イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

内容がないよう

2010-03-31 20:29:46 | テレビ番組

開始3日めにして『ゲゲゲの女房』はあきらめました(爆)。

…いや、視聴そのものじゃなく、朝800~でリアルタイム追尾するのを。

やはり無理。食事と片付けと出かけ支度の忙しさだけではなく、いちばん“生活臭い”コンテンツであるローカルニュースと気象情報が終わったと思ったらいきなり、戦中の安来の多感な少女と、ゲゲゲワールドってのは。

先週までは、800台アタマに全国or国際ニュースの漫画フリップ入り解説というワンクッションがあり、阿部渉アナの「お元気でっ!」があったから、“ちょっとフィクションでひと息”モードになれたんですが。

それプラス、今作『ゲゲゲ』は久しぶりに、ほんわかしんみりゆっくり見たい朝ドラになりそうなので、やはり録画して夜、再生視聴することにしました。平日朝745~のBShiなら家族とレコーダーがかぶらなそう。

3話からは布美枝ちゃんも10歳になり、子役さんも菊池和澄さんから佐藤未来さんへ。次姉のユキエさん(足立梨花さん)にはボーイフレンドができ、案ずるお父さん(大杉漣さん)は「早く嫁にやらんと」とやきもき、布美枝ちゃんは背が高くて男子に「電信柱」とからかわれるのが悩み。10歳ならいまの学制では小4、そろそろ女の子らしい自意識やコンプレックスも目覚めてくる頃、未来さんも、和澄さんから引き継いだ布美枝像の成長をうまく表現していますね。幼いときは自然体だった女の子でも、一時期、男の子よりずっと早くに、背が高けりゃ高いなり、低けりゃ低いなり、太ってる痩せてる、色が黒いとか手が大きい足が大きい、目がどう鼻がどう耳がどうと、身体上のあらゆることがコンプレックスの要因になりますからね。

こちらは29日に一度見ただけですが、朝ドラの後、全国ニュースをはさんでの820からの『あさイチ』とかいう新情報番組はちょっといただけませんね。センスがね。アタマから駅ナカスイーツの話題って。東京在住の人以外は興味持ちようもない話だし、急ぎでかっこんだ朝食がまだ胃におさまらない時間に、ごてごてスイーツ持ってくるのってどういう神経か。お昼どきや午後だったら、「美味しそう、帰りに寄ろうか」って気分にもなるのに。番組として、“食材”の選び方がへたくそ。

視聴者からのFAXやメールを受け付ける一郭に“ごいけん/しつもん”なんて平仮名で大書して天井から吊るしてあるのも、視聴者に向かって“猫なで声”な感じでもやもやする。

市場レポーターの篠山輝信さんが登場すると、BGMにいきなり母上の南沙織さんの『17歳』を流して、ご本人は「聞き覚えのあるような」と迷惑そうにリアクションしたり、出演者とディレクター側の息の合わなさも目につきました。

この時間在宅していたら、やはり『スパモニ』か、『とくダネ!』かな。たまに『朝ズバッ!』、もっとたまには『スッキリ!!も。

……待てよ、『あさイチ』といい、何でどこのチャンネルもこの時間はカナ4文字なんだ。ラテ欄番組表の字数節約かな。タイトルが短ければ内容をたくさん載せられるから。

月河家族は、いくら短くても、全然番組タイトル覚えてないですけどね。「みの」とか「オグラ」とか「珠緒ちゃん」とか、メイン司会者の名前でタイトルに代えて呼んでます。「みの終わったから、オグラいれとけ」って調子。

4月からここに「イノッチ」も加わるか。「ウドーさん」になるかな。字数は節約しても、内容は節約しないように願いたいですな。

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朝は寝床でGGG

2010-03-30 18:05:32 | 朝ドラマ

48年ぶりに放送時間帯が変わって、15分繰り上げ800スタートになったNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』。結構、朝のこの15分って大きいですね。とりあえず29日、起きたときから第1話は見てみるつもりでいましたが、片手間視聴にせよ800からTVに注意を向けられる態勢になろうと思うと、かなり忙しいです。

