イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

金髪白人参戦の日も近い

2007-03-31 21:08:56 | CM

それにしても勝てないなぁ北海道日本ハムファイターズ。ホーム開幕シリーズ2戦続けて、明白に劣勢にならないとろくすっぽヒットすら打てない。昨日(30日)のダルビッシュ投手なんか、あれだけ好投しててなぜ援護してやれないか。「ケッまたタバコ吸ってやらぁ」みたいな顔になってたし。…あ、もう今年新成人になってましたね。

もう手遅れな土壇場で追いついてグズグズ粘るもんだから、繰り下げ放送の『スポーツマン№1決定戦ⅩⅩⅩⅤ 芸能人新王座チャレンジバトル』を観ちゃいましたよ。

久しぶりに観たら、参戦者の芸人率が高くなっててびっくり。ペナルティのワッキー、品川庄司の庄司智春、安田大サーカスの団長、長井秀和、ビッグスモールンのチロ。しかも二度びっくりなのは、この人たち、いっさい笑いとらないよ。団長が2回ぐらいWピースサイン見せてた程度。長井なんかモンスターボックス(=跳び箱)の助走で男性アナに「今日は“間違いない”のか、“気をつけろ”なのか」と実況されて、思いっきり迷惑そうな苦笑してんの。歯剥いて食いしばって青スジ立てて力んだり、マット叩いて悔しがったり、コブシ突き上げて雄叫び上げたり“いつも笑かしモードの人たちが別人のような真剣な表情をしている”というレアさ、非日常感、この辺を有難がれという制作上の魂胆らしいのですが、あんまり面白くも、有難くもないんだな。お笑いの人たちって消長が激しいから、バラエティでも常に前へ出よう出ようと“頑張っている”イメージがあるので、持ちギャグ持ちネタ封印マジ顔で“頑張って”もらってもいまさら新鮮味はないのです。

その中で元・光GENJI諸星和己。格が違うなぁ。腐っても鯛、さすが一世を風靡したグループのフロントマン。現役時代とあまりギャップのない細身と童顔を維持しているのも偉いけど、パフォとパフォとの間のちょっとした表情や仕草、インタビュアー女子アナに答える言葉つきなどが、どこを切ってもちゃんと“アイドル”しているし、光GENJI時代の“生意気”キャラを演じ切っている。最終ラウンドには進めませんでしたが、敗退退場時の「嬉しかったよ、ゴメン、どうもありがと」には、光GENJIに無縁な世代の月河も軽く殺られかけました。彼ひとりでだいぶ視聴率を稼いだのではないでしょうか。自分が何を見込まれてここに呼ばれたのかを心得ている人というのは、観ていて気持ちがいい。世の中には“天性のアイドル”という資質を持った人間がいるものなんですね。

この番組には“子供たちのヒーロー”“幼児番組のおにいさん”系も常連。たいそうのおにいさん佐藤弘道が優勝候補最右翼でしたが、何やっても実況で「どうだおにいさん!」「やりましたおにいさん!」って、あれでだいぶ戦意喪失したんじゃないかな。

戦隊ヒーローからはボウケンレッド高橋光臣さんが総合2位は確保したけど、テンション低くて全然アピール不足。『轟轟戦隊ボウケンジャー』内ではあんなに味があったチーフの“微量オヤジくさ”キャラが、ブラックもピンクもシルバーもいないところでは出しようがないものなあ。やっぱりこの番組のヒーロー組は金子昇さん(『百獣戦隊ガオレンジャー』ガオレッド)が出ないとつまらないですね。ヒーロー俳優多数参戦した中“テンション高くて元気”“マジ”と“カッコいい”自身が演じたヒーローの要素をぜんぶ併せ持って放射してくれていたのは金子さんだけです。先の諸星さんにも共通する、“何を求められてここに来てるか”を心得た人だけ持つ気持ちよさが、全身にあふれていました。02年9月の大会だったか、ヒーロー仲間で、高パフォなのにいまいちテンションがおとなしかった永井大さん、賀集利樹さんを実にうまいこと巻き込んで盛り上げてくれたのが忘れられないのですが、もう出てくれないかしら。32歳、今回ならまだ余裕で若いほうだったのに。事務所移籍したしな。関係ないか。

