世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

同窓会

2006年11月06日 00時09分54秒 | Weblog
11月4日
宇都宮のイタヤホテルにて開催された母校の同窓会に出席した。
私が卒業した石橋高校は、今話題の履修問題で列挙されているらしい。
同窓会前日、マイミクさんの日記で知った。流行ノリノリではないか、母校。

同窓会の知らせが来たのは三ヶ月前の夏の日だった。
確か、尾道で一人旅をしているとき、母からの電話で知った。

あれから私の美肌プロジェクトが立ち上げられたんである。

喫煙と寝不足による肌荒れを何とか少しでも改善しようと、夜な夜な化粧水と乳液を塗り込んでいた(注 「塗る」ではなく、「塗り込む」)。
前日もエステ並の手入れをした。クリニークの「ターンアラウンド コンセントレート」の威力もあり、なんとかトラブルなしで当日を迎えることができた。この時点で、超ご機嫌な私。

…そこまでする意気込みはどこから湧き出るのだろう。
パックをしたおどろおどろしい顔を見つめ、自分に問いかけた。

高校在学中、私は暗い女子であった。

可愛いわけでも、成績が良いわけでもなく、ひたすら暗かったんである。
今もそうかもしれない。
しかし、あの頃と比較すれば、30Wから60Wの電球に取り替えられたぐらいの明るさは身についたと思う。たぶん。
恥ずかしいことを承知で言うならば、今回の同窓会に「リベンジ」という意味が込められていたことは正直否めない。
60Wのリベンジである。

明るいだけが人生の善だとは思わないが、そんな小さなことを固執してしまう、意識してしまう…それがあの同窓会の通知葉書というものではなかろうか。

お昼、「行ってきます!」と鼻息荒く出発する私を母は、道端まで送り出してくれた。
戦場に出兵する息子を送り出す母の如く…。
彼女は私が二時間かけて化粧したのを知っている…。
半分飽きれながらも、一緒に楽しんでいた。
「この世のハルが来ることを祈っているよ」
資生堂のCMをもじって、そんなことを言ってくれた。

会場に着くと、懐かしい顔がたくさん溢れていて、馬鹿馬鹿しい緊張感が一気にほぐれた。
出席者リストを見てみると、女子の殆んどが名前に括弧を付けているではないか。
名前が変わったどころか、話してみると親になっている人も見受けられた。
男子も「あらあ、なんて素敵な殿方なのかしらん」と思ってさりげなく左手薬指を確認してみると、大抵が眩しくキラキラ輝いていたりする。

嗚呼、私が毎日クマと戯れていたり、社長に「あのコ、気弱ですね~」と陰で言われているのを気にしながら、帰りに居酒屋で一人酒を呷っている間に…世の中は回っているんだなァ…とぼんやり思った。

そう言えば、私のクラスはミュージシャンを輩出した。
サンボ〇スターの某氏である。
彼も普通に出席していたが、やはり、なんちゅうか、オーラが違うんである。
締めの挨拶が凄くかっこよかった。
CD屋さんで彼のCDを手に取る度に「すっげー」と感動していたことを彼に話そうかと思っていたが、在学中一度も話していなかったのに今話かけるなんて失礼ではないかと考え直し、やはり辞めた。…嗚呼、こういうところ、やっぱ暗いよな、自分。

落ち着くと、人間観察を始める私。
在学中やそれ以降、付き合っていたと噂されるカップルを目で追う。
とっくの昔に別れた彼等が、お互い違う人と結婚しているパターンなど、特にまじまじと見てしまう。
普通に「元気だった?」とか会話しているのを芸能記者並の聞耳で観察するのだ。
「ここで盛り上がって…このまま昼ドラ的展開にならないかしら。うふふ」と一人で盛り上がる私。
男日照りが長いと、ここまで脳内エンターテイメントが確立できるようになるんである。…そういう人間は、当然昼ドラの主人公という座は与えられないんだが。

卒業してからも何人かの友達とは飲んだりしていた。
しかし、就職してからはぱったりで、mixiで数人と再会するぐらいだった。
そんな彼等と久々に美味しいお酒を飲めのが一番嬉しかった。
もう、「リベンジ」とかつまらないプライドが春の雪のように消えていった。

石橋高校は、3組と4組が国立組で、私は1組の私立文系クラスだった。
在学中、3組と4組の皆さんからはインテリジェンスな空気がそこはかとなく漂っていて、あまり接触がなかった。
しかし、同窓会では、一度も話したことがないそんな彼等と盛り上がることができたのも収穫だった。
結局三次会まで出席し、古典の先生の隣に座ることになった。
授業中、「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな (BY額田王)」という万葉集を習った折りに、受験では出ない訳(エロ訳)を教えてもらったことを思い出した。
高校生という多感な時期に耳にしたエロ訳は衝撃的で、以来、Y沢先生というと「熟田津に…」が真っ先に頭に思い浮かんだ。
る、らる、す、さす、しむ、じ、…が未然形だということは暗記できなかった私だが、あの日の授業だけは忘れられない。
それをY沢先生に言ったら、凄く喜んでいた。
そして古典の授業開始@居酒屋。
あの頃、ちっとも楽しくなかった古典が今、こんなに楽しい。不思議だ。

嗚呼、一大イベントも終ってしまった。
明日から何を生き甲斐に暮らしていけばいいんだろ。

同窓会や昔の友達との飲みのあとは、いつもそんな空虚感が苦しいほど胸を締め付ける。

でも、明日からまた前を向いて歩いていかなければならない。
自分の人生に強い自信はまだ持てないけれど、それでも自分の人生が大好きだ。
自分の人生を最後まで責任を持って全うするのは他でもなく自分しかいない。
どうせ生きなければならないのだから、好きな人生を生きたい。

そんな人生の中で出会えた沢山の人のおかけで、私は今、生きている。
「過去の人」なんていうカテゴリーは私にはない。
みんな、いつかまた会えるって信じているから。



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