ヒロイン・布美枝の7歳時代を演じる菊地和澄さんの何ともいえない、ふんわか加減がいいですね。古き良きアナログ日本の匂いのある少女。1話冒頭で、成人して水木しげるさん(向井理さん)とのお見合いを迎えた布美枝が松下奈緒さんで、“背が(女性としては)高いのを(自分より親が)気にしている”という描写とともに、美人なのに着物おめかしが板につかず物慣れない感じが1シーンでもよく出ていたので、なおさら和澄ちゃんの持ち味とうまくつながりました。

バカでも鈍感でもない、むしろ繊細で思いやりもあり勘もいいのだけれど、どうも周囲のにぎやかな流れと、自前の心模様が一致せず浮き上がってしまい、結果的に「引っ込み思案」「ハキハキせん子」「忙しいときに限って、もしょもしょ言い出す」と思われてしまうタイプ、よくいますよね。

でも、商売で忙しい両親に代わって、昔話が得意のかしこい登志お祖母ちゃん(野際陽子さん)、5里離れた隣町の輝子叔母ちゃん(有森也実さん)が、そんな布美枝ちゃんの個性をよくわかって受け入れてくれているので、ドラマの中がギスギスせず底が明るい。

次から次へと商売替えするもののなかなか成功しない、商才はなさげなお父さん(大杉漣さん)が卓袱台で読む新聞にはヨーロッパでの第二次大戦勃発が報じられ、「このご時勢(商売も)ひとつじゃやっていけない、いろいろ手を広げな」との言い訳に、お母さん(古手川祐子さん)は逆らいませんがあらかた呆れ気味。人はいいがせっかちで少々タンパラこきのお父さんを、地に足つけてシメるのはお祖母ちゃん。

お姉さんたち、兄弟たちも布美枝に無関心でも、辛く当たっているわけでもないのですが、布美枝がとにかく独特のペースなので、気がつくと「アレ?そういえば姿を見てない」となる一家のムードなど、いろんな情報がさりげなく詰まって語られている。この時代はきょうだいの数も多かったし、自家営業で商売も家事もひとつ屋根でてんてこ舞いの毎日ならこんなものだったでしょう。

野際さんの、さすがは元・NHKアナな語り口、ナレーションには品があるし、アバンで右下の妖怪大行進が、“連続テレビ小説”のロゴに変わる演出も気がきいている。OPにも水木漫画のキャラが続々顔を出すので、とりあえず鬼太郎シリーズに親しんだ世代はもれなく見るでしょうね。前作『ウェルかめ』のかめっ太くんもバンクーバー五輪のハイライトスタジオに応援登場など、健闘でしたが、ねずみ男や目玉オヤジに参戦されちゃ、キャラとしての歴史が段違いだけに、ちょっと反則に近いですな。

一昨年春季の『瞳』途中からなんとなく視聴復帰したNHK朝ドラ、ここのところ現代ものが続いていましたが、今作は昭和15年スタート。戦前から始まり、戦争を挟んで戦後に至る、この辺りの日本がいちばん朝ドラには向いていますね。どん底に落ち込んでも、その後上昇に転じるのが、いま視点“神の目”でわかっているから、ヒロインが少々苦労して暗くなっても安心して応援できる。

それに、どうも“現代”の日本で青春する若い女性の生活感覚や恋愛・結婚観、お仕事事情などを、特に原作なしオリジナルで活き活き描き、説得力を持たせるのは、受信料でお給料もらってるNHKスタッフにはもう無理なんじゃないかなという気がするのです。『瞳』のヒップホップも、『だんだん』の邦楽ヒットチャートやアマチュアボクシング界も、『ウェルかめ』のローカルミニコミ誌、旅館経営も、「当該業界の実態や、実際その世界を志して日々精進している若者たちの感覚を全然知らないで作ってるな」と思える場面や、展開や、台詞が続々出てきましたから。