おにいさんつながりで、うたのおにいさん速水けんたろうさんまで出てましたが、これはなんぼなんでも時機を失し過ぎだろう。『だんご3兄弟』が売れてたこと自体、言われなきゃ思い出せなかったもの。月河なんか言われてもしばらく思い出せなかった。99年だって、アレ売れたの。紅白も出てたような気がしますが、中途半端なロン毛になって顔も肥っちゃって、当時の小さいお友達が見てもあの時のおにいさんと認識できたかどうか。いま45歳ってことは、だんご当時は37歳で、すでに“おにいさん”はギリギリだったわけか…なんて、要らないことまで再認識されて、ご本人的にも今回の出場がプラスになることはひとつもなかったでしょう。何でも、誰でも出せばいいってもんではないという見本。

“本業では知名度皆無に近いけど、パフォそこそこでひたすらヴィジュアル”というモデルや若手俳優が何人か混ぜ込まれるのもこの番組のつねで、今回も“参加者募集バスツアー”なる予選上がりで、源とか、白井涼とかが「誰この人?」プチ旋風を巻き起こしてましたが、キム・スンヒョン、阿部力、こんなところまで韓流に華流かあ。要するにこの番組、スポーツバラエティの体裁を借りたオバさん・主婦向け眼福番組だったらしいです。…っていまごろ気がついたのか自分。道理で、早いラウンドから、出てくるヤツ出てくるヤツこれ見よがしに脱ぐわけだ。

そうしてみると、総合5位のCMモデル・ダンテの出演意義が初めてなんとなくわかる気もします。“野口五郎”という名刺出して「予想外だな」と言われるソフトバンク携帯のCMが目下唯一の代表出演作で、実況でも「予想外!」「予想外!」ってやたら連呼されてたけど、オリンピックだってアフリカ系はメダル常連、身体能力が違うんだから跳び箱跳んだぐらいでドコが予想外なんだ、と思って見てましたが、なに、女性視聴者の中に必ず一定数いるであろう“黒人マッチョ好き”へのサービスだったようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加齢なる人生

2007-03-30 21:44:39 | テレビ番組

最近の高齢者は昔に比べて若々しい、とよく言われます。確かに昔、月河が物心付いた昭和30年代末~40年代初期辺りのお年寄りたちは、本当に老人然、老婆然としていました。いま60代ならまだバリバリ働いている人も多いだろうし、では70代に入ればめでたく名実共に老人扱いでいいかと言えば、まだお互いに躊躇する。医療や衛生、栄養状態などの進歩改善で平均寿命が伸びたからこそでしょうし、社会的にも街の風景としても、爺むさくない、元気で身奇麗で若々しい高齢者が多くなって悪いことはひとつもありません。

しかし、この“昔に比べて若々しい現象”はどんどん低年齢化していて、最近は50代も、40代も、ヘタすりゃ30代もその年代に見えません。このへんは医療より、化粧品の向上と情報普及が大きいかもしれない。最近は40代で高校生の子供がいても、昔ながらのくるくるおばさんパーマやババア引っつめの女性はほとんどおらず、フルタイム共働きのキャリアママだけでなく、パートや専業主婦でもカラーリングありのシャギー入りストレートで、体形以外娘さんとほとんど違いがなかったりします。

悪いことはなくても、困ったことがひとつあります。昔は確かにあった“トシ相応”という概念が、どう言うの?確固たる固形でなくなり、砂粒のように微細化して空中に散ってしまったような気がするのです。実年齢より若々しいほうへ若々しいほうへと全員の欲求のベクトルが伸び、環境やツールの進歩の恩恵で、人それぞれ大成功したりかなり失敗したり結果を出して、大差がついたり小差がついたり、もみ合ったり逆転したりしていくうちに、いつの間にか、ある年齢で、どんな風体でどんな身のこなし、クチのききかたをして、何をたしなみ、どんな了見で生きてれば“その年齢相応”なのか、誰もわからなくなってしまった。コギャルブームの頃から女子高校生・中学生の厚化粧も当たり前になっているし、若者比率の高い街をちょっと歩けば、制服姿でもお水のおねえさん並みに疲れた色気を振りまく少女、眉剃り込んで髪立てた休日のホスト風少年も普通に見かけるようになってきたので、“トシ相応”は上からは下へ、下からは上へと圧力かけられて、ますます細かく粉砕され、霧のかなたに見えなくなりつつあります。

