イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

スギさま呼びに拍手

2013-01-06 14:14:36 | バラエティ番組

 『純と愛』ついでに、総合的に朝ドラついでに、『NHK紅白歌合戦』の人選にもモノを申そう、いや書こうと思っていたのですが、意外にもと言っちゃ失礼だけど、結構できてたじゃありませんか、梅ちゃん。いやさ堀北真希さん。紅組司会。

 相方・白組司会の嵐の、“数的優位”に巻き込まれず、ちゃんと正面を向いてお行儀よく曲紹介や、オリンピックメダリストなどの“曲紹介の紹介”をこなしていて、『梅ちゃん先生』内の“いっぱいいっぱいキャラ”と齟齬をきたさない範囲内で落ち着いていた。この「範囲内」ってところの匙加減がむつかしいんです。噛み倒しトチり通しの司会じゃもちろん全国的に疲れるけど、落ち着き過ぎて当意即妙過ぎる、余裕かましまくった梅ちゃんなんて誰も喜びませんからね。

応援に駆けつけた高橋克実さんと南果歩さんも“梅子のお父さんとお母さん”を保持してフレームに入ってきてくれたし。意味なくデカ蝶タイで決めたノブ=松坂桃李さんのほうが緊張気味でしたね。そりゃそうだ。堀北さんがこなれていればいるほど、ノブ松坂さんにはいやがうえにもアウェイだもの。梅子の「バーカ」炸裂も見たかったですけどね。


 モノを申そうと思ったのは、堀北さんの
MC力量ウンヌンについてではありません。ここのところのNHK朝ドラの人気を“ヒロイン女優流用”という形で、とっくに賞味期限の切れている昔日の看板番組『紅白』に便利使いし過ぎではないでしょうか。怪しからんよコレ。朝ドラファン、ファンでなくてもウォッチャーな我々を虚仮にしとるよ。

2年前、2010年の『ゲゲゲの女房』の松下奈緒さんは、まだしもピアニスト活動実績という点で音楽性もあり、『ゲゲゲ』OPテーマ曲を歌ういきものがかりにピアノ演奏で応援という見せ場もありましたが、2011年の井上真央さんにしても、今回の堀北さんにしても、クソ長尺な、浮わっついててナンボな歌謡音楽バラエティ番組司会に親和する要素は、どう考えても持ち合わせていません。

ようするに、朝ドラをレギュラーで見ていた平均約20パーセントの視聴者に「陽子ちゃん(or梅ちゃん)が長時間出ずっぱりでがんばるらしいから『紅白』ちょっと見てみようか」という気になってもらうためのエサ撒きなのが見え見えなわけです。

これがドラマヒロインでなく、たとえばEテレの番組のナビ役タレントや芸人に全国区人気が出ていたとして、そういう人を“流用”するなら別に何も申しません。しかしドラマヒロイン女優となると、ドラマという虚構世界の、虚構キャラを背負っての全国区人気であり視聴率20パーセントなのです。井上真央さんは『おひさま』陽子のキャラを、堀北さんは『梅ちゃん先生』梅子のキャラを、大きくは裏切らない挙措たたずまい、衣装ヘアメイク、口調声音で『紅白』なら『紅白』のカメラフレームに立たなければならない。実際できるかできないかは別として、そういう買われ方、抜擢のされ方をしたら、そういう義務が自然と生じるのです。スーパーヒーロータイムの本編終了後、次回予告終了後の視聴者プレゼント告知のVTRでも、劇中対立しているキャラ同士は隣り合っては「ごおーぼ、まってまーす」と言わないし、離れて言い終わった後微妙にガン飛ばしあって見せたりして劇中設定を守ってくれます。ドラマという虚構はそれくらい濁りなく澄明に保たれ、繊細に扱われなければいけない。

最近のNHKの見境ない朝ドラ人気便乗には、TVのドラマという世界に対するそもそもの敬意欠如が露呈しているように思われる。人気となれば誰でもどこにでも顔出させて客寄せさせ愛想振りまかせるという貧乏臭い根性は“夢を売る”仕事であるドラマ制作の精神の、真逆、対極にあるもの。速攻捨ててもらいたいものです。

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Nicheもサッチも

2010-03-25 15:42:05 | バラエティ番組

しばらくお顔を見なかった野村沙知代夫人を、最近たて続けに二度ほど夜のゴールデン番組で見かけました。一度は爆笑問題の『太田総理…秘書田中』で、もうひとつは忘れた。

前にも増して声は大きいし、化粧は濃いし、以前の露出ざかりの頃に比べても心なしかシワも減って肌ツヤもよろしいような。隣席のタレントが何か言うと「違うわよ」「そうじゃないのよ」とバッと手を載せて遮ったり、“共演者の誰よりもワタシが人生の先輩で、認知度も高くて、発言権あんのよ”という自負にいささかの翳りもない様子です。

沙知代さんと言えばずいぶん前に、脱税で裁判になり「タレント活動はやめます」と法廷で上申したんじゃなかったでしたっけ。もう10年近く前だったような気がするから、時効と言うか、“刑期満了”みたいな感じでしょうか。夫君の野村克也さんが楽天監督を降り(その後名誉監督に就任されたらしいが)、事実上リタイアド身分になったので、「今度はなりふりかまわずアタシが稼がなきゃ」とチカラ入っておられるのかもしれない。

あるいは、新進党時代の小沢一郎さんにくどかれて選挙に立候補した(落選の上、学歴詐称疑惑まで)経験がおありなので、「誰でもいいから小沢の悪口つけつけ言いそうな人を集めてこい」という流れに乗ったか。

いずれにせよ、タレント引退宣言はドコ行った?と目クジラ立てるのもいまとなっては野暮というものでしょうか。政治家の選挙公約や、政党のマニフェストを例にひくまでもなく、何かに際して何かかんか約束したり、宣言したり、誓ったりしたことどもを“徐々に、次々に反故にしていく”のが人間の人生というものじゃないかなという気もするんです。

入学、進学、卒業、就職、転職、結婚、子供の誕生、離婚、定年など、人間いろいろな場面で「これからはこうしよう」「こういうふうに生きよう」「いついつまでに、これこれを達成しよう(もしくはやめよう)」と決心し、時には他人に公言したり、ブログに載せたり、紙に書いて壁に貼ったりしますが、決心した通り寸分違わずに果たせている項目がそのうち何割何パーセントあるか。

誓った通りの結婚生活を10年、15年(中略)、50年、一日も手抜かりなく過ごせているか。「このかわいい子のために、こんなこともしてあげよう、あんなこともしてあげよう」と決心した通りに子育てに取り組み、こう育てたいと思った通りの子に育ち上がっているか。誓った通りの入社年度に、目指した通りの役職に就けているか。目標通りの年収と、願った通りのレベルのマイホームが現にここにあるか。

たいていの人が、「まぁ、100%ってわけにはいかないけど、まあまあかな」「途中、状況も変わったからね、不況とか」と誤魔化し笑いとともに自答するのではないでしょうか。まあまあということは達成“できなかった”と同じことで、できなかったと言うとネガくなるから、婉曲表現で「まあまあ」と言ってるだけです。

約束を果たせないということ、果たせない自分、“まあまあ”で事足れりとする自分と、折り合いをつけていくのが人生、と言い換えてもいい。

事足れる自分、折り合う自分だけでなく、折り合う世間というものがあるのも現実です。沙知代さんが「ちょっと、アタシこれから旦那の引退した分も稼ぎたいんだからテレビ出させてよ」と言ったとき(見てたわけじゃないけど、言ったと仮定して)、バラエティ番組やトーク番組のPなりディレクターなりが「沙知代さんタレント業引退って言ったじゃないですか、法廷で宣言したんだからダメですよ」とストップかけてたら、この人を再びTVで見ることもなかったわけで、要するに皆“折り合って”しまってるわけです。

TVの向こう側の責任だけではない。このご時勢、TVだってお付き合いやしがらみやゴリ押しでキャスティング決めてるわけにもいかないのであって、ある人を出したら出した途端にがつんと視聴率が下がるとなったら、当然、以後出しません。がつんと下がらないということは、なんだかんだで、視聴者、観客も受け入れているのです。「もうTV出ないって自分で言ってたあの人、また出てるわ」「出てるねえ」とかぬるく見流して、誰もスイッチ切ったりチャンネルかえたりしないから、結局出続ける。

月河、個人的には野村沙知代さん、面識ももちろんないし、“なんだか知らないけどTVに頻々と出てる人のひとり”ととらえれば、突出して嫌いでも不快でもありません。沙知代さん、公表年齢は1932年生まれで今年78歳になられますが、彼女の年代からもう少し下がった、“プレ団塊”世代=70歳前後のおばさま・おねえさま方が複数集まる趣味の会や教室、茶話会などに同席すると、大雑把に言って4人にひとりは“小型サッチー”的なタイプがいます。この年代の女性たちは、物心ついたのが日本のドン底終戦前後で、日本人の価値観や女性観、とりわけ結婚観・夫婦観・家族観が大きく変わった時期に多感な青春を過ごしてこられたため、“世が世ならこうしたかったこと”、ぞっくりアタマカズ多い戦後生まれの後輩たちに対して“違うわよと言いたいこと”を山のように抱えて年輪を重ねてきており、普通に話していても地声が大きく、放っておけば右肩上がりにダメ出し・お節介口調になりがちです。

