ちょっと前に『あまちゃん』の宮藤官九郎さん脚本の魅力を“思い込み”と書きましたが、汲めども尽きぬ無敵の厨房(ちゅうぼう)思い込みパワーで宮藤脚本、思いがけないところでどえらい遊撃砲炸裂しますな。聞いてるだけで、オイッ各方面大丈夫か!?と緊張感が走ったりする。
26日(金)放送の101話では、太巻こと荒巻太一(古田新太さん)が1985年録音の、『潮騒のメモリー』鈴鹿ひろ美オリジナルヴァージョンのカセットをダダーと流して、ミズタク(松田龍平さん)を七転八倒させた挙句「いまなら機械でどうとでもなるが、25年前だ。どうにもならん」・・・。
うひゃー言っちゃった。太巻は女の子アイドルプロデューサーで振付とともに作詞作曲もこなす、プロダクション社長でもあります。「機械」って言っちゃった~。アイドルの歌は、普通に、たまさか、少なからず、「機械でどうにかしてる」ものなんだ、とカミングアウトしちゃったようなものじゃないですか。いいのか、業界的に。アメ女的な、限りなくアメ女的なアイドルグループを手がけているアノ事務所、アノ業界人から「寝た子を起こすな」ってクレーム来たりしないのか。寝た子を起こすなってことはないか。
しかもなんと言うか、「機械」って言葉の使い方がもんのすごく短兵急で、鈍器のようなそのものズバリで、嬉しくなっちゃいますね。宮藤さん、演劇・エッセイ活動の傍らバンドで音楽活動もしていて、CDも多数出し紅白歌合戦にも出場していますから、外れた音程を外れてないように聞かせる録音技術なんかとっくに承知だと思うんです。そういうときに活躍する機械の名前(なんとかライザーとかなんとかタイザーとか言うんでしょうな)や、技術・技法の名称を、音楽で付き合いのあるお仲間に訊くとかしてセリフに入れ込まず、生粋の音楽畑出身設定の太巻にあえて「機械」というチョーざっくりした表現をさせました。
このセリフの中の「機械」というワードの無骨なパワーはすごい。『轟轟戦隊ボウケンジャー』における大神官ガジャ様の金字塔的セリフ「ワシにいまどきの機械のことを訊くなー!」を想起させるものがあります。「機械」に“文明”“洗練”“便利”とか“叡智”“進歩発展”といったプラスの要素、輝かしい要素を何ひとつ見ていない。プラス要素を全部剥ぎ取った、身もフタもない“人工の、わけわからんこしらえもの”という、まるはだかのイメージの「機械」。
逆に言えば、音楽畑人でありながらこういう、洗練と真逆の言葉づかいで自虐回顧トークをする太巻が、ちょっといい人かもと思えて来ないこともない。いまのところやってること真っ黒、ピュアブラックですけどね。平成芸能界版の山椒大夫かという。早く言っちゃえ「あの頃、本当は春ちゃん(有村架純さん)が好きだったんだ、売り出してやりたいアイドルの卵以上の感情を持ってしまったんだ」って。「でもドル箱になった鈴鹿ひろ美に迫られて、君を切るしかなくなってしまったんだ。」違う?え?違うのか。いくらなんでも春ちゃんモテ過ぎか。
しかし、劇中25年前=1985年時点で「どうにもならん」ものだったとしたら、それよりさらに10年以上前に、ホレ、ああいう破壊力抜群の感じでレコードを出していた、ホレ、銭湯を舞台にした国民的ドラマでデビューした人とか、同時期水着メーカーのイメギャルから男性誌人気ダントツだった、いまは大河ドラマにお母さん役で出ているあの人とか、少女子役出身で童顔と豊満バストが売りで“プリン”のCMで認知度を高めたあの人などは、実は、イメージよりは“結構歌えてた”部類だったのかもしれませんね。「どうにもならん」低機械力の時代に、アノ程度ですんでいたのですからね。