『Yの悲劇』を腑分けした後、「まぁ、そうなるな」という流れでいま『X』再読に入っています。
何十年も昔に読んだ文庫本に再ハマりしているうちに気がつけばきっちりきちきち年の瀬ですねぇ。
2021年。あまりに順調、破竹過ぎてどっかで蹴っつまずくんじゃないかとヒヤヒヤしていた大谷翔平選手は何の頓挫もなく順当にMVPに輝いたし、一方では、何かしらまたしでかして堂々巡り始めるんじゃないかと思った秋篠宮眞子内親王さまと、お相手のほら、アレも、なんだかんだでどんどこどんどこ事を進めて、結局モクロミ通り結婚して渡米してNYでノウノウと暮らし始めた様ですよ。まさにお相手のお好きな言葉Let it be ・・というよりここまでくるとWhatever will be will beですな。何事もなるようになる。WillあるところにWayあり。
もう決着した話にケチつけるようなこともしたくないので、とりあえず、「ああいう、血統本位制みたいな家族に生まれついた女性でも、誰に引き合わされるでもレール敷かれるでもなく自分で見つけてきて両想いに持ち込み“この人がいいの、結婚するの絶対するの他の人じゃダメなの”で押し切るていの恋愛結婚が可能」という前例を作った功績は大きいと申し上げておきましょう。
功“績”じゃなく、せめて功“罪”にしとけよ、と、自分でも思っていますが、それはこれからの皇室・皇族と、その存在を是とする国民の今後次第。「あのとき、あの人のあの件がああいう結末になって良かった」となるか、「あのときのアノ件さえ無ければいまこんなことには・・」となるか。
「いつまでもあると思うな親とカネ」じゃありませんが、いつまでも是とされてると思うな国民の皇室観、てことでもありますがね。
しかし、皇室典範より憲法より、あるいは愛のチカラより、強力なのは時の流れ、時代の趨勢ってやつです。
好むと好まざるとにかかわらず、世間がどう誹謗中傷しようと、時代は多様性の時代なのです。もう後戻りはできないのです。誹謗中傷の雨あられを、ツラの皮超合金で突っ切る覚悟と肝っ玉があれば、法に触れない限りどんな価値観、家族観、結婚観も、何人たりとも全否定はされないのです。やればやり切れちゃう、「そういう考え方もアリかな」「そういう料簡で生きてく人間も、殺すわけにいかないから、生かしとかなきゃシャアないな」と、いつの間にか受け容れられちゃうのです。そういう時代、そういう世の中になったらしいのです。
2017年5月頃から始まった“眞子さま熱愛のお相手”報道からの展開、転帰、どうやら今年11月をもって着地、一巻の終了となった模様。
いやもう、4年半、長かったですねぇ。これだけの間“かけがえのない人”“この人との結婚が人生に必要”と思い続けて微動だにしなかった、させなかったんだから大したタマカップルじゃありませんか。褒めてつかわすような立場でもないけど、これくらいでなきゃ、“多様性の時代”=“誹謗中傷の時代”をサバイブして恋愛結婚なんか達成できませんぞ。どちらかがいくらかでも“名のある”立場ならね。
ツラの皮超合金、肝っ玉極太無限大のまま、今後はNYにお住みになって日本の衆生の視界からは離れてくださるらしいし、お互い、平和で良かったということにしましょう。そうしましょう。
末永くお幸せに・・ってフォローになっとるのか。いや、新婚カップルに贈る言葉ぐらい、様式美で締めときませんと。