いっそ『つばさ』ぐらい突き抜けてナンセンス風味のコメディ舞台劇みたいにしたほうが観やすかったのは皮肉。それでも近年の朝ドラにつきまとう“親世代が、ドラマ開始前時制で出来せしめた苦境で、ヒロイン世代が振り回されたり悩んだり”のしんどさからは逃れられませんでしたね。

『ゲゲゲ~』は放送時間を改革しましたが、中身は“戦争体験世代女性の夫婦善哉”という原点回帰。内容も実績も好結果が出てほしいですね。

それにしても、略称がいきなり「ゲゲゲ」じゃどんなもんかな。濁音の3乗って、結構発音にエネルギーが要りますよ。「今日のゲゲゲ見た?」「ゲゲゲどうなった?」とか、会話で言いにくいじゃないですか。

さりとて、1音省略して「ゲゲ」にすると、スマートブレイン社長(@仮面ライダー555)じゃないけど「下の下」を連想してイメージがよろしくない。

あれだな、“インターネットで検索する”ことを、Googleにちなんで「ぐぐると言うように、“『ゲゲゲの女房』を見る”ことを「ゲゲると言うのが流行語になったら、勝ちだな(何に)。

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新宿のハハハ

2010-03-28 21:30:18 | お笑い

『爆笑オンエアバトル』12回チャンピオン大会(26日放送)はどうだったでしょうか。今年度からスタートした新システムの締めということで半信半疑でしたが、システム云々以前に、どうも、普通に、全般に低調でしたな。

どういう流れでそうなったのか、放送された部分はカット編集が入っているので窺い知れないのですけれども、とにかく客席が非常に重かった。こんなに客の重いオンバトは近来見たことがありません。本戦スタート前の出場各組入場や、ディフェンディング・チャンピオン=トータルテンボスのベルト返還などのセレモニー部分はまずまず温まっていたように見えましたが。

レギュラー放送が月一になって、各回の会場審査得点1位計12組(第6戦のみ同点12組)と、放送後の視聴者投票1位組の『視聴者投票1位バトル』(227日放送)から1組、計13組がディフェンディング・チャンピオンに挑戦する方式になったため、出場各組と観客に“距離感”ができてしまったということはあるかもしれない。一度会場審査で“1位抜け”した組は、以後、年度中はエントリーしません。U字工事4月第11位)やノンスモーキン(5月第21位)など、もうずいぶん(『オンバト』では)顔を見ていないような気がしましたもん。これが微妙に客席の体温を下げたか。直近の放送回(レギュラー回ではないけど)だった視聴者1位バトル経由のアームストロングがいちばん“ほやほや”で客をツカんでいるように見えましたからね。

結果を公式でチェックするようなヨコシマな手段は使わず、しっかりアタマから録画視聴しましたぞ。13組の挑戦者中、会場審査での上位2組とチャンピオンとの3組による決定戦が行なわれるという2ラウンド制も「ワタシ聞いてない!」(亜樹子@仮面ライダーW)状態でしたがそれはさておき、まず一見速攻、決定戦進出「ないな」と確信したのがノンスモーキン、ハライチ、イワイガワ、こりゃめでてーな、ランチランチ

ノンスモーキンは敗者コメントで中尾が「言い訳じゃなくトップでは演りたくなかった」と言っていましたが、トップでなくても難しかったでしょうね。2番手のハライチのノリツッコミ押し同様、彼らの指漫才も初見のときからどんどんテンションが落ちてきている。「指漫才かジャンケン大王見たかったなー」と「でも、おもしろかったな」とが観客の中で拮抗するようなネタを考えないと、もうきついでしょう。

ハライチもまったく同様で、せっかく定着したノリツッコミのスタイルが、洗練されて次段階への進化を遂げないうちに、普通に飽きられてきたのが痛い。今回も「干からびた亀」でやっと沸きかかったのに、「玉突きの事故」でみるみる寒くなり、間をあまり空けずに「よぼよぼの鮒」でイメージを戻してしまったのが何とも歯痒い。操縦桿を握っているのが岩井で、澤部のアドリブ頼みで膨らませてこの出来なら、一度澤部から振る形でネタ作ってみたらどうかな。

イワイガワは井川のキョドリキャラが活きる、ネタとしては悪くない着眼、悪くない作りだったのですが、何度も言ってしつこいんだけどとにかく客席が重いんですよ今回。井川の似合わない銀髪ヅラで出オチせず、ジョニ男の拍手を要求する「ワーッ、サッ、ササ、サッ」でも、「手持ちブタさん」でも、クスッとも来ない。それどころか、ジョニ男のお約束「アーーッ!」オイルショックポーズでも、「私が(イッツショーーック!を)やっても(ジングルが)鳴るんですね」でも来ないんですから、今回に限っては彼らの日ではなかったと言うしかないですね。前に3組漫才が続いた(かつ、さっぱり温まらなかった)後ということもあるし、基本的に2人とも持ちキャラ命の芸なので、1位抜けしたら年度末までご無沙汰”なことが、いちばんマイナスに影響する芸風だったかもしれない。

こりゃめでてーなはいまさらメイド喫茶って、取っ掛かりに使うだけにしても、いくらなんでも古過ぎるし、ランチランチは「2人揃ってキモくせんでも」。匙加減ができていないんですね。同じネタをタカアンドトシかパンクブーブーが演ったらと、そればかり考えていました。

速攻ではないけれどやはり無理だろうなと思ったのはななめ45°、我人祥太、U字工事。単独ライブぐらいならじゅうぶん成立するしウケも取れそうな出来なんだけど、他組と競うオンバトですからねえ。

ななめは終盤ドサクサと下ネタ風味を押し込んで行く流れや、岡安のドヤ顔のリフレインで笑いどころを指示増幅させていく作りはこなれていて悪くなかったのですが、ドヤ顔される側の土谷が素で笑い過ぎだし、司会者役の下池がラクし過ぎで、「初のトリオのチャンピオンになりたい」と戦前意欲的だったわりには3人いる”ことが活きるネタになっていなかった。いままでの活躍、貢献度的にも、オンバトチャンピオンになっておかしくないポジションにいる組ですが、なるとしたらこのネタでではないだろうと。

我人祥太は何より“両親の実の子でないことより、思っていた血液型と違っていたのをショックに感じている”というズレの根本的な可笑しさが薄かったのに、そこへ血液型引っ掛かりだけを積み重ねて行ったので、つまるところ飽きてしまいましたね。やはりオンバトの持ち時間をもたせるネタを再考する必要がある。

U字工事は可もなく不可もなし。贔屓目に見れば、やはり前順のハライチから続く客席低温注意報をはじき返せなかった。

五分五分かなと思ったのはしんのすけとシャン、THE GEESE、エハラマサヒロ、ハイキングウォーキング

しんのすけとシャンは「ほわんほわんほわん…」のクチ効果音で過去を振り返る、なにやら先日の『相棒 season8“右京、風邪をひく”みたいなネタで、ネタ質としては1stラウンド13組の中でも一、二を争う出来だったと思いますが、さすがにオンバト歴の浅さが出たか、若干腕が縮んだというか演じが小さかったのが惜しい。いま少しオンバト“汁”がしみ込んでから決勝戦に進出させてあげるほうが親切でしょう。

「アンジャッシュ以来のコントチャンピオンを」と意気軒昂だったTHE GEESEは、2人ほぼ座ったまま、動きで取る笑いを抑えたコントで彼ららしさを見せましたが、いつになく“世話物”の匂いが強くナンセンスに徹し切らなかった分、玉数が伸びなかった。放送日近辺に大きな航空機事故があったらオンエア厳しいネタだったかも。この点はななめ45°も同じか。

エハラマサヒロは、ドアタマから紙芝居の並びや天地がさかさまだったというハプニングからのリカバリーが見事でしたが、全体に“TVの見すぎ”みたいな芸なんだな。『エンタの神様』や『レッドカーペット』でなら爆笑とっていいけれど、これでオンバトのチャンピオンになられてはちょっと困る。

