イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

時間が経てばわかる

2013-08-28 01:29:31 | 芸能ネタ

 1998年の暮れ、宇多田ヒカルさんの日本デビュー曲『Automatic』と『Time will tell』が各局でヘビロテされ始めた頃、すでに当地のFM局では宇多田さんのメインDJ番組が週1レギュラーで放送されていました。 

ちょっとかすれた少年っぽいヴォイスで、ぶん投げたような、女の子らしくないラフな喋りっぷり、まだ当時16歳のUSA育ちの帰国子女と聞けばああ、だから日本的な敬語とか婉曲表現が不得意なのかなと思ったものですが、藤圭子さんの娘さんという情報をスポ紙で見かけたのは上記のデビュー作にかなり火がついてからで意外でした。こんな強力知名度の親御さんを持つ2世タレントならもっとそっち押しで宣伝かけていってもいいのに・・とも思いました。
 

そのうち宇多田さんがもうお母さんを引き合いに出す必要ないくらいのビッグブームを自力で起こしていったし、コロンビア大学飛び級入学(中退)の天才R&Bガールと昭和の夜の怨歌の星じゃイメージ的に水と油だからあまり前面に出さないのだろうなと勝手に納得してもいました。
 

藤さんご自身も過去の大ヒット曲の印税収入がいまだ少なからずおありと思われ、加えて娘さんがビッグマネーメイキングアーティストに成長したとなれば、がつがつ小銭稼がずとも生活安泰だから、日本の懐メロ番組等にも顔を見せないのだろうな、とも。

 

しかし今般の藤さんの残念な顛末からすると、思うに、もう長年、媒体露出や娘さんのプロモーションに関与できる精神状態ではなかったようです。
 

“昭和の歌姫”と称される代表的なひとりであることに疑いはないものの、歌手としてかなり振幅が激しく、なおかつ旬(しゅん)の短い人だった印象です。小学生坊主月河が歌手・藤圭子さんを初めて知ったのは1969年の秋か暮れで、夕方のアニメの時間の合間に放送されていた『ビクターレコードいち押し新人・新曲紹介』のミニ番組でした。いまで言うプロモーションビデオの様なしつらえで『新宿の女』が流れる前「こんにちは、藤圭子です。」で始まる自己紹介ナレーションの声が、歌以前に超独特のハスキーヴォイスで、「ふじけいこ」という芸名が非常に聞き取りにくかったのを憶えています。
 

このデビュー曲は演歌のヒット曲が多くそうであるように、何か月もかけ、同年末を跨いでじわじわと上昇、大阪万博の年=1970年春頃には気がつけば街のそこらじゅうで聞かれる、非常に昭和的なロングヒットになったのですが、藤さんの代表曲はこの70年に集中していて、前川清さんとの電撃結婚で話題をまいた1971年以降の曲は覚えている人が少ないのではないでしょうか。電撃結婚に続くスピード離婚の1972年には、すでに“曲よりも結婚離婚のほうが話題にされる歌手”になりつつありました。
 

酒場や夜の女性をモチーフにした楽曲とは対照的に風貌は清楚で、おとなしい、逆に言えば表情の乏しい色白美人さんでしたが、気分の変化の激しさはいま思えば確かに窺え、月河がいまも覚えている逸話をひとつ挙げると、1973年の初め頃ぐらいに、デビュー以来のトレードマークだったストレートのセミロングヘアをいきなりばっさりショートにしてしまわれたことがありました。離婚が成立して間もなくでもあり女性らしい心機一転のひとつなのだろうと、世間はそれほど奇異には取り上げませんでしたが、スタッフは何も事前に聞いておらずかなり慌てたようで、「いままでの髪型に合わせて用意していた(パンタロン風の)パンツスーツ中心の衣装がみんな合わなくなって、急いでドレスを作らせている」との報を週刊誌か何かで読んだ記憶もあり。
 

光あるところに影有りと言いますが、藤さんの出自や少女時代の苦難を考えると、背負って染み着いた影があまりにも濃すぎて、上りつめた場所の光の眩さに耐えるのがつらかったのではないかという気が今更ながらします。結局73年は髪を切った件以上に歌手としての藤さんに注目を引き寄せる話題もなく、74年にかねて危惧されていた声帯ポリープの手術を受けて歌手生命の延命を図るべく休業した頃には、“夜”“新宿”“酒場”“ネオン”等のキーワードが似合う担当は、徐々に、しかし確実に八代亜紀さんにとって代わられていました。
 

