イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

穴録からデジ足る社会へ ~紙のみぞ知る~

2020-11-30 22:52:46 | 四季折々

 明日からいよいよ12月、12月と言えば年賀状の準備・・と思ったら、引き出しの奥から、令和2年お年玉年賀はがきが数枚、出てきました。もちろん未使用。

 後から思い出した先や、遅れて来た人への返信用に、足りなくならない程度に余裕を持って準備するので、三~四枚は余るのがつねではあるのですが、師走の声が迫るまで押し詰まってから、余ってたやつがあったことに気がつくというのがなんとも。

 本当に今年は、雪が融けて、四国九州辺りの桜開花だよりが聞こえて来た頃から、あらゆるものを先送り先送りにして過ごしてしまった一年だったなぁと痛感します。

 気がつけば、最寄りの郵便局に出かけて、窓口で未使用はがきを切手と交換してもらう程度でも、なんとなく「いま行ったら密かも?」と気が進まなかったですね。先送りしているうちに、どんどん引き出しの奥へ奥へと行っちゃったんですな。

 前の記事で、「日本のデジタル社会化が遅れたのは、メンドくさい細かい手間を惜しまずきちんとする事が好きで得意な人、得意ではなくてもやればこなせる人が多すぎるからだ」というようなことを書こうと思って、マラドーナさんの訃報に押されて棚上げにしてしまいましたが、この“年賀状書きと整理”こそ、日本人が如何にアナログ作業を苦にしないかのシンボルだと思う。

 さすがにケータイで育った世代はもうあけおめメール交換とか、そーしゃるねっとわーくしすてむ利用が多数派でしょうが、一か月以上前から専用の官製はがきを買って、自前のプリンタで印刷したり業者さんに発注したりしてデザインを競い、実際に年が明ける二週間以上も前に、自分にも先方にも無事に正月が来る事を疑わずに郵便に投函するなんて、悠長で手仕事感あふれる作業が、いまだに全国レベルで普通に行われていることからしても、日本人の“アナログ親和性”がわかる。

 “アナログを嫌わないし、アナログで皆なんとかやり切れてしまう”日本人だったから、逆にデジタル化が世界比で周回遅れになったんだと思う。日本人の大半がもっとズボラで面倒くさがりで、細かい手作業がイヤでイヤでしょうがなく、すみずみきちんとする事に気分良さをひとっつも感じない性分だったら、もっと早くにデジタルに飛びついて、紙の伝票やら稟議書やらは博物館行きになっていたでしょう。もちろんハンコ屋さんは全員商売替えです。

 もう11月の半ばから、ぽつぽつ黒囲みの喪中欠礼状はがきも届いています。12月に入ったら年賀状を書き始めてしまう人が多いだろうからその手を止めさせなくてもいいようにと、この時期に送るのが欠礼挨拶の常識。こういうタイムテーブルの敷き方も日本人ですよね。

 未使用年賀はがきと言えば、昔はよくFMラジオの番組へのリクエストを書いたりして使ってましたね。20年くらい前は、雑誌の読者プレゼントへの応募とかにも。今は無きTV Bros.の巻末の『こんな私でよかったら』なんか、一時は結構打率が良かったものです。いまもプレゼントコーナーのある雑誌や放送番組はあるのでしょうが、はがきではさすがに受け付けなくなってるのだろうな。郵便配達、今度は土曜日も休みになるらしいですしね。

 あと、12月と言えば、今年もあるのだろうか、“今年の感じ”・・じゃなくて“漢字”。清水寺の、えーっと何主さんだっけ?・・そうだ、貫主さん。あのホーキの様な筆のスタンバイはもう万端かしら。

 やっぱり今年は『禍』で決まりか。今年初めてこの字を覚えた、今年がこういう年でなかったらいまだに覚えてなかった人も多かったでしょうしね。

 いや、残り一か月で、急転直下というか直“上”というか、『婚』”にしてもらってもいいですけど眞子さま・・って良くないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NOVA墜つ ~神の手が神の子を~

2020-11-29 00:59:20 | スポーツ

 日々日の入りが早まり、いつの間にか帰宅時間には夜道同然になってきた今日この頃。

 菅総理肝いり政策のひとつ“デジタル社会の推進”。それ自体には個人的には大賛成でも大反対でもないですが、“昭和の昔は技術立国だったはずの日本が、二十一世紀、令和2年のこんにちになってナニユエ「世界レベルでは周回遅れ」と揶揄され憂慮される、隠れもないデジタル後進国に成り下がってしまったのか”という、ネットの辺境弱小無名泡沫ブログの身の丈に合わないにもほどがある国家的歴史的問題を、秋の夜長のつれづれに考えていたところ。

 ・・んで、「それは、日本人に“几帳面な人”“細かい手間暇を惜しまずきちんとするのが好きで、得意な人”が多すぎるからだ」「日本人の大半がズボラで面倒くさがりで無頓着でヌケサクで、しかもその自覚のない人ばっかりだったら、デジタル化はもっと進むべくして進んでいたはずだ」と、思いっきり暴論を展開しようと思っていたら、・・・・・

