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それによるとビートルズのプロデュース以外にプロデューサーやエンジニアを派遣する会社AIRを設立し、その後カリブ海の島にAIRスタジオを創設するなど経営者としての手腕を発揮した彼は、実は北海道とも大きな関わりがあった。AIRスタジオが89年にハリケーンにより被害を受け閉鎖に追い込まれ、その時無事だった機材一式がマーティン氏の手により札幌南区の芸術の森に建てられた「ファンハウス札幌スタジオ」に提供されたのである。スタジオの内装に用いられた寒冷地の松や札幌軟石の効果で「バランスが最高だ」とも語っていたそう。完成したスタジオに実際にマーティン氏も訪問していたのだ。この事実はこの記事を読むまで知らなかった。5人目のビートルズが札幌の地を踏んでいた、ファンとしてはとても喜ばしいことだ。そしてこのスタジオは今「芸森スタジオ」と変わり、昨年10月にここでも紹介した大貫妙子&小松亮太のアルバムTINTなど名作が録音されている。あのアルバムもとても音がよい感じがした。なるほど、そういうことだったのか、と妙に納得した私である。亡きジョージ・マーティン、札幌の音楽文化に多大に貢献してくれた。ありがとう、ジョージ!
以上、二人の音楽偉人を追悼し、次の話題に触れようと準備していたら、まさにその人の訃報が届いた。冨田勲氏が亡くなったのである…。