藤さんよりひとつ年長ながらデビューは2年遅く、ブレイクまでにさらに2年要した八代さんが、しかしその後は息長くヒット曲を出し続け、作詞作曲やMCにも進出、趣味として続けてこられた油絵でも評価され、たとえば先週放送のNHK『伝えて!ピカッチ』のゲスト回答者として、アイドルや芸人に囲まれながらおっとり天然大御所キャラで味を出しているのを見るにつけても、これはもう北国生まれと南国生まれの差なのかなとも思います。洒落にならない、ネタにしてガス抜きすることのできない藤さんの世界は、長く娯楽として興がられ続けるには重すぎた。
 

流行歌とその歌い手は世間の人々の娯楽のための商品ですが、洒落にならない自分の人生を商品として楽曲にし、歌唱し、売りに出すという行為の重さに、幼時から両親について盛り場を流していた少女の繊細な精神が少しずつひしゃげていった可能性は想像が付きます。

  旬が短かったわりに“昭和の歌姫”としての存在感がいまも鮮烈なのは、代表曲の『圭子の夢は夜ひらく』というタイトルでしょう。“圭子の”と付いただけで、ストレートセミロングヘアに暗色のパンツスーツの藤さんのイメージしか浮かんでこなくなる。松本伊代さんのデビュー曲の一節 ♪伊代はまだ 
16だから・・と同じ。ファーストネームを曲中もしくはタイトル中に入れ込むことは、筆やペンで書き込むなんて生易しいことではなく、焼印を当て込む、鑿で彫り込むくらいのイメージ規定力があるのです。
 

自分自身を“商売もの”にして達成した成功の苦さ、重さ、痛さに戸惑い呻吟した後半生だったのではないかと思います。苦くても、痛くても光眩き場所を目指さざるを得ない、光に到達できなければ果てしなく無に近いのが人の生でもある。
 

影と光、両方を知ることができた人生を、ご本人は幸せと感じる時はあったのでしょうか。本意だったのかそうでなかったのか、媒体から遠ざかった後の日々を“後半生”と括ってしまうには短すぎる、急ぎすぎる一生でした。ご冥福をお祈りします。 

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もっと言えば合成だ

2013-08-27 01:07:01 | 朝ドラマ

 ぶはは、太巻組の日の出待ちまたも空振り(@『あまちゃん』)。 

気象庁発表のリアル日の出時刻から逆算してすべてスタンバるなら、なぎ倒してガツガツ進めちゃえばいいのにね。ダブルヒロイン年長組・鈴鹿ひろ美さん(薬師丸ひろ子さん)の就任演説もぶった切って、なんならぶった切ってる前でカメラ回して“ぶった切られてアワアワしてるひろ美”のシーンに変更しちゃうとかさ。

 あき(天野アキ=能年玲奈さん)が「お母さんお帰りなさーい」の代わりに「かっけー」って言っちゃったぐらい、アフレコで当てれば済むでしょうに。太巻得意の“機械でどうにでもする”戦法ですわ。純然たるアイドル映画なんだし。アイドルおたくしか観ないんだし。ここは巻きで行きましょうよ。巻かれて巻かれて太くなる。
 

・・・とはいえ、どうも太巻(古田新太さん)、アイドル映画と言いつつ初メガホンで舞い上がって、すっかり本格的に行きたいみたいですよ。本格映画。或る時間帯の空の雲を撮るためだけにスタッフを朝の5時だか4時だかにスタンバイさせておいて、自分は10時頃来て空を見上げて「・・今日はダメだな」と一言で撤収させてしまうという、某・国際派大監督(故人)のような、スイートでセルフィッシュなスケジュール管理っぷりです。そんなのがシーンのたびに23日続いたら、制作予算なんか幾らあっても足りないだろって話。

小説家さんやミュージシャンなど、印税的に成功した別分野のクリエイターのかたが長年の夢を果たすべく映画製作に乗り出した例も少なからず聞きますが(アーティストの若い貧乏時代はたいがい暇にまかせて映画を見まくっていますから、映画ってやつは“売れてカネが入ったらやりたい”憧れのジャンルなのです)、ほとんどが借金の山だけ残すイメージ。

 太巻もこれで身上潰さないといいけどな。ミュージシャンなら返済のため向こう何年か地方ライブなど小金稼ぎ詰め詰めで働くという手もありますが、フトマッキーの場合いまさらバックダンサー詰め詰めというわけにはいかないので、得意の振り先(せん)で返済ツアーでしょうね。まずはあれだ、スーパー戦隊の
EDだ。♪めっちゃ踊りたくなるなるなるDEダ~ンス!(@『獣電戦隊キョウリュウジャー』)みたいのをTVサイズと劇場版とドームシティヴァージョン、最低3パターン。あと悪の大幹部役として顔出しレギュラー出演も(ぶははははははは、そっちが見たいメインだったりする)。 

