしきビデオデッキ)再生なんてシチ面倒くさい娯楽は遠い昔に無くなった話。
しかしそれにしては、ここのところやけに、有名人の不倫バッシング報道が多いのは、なんか皆さん微妙に"昼ドラロス"、もしくは"昼ドラ的ワールド"ロスに陥ってませんか。「やっちゃいけないことをやっちゃってる人や、人が人に対して抱くブラックな感情を白日の下、サラシものにして叩いたりほじったりつっついたりして、ああでもないこうでもないと好き勝手言い合う」プチ快感を、いい具合に掬い取ってはフィクションの名のもとに点火し、フィクションとして燃焼させてくれていた東海テレビの昼帯ドラマ、団地だろうが箱庭だろうが、あれはかなりの貢献度だったと思うのです。
あの世界がなくなってからというものじんわりと飢餓感が積もり積もってきて、週刊誌がちょっと歌舞伎俳優さんやハーフタレントや、J-popアーティストの生臭い話題を提供すると、皆さんオコゼみたいにバコッと食いついて叩く叩く、火ぃつけるつける。
多少無理くり設定でも、若干ミスキャストめでも、他人のブラック・背徳・ロクでもなさ加減を覗き論いたい欲求の受け皿として、フィクション、作り話の世界ってやっぱりあった方がよかった。「女性の社会進出が進み昼のリアルタイム視聴者が減った」と、意外とあっさり"需要なし"と断じられ切られていきましたが、『ミヤネ屋』のヘッドラインとか見てるとしっかり需要あったじゃないですか。
いまや「不倫といえば!」の代名詞になった例のアーティストじゃありませんが、人が自分以外の人に関心を向ける動機はだいたい、根が下種(げす)なもんです。その下種な、しかし下種ゆえにものすごくたくましく健康的な根性を掬い取って燃焼させてやる力が、フィクションに無くなった。フィクションを作る側に体力気力が漲らなくなった。
なんだ、結局は社会の高齢化のせいか、なんて言ってる場合ではありません。手のひらに乗るあんなちっこい画面に客を取られて、TVドラマ屋さんたち、ちょっと不甲斐なくないですか。