「女徳」(瀬戸内寂聴)を読み終えたのに感想を書いていなかった。
とにかく、長かった。長かったよ。
時々他の本に浮気しつつ、たまに手に取り、じっくりと読んだ。
で、また放置…。
気付けば、最初の頁を捲ってから数ヶ月も経過しているではないか。
でも、間が空いても数行ほどを読めば、それまでの話の流れや人物の心情が不思議なほど鮮やかに蘇ってくるので苦にならなかった。
作中、「こんな表現や語彙をさらりと使用できたらいいのに」
という箇所がたくさんあり、メモを片手に読んでいた。
寂聴先生、すげー。
着物デザイナー亮子が、京都の祇王寺の庵主・智蓮尼(たみ)を訪ねるところから話が始まる。智蓮尼の生い立ちから出家に至るまでを、亮子に聞かせるという形でストーリーが進んでいく。この亮子っつーのが、名前もさることながら、これまた淡白。私に似ていて、非常に親近感を持った。
幼き頃、置き屋に売られ、舞妓・芸子になったたみ。
14歳で恋人に操を立てようと、自ら小指をつめた。ひぃ~。
その後、愛人や妻になり、当時は珍しかった洋行へ旦那に連れていってもらう。
しかし、留学先の寄宿舎で同性愛に目覚めちゃったり、旅先で若い学生と密会しちゃったり、そうかと思えば女優になってみたり、濃すぎる人生を歩んできた。
やがて奈良に戻り、たみを仏のように崇める和三郎と出会う。
彼のプラトニックな無償の愛に触れ、40歳で出家。
なんて壮絶なんだ!
これが実話に基づいているっつーんだから驚きである。
その時置かれた状況とたみの心情がうまく絡めて表現されており、とても良かった。さすがである。
「女徳」は、恐らく、これから続くであろう私の人生の中で、何度も何度も読み直す作品になると思う。
今年の夏から初冬にかけて、この作品と一緒に歩んだ。
その間の空気の匂いの変化など、きっと私は忘れないだろう。
でも、結局「女徳」という意味が分からなかった。
いいか。
これから学んでいければ。
なんだか、京都に行きたくなった。
次回は尼寺巡りにしようか。
とにかく、長かった。長かったよ。
時々他の本に浮気しつつ、たまに手に取り、じっくりと読んだ。
で、また放置…。
気付けば、最初の頁を捲ってから数ヶ月も経過しているではないか。
でも、間が空いても数行ほどを読めば、それまでの話の流れや人物の心情が不思議なほど鮮やかに蘇ってくるので苦にならなかった。
作中、「こんな表現や語彙をさらりと使用できたらいいのに」
という箇所がたくさんあり、メモを片手に読んでいた。
寂聴先生、すげー。
着物デザイナー亮子が、京都の祇王寺の庵主・智蓮尼(たみ)を訪ねるところから話が始まる。智蓮尼の生い立ちから出家に至るまでを、亮子に聞かせるという形でストーリーが進んでいく。この亮子っつーのが、名前もさることながら、これまた淡白。私に似ていて、非常に親近感を持った。
幼き頃、置き屋に売られ、舞妓・芸子になったたみ。
14歳で恋人に操を立てようと、自ら小指をつめた。ひぃ~。
その後、愛人や妻になり、当時は珍しかった洋行へ旦那に連れていってもらう。
しかし、留学先の寄宿舎で同性愛に目覚めちゃったり、旅先で若い学生と密会しちゃったり、そうかと思えば女優になってみたり、濃すぎる人生を歩んできた。
やがて奈良に戻り、たみを仏のように崇める和三郎と出会う。
彼のプラトニックな無償の愛に触れ、40歳で出家。
なんて壮絶なんだ!
これが実話に基づいているっつーんだから驚きである。
その時置かれた状況とたみの心情がうまく絡めて表現されており、とても良かった。さすがである。
「女徳」は、恐らく、これから続くであろう私の人生の中で、何度も何度も読み直す作品になると思う。
今年の夏から初冬にかけて、この作品と一緒に歩んだ。
その間の空気の匂いの変化など、きっと私は忘れないだろう。
でも、結局「女徳」という意味が分からなかった。
いいか。
これから学んでいければ。
なんだか、京都に行きたくなった。
次回は尼寺巡りにしようか。