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キャラ立ちの華

2013-08-12 01:18:01 | 朝ドラマ

 なんだGMT 5、初単独イベント“GMT祭り”ではちゃんとナマ歌でしたよね。春子さん(小泉今日子さん)がイヤがっていた「ロボットみたいな声」じゃなかった。

 加工してCD完パケする前の、ディレクターがOKしたテイクの歌唱音源にクチパクしたのかな。いずれにせよ客前パフォであれだけ盛り上がれたら御の字で、春子ママがあんなにリキんで拒否してアキちゃん(能年玲奈さん)を連れ帰る必要もなかったような気もします。

 ところで、先週、太巻(古田新太さん)が水口(松田龍平さん)にぶっちゃけていた「機械でどうとでもなる」で、最初に連想したのが、特撮ヒーロー番組音楽シリーズ恒例のキャラクターソング、略して“キャラソン””の数々です。

 ま、略さなくてもいいんですけどね、ヒッ(太巻が降りてきてしまった)。

 キャラソン。つまり、ヒーロー役、ヒロイン役、時には敵役の顔出し俳優さんがキャラになりきって、ドラマの世界観に沿った歌詞を、キャラらしい曲想に乗せて歌う、いやいや歌って下さるという、一種のサービス企画で、ヒーロー番組随伴ソフトの中ではオフショット入り写真集、キャラクターデザイン画集等と並んで、月河の大好物のひとつです。

 当然ながら、歌っている皆さん、本業は俳優で、中にはバンドなど音楽活動経験者、あるいは俳優業と並行活動中の人もたまにいますが、おおかたはこの番組でこの役に抜擢されなければ仕事で歌うことなどなかったはずの人たちですから、昭和の“歌うスター”のニワカ版みたいな塩梅で、出来は玉石混淆、と言うより玉石石石石石混淆ぐらい。

 さなきだに楽曲そのものがヒーロードラマの特殊な世界観に合わせて、立ちまくったキャラのその立ち具合に負けないように作り込んである(劇中のクチグセや決めゼリフなどがあれば、さりげなく歌詞に織り込んであったりも)ため、歌唱経験も少なければもともとあんまり歌に向いていないことも多い俳優さんたちは、GMTの面々以上に死ぬ思いで歌うに違いなく、一聴して「人も頑張っているけど、それ以上に機械が頑張っているな」という、ある意味微笑ましい、若干手に汗も握る印象に仕上がるわけです。

 逆に、俳優さんの歌唱力が、前述のような音楽活動経験者などで安定している場合ほど、楽曲の耳当たりはスムーズ、言い換えれば“どうってことない”感じに仕上がります。

 最近の新譜なので例に出しやすいから挙げさせてもらうと、現在絶賛放送中『獣電戦隊キョウリュウジャー』の2ndミニアルバムでは、キョウリュウブラック役の斉藤秀翼さん、キョウリュウブルー役の金城大和さんがそれぞれのソロキャラソンを歌っています。

 斉藤さんはハードな曲にところどころ声量が物足りないふしはあるものの、さすがは元アマチュアバンドギターらしく、ビートへの歌の乗せ方がこなれている。

 一方金城さんのそれは歌と言うよりノリとキャラがすべてみたいな曲ではありますが(音頭だし)、小劇場の人だけあって声が前に出ているのが気持ちいい。

 歌詞も、ブラックは美女好き設定を活かしてちょっと気障なフレーズを混ぜ、ブルーは全編これオヤジギャグ固めと、小さなお友達に「イアンが歌ってるんだよ」「ノっさんが歌ってるんだよ」と教えて聞かせても違和感がない(“サンタさんは実在する”式のこの手の作り事に、現代の戦隊適齢期のお友達が、どれくらい乗ってくれるかは疑問ですが)ようにちゃんと出来ている。

 玉か石かで言えばかなり玉のほうに近い部類と言ってよく、その分耳あたりはさらっとしていて引っかかりが少ないとも言えます。

 逆に、引っかかりが“多い”例は、若干挙げにくいのですが、数年前のとあるスーパー戦隊の、まぁここまでは言ってもいいと思うので言うと、レッドのキャラソンがわりと破壊力に富んでいて、ネット上のファンの間で軽くファイヤーしたことはありました。

 いずれにしても“キャラクター”ソングですから、一にも二にも劇中のキャラに合うように作って、キャラらしく歌ってナンボ。

 スーパー戦隊で言うと、レッドの歌は大体レッドらしく明るく元気でアップテンポ、かつ小さいお友達にも覚えやすいようにとの配慮からかコード進行や構成もシンプルめな曲が多い。前述のファイヤーしたレッドの曲もそうですが「元気が余って」的なハズしかたならかえって「キャラに合っている」と好意的に受け入れてもらえます。

 逆にブルーはいろんな意味でレッドと対極なキャラに描かれますから、曲もクールでモダンで大人な、比較的難曲が多く、各色戦士の中では歴代ブルー役の俳優さんたちがいちばん歌唱で苦戦しがちかもしれません(今年のキョウリュウブルーは大胆に独自路線を行ってますが)。

 また、ピンクであれ何色であれ女性戦士がチームの紅一点なら、惜しげなくオンナノコっぽさ全開のアイドル路線になりますが、女性2人体制だと“女子性”の棲み分けという、より高度なキャラ造形がなされ、キャラソンもたとえば『特捜戦隊デカレンジャー』のデカピンク=ピュア元気系とデカイエロー=クール不思議系、『魔法戦隊マジレンジャー』のマジピンク=イケイケはじけ系とマジブルー=母性癒やし系といったふうに作り分けられる。このへん、学齢期手前の、おもに男子の小さいお友達から見た“望ましい女の子らしさ”のバリエのプレゼンとして興味深いものがあります。

 顔出し敵役のキャラソンとなるともっとフリーダムで、悪役らしくそれこそ太巻の好きなデスメタルとかかと思いきや、『爆竜戦隊アバレンジャー』のアバレキラー、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の臨獣殿カップル理央&メレ、『炎神戦隊ゴーオンジャー』の害水大臣ケガレシアなどの曲は「この世界観の中で、戦うとはどういうことか」「何を欲し何のために戦うのか」という自問自答、独白を織り込んだシリアスな哀愁ナンバーだったりして、むしろヒーロー側からの曲よりも鋭く物語の肝の部分をついていたりもする。

 これと似たことが仮面ライダーシリーズにも言え、こちらは“キャラソン”ではなく挿入歌、2ndED曲として取り扱われることも多いのですが、タイトルロールの仮面ライダー役が歌う例は稀です。

  おもに、劇中一度はタイトルライダーと微妙な関係になる2nd、3rd以降のライダーや、敵側キャラが、物語の中での自分の立ち位置、置かれた状況への所感を驚くほど人間的な情感で歌って、タイトルライダーでないからこそ踏み込める角度から世界観を照射します。『龍騎』のナイトや王蛇の曲、『剣(ブレイド)』のギャレンやカリスの曲はそれぞれのキャラの独自性だけでなく、ライダー同士の関係性をも浮かび上がらせる力を持った佳曲です。

 考えてみればタイトルライダーは戦うことが“当たり前”で、彼が戦わなければ『仮面ライダー○×』という話自体始まらないのですから、歌ってもらうまでもないのでした。

 ま、歌ってもいいんですけどね、ヒッ(また来た)。

 (この項続く)

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C気持

2013-08-06 00:50:20 | 朝ドラマ

 週があらたまって月曜ともなると、、ラジオやTVの週間天気予報もヴァージョンがあらたまるわけですが、「早いもので今週水曜日、7日は立秋。猛暑が続く日本列島も、暦の上では秋になります。」とかなんとか、こういった趣旨の予報マクラを今日一日で3回ぐらい聴いたような気がします。

 そしてこういったマクラが聞こえてくるたびに、「コヨミノウエデワ♪・・」と自動的に例のメロディが脳内に入り込んでくる。ディセンバーではなくまだオーガストなんですけど。

 脳内がこういったふうな症状を呈する日本人が、全国にウン万人はいるに違いない。

 なおかつその中のウン十パーセントは、メロディに合わせて自動的に右手が頭頂部に乗っているに違いない。そして人差し指が蒼天を指しているに違いない。恐るべしメロディのループ力。

 さらになおかつ、聴き取った音声が脳内で「♪コヨミノウエデワ、アキになります。」とカタカナ表記になるに違いない。侮るなかれ言葉のイメージ喚起力。

 さて、この曲、「師走はしい 街はあわただしい だけどしい そこはデリカシー・・」と“シー”で脚韻を踏んでいますが、こうなると某プロ野球永遠の大スター監督が現役スター選手時代、当時のフィアンセ(のちに夫人)(当然だ)との仲を、いつものスポーツ記者たちだけでなく芸能記者、女性誌記者にまで寄ってたかって追及されてキレてしまい、「僕にだってデモクラシーがあるんだぞ!」と声を荒らげた、というエピソードを思い出さずにはいられません。

 さすがはのちに国民栄誉賞に輝く天才スターアスリート、憤懣にかられてさえ脳内で動物的カンがはたらき、期せずして脚韻を踏んでいたのです(!)。ただ「何というワードと、どこが押韻されていたのか」が伏せられている(!!)ため一瞬誰もわからないという。奥深いぞ。

 「それを言うなら・・」とツッコんでくれる記者は居たのだろうか。こういうとき妙な間が空いたりすると辛いですが。エージェンシーエマージェンシー。

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音を病んで知ると書いて

2013-08-03 01:07:58 | コスメ・ファッション

 ここのところの放置プレイでガラクタ箱の様になっているアクセサリーボックスから、着け飽きたイヤークリップに、極小すぎて物足りなくなって着けなくなったペンダントトップを通して耳に装着してみるというイタズラを考案。おぉナイス着眼。

 「エスニック調で結構オシャレ」と自画自賛したものの、月河がいつの間にかため込んでいたペンダントトップは、ほとんどパワーストーン各種から成っているため、極小と言えどもかなり耳が重い(疲)。

 パワーストーンで比重が軽いものと言えば、鉱物でなく植物由来の琥珀が代表選手ですが、高齢家族がどこかに持っていたような気がするので、今度物色して拝借するとするか。琥珀は軽いだけでなく硬度も低いので、金属のパーツに通すと瑕がつくかもしれないのが難点ですが。

 琥珀と言えば北三陸(モデルは岩手県久慈市)。というわけで今日も『あまちゃん』の話題は尽きません。

 太巻(古田新太さん)という人は、Pとしてどうしても“人工”を入れないと仕事をした気になれない性分なのかもしれませんね。素材の持ち味を直球で、素でぶつけるなんてのはクリエイターとしてはバカのやることだと思っている様子。

 自分もマネージャーとして新人だった時代に初めて手掛けた鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子さん)のデビュー時のもろもろがよほどトラウマになっているのか。歌唱の影武者として一枚噛まされ利用されてしまった春ちゃん(有村架純さん→小泉今日子さん)とは違った色合い、ベクトルで、やはり太巻も『潮騒のメモリー』の呪縛に25年間苦しんできたに違いない。この呪いというかオマジナイというか、解けるとしたら関係者一同、一堂に会して一気に解き放つしかないかも。魔法の杖を振るのはやはり我らがヒロイン、天野アキちゃん(能年玲奈さん)でしょうね。

 しかし、放送用語の規制・自主規制が妙に厳しい昨今、ふと思うのですが、太巻が事もなげにクチにした“音痴”というワードは、大丈夫なのでしょうかね、コード的に。病(やまい)ダレが付くのがどうも気になるんですが。ヤマイ系には特に厳しいじゃないですか、TV界。

 “○○ラ”を“視力障がい者”、“○○ボ”を“聴覚障がい者”と言うように、太巻も春ちゃんに鈴鹿さんの事を「彼女、音感不自由者なんだ」と言わなきゃならなかったなんてことはないのかな。

 “音痴”と言えば音楽がらみだけじゃなくて「運動オンチ」とか「味オンチ」「方向オンチ」等と、“△△が生まれつき苦手”“訓練しても向上しない”という意味の複合語形成に散々使われているから、いまさらコード抵触でもないか。汎用されてしまえば怖くないんですな。

 ちなみに俳優の水谷豊さんは、自宅でも道に迷う、夫人の伊藤蘭さんも失笑とともに認める極度の方向音痴だそうです(@『あさイチ』)。この話、以前『徹子の部屋』かどこかでも聞いた気がしますが、要するにどえらい広い家にお住みになっているというだけの話じゃないのか。まーお恥ずかしったらありゃしない。

 そう言えば、歌うアイドルスターの大先輩・内藤洋子さんを、昭和40年代初頭にスターダムに押し上げた映画監督に音痴・・ではなくて恩地日出夫さんという方がおられましたな。脚色脚本もみずから手がける才人で、萩尾望都さんの未来SF漫画『地球(テラ)へ・・』の、1980年のアニメ映画化の際も脚本・監督をつとめられ、声の出演には当時15歳の薬師丸ひろ子さんも参加されていたような。

 オンチつながりでとんでもない引き合いに出してしまいましたが、世の中狭いものでどこかしら何かしら誰かしらつながるものなのね。ということで。

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