なぜ急にこんなことを考えたかというと、05年のドラマ『熟年離婚』の再放送を先日見かけたからです。ここでは渡哲也さんが60歳の定年退職を迎えた夫=父親に扮しています。放送時渡さん実年齢63歳。“リタイアしたけどまだまだ男盛り”を十分演じられると思いきや、実は91年のガン手術と人工肛門装着カムアウト以降、“男っぽくハードでワイルド”という大門団長のイメージはご本人サイドやファンが思う以上の速度で維持が難しくなって来ています。役者としてより石原軍団のトップ、社長という地位での露出機会が増えるにつれ“寄る年波できついのに亡き裕次郎さんの後継として、後進のために頑張ってる”という色合いのほうが濃くなりまさり、いまや客観的には“実年齢より若々しい”との合意を取りつけるのは明らかに苦しい状態です。

渡さんのみならず、共演陣も問題山積。長女役の高嶋礼子さんは役の性格そのものが“結婚しても現役の女でありたい”設定な上、04年のSPドラマ『弟』で母と息子役で共演済みの徳重聡さんが今度は弟役なので、若作り感2倍増し。夫役西村雅彦さんは大方の流れと反対に“若いのに禿げてて、若く見えない”をチャームポイント(?)に10余年前表舞台に出て来た人で、実年齢(本放送時44歳)がルックスに追いついてくる(=禿げてても不思議のない年齢になる)につれ、ブレイク時についた“若いのに若く見えない”というイメージが邪魔になってきました。

次女役片瀬那奈さんは99~00年頃、妹キャラのアイドル路線で出てきたものの、そっち方向では一度も大ブレイクすることなく、劣化も新展開もあまりないまま妹キャラがきつい年代に入ってしまい、不発弾みたいな、“密度の濃いトウの立ちかた”を呈しています。インディーズのロッカーに熱を上げ結婚したがっているという設定も、不思議に末っ子らしい無邪気さ無鉄砲さより、“残り少ない若さへの執着”を強調しているように見えます。

長男役、ご存じ“二十一世紀の裕次郎”徳重聡さんは放送時実年齢27歳ですから、司法試験浪人役は手ごろな年格好のはずですが、いまだ石原軍団色の強い作品でしか見かけず、“軍団の末弟”という不動のポジション、『弟』で裕次郎の壮年期までを演じたことも相俟って、ガタイや演技の荒削りさとミスマッチな、妙にちんまりした老成感が漂っている。

こうなると、“俵はごーろごろ”状態のかつての愛の水中花・松坂慶子さんがいちばん素直でわかりやすいババア化な分、観ていて疲れが少なかったりします。

平日昼間の再放送だったので、ウチの高齢在宅家族が結構見ていたのですが、耳が遠くセリフが8割がた聴き取れないため、“誰が誰の何に当たるのか”を説明し理解させるのにえらい手間がかかり、また何度説明しても翌日同じことを訊かれたものです。それもむべなるかな。年いってる役の人が若づくり、若い世代の役の人が若さ炸裂でないので、絵ヅラの年格好から人間関係を推定するのが難しいのです。

トシ何歳ぐらいに見える人が、何歳ぐらいに見せたがっているのか。自分で「これぐらいに見えるだろう」と思っている年齢「これぐらいに見られたい」と願う年齢、外から「あの人○歳ぐらいに見えるけど、ホントは×歳ぐらいだよね」と値踏みする年齢が交錯し、混乱し、迷走するルツボのような状態。このドラマは、まさに現代社会そのものです。

最近はトシをとることを“老化”でなく“加齢=aging(エイジング)”と呼び、必ずしもマイナスにとらえず自然現象として受け容れる方向になっているとか。“美しく年を重ねる”なんて言い回しも、化粧品のCMだけでなくあちこちで見かけます。

しかし、いまの時代“美しく”なんてカンムリを付けないで、単純にトシをとること自体のほうが難しい。年くってるほうは若々しさを志向し、若いほうは若さを謳歌するより老成を急ぎ、結局、みんな幾つに見られたいんだ。幾つで時間止まってほしいと思ってるんだ。ジタバタしないで“トシ相応”で行こうよ、と言っても、すでにその“トシ相応”が何処にあって、具体的にどんなものなのか、誰も想像もできない。

“みんなが昔より若々しい”というすこぶる結構な状況と引き換えに、私たちはもっと大切なものを失ったのではないでしょうか。…なんて、ちょっと大袈裟にまとめてみました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信じるということ