・・・今年相次ぐ国内外有名人の、前兆なき突然の訃報のダメ押しのように来ました。サッカーの“神の子”=ディエゴ・マラドーナさん死去。

 まぁここ数年の報道や近影を見るに、心身万全で元気いっぱいとはお世辞にも言えない外観にはなっておられましたが、コロナ禍で世界のスポーツ界が混乱と沈滞を余儀なくされる中での巨星墜つ。

 何がびっくりしたって、60歳。もうそんなになってたのかと思う向きと、まだ死ぬようなトシじゃないのにと思う向きとあるでしょうが、まるっきり月河と同年代じゃないですか。世に出てきたのが早くて、その時の姿が少年然としていたので、いまだにずっと若いイメージを持っていたのです。

 いまも昔も、あまりまじめなサッカーウォッチャーではない月河でも、マラドーナさんと言えば、顔と名前が一致した外国人サッカー選手として、“王様”ペレの次くらいに来た人でした。

 名前単体では、“皇帝”ベッケンバウアーのほうが先だったかもしれない。ただ、あちらは名前の響きの仰々しさだけが独走で、顔やプレースタイルがなかなかついてこなかった。当時は、地元で視聴できるチャンネルの、敷居の低い時間帯のTVで、海外のサッカー情報なんてまず入って来なかったですから。

 マラドーナさんは、あれは伝説の86年W杯メキシコ大会の後ぐらいのオンエアだったのか、缶コーヒー“NOVA”のTVCMで、月河も「これが噂のマラドーナか」と、初めて名前とビジュアルが一致したものです。一人写りでも小柄(身長公称166cm)なせいか若く見えましたが、当時25歳のマラドーナさんが教科書のようなボレーシュートを披露、商品名が見える角度に缶を傾けてグビグビ飲んで「のば!」とサムアップしていました。あのCMを何度も巻き戻しリプレイして華麗なボレーシュートを習得せんとするサッカー小僧が相当な数、日本国内にいたと思われ。蹴り出す足元がスローアップになりますからね。

 NOVAの商品名はその後、WANDAに変わりましたが、CM単体ではいまでも動画サイトで見ることができるようです。シュートが成功してもしなくても、そのあとグビグビして「のば!」でサムアップ、までがデフォルトで“マラドーナのマネ”ということになっていたような。

 いま思えば、よく日本のCMに起用されたなアと思います。大会前、もっと言えば代表選出前から、禁止薬物使用疑惑はかなり取り沙汰されていました。TV画像でも歴然とわかる、筋肉の塊りというか“結晶”のような大腿部。重心をとる軸足の絶妙な角度と魔法の様に振り出される左足の躍動など、“神の子”と称されるにふさわしいパフォーマンスの数々が、薬物でブーストアップして成ったものとは考えたくはないですが、とにかく比類なき才能に疑いはないものの“光まばゆいほど影も濃い”を、競技キャリアでも人としての人生でも体現した一生だったと思います。

 サッカーは世界的人気スポーツで、競技人口が多く参入してくる新人の数も半端ないですから、平均するとベテランの選手寿命が長い種目ではない(我が国にも“キング”というでかい例外はいるものの)のですが、それにしても60歳です。指揮官、指導者、啓蒙発信者としての可能性も含めて持てる力量のわりには盛(さか)りの時間が短い人だった気がします。

 もっとざっくり視野を広げると、月河にとってそれまで、タンゴと『母をたずねて三千里』のイメージしかなかった“アルゼンチン”という国を強烈に印象付けてくれたのもマラドーナさんでした。最近のワールドサッカー事情はどうかわかりませんが、アルゼンチンと言えば「マラドーナのようなサッカーをやる国」「ああいうタイプのサッカーがもてはやされる国」という納得の下地ができました。コレ、同国人の皆さんには本意なのかどうか。もっと緻密で紳士なプレースタイルとキャラを持つ選手も、月河が知らないだけで、きっと居るのだろうとは思いますが。

 5000%のハイパーインフレとか、通貨紙屑化でIMF介入とか、この国がしでかすいろんなことが「マラドーナを輩出した国だから」で説明がつく。

 極めつけは、国民的英雄の逝去だからと国葬扱いで全土が三日間の喪に服することになり、大統領官邸の大広間に遺体が安置され一般ファンの弔問を受け付ける、遺族も同意しての格別の計らいがなされたものの、「弔問時間が短い、延長しろ」と要求する集団が一部暴徒化し警官隊が出動、というニュース。ファンも血の気の多い人が多い・・というより、マラドーナさん自身が“人の血気を沸き立たせずにおかない”稀有な才能をお持ちだったということかも。死してもなお。

 輝かしいプレーの数々にわざとのように汚点をつける薬物や奇行の数々は、決して本意ではなかったでしょう。同年代で同時代にプレーしたチームメイトやライバルたちを5人抜きならぬ数十人“抜き”で旅立ってしまわれましたが、彼岸で初めて、何にも捉われず溺れず、才能の溢れるまま自由にボールを蹴ることができているかもしれない。ご冥福をお祈りします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする