もう終了して後番組も開始した作品にいまさらですが、大河ドラマ『麒麟がくる』はよく持ち直してまとめた、敢闘賞ではないでしょうか。
少なくともコロナ休止中断をはさんで再開してからの、「あれ?・・あれれ?・・」という、毎話の肩すかし感、端折り感を、終盤4話の“月にのぼる樹”の比喩で信長ー光秀主従の関係性に再度フォーカスを戻し、きれいに収斂した、その着想と集中力は歴代の大河の中でも上位だったのではないかと思います。
大河に限らず長尺連続ものはとかく、最終話近くになると、テンポを巻きにして勢いを作って既定の着地までなだれ込ませるか、逆にここまで“宿題”になっていたイシューをひとつひとつ取り上げてつぶしていくような、どのみちやっつけ仕事になりがちですから。
何より、明智光秀という日本史上一、二を争う“結果を出せなかった人”を主人公にしながらも、希望につながる“開いた”終わり方にしたのが良かった。
十兵衛光秀、悩み抜いて乾坤一擲本能寺で主君信長を急襲、天下を取ってめでたく麒麟が来て太平の世を築き上げましたとさ・・ではファンタジー、アナザーワールドになってしまいますが、「天下を取ったと見えたのもつかの間、(味方と思われた)諸国武将は追随してくれず、山崎の戦で敗走し落命」は他の人物のクチから伝えつつ、「しかし志(こころざし)は残り」、いまも太平を望み麒麟を呼ぶため、この国の何処かで広野を駆けめぐっている・・を表現した、開放感に満ちたラストシーンは、途中何度もこのドラマをあきらめかけた月河でも胸が熱くなりました。
馬上の十兵衛が武装でなく、太平の世にふさわしい着流しで、馬装だけが出陣時の旗幟と同じ水色=アクアブルーだったのも良かった。なんとなくハンギョドン@はぴだんぶいを思い出しました(この色のグッズ、アパレル多いです)(ちなみにバッドばつ丸のグッズはラベンダーアメジストが多く、あひるのペックルはひまわりイエロー、タキシードサムはマリンブルーとチェリーピンクが半々ぐらい。脱線脱線)。
ほとんど惰性で、でも月河よりはよっぽど几帳面に見ていた高齢家族のほうが、「なに?本当は(光秀が)生きてました、ってこと?そりゃないよ、最後の最後にマンガになっちゃった」と落胆を隠せませんでした。彼らの年代だと、ドラマや小説や人の身の上話を評するときの“マンガみたい”は、イコール“ちゃっちい”“幼稚”“ウソくさい”の意味ですから。
うちの高齢組のようなオールオアナッシングな感性の視聴者には、あのラストシーン、背景をCG処理するとか、馬ごと『軍師官兵衛』のOPみたいにするとかして“これは心象風景ですよ”という了解を取りつけたほうが良かったのかもしれません。月河としては、“リアルの天地に、人間のカタチで生き続ける理想”の表現として、あのラストシーン、“完”の出し方を、断然支持したいと思います。
このブログで連続ドラマに触れるたびに何度も書いてきた事ですが、連続モノは、①「毎回、“次回が楽しみ”“早く続きを見たい”と思わせる」ことと、②「この人物たち、この物語世界をずっと見ていたい、見ていられないときでも、どこかに存在、存続していてほしいと思わせる」こととが最大の成功要件です。最終話が終わって“完”が出たあともしばらく「あの後はどうなったのだろう」「終盤、生死帰趨が触れられなかったアノ人物この人物はこうなったんじゃないか、ああなったんじゃないか」としばらく余韻に胸がさわぐのが連続ドラマの良作です。
『麒麟~』は、道中、特に斎藤道三(演・本木雅弘さん)退場後、①ではかなり、もう修復不能かなと思うくらいブレましたが、終盤、②において大きく巻き返した。長谷川博己さん染谷将太さんの“ツイン主役(←敢えて)”の回転数の上がり方もさることながら、テレビドラマ初レギュラー降臨の坂東玉三郎さんが与ってチカラ大でした。或る時点までは「本能寺の変=朝廷黒幕説で着地かな?」と思わせながら、こういう影の落とし方もあったかという見事な脚本。結果、光秀・信長・朝廷の、どれをもディスることなく、めでたく(?)本能寺をクライマックスに持って来ることができました。玉三郎さんをこの役に起用かなわなかったら、終盤の充実はなく隙だらけのまま終わったかもしれない。ひとりのキャスティングで一気に大勢逆転、連続ドラマが生きモノであるがゆえにこういうこともあるという教科書的ミラクルです。NHKは玉さまに当分頭が上がりませんな。
もう一人、これは少数意見かもしれませんが、月河は佐々木蔵之介さんの羽柴秀吉に助演賞を差し上げたい。キャスティングの一報を目にしたときは「信長(染谷さん)よりノッポの秀吉って、おもしろいけど奇策にでたな」と思っただけだったのですが、主役光秀のライバルポジにしては秀吉に美味しさのない脚本に、蔵之介さんがよくぞこれだけ息を吹き込んだと思う。成り上がりゆえの増長感、こすっからさ、無防備なほど赤裸々な野心に加えて、自らの底辺な出生を振り返るときだけに見せる、血も凍る冷徹さ。
かつて大河で出ずっぱり主役=日の出の勢い秀吉を演じた竹中直人さんが、18年後に『軍師官兵衛』で再び、今度は“主役と絡む重要脇役”としての秀吉で来演し、晩年の没落終焉までを見せたとき、その“秀吉感”の出し入れ調節に驚嘆したものですが、今作の蔵之介秀吉は“本能寺まで限定”だからこそ出せた生臭さと怪しさがあって、いつの間にか画面に出てくるのが楽しみなキャラになっていました。本能寺の一報を聞いて中国大返し、“秀吉感”はこれからが全開というところでドラマが終わってしまい、その代わりボーナスのように、高松城水攻めは打ち切って帰るぞ?おもしろうなってきた!・・「はっ」と受ける黒田官兵衛役が『軍師~』で官兵衛最側近栗山善助役だった濱田岳さん、というお土産つき。アレ?「御運が開けましたぞ!」は無し?と思った視聴者が少なからずいたでしょうな。
この後栄華を極めてやり放題になり赤色巨星の末路の様に萎んでいく、秀吉らしい秀吉ロードも見たかったですが、そこまで蔵之介さんでやるとトゥーマッチになるんでしょうね。と言うより、別のホンが必要かな。なんだかんだで、室町幕府末期~戦国~織豊政権~天下統一に向かうこの時代、何度ドラマ化されても、やっぱりその都度見どころが尽きないし、面白いんですね。