テレビ朝日系スペシャルドラマ『点と線』(11月24・25日二夜連続)。第一部2時間21分、後編2時間24分、合計…えーっと…5時間弱か。ふぅー。
通して見られるわけはないと初めからわかっていたので、ぎっちり録画しておきましたが、途中CM早送りしても、これだけのヴォリュームを再生して最後まで観るのはえらい体力が要ります。
しかも、普通の長時間ドラマのように、家で何かやりながらBGMのように流しておけるたぐいの作品ではない。
たとえば『何野誰兵衛の事件簿』というタイトルだったら、その何野誰兵衛さん役の次に重い役と言ったら犯人役しかありませんから、何野役の次か同等の有名どころ俳優さんが出ていれば、序盤でどんなに善良そうに描かれたキャラでも、たいていそれが犯人です。
ところがこの『点と線』では、それクラスの俳優さんが何でもなさげなワンシーンに続々出てくる。
心中とみられた現場検証に駆けつける検死医が金田明夫さんだったり、女のほうが働く小料理屋同僚女中が筒井真理子さんだったり、男のほうの兄が中島久之さんだったり、あと、ビートたけしさん扮する所轄署の老刑事と、高橋克典さんの本庁捜査二課から来た若手刑事がいろんなところを聞きこみに回るのですが、男の泊まった旅館の番頭、部屋付きの女中、目撃した八百屋のオヤジ、通行人、国鉄の車掌…みんな“二時間ドラマ犯人役相当”クラスの俳優さんばかりです。
そもそも冒頭でいきなり死体になっている男女が大浦龍宇一さんと原沙知絵さんですから、原作をまったく知らずに、単なる豪華な事件もの長時間ドラマとして観はじめた人なら、そこらじゅう犯人っぽい人物だらけで目が回ったかもしれません。
『点と線』と言えば、小学校時代実家父の本棚から勝手に持ち出して読んだ松本清張さんのカッパ・ブックスの中にありました。
“東京駅13番→15番ホームの4分間”や航空機移動によるアリバイ偽装などの謎解きの眼目は、うろ覚えながらもう古典なのでさしたるスリルはなく、清張的社会派推理の例に漏れず“小悪は滅びても巨悪はビクともしない”後味悪い転結のストーリーとあって、痛快さやカタルシスにも欠けるのですが、TVドラマ久々のビートたけしさんを主演に担ぎ出しただけのことはあり、全体が鳥飼重太郎という老刑事を“宿命の女型ヒロイン”、もしくはジェラール・フィリップ辺りの演じる“女蕩しの天才”的な位置に想定した一種の恋愛ドラマのようにも読めるのが愉快でした。
鳥飼の発する強烈なオーラがまず本庁から来た三原の琴線に触れ、東京では汚職捜査に行き詰まりかけていた二課係長(橋爪功さん)以下の捜査員たちを、最初は戸惑わせ振り回しながらみるみるうちに火を点け、次々“陥落”させ、課長(名高達郎さん)までも味方にし、聞き込みに歩く先々で市井の人々に「この人には本当のことを言ったほうがよさそう、言わなければ」という気持ちにさせていく。
帰京する三原を見送りに同行と見せかけて、ちゃっかり上司の田中係長(小林稔侍さん)をホームに残し、上り列車に同乗して去ってしまう場面は、なんだか“駆け落ち”のようで、30年近く前芸能マスコミを騒がせたアイドル・木之内みどりさんと作曲家後藤次利さんの恋の逃避行騒動を思い出しました(奇しくも木之内さんの現在のご主人竹中直人さんも高級官僚役でご出演)。
署を無断欠勤のまま連絡も寄越さない鳥飼に業を煮やして上京、二課まで田中が“身柄引き取り”に駆けつける場面は“本妻登場”みたい。
しかも鳥飼の“陥落させた戦果”である二課員たちが口々に「鳥飼さんお世話になりました」「ご苦労様でした」「また飲みましょう」と最敬礼する。“本妻”上司の稔侍さん、たじたじやら怪訝やら。
中でいちばん鳥飼との協働時間が長く、いちばん深く彼に心服してもいる三原だけが敬礼せず、一堂にひとり直立不動のまま。これは恋愛ドラマにおきかえたら鳥肌が立つ別離シーンでしょう。
50年後の後日談として鳥飼の義娘つや子(池内淳子さん)から語られる、三原の後を追って雨の中を探し回る鳥飼の姿も悲恋ドラマチックでした。事件捜査と犯人逮捕という目標に向かってひととき熱く心を重ね合わせながら宿望果たせず(実行犯は逮捕前に自殺、政官界背後関係への手がかり途絶)、その志の高さと失意の大きさゆえについに胸襟を開ききれないまま別れた二人の男。
このドラマは、推理ドラマ、警察ドラマである以前に、超人的な戦闘能力や必殺兵器は持たない代わり人間の精神を動かす内的エネルギーを湛えた、鳥飼刑事という特異な男が主人公の“孤高のヒーロー”ものでもあるのです。
そのエネルギーの源泉は、日中戦争勃発からずっと大陸で旧日本軍の一兵卒として戦い、何度も死線を彷徨い戦友の屍を乗り越えて来た世代独特の、暗くたくましい雑草魂、地を這う虫の魂です。彼を衝き動かすのは劇的に輝かしくカッコいい社会正義感などではなく、どんな時代、どんな境遇でも生きたい、死にたくないと熱望する人間の性への悲しい共感でしょう。ここらは清張の昭和30年代作品、その内包する世界観をうまく翻案したと言える。
ビートたけしさんのぶっきらぼうで抑揚の乏しい台詞回し、例の事故以降幸か不幸か固着してしまった顔パーツの不均衡と無表情が、そういう時代を生き延びた男のキャラにナイスマッチ。
押しかけて泊まり込んだ本庁の仮眠部屋で洗濯物を干しつつ、三原相手に大陸での亡き妻とのなれそめを語りながら、照れてだんだんカン高かすれ声になっていく場面は、かつての『オールナイトニッポン』や『北野ファンクラブ』での露悪トークそのもの。妻が元は上海のダンサーでタンゴが得意で、一緒に踊るといつも足を踏み「バカ!」と怒られた…なんて昔話のくだりでは、「カミさんがフラメンコ習い出しちゃってヨ」と高田文夫さんにぼやいていた頃を思い出させました。
その妻の連れ子で、妻子持ち男と恋愛するなど情熱的な面もしっかり受け継いでいるという設定のつや子娘時代・内山理名さんも、決して上品ではないが実(じつ)のある、生活力に満ちた庶民の娘らしく魅力的でした。職業は地元の百貨店のエレベーターガール。当時は少女たちの憧れのお仕事だったはず。一日前に放送されたNHK『海峡』の長谷川京子さんとは別の意味で、内山さんも畳・縁側・卓袱台の昭和ワールドのほうが味が出る女優さんで、この時代背景だからこそ百貨店の花という設定に違和感がないのだと思う。
最近はもっぱら『只野仁』で永井大さんを子分にアニキ気取りを極めている高橋克典さんも、意外に昭和前期の七三オールバックが似合うし、思い返せば97年の『沙粧妙子 帰還の挨拶』が嵌まっていたように、“強烈はみ出し主人公を補佐し、ときにブレーキかける、青臭いが常識と忠誠心ある後輩・手下格”の似合う人だと思う。
第二部で鳥飼と三原が、主犯と思われる安田(柳葉敏郎さん)の鉄壁のアリバイを崩しあぐね思案する海岸で、下校の子供たちの遊ぶ紙飛行機を見てどちらからともなく「…?」「…!」とアイコンタクト、航空会社目指して走り出す場面が最高でした。砂に足をとられてよろめきそうになる鳥飼を気遣って振り向きながら足は駆けやめない三原。
なんだか二日違いで見たせいか、『海峡』最終回ラストシーンの朋子と俊仁「もう夢に出てこないで」「わかりました」の阿吽を思い出しました。
“闘う男同士、志の方向性が噛み合い琴瑟相和した極致は(結婚や性関係などの実利を求めない分)純愛に似る”という図式。日曜朝の東映ヒーロータイムとどこか似ています。
そう言えば三原と鳥飼の“喧嘩するほど仲がいい”的突発乱闘を止めに入って殴られる二課のメンバー役で、かつてのシャンゼリオン王蛇・萩野崇さんの顔も見えましたね。