2007-03-29 20:49:24 | テレビ番組

テレビ東京ドラマスペシャル『復讐するは我にあり』(28日20:00~22:48)、異例の3時間枠でこれは何かニオうなと思い、録画。正解でした。

佐木隆三さんの同名長編ノンフィクションが原作で、91年9月にも『恐怖の24時間・連続殺人鬼西口彰の最期』として、昼ドラでおなじみ中島丈博さん脚本・役所広司さん主演で2時間ドラマ化されており、殺人犯の人間像より、正体を知らずに彼を自宅に泊めてしまった一家の直面するサスペンスにより重点を置いたなかなかの良作でしたが、今作も優るとも劣らない充実作。今年に入ってからの単発SPドラマの中で、いちばんの出来だったと思います。

連続殺人犯(原作・前作では実在事件通りの“西口彰”、今作では“榎津巌”)の幼時からの人間形成史、騙す犯人と騙され餌食になる善人たちとの鍵と鍵穴のような心理模様、昭和30年代日本における情報伝達の社会史や、地縁血縁ムラ社会の光と影など、どこを切っても一分のスキもない緊密な作りで、3時間を少しも長く感じさせませんでした。

五島列島の隠れキリシタンに由来するカトリック教徒一家に生まれ、網元でいっとき隆盛だった父が騙されて判を捺したことで持ち船を失くし夜逃げ。「自転車が欲しいと言っていただろう、くれると言う人がおる」との父の言葉について行くと、そのまま全寮制神学校に送られる。苛酷な戒律といじめに耐えかね逃げ出すが、父が健康を害した実家ではすでに彼を養育する力がなく、学校に送り返されて、校外矯正教育と称して精神病院に監禁。

他人への信義、親への信頼、その親の信仰、いずれも“信じる”ということに敗れ、信じたものに背かれ、「信じれば信じた分酷い目に遭う」と傷口に塩をすり込まれる繰り返しが、漁師になる夢を持っていた少年の心を損ない歪ませて行く過程。榎津の犯罪歴を時系列で追いながら、回想として要所でのストップモーション、ネガポジ反転を効果的に使って表現されます。

血みどろを怖れぬ凶悪な惨殺犯と、黒縁眼鏡に帽子コートの変装で大学教授や弁護士を巧みに騙る知能犯との二面性を、目つきと口元の最大活用で柳葉敏郎さんが迫真演技。立て板に水で弁舌をふるう場面ほど、首から上が微動だにしない不気味さ。視聴者的には悲惨な少年期への同情より、圧倒的に“コワキモい”役どころだけに、柳葉さん引き受けるのは勇気が要ったと思いますが、『華麗なる一族』の三雲頭取役での不完全燃焼はだいぶ解消されたのではないでしょうか。

僧侶でありながら、死刑反対・死刑囚救済の人道活動にいれあげる善意の困ったチャン教誨師=大地康男さん、夫を尊敬しないではないものの、奉仕活動のおかげで借金に追われ疲弊している妻=岸本加世子さんはもちろんですが、こういう人にヘタに信仰なんか持たせちゃダメな見本のような榎津父=塩見三省さん、教誨師妻の実家である旅館を賃借して結構盛業中にもかかわらず借料延滞平気の平左な厚顔夫婦=斉藤洋介さん根岸季衣さん、やたらオーバーアクションで威張ってばっかりのオールバックポマード捜査本部長=古谷一行さん、「ウチは駐在所じゃなく、駐在所に間借りしてる鑑識課員だから、もめごとは持ち込まないで」「お宅死刑反対の活動してるでしょ、ふだんお上にたてついとって、困ったら助けてくださいってどうかと思う」とムラ社会エゴ丸出しで教誨師妻の決死の通報をはねつける駐在員夫婦=木下ほうかさん角替和枝さんなど、登場少なめな脇キャラも、少ない登場場面で必ず一つはキャラの人間性を窺わせる強烈な芝居を見せ、はまってるのなんの。

大地さん、斉藤さん、塩見さん辺りはちょっと前までは“出て来れば決まって悪”の常連だっただけに、悪っぽさを封印、もしくは“悪ではないが善でもない”人間の愚かさ弱さ卑しさに変換してのキャラ表現が実にいい味を出している。

とりわけ舌を巻いたのは、榎津に名を騙られた東京在住老弁護士役にケーシー高峰さん起用。就寝中、警察からの電話照会を受け「警察とは言えこんな時間に何事だ!」と一喝するワンシーンのみの登場ながら、戦中戦後を生きてきた77歳(設定昭和39年時点)の法曹ならかくもありなんという鮮烈なリアリティ。昭和40年代からおなじみ「グラッチェグラッチェ」のエロ医者漫談での“偉そう恫喝調”がこんな形で活かされるとは。恐れ入りました。

教誨師夫婦が底なしの善意と、援助の少ない奉仕活動の日々がもたらす心身の窮乏ゆえに榎津の“活動に共鳴してはるばる東京から手助けに来た弁護士先生”という夢のような虚偽の美味しさにまんまと乗せられてしまい、思想や肩書きやまことしやかな言説にゲタを履かされない目を持つ11歳の次女だけが「指名手配ポスターの写真そっくり」と見抜く…という皮肉も利いているし、OPの榎津の夢=漁船で広い海を駆けるシーンがEDでより長くフィーチャーされるのも“悲しい解放感”があって良かったと思います。

如何せん放送時間が午後8:00からと、まだフル大人の時間とは言えない枠だっただけに、高度経済成長から次第に取り残されて行く昭和30年代地方の前近代的な空気感を表現する暗めの画面、端折ってはいるもののかなりリアルな惨殺シーンなどが、多くの視聴者に受け容れられにくかったかもしれませんが、きれいキレイで笑って流せる軽い作品ばかりでなく、これくらい緻密で重厚な作りのドラマも単発枠、積極的に作ってほしいと思います。連ドラのフォーマット10話~11話でなく一回観れば完結”というとっつきやすさがあればこそできることは多い思うので。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この際カアちゃんと別れよう

2007-03-28 14:48:37 | テレビ番組

植木等さん、亡くなられましたね。80歳。もうそんなお年だったのかとびっくり。ここ10年ほどはメディアで拝見する機会がぐんと少なくなっていたとは言え、高齢になっても比較的容貌の変わらない方でしたよね。人間、表面張力でなんとかもつのは26~27歳ぐらいまでで、それ以降は、生活が荒んだり精神的に心棒が欠けたりすると体型や顔貌がどんどん崩れます。植木さんは、ブレイクした時すでに30代後半妻子持ち。深夜映画撮影を終えて帰宅して赤ちゃんの寝顔を見て、仮眠して早朝ロケ仕事に出発する毎日だった、なんて話を小林信彦さんの喜劇史本で読んだことがあります。とかく売れると生活が派手になって火宅になる人の多い芸能界ですが、ご家族を愛し私生活も堅実な方だったのでしょうね。

昨年の青島幸男さんの葬儀に人工呼吸器を装着して焼香される姿が記憶に新しく、体調が優れないのかなと思っていたら、長年肺気腫を患われていたそうです。植木さんと言えば浄土真宗のお寺の息子で、お酒は一滴も飲まず声楽の先生の勧めで煙草も嗜まないという、芸能人には珍しいイメージだったのですが、そういう人でも肺気腫になるんだなぁ。

昭和の一時期をリードした喜劇人、と言うより、戦後日本の芸能史を代表する存在だったと思います。彼が“無責任男”のキャラで輝いた昭和30年代後半~40年代前半は、まさにサラリーマン、それも都会のホワイトカラーの時代でした。無責任男は背広ネクタイのサラリーマンのヒーローだったのです。会社の業績も個人の給料もポストも、より大きく、より上へが希求されてやまなかった時代。出世の亡者があふれるがんじがらめな組織社会を、要領とクチ先で泳いで行き♪コツコツやるヤツぁご苦労さーん! と歌う無責任男は、不思議なことに当時の大衆から拍手喝采をもって迎えられました。いまよりはるかに社会全体の勤勉度が高かった時代なのに、“まじめに額に汗して働く者をバカにしている”と不快がる人、怒る人は見事にいなかった。多くの小市民たちが“自分ではとてもできないけど、やれたら気分いいだろうなぁ”と思うことを、スクリーン上で次々やってくれる、そういうキャラだったのです。

“タテ社会の落ちこぼれに見える者が、正統ではないが痛快なやり方で上に立つ者、虚飾に奢り威張っている者をやりこめる”という構図は、たとえば会社ではお世辞にもエリートと言えないけれど、趣味の世界では社長とタメグチ関係な『釣りバカ日誌』のハマちゃん、誰もが蔑む冴えないダメ社員が裏では喧嘩も女も無敵の特命係長『只野仁』などのキャラに受け継がれています。

植木さんの無責任男が受けたのは、演じる植木さんが見るからに冴えない、下積み然としたルックスではなく、むしろ真逆の、共演の誰より背広ネクタイのホワイトカラーが似合う垢抜けたタイプだったということも大きいと思います。七三分け、軽くポマードで撫で付けて前髪をパラリと垂らし、顔もよく見ると結構二枚目、歌えば美声。クレイジーキャッツの面々と比べても、町工場のシャッチョさんタイプのハナ肇さん、小太りの谷啓さん、ガリヒョロの犬塚弘さん、小柄で中性的な(つかオバサンぽい)桜井センリさん、メガネで軟弱風な石橋エータローさん、パシリ新人キャラの安田伸さんらの中で、普通にいちばんカッコいいのが植木さんだった。いちばんカッコいい人がいちばん笑かしてくれるという構図も人気の源でしょう。

植木さんが逝った平成二桁の日本、ホワイトカラーはあまり元気がありません。“ホワイトカラー”というカタカナ言葉を久しぶりに多くの人が思い出したのが先般の“ホワイトカラー・エグゼンプション”ってぐらいなもんでしょう。人減らし、人件費減らしで、給料はますます上がりにくく、ポストは少なく、リストラの足音は迫り、仕事だけなしくずしに質量ともに過重になっていく。トップ経営陣から率先して“無責任”を気どられたら、雇われ使われる者はたまったものじゃありませんが、ローンや教育費がのしかかり「ハイ、それまーでーよー」ともいかない。

こんな息苦しいやりきれない状況にもし人心をとらえるヒーローが現われるなら、背広ネクタイ七三分けではやっぱり苦しいのでしょう。爆発頭に年中Tシャツカジュアルスタイルの若き起業家が一度ヒーローになりかけましたが、コツコツ額に汗することを何より尊しとする向きをもまるごと魅了するまでには至らないまま、失墜してしまいました。先般の青島さんの訃報、団塊世代大量定年にまつわるあれこれとも併せると“昭和去りし後、ヒーロー不在のサラリーマン界”を痛感します。

ところで植木さんと言えば「何である?アイデアル」のCMが有名ですが、当時はまだ月河、TV受信NHKのみの環境に住んでいまして、リアルタイムでは見た記憶がありません。むしろ昭和45~6年頃かな?大塚食品が“ボンカレー”の二匹目の泥鰌を狙って発売した“ボンシチュー”が、CMタレントとしての植木さんの代表作だったようなイメージがいまだにあります。「ボク植木等、コレ大塚のボンシチュー」「ボクボンシチュー、コレ植木等。あ、サカサマ」…この「サカサマ」とドアップで言う時の天下泰平な顔が、まさに昭和の“ザ・植木等”でした。

「♪この際カアちゃんと別れよう~いやーウソウソ、ウソのないのが、コレ!」♪大塚のボンシチュー~ …もうね、植木さんのキャラだけで一押し二押し三に押し、他愛無いのカッタマリの様なCM。レトルトパウチ=奥さんの手間いらず、という、いまからするとどんだけネガティヴなんだ、という発想のフレージングですが、これを成立させてしまう力が、すでに40代半ば、無責任C調キャラで10年やってきた植木さんに当時まだあったのです。“会社ではうまいことやってるけど、家に帰ると女房に頭が上がらない”も、サラリーマンキャラに欠かせない属性。ちなみにこのCMも、別に会社風のセットとかは背景にないのに、植木さん一貫して背広ネクタイだったと記憶しています。

只野仁も、裏で無敵の力を発揮するときの風体は遊び人風だったり、ヘタすりゃ半裸だったりで、背広ネクタイ(とダサメガネ)は“ダメであることの記号”時あたかも卒業・入社式シーズンで、TVにも店頭にもフレッシャーズスーツがアピールされていますが、ホワイトカラーが“しがない”“宮仕え”“頭打ち”“貧乏暇なし”などの翳を帯びずに燦然と輝ける時代は、また来るのでしょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そろそろ出ないか“ニセ浅見”

2007-03-27 14:32:09 | テレビ番組

昨夜は帰宅すると月曜ゴールデンSP『浅見光彦シリーズ23 藍色回廊殺人事件』、もう終盤でした。このシリーズ浅見の取材先で殺人事件が起こる“浅見嗅ぎ回る地元警察に怪しまれる”“署に呼びつけて身元照会する”“刑事局長の弟とわかって手の裏翻すの水戸黄門みたいなお約束のくだりがいちばん好きなんですが、いつもコレ、前半か真ん中辺で終わっちゃうんですよね。

野だいこタイプの副署長や課長が「いやー浅見サマもお人の悪い」なんて一転ヘラヘラするのもお約束ですが、浅見、考えようによっちゃマジ人悪いよね。「どこの何者だ」って訊かれたら、速攻、「職業はルポライター、東京在住、兄が刑事局長をしています」「いついつのどこそこのアノ事件、ソノ事件、その他もろもろにもご協力したので、どこそこ署の誰某刑事、誰某署長は知り合いです」って過去の業績までぶっちゃけちゃえばよっぽど時間の節約になるし、地元警察の顔も潰さなくて済むのに。

浅見のキャラ的には、お兄さんの立場にリスペクト保ちつつも“兄は兄、ボクはボク、威を借る真似はしたくない”という謙虚さがヒーローのカッコよさなんだろうし、このくだりを経て地元警察にも「エリート一家の出なのに偉ぶらない良い人だ」と人間性に好感を持つ叩き上げタイプがいて協力者にまわったり、あくまで「陽一郎さん(=兄)に迷惑かけちゃいけませんよ、しょうがないわねぇ光彦さんは幾つになっても」を貫く雪江お母さんが陰に陽にクチをはさんだりするのがストーリーに色をつけることになるので、自分からは出身を明らかにしないのがいいのでしょうが。

好むと好まざるとにかかわらず、上の顔色を窺わなければ生きて行けない組織人間の立場を慮る意識が薄い、自由人の浅見光彦さんの長所でもあり短所でもある。

それにしても、浅見さんも史跡や奇祭、伝統芸を求めてもう全国各地歩いているし、地方の所轄でも定年間近のベテラン署長級なら「浅見…?どこかで聞いた苗字だな」ぐらいはピンと来ることないもんでしょうか。警察って徹底的にタテ社会だから、かえって上級官庁のエリートの名前なんて意識しないものなのかしら。でも佐藤斉藤鈴木クラスならともかく、浅見って、そこらにゴロゴロはいませんよ。あ、JRAの調教師さんには複数いるか。みんな一族だけど。

水戸黄門が「越後の縮緬問屋の隠居ミツエモンです」と名乗って諸国漫遊してて「オヤ奇遇ですな、私も越後で縮緬を商っていますが、どちらのお店(たな)で?」と問い質されることが一度もない(本物の“縮緬問屋ミツエモン”を東野英治郎さんが二役で演じたことはある)ように、“ルポライター浅見光彦”は永遠に無名で怪しまれっ放し、は基本なんでしょうね。

遠山の金さんなんかもね。お白州に座らされた悪人が、「マッタク身に覚えのないことで」「お奉行様ともあろうお方が何を仰いますやら」「証人がいるなら連れて来ていただきたいもんで」ってすっとぼけてくれるから、金さん「おぅおぅおぅ」って片肌もろ肌脱いで桜吹雪見せる楽しみがあるけど、「これこれの悪事を働いただろう、相違ないか」って訊かれて「ヘイその通りで」「私がぜんぶやりました」「ご存分にお裁きを」っていきなり認めちゃったら、時間の節約にはなるけど「…あれ?認めちゃうの?」って金さんちょっと淋しいんでしょうね。

「認める前に、チョット見せたいものがあるんだけど「そんなことよりお裁きを「生き証人がね、ココに居るわけよ「証人なんぞ居なくても、やったのは私だと申し上げております「そんなこと言わないで、チョットだけでも見たくない?」「どうかお裁きを「あっそ、じゃ打ち首獄門。あとね…まぁいいや、そういうこと(淋)…あ、何かある?そだそだ、これにて一件落着」…えらくしまらないことになる。

しょうがないから金さん、夜な夜なひとりで鏡の前で「この桜吹雪がお見通しでぃ!!…あーカッコいいオレ」ってやってなきゃいけない。

やはり悪人はとことんシラを切り、小役人はどこまでもセコくて保身一辺倒。でないとヒーロー物語も成立しないということなんでしょうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする