世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ボーナス支給日

2011年12月15日 | Weblog
ボーナス支給日。

全体朝礼あり。会長から「ボーナスやっから、ちゃんと働けよな」的お言葉をいただく。
今年は震災による特需があったが、来年はこうもいかないのでは?…という不穏な言葉を残し、朝礼終了。

でもボーナスをいただけたことは、素直に嬉しい。
半年間の私の仕事の対価が、ストレスが、お金になってここに集結!っていう感じだ。


ボーナス支給日の夜は一人で飲むのが定番なのだが、如何せん、明日も明後日も出勤日なので今日は辞退。
代わりに大好物の山菜と納豆のサラダスパゲティをご褒美にした。うまー。



夕方。
会社隣の公園で、子供たちが騒いでいた。
役所の人が枯れ葉を一ヶ所に集めるために、ホースで風を散布していた。
舞い上がる枯れ葉に10人ぐらいの子供たちがキャキャしながら突入していた。楽しそうだった。

「『おばさんも混ぜて~』って、言いたかったですよ」
と、吉熊上司と後輩女子Cちゃんに報告したら、
「あ、自分をおばさんと言うようになったか。偉いぞ」
と吉熊上司に誉められた。
「はい。来年の目標は『謙虚に』にしようかと」
と思ってもいないことを口任せに言ったら、吉熊上司は爆笑していた。

ボーナスもらって懐がうはうはだったので、自分をおばさんに卑下することも苦痛ではなかった。

来年、どうしてもイギリスに行きたいので、とりあえず貯金かな。