ハイキングウォーキングは、“ニートの兄に引導渡して家出しようとするも、兄が余命僅かとカムアウト”と、“隣がのび太の野比家”という2つの要素を欲張ったためちょっとごちゃついたし、いいところでドラえもんのBGMが流れる仕掛けに頼った笑いの生み方は若干ずるい気もしましたが、一連の“ヘンな店のヘンな店員に振り回される客”シリーズのように、単なるウザ芸、キモ芸になっていないところにチャンピオン大会に賭ける心意気が感じられました。

いちばん、これは突き抜けた!と思ったのがアームストロングでした。「ハイ先生」と「いま関係ないと思います」のリフレインに挟む強弱起伏のつけ方がいつもながら素晴らしい。2人ともいつものフテ気味キャラを貫いたまま「ごめんなさい」「いいよ」「ありがとう」とお利口さんな言葉も入れ、「やめろよー太ってんだから」のお約束もしっかり入れてある。これで決勝進出できなかった(13組中3位)ということは、オチがきっぱりしなくてフェードアウトで終わった、それくらいしか欠点らしいものは見当たらない。

……というわけで結局エハラマサヒロ1位、ハイキングウォーキング2位でトータルテンボスとの決勝戦になったわけです。演順12番めと、挑戦者ラストの13番め。これひとつ取ってもどれだけ当日の客席が重かったかわかる。観客も終盤に来て“重さ疲れ”したのでしょう。

決勝戦でのエハラ1stラウンドでのそれ同様、やはりオンバトではなくエンタ仕様のネタでした。ナルでウザいやつの「ありがち」ネタと言えば井上マーにも近いけど、エハラの場合どうも“ウザさの丸投げ”で、裏からもうひとひねりして笑うところがない。直球「うっぜー」で終わってしまう笑いなのです。たとえばこのアーティストネタなら、“オーディエンスがいちいち、ナルなアーティストがナルに狙ったのとは違うリアクションをしてくる”みたいなひねりがあったら、笑いの質がだいぶ心地よくなったはず。

そして、今回、チャンピオンを入れて1316本のネタを見た中で、いちばん素直に爆笑できたのが決勝戦でのハイキングウォーキングでした。徹底的にナンセンスを貫けていたし、何より、“ヘンなトランプの遊び方を教わる側の松田が、覚えて勝ちたい気満々”という地合いを作り出せたのが大きい。これで全体に勢いが出て、飽きさせないネタになった。いつものように松田が振り回され一方でぶりぶり怒るていのネタだったらエハラの下になったかもしれない。「いーち、にさんしー」のフシつけたカウントはだいぶ脳内ループ性がありました

そのハイキングウォーキングを312kb上回る、3年連続のover1000で防衛を果たしたトータルテンボスは、ネタ質・演り出来ともにほぼノーミス、文句なしでしたが、決勝戦のオーラスでやっとチャンピオン登場という出来すぎた演順になり、正直、「もう安心して玉入れたい」という客席の飢餓感に乗っての圧勝という気もします。大村の「やってみたい職業」といい、ブロッコリー、スキマスイッチ、「臭い」のリフレイン、前半で振ったボケの終盤順次回収と、いままでの得意要素を隙間なく固めた鉄板ネタ。唐突ですが先般のバンクーバー五輪におけるキム・ヨナ選手のプログラムを思い出しました。

前人未到の3年連続を達成するために勝ちに来たという、その姿勢は潔いと思うけれど、ディフェンディングでありながら“チャレンジ”でもあったはず、いま少し“攻めて”きてもよかったのではないかな。

戴冠後ベルト巻き直しの際、藤田は美人アシスタントに締めてもらったのに、大村は構われず、後ろの敗退組に「なぜ手伝わん!」と泣き入れたところが、ネタ本編より笑えました。

しかし、せっかく3年連続のチャンピオン防衛を果たしたトタテン、新年度からは『オンバト+(プラス)』という新番組になり、どういう形で挑戦者を迎え撃つのでしょうかね。今年度、週一だった放送が月一になってどうも録画忘れがちになるし、ノリにくいなと思ってはいましたが、未オンエア組限定の『爆笑トライアウト』との併せ技でせっかく定着しかかったシステムですから、あと1年は走ってみてもよかったように思うのですけれどね。

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有益すぎるブログ

2010-03-26 16:48:12 | ニュース

ネットで有名な八戸市議会の“美人すぎる市議”藤川優里さん、やはり参議院選挙に出るのでしょうかね。どうも1月の自民党大会で、国会議員でも党職員でもないのにスピーチ登壇していた頃から、何か使われそうだなという気配はしていました。小泉進次郎議員との2ショットになったときには笑ったな。いまの自民党、“若さ”“ルックスの良さ”というものに、砂漠でバームクーヘン食べた後みたいに干上がって餓えているのね。いまに始まったことじゃないけど。ご本人は“使われてる”自覚はないのかもしれませんが、自己責任もあるにせよ(言っても30歳らしい)ちょっと気の毒。

 でもって、“美人すぎるウンヌン”のフレーズがネットで散見されるようになってから、月河も物見遊山でネット画像検索してみたところ、嬉しいことにと言うか拍子抜けと言うか、本当にそこそこ美人なのね。いや、「そこそこ」なんちゅうとなんだかナンクセつけたいみたいに思われたら心外で、そりゃ“ルックスがいいこと”がある程度デフォルトになっている、モデルクラブやキャバクラや大企業受付嬢、あるいは客室乗務員などの世界においたらさほどでもない、特筆するほどでもない部類に入ってしまうかもしれませんが、あまり美しさが期待されない、堅めの会社の営業ウーマンや、販売員、清掃員、看護師や保育士、教員などのサービス業、もしくは法事で集まった親戚の中ででもお目にかかったならば、「いまのヒト、きれいだったねえ」「んだんだ」と同席の全員が首肯し合うレベルはクリアしておられる。

ましていわんや一応政治家、しかも、あまり美人の産地との定評あるわけでもない、いち辺境の地方都市の市議ということになれば、美人“過ぎる”と付いても、不思議も無理もありますまい。

ネット画像で拝見する限り、美人でもバリバリ垢抜けしてはいなくて、ほのかにカントリー風味が漂う佇まいなのもいいですね。十人並みかちょっと下回るくらいのルックスの子なら、いくら垢抜けしても垢抜けしすぎということはありませんが、美人は素朴寄りのほうがいい。美人があまりに垢抜けしていると“美人のプロ”というかマーチャンダイジングの匂いがしてしまい、差し引き、有り難味が減りますからね。

ところでこの“××すぎる○○”という語法、先般の噴飯“イケメンすぎるホームレス”のほかにも、“可愛すぎる海女さん”なんてのもいたし、“××”に容姿の優秀さを称える形容詞を、“○○”に容姿を期待されない職業や地位名を入れればなんぼでも成立します。つまり、××であることが○○にまったく貢献していない、○○が、××であることをまったく必要としない概念、イメージであればあるほど、造語としてのインパクトは大になる。

“イケメンすぎるホームレス”なんて、「いくらイケメンでもホームレスじゃしょうがないじゃないか」と誰もが思うからいいのです。有用でない、無駄であるということは贅沢だということで、××と○○のイメージに落差があればあるほど、注意喚起度、話題性は高まります。

しかし、“美人すぎる○○”はどうでしょうか。○○が“市議”であれ何であれ、喩えられる客体が女性である限り、“美人”であることがプラスに働かない、有用でない、まるっきり無駄であるような職業や地位や立場はこの世に存在しません。市議であろうが、清掃員であろうが教員であろうが専業主婦であろうが、美人であるのと美人でないのとでは人生のクォリティが、向いている方向性が、生涯に受ける日照量、酸素供給量が、行くと帰るほど違う。それが女性というものなのです。