個体差もあるとは言え、これは概ね彼女たちの落ち度ではなく、時代のめぐり合わせなので、そういう言動や態度、ファッションセンスにいちいち引っかかっていては営業も、近所付き合いも成立しません。

沙知代さんが再びTV界に返り咲かれるなら、ますますお元気でとぬるく笑って看過する度量ぐらいは持ちあわせているつもりですが、“約束したり決心したりしては、ゆっくり反故にして、折り合う繰り返しが人生である”ってことを、この人を見ているとじわじわ思い出させられ、再認識させられる。だからなんだかモヤモヤするのです。

あとね、沙知代さんを久しぶりに見かけたとき、なぜか隣席が和泉元彌さんママの和泉節子さんだったんですよ。相変わらずごっつい眼鏡にごっついチェーンつけてた。沙知代さんと違って別に何か裁判やってたわけじゃないけど、ある時期からTVで見かけなくなったと思ったら、こちらもいつの間にか返り咲きですかね。セットで復帰というわけでもありますまいが、2人並ぶと結局約10年前のトークバラエティと絵柄が一緒なのね。当時のPだかDだか、制作スタッフも10年も経てば辞めた人、昇進した人、下から上がってきた人も多くて顔触れ一新してそうなものなのに、この変わり映えのしなさ、進歩のなさ知恵のなさ、何とも思わないのかな。

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コレだけですよ

2010-01-20 21:47:17 | バラエティ番組

昨日の午後は出先での待ち時間に、推定52インチのTVで開会早々の国会中継を音声抜きでチラ見していましたが、とりあえず議員の皆さん、資料だか原稿だかカンペだか知らないけど、紙、持ち過ぎですよ。

特に閣僚席、鳩山由紀夫総理を筆頭に、媒体で話題のあの事件この案件ですっかりお馴染みになったアノ大臣も、いまだ顔と名前と省庁名が一致しないコノ大臣も、机の上に紙並べ過ぎ。あんだけ並べたら、隣席の人用の紙と、境目がわからなくなりませんか。あんなに山のように紙を消費しないと進行できない議会ってのもどうなんでしょう。清き一票で選ばれた、いずれ劣らぬ選良の皆さん、記憶力、咀嚼理解力は抜群でしょうに。

そう言えば昭和の昔、日曜日の朝の番組とシュレッダーのCM「電話の長いヤツと、資料持ち過ぎのヤツは仕事でけまへんな」と力説、タモリさんにもよくモノマネされていた、元祖・七三分けならぬ一九(いちきゅう)分けヘアの評論家先生、最近お見かけしませんが、お元気でしょうか。

焦点の“政治とカネ”問題については、今般、政権が攻守ところを代えても抜本的な改革はまず望み薄だと思います。先日もここで書いたように、追及する追及すると息巻いている現・野党自体が金権の温床だったのだし、そもそも、小沢一郎さんだろうが誰だろうが、代議士たちを選んだ日本の選挙民自体が“おカネ大好き”過ぎます。

政治にカネがかかるようになったのは、結局、人の心がカネで動くからです。アタマカズをまとめ多数派にならなければ事が進まない、多数決制の民主主義において、最も確実に多くの人心を掌握するためには、詰まるところおカネ以上強力なものはない。洋の外の民主主義国がどれだけ清廉かつ進歩的か、付き合いがないので知りませんが、日本人は本当におカネが好き、おカネで贖えるモノが大好きです。

日本津々浦々の選挙民がおカネにいっさい興味がなく、食う寝るところ住むところ以上の物欲を持たず、芸能人セレブの豪邸披露番組も消滅し、プロアスリートの破格年俸や高額賞金も一顧だにされず、ブランド品店オープンやジャンボ宝くじにも行列ができず、小学生が「○○くんち夏休みにディズニーランドだって、うらやましいなぁボクも連れてってよー」ではなく、「○○くんのお父さんホームレスに自分のコートをあげたんだって、うらやましいなぁパパもそんな人になってよー」と言うようになれば、“政治とカネ”問題はきれいさっぱり無くなるでしょう。政治は人心の鏡でしかなく、小沢一郎さんが、あるいは民主党が自民党が、単体で腐敗しているわけではない。選ぶ選挙民たちがカネ(及びカネを要するモノ)を望むから、自然とカネまみれになっただけなのです。

月曜(18日)夜は『お試しかっ!』を出会いがしら視聴。芸人女装大会Aniコレ、アイドルとの1対1マッチプレー形式になってからあまりおもしろくなくなってしまったのですが、何が驚いたって大沢あかねさんが、なんだかものすごく威圧的になっていたのにびっくりしました。人妻の色気というより、すでにおっかさんの迫力ですな。ちょっと前までは可愛いガラッパチ生意気キャラだったのにね。そのうち本当におっ母さんになったらどこまで上がるのか末恐ろしい。

取りようで挑発的とか蠢惑的と言えなくもないけど、前回も森下千里さんが金子貴俊さんに敗れたように、アグレッシヴにオスの力量を問うようなヴォリュームある色気を、日本人の男性は「綺麗」と受け止めませんね。あかねちゃん作戦ミス。

石川梨華さんも久しぶりに見ましたが普通にふっくらしたかな。安田美沙子さんは相手(前回立証済み、脚線美と肉感リップのAAA西島隆弘さん)が悪かったし、キャバクラ火災で焼け出されたみたいな毛布ルック?もどうだったんでしょう。もったいない。南明奈さんのツンデレ表現はなかなかうまみがありました。

この番組に限らず、女の子アイドルが大挙露出する絵を最近見かけると、10代の駆け出しの子でも、最近は“かわいい”を“演じる”ことにみんなまったくためらいがないし、演じの“基礎点”の向上が目覚ましいですね。アイドル黄金時代とも言われた1980年代前半の歌メインの女の子アイドルなんて、いまの子たちに比べると、(歌の能力は別にすると)こと“アイドルとしての立ち居”に関しては隙だらけで、ほとんどデクノボウみたいなもんでした。表現、表出のツール数が少ないし、ツールを増やし磨こうにも、お手本がなかったですから。

当時は女の子アイドルのそういう立ち居振る舞いの拙さや、受け身な巻き込まれ感、翻弄され感をも含めて愛玩したものです。昔よりよほど小顔で細っそり華奢でも、いまのアイドルはガンガン攻めている。「可愛くする」ことにも、「可愛く見られたい」と思う自分にも、微塵も照れがない。“ぶりっ子”なんて概念も、もはや成立しないのでしょうな。

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それでそれでいいんだよ

2009-11-18 15:55:36 | バラエティ番組

昨夜(17日)は高齢家族が『うたばん』の加藤清史郎くんにかぶりつき。NHKみんなのうた『かつおぶしだよ人生は』の衣裳、蝶結びのノシつけたみたいな紺青色の鉢巻きもさることながら、さらっさらな髪がかわいい。子供だからヴァージンヘア、当たり前っちゃ当たり前だけど、いつかパーマかけたりカラーリングしたりする日が来るんだろうなと思うと、ちょっとせつないですね。時よ止まれ、君は美しい。

「おこづかい毎週土曜に80円ずつ」(“8歳だから”とお母さんが決めたらしい)と言う清史郎くんに、「いまならお父さんより稼いでるんじゃね?」「清史郎くんは“こども店長”だけど、お父さんは“おとな部長”くらいだろ?」と石橋貴明さんに無礼な水の向け方をされても、おっとり笑顔で首を傾げてあどけなく却下。思うに清史郎くん、人気の秘密はこの“落ち着き”と“お行儀良さ”でしょうね。ちゃかちゃか見苦しくないし、子役につきもののイタさがない。“ない”とまでは言い切れないけど、かなり少ない。

視聴者から見てももちろんですが、製作者、現場の監督さんやスタッフに「あの子ならやりやすい」「手がかからずいい結果を出してくれる」と、かわいい云々よりすでに仕事人として重宝されているのではないでしょうか。もともと演技の素質はあったのだから、たくさん声がかかればかかるほど、経験値の向上も速い。男の子はある時期からびっくりするほど身長体重、容貌や声質の成長が加速しますが、概ね女の子よりは晩熟だし、向こう3年ぐらいは天才子役の地位、揺るぎなさそうです。

NHKみんなのうたで音声だけは何度か聴いたことがありましたが、歌もうまいね。まぁ8歳なりのうまさなんだけど。もう『紅白』に、“”のカブトかぶって出ちゃえ。衣装さんに子供サイズの愛カブト作ってもらって。妻夫木聡さんにも常盤貴子さんにもパパイヤ鈴木さんにも応援団来てもらって。全国の視聴者の“愛”をずっしり背負って歌っちゃえ。でもって、最後に例の、アノ決めゼリフをどっかーん……

……と、こういう紅白はどうすか?と高齢組に賛同を求めようと思ったら、清史郎くんの歌のコーナー前に寝てしまってました。紅白出るにしても、早めの順番にしてもらわないといけませんな。8歳を夜中まで働かせたら、児童福祉法にも抵触するだろうし。

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さすがに金屏風はなし

2009-01-31 23:34:18 | バラエティ番組

あれだな、歌手とか演奏家とか、俳優とか特定分野の芸能能力を職業にする人じゃなくても、TVに出るのには資格審査、オーディション的なものに合格しなければいけない」というルールを設けたほうがいいな、TV界。

 真剣にそう考えたのは、久々に目が腐るようなシロモノをTVで見てしまったからです。『クイズ$ミリオネアSP』(130日フジテレビ系1900~)の泰葉さん。一昨年の離婚騒動の後、湿気った花火みたいにいろんなところでブチブチくすぶってるのは知っていましたが、いやあ、これほど百害あって一利ない物件とは思っていなかった。

この番組、クイズ番組にしてはテンポがないにもほどがあるのでいつもは見ないのですが、ビートたけしさんがゲスト回答者として出演するとスポーツ紙番組表で見て、かなりダッシュで帰宅したのに、TVつけるとすでにたけしさんの出番は終わっていて、やってたのが生放送での泰葉さん出演。

以前、泰葉さんとは関係ない或るゲストトーク番組について“指定の場所に着席した状態で、上半身の動きが激しく絶え間ないと、それだけでバカっぽく見える”と書いた記憶がありますが、絶え間ないに事欠いて、泰葉さんて耳目に入るすべてのことにリアクションするんですね。みのもんたさんの出題フレーズ、選択肢の提示(一問につき4コあるからリアクションも4回)、問→答間のつなぎトーク、答えの正誤、獲得賞金額コール、自分のリアクションに対するみのさんや客席の反応にさらにリアクションして、それに反応されればまたもリアクション。まるで自分の尻尾を噛んでグルグル回ってるヘビ、というより、“リアクションのリアクションにリアクション”ってコレ“幼児”そのものではないでしょうか。幼児なら万人が見て「可愛いー」とならなければいけないのに、それをやってるのが48歳の、さして童顔でも若々しくもないのにやたら露出したブリブリファッションのオバちゃんだから果てしなく空しいだけ。

しかも、現時点で唯一、この人がTVに出てもいい理由であるところの“離婚がらみ”に関しては「話したくない」「訊かないで」。

何より犯罪的だと思うのは、この番組のみのもんたさんもそうでしたが、泰葉さんと共演すると、特にホストやMCは軒並みお約束のように「お父さんの(林家)三平師匠に生前こんなにお世話になった」「こんなに良くしてもらった」「こんな場面でお会いしてこんな会話をした(←挨拶程度だったりする)」にまず言及する。なんだ、離婚も歌手活動もハッスルも関係なくて、要はコネなんだ親のコネでTV出てるんだ。

“芸能能力でも見てくれでも話の内容でも、何ひとつ視聴者を喜ばせ愉快にさせることができなくても、力のある親のもとに生まれてさえいればTV出てギャラもらってちゃらちゃら暮らして行ける”という、害悪極まりない、社会の根幹さえ腐らせかねない危険思想を公共の電波で垂れ流す元凶。暴力流血シーンやエロシーンなんかよりよほど規制が必要だと思うのですがどんなもんでしょう。一時期さんざん槍玉に上げられた、霊能力オカルト番組のたぐいより、一見天真爛漫で罪なく見える分悪質かもしれない。

娯楽としてのバイオレンス映画やドラマをこよなく愛する月河としては、この手の“無害ぶりっ子”な、「しょうがないねぇ」と苦笑でスルーされがちな物件こそ皆で寄ってたかって、目クジラ立てて撲滅して行くべきだと思うものです。

…『相棒season7』先々週(1月21日)放送“逃亡者”について今日は書きたいと思っていたのに、余計なものを見てしまったおかげでなんだかヘタってしまった。最近のバラエティってのは“逆福袋”みたいなもので、うっかり開けるととんでもないものを掴まされますね。次回リベンジ。

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