明日からいよいよ12月、12月と言えば年賀状の準備・・と思ったら、引き出しの奥から、令和2年お年玉年賀はがきが数枚、出てきました。もちろん未使用。
後から思い出した先や、遅れて来た人への返信用に、足りなくならない程度に余裕を持って準備するので、三~四枚は余るのがつねではあるのですが、師走の声が迫るまで押し詰まってから、余ってたやつがあったことに気がつくというのがなんとも。
本当に今年は、雪が融けて、四国九州辺りの桜開花だよりが聞こえて来た頃から、あらゆるものを先送り先送りにして過ごしてしまった一年だったなぁと痛感します。
気がつけば、最寄りの郵便局に出かけて、窓口で未使用はがきを切手と交換してもらう程度でも、なんとなく「いま行ったら密かも?」と気が進まなかったですね。先送りしているうちに、どんどん引き出しの奥へ奥へと行っちゃったんですな。
前の記事で、「日本のデジタル社会化が遅れたのは、メンドくさい細かい手間を惜しまずきちんとする事が好きで得意な人、得意ではなくてもやればこなせる人が多すぎるからだ」というようなことを書こうと思って、マラドーナさんの訃報に押されて棚上げにしてしまいましたが、この“年賀状書きと整理”こそ、日本人が如何にアナログ作業を苦にしないかのシンボルだと思う。
さすがにケータイで育った世代はもうあけおめメール交換とか、そーしゃるねっとわーくしすてむ利用が多数派でしょうが、一か月以上前から専用の官製はがきを買って、自前のプリンタで印刷したり業者さんに発注したりしてデザインを競い、実際に年が明ける二週間以上も前に、自分にも先方にも無事に正月が来る事を疑わずに郵便に投函するなんて、悠長で手仕事感あふれる作業が、いまだに全国レベルで普通に行われていることからしても、日本人の“アナログ親和性”がわかる。
“アナログを嫌わないし、アナログで皆なんとかやり切れてしまう”日本人だったから、逆にデジタル化が世界比で周回遅れになったんだと思う。日本人の大半がもっとズボラで面倒くさがりで、細かい手作業がイヤでイヤでしょうがなく、すみずみきちんとする事に気分良さをひとっつも感じない性分だったら、もっと早くにデジタルに飛びついて、紙の伝票やら稟議書やらは博物館行きになっていたでしょう。もちろんハンコ屋さんは全員商売替えです。
もう11月の半ばから、ぽつぽつ黒囲みの喪中欠礼状はがきも届いています。12月に入ったら年賀状を書き始めてしまう人が多いだろうからその手を止めさせなくてもいいようにと、この時期に送るのが欠礼挨拶の常識。こういうタイムテーブルの敷き方も日本人ですよね。
未使用年賀はがきと言えば、昔はよくFMラジオの番組へのリクエストを書いたりして使ってましたね。20年くらい前は、雑誌の読者プレゼントへの応募とかにも。今は無きTV Bros.の巻末の『こんな私でよかったら』なんか、一時は結構打率が良かったものです。いまもプレゼントコーナーのある雑誌や放送番組はあるのでしょうが、はがきではさすがに受け付けなくなってるのだろうな。郵便配達、今度は土曜日も休みになるらしいですしね。
あと、12月と言えば、今年もあるのだろうか、“今年の感じ”・・じゃなくて“漢字”。清水寺の、えーっと何主さんだっけ?・・そうだ、貫主さん。あのホーキの様な筆のスタンバイはもう万端かしら。
やっぱり今年は『禍』で決まりか。今年初めてこの字を覚えた、今年がこういう年でなかったらいまだに覚えてなかった人も多かったでしょうしね。
いや、残り一か月で、急転直下というか直“上”というか、『婚』”にしてもらってもいいですけど眞子さま・・って良くないか。