男性における“イケメン”なんて、女性の“美人”に比べれば昨日今日ひょこひょこ出てきた、迫力においてコンマ以下の言葉、概念にすぎません。“美人”という言葉には、世界じゅうの、何世代、何十世代にもわたる女性たちの、怨念が籠もっている。○○に何を持ってきても、アタマが“美人”では重すぎて、均衡をとり得ないのです。

“美人すぎる○○”の表現には、「せめて男性側、おっさん側の視点で、“美人”に籠もった怨念をいくらかでも茶化し、薄めようじゃないか」という、メディアを使った“屁のツッパリ”みたいなものを感じます。“美人すぎる”市議であれ○○であれ、釣られて注意喚起度を見出すのは100%男性でしょう。女性にとっては、“美人”に“すぎる”は、未来永劫、子々孫々にわたって、絶対に付かないからです。女性にとって、“美人”が無用であり、無駄であり、贅沢だったためしはないからです。有史以前まで遡っても無いからです。

自民党が藤川市議を国政選挙に擁立するなら、そこらをよく理解して、弁えてから決める必要がある。自民党にも、“美人”が付こうが付くまいが女性議員はいるし、ご意見求める機会はあるのですからね。いま以上凋落したくなかったら、おっさんサイドの有り難味のモノサシに、あんまりまるっと寄っかからないほうが得策ですぞ。

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Nicheもサッチも

2010-03-25 15:42:05 | バラエティ番組

しばらくお顔を見なかった野村沙知代夫人を、最近たて続けに二度ほど夜のゴールデン番組で見かけました。一度は爆笑問題の『太田総理…秘書田中』で、もうひとつは忘れた。

前にも増して声は大きいし、化粧は濃いし、以前の露出ざかりの頃に比べても心なしかシワも減って肌ツヤもよろしいような。隣席のタレントが何か言うと「違うわよ」「そうじゃないのよ」とバッと手を載せて遮ったり、“共演者の誰よりもワタシが人生の先輩で、認知度も高くて、発言権あんのよ”という自負にいささかの翳りもない様子です。

沙知代さんと言えばずいぶん前に、脱税で裁判になり「タレント活動はやめます」と法廷で上申したんじゃなかったでしたっけ。もう10年近く前だったような気がするから、時効と言うか、“刑期満了”みたいな感じでしょうか。夫君の野村克也さんが楽天監督を降り(その後名誉監督に就任されたらしいが)、事実上リタイアド身分になったので、「今度はなりふりかまわずアタシが稼がなきゃ」とチカラ入っておられるのかもしれない。

あるいは、新進党時代の小沢一郎さんにくどかれて選挙に立候補した(落選の上、学歴詐称疑惑まで)経験がおありなので、「誰でもいいから小沢の悪口つけつけ言いそうな人を集めてこい」という流れに乗ったか。

いずれにせよ、タレント引退宣言はドコ行った?と目クジラ立てるのもいまとなっては野暮というものでしょうか。政治家の選挙公約や、政党のマニフェストを例にひくまでもなく、何かに際して何かかんか約束したり、宣言したり、誓ったりしたことどもを“徐々に、次々に反故にしていく”のが人間の人生というものじゃないかなという気もするんです。

入学、進学、卒業、就職、転職、結婚、子供の誕生、離婚、定年など、人間いろいろな場面で「これからはこうしよう」「こういうふうに生きよう」「いついつまでに、これこれを達成しよう(もしくはやめよう)」と決心し、時には他人に公言したり、ブログに載せたり、紙に書いて壁に貼ったりしますが、決心した通り寸分違わずに果たせている項目がそのうち何割何パーセントあるか。

誓った通りの結婚生活を10年、15年(中略)、50年、一日も手抜かりなく過ごせているか。「このかわいい子のために、こんなこともしてあげよう、あんなこともしてあげよう」と決心した通りに子育てに取り組み、こう育てたいと思った通りの子に育ち上がっているか。誓った通りの入社年度に、目指した通りの役職に就けているか。目標通りの年収と、願った通りのレベルのマイホームが現にここにあるか。

たいていの人が、「まぁ、100%ってわけにはいかないけど、まあまあかな」「途中、状況も変わったからね、不況とか」と誤魔化し笑いとともに自答するのではないでしょうか。まあまあということは達成“できなかった”と同じことで、できなかったと言うとネガくなるから、婉曲表現で「まあまあ」と言ってるだけです。

約束を果たせないということ、果たせない自分、“まあまあ”で事足れりとする自分と、折り合いをつけていくのが人生、と言い換えてもいい。

事足れる自分、折り合う自分だけでなく、折り合う世間というものがあるのも現実です。沙知代さんが「ちょっと、アタシこれから旦那の引退した分も稼ぎたいんだからテレビ出させてよ」と言ったとき(見てたわけじゃないけど、言ったと仮定して)、バラエティ番組やトーク番組のPなりディレクターなりが「沙知代さんタレント業引退って言ったじゃないですか、法廷で宣言したんだからダメですよ」とストップかけてたら、この人を再びTVで見ることもなかったわけで、要するに皆“折り合って”しまってるわけです。

TVの向こう側の責任だけではない。このご時勢、TVだってお付き合いやしがらみやゴリ押しでキャスティング決めてるわけにもいかないのであって、ある人を出したら出した途端にがつんと視聴率が下がるとなったら、当然、以後出しません。がつんと下がらないということは、なんだかんだで、視聴者、観客も受け入れているのです。「もうTV出ないって自分で言ってたあの人、また出てるわ」「出てるねえ」とかぬるく見流して、誰もスイッチ切ったりチャンネルかえたりしないから、結局出続ける。

月河、個人的には野村沙知代さん、面識ももちろんないし、“なんだか知らないけどTVに頻々と出てる人のひとり”ととらえれば、突出して嫌いでも不快でもありません。沙知代さん、公表年齢は1932年生まれで今年78歳になられますが、彼女の年代からもう少し下がった、“プレ団塊”世代=70歳前後のおばさま・おねえさま方が複数集まる趣味の会や教室、茶話会などに同席すると、大雑把に言って4人にひとりは“小型サッチー”的なタイプがいます。この年代の女性たちは、物心ついたのが日本のドン底終戦前後で、日本人の価値観や女性観、とりわけ結婚観・夫婦観・家族観が大きく変わった時期に多感な青春を過ごしてこられたため、“世が世ならこうしたかったこと”、ぞっくりアタマカズ多い戦後生まれの後輩たちに対して“違うわよと言いたいこと”を山のように抱えて年輪を重ねてきており、普通に話していても地声が大きく、放っておけば右肩上がりにダメ出し・お節介口調になりがちです。

個体差もあるとは言え、これは概ね彼女たちの落ち度ではなく、時代のめぐり合わせなので、そういう言動や態度、ファッションセンスにいちいち引っかかっていては営業も、近所付き合いも成立しません。

沙知代さんが再びTV界に返り咲かれるなら、ますますお元気でとぬるく笑って看過する度量ぐらいは持ちあわせているつもりですが、“約束したり決心したりしては、ゆっくり反故にして、折り合う繰り返しが人生である”ってことを、この人を見ているとじわじわ思い出させられ、再認識させられる。だからなんだかモヤモヤするのです。

あとね、沙知代さんを久しぶりに見かけたとき、なぜか隣席が和泉元彌さんママの和泉節子さんだったんですよ。相変わらずごっつい眼鏡にごっついチェーンつけてた。沙知代さんと違って別に何か裁判やってたわけじゃないけど、ある時期からTVで見かけなくなったと思ったら、こちらもいつの間にか返り咲きですかね。セットで復帰というわけでもありますまいが、2人並ぶと結局約10年前のトークバラエティと絵柄が一緒なのね。当時のPだかDだか、制作スタッフも10年も経てば辞めた人、昇進した人、下から上がってきた人も多くて顔触れ一新してそうなものなのに、この変わり映えのしなさ、進歩のなさ知恵のなさ、何とも思わないのかな。

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