昭和9年時点ではまだ、岸和田商店街唯一の、現代風喫茶店であるらしい“Café 太鼓”、メニューはコーヒーとぜんざいと、カウンターに短冊POP貼られてる“ダイコクビール”のほか何があるのでしょうか(@『カーネーション』)。
ぜんざいがあるなら、とりあえず昆布茶はありそう。いや、なきゃいかんでしょう。夏場は心太(ところてん)。
ぜんざいは小豆つぶ餡ですが、漉し餡の御膳しるこのほうが月河は好みなんだがおいてるかな。関西では“御膳”つけなくても、単に“しるこ”と言えば漉し餡のそれが出てくると聞いたことがありますが実態や如何に。劇中の昼番ウェイター平吉くん(久野雅弘さん)に、ヘタに「ごぜんシルコある?」なんて訊いたら、「午後もやってます」とかボケられるか。
食べ物が登場する場面ではいつも、お年頃の娘とは思えない豪快な食べっぷりの糸子(尾野真千子さん)はざっくり言うと甘党のようで“太鼓”でも2度ぜんざいを注文しています。イブニングドレスのお礼もかねて踊り子サエ(黒谷友香さん)が持ってきたバタークリームショートは妹たちより先にお箸でいただき、神戸のお祖母ちゃん(十朱幸代さん)宅でのバウムクーヘンも「おいしいなぁ」とモリモリ、女学校時代はクラスメート持ち込みの芋ケンピ袋ごといただきの食欲。まだ昭和9年、戦争の影は迫って来ていませんが、食糧難、砂糖不足はどう乗り切る、人妻・糸やん。
糸子が神戸で味を覚えたのであろうココアは、まだ岸和田の“太鼓”では置いていません。ココアと言えば思い出すのは三島由紀夫の『潮騒』。漁船に乗る18歳の主人公・新治が、可愛がってくれている燈台長の家へ、いつものように漁獲物の魚を届け、我が家へ帰ると、母と弟がいます。父親は戦死して、新治と弟は海女の母の女手で育ちました。
「台長さんは喜んどったやろ」
「おお、家へ上れ上れ言うて、ココアちゅうもん、よばれて来た」
「ココアたら何や」
「西洋の汁粉みたいなもんや」
……『潮騒』と言えば何度も映像化もされている三島文学の名作のひとつなのですが、初読のときから覚えているのはこの一節だけだったりします。個人的にココア党なもんで。確かに、ミルクでドロッと溶いて混ぜるあの製法、こっくり乳っぽくてほのかに粉っぽくもある舌ざわり、ノドざわり、惜しみない甘さ、汁粉に近くなくもない。
それより興味深いのは、戦後数年経過した『潮騒』の世界でも、ココアには『カーネーション』の世界同様“西洋渡来”“富裕家限定”“贅沢”のイメージがあることです。戦中の貿易封鎖と戦後の貨幣経済混乱を経て、国内産のできないココアは、昭和9年時点よりさらに、はるかに珍しく有難い嗜好品になっていたかもしれません。
『潮騒』の新治の家は貧しく、海女一代の母は身体はまだまだ頑健で意気も軒昂な現役ですが、「料理を何も知らない。」息子が獲ってきた魚を刺身か酢の物か、さもなければまるごと焼くか煮るかするだけです。海魚をろくに洗わないで煮るので、食べると内臓の中の砂を一緒に噛むこともある。
海に潜って稼ぐたくましい母の手になる、そんな素朴すぎる食事に、新治が不満を言う描写はありません。新治も海育ちで、海から禄を食む若者です。でもこの燈台長さん宅でココアをよばれた日は、それに先立って、近隣で見かけたことのない、涼しい目の少女との出会いがありました。
台長さんに上れと熱心に誘われても、一日の漁の後でほどほど疲労もあるし、他の日なら固辞して家路をいそいだかもしれない。台長さんか奥さんかのクチから、あの少女の名か素姓が出ないものかの期待が足をとどめさせ、出されたココアにも恐る恐る口をつけてもみたのでしょう。砂入り煮魚に慣れた18歳新治にはどんな味がしたことか。
我らが糸やんなら破顔一笑、「おいしいなぁ~」のココアデビューだったでしょうが。
神戸の正一伯父さん(田中隆三さん)が思いがけず訪れ何やら外で話したいとカフェに連れて来てくれたので、大威張りでオゴってもらえるなと算段したのでしょう、ココアを注文してみたら、ウェイター平吉は「おこわ???」。
期せずして、これまた何やらいつになく三つ揃いのスーツでばっちり決めた、紳士服店勤務時代の先輩職人川本(駿河太郎さん)も待機していて、伯父さんとともに漂わせる、意味ありげな、持ってまわった空気。
結果としては岸和田が西洋由来のココアの未だ届かない未開(?)の町だったため、ぜんざいに化けましたが、“ちょっと贅沢”“今日だけ特別”な、スイートなときめきと、地続きにココアはある、というところで『潮騒』の一節を思い出した次第。
25日(金)の放送で、糸ちゃんはめでたく川本さんと夫婦になったので、“善哉”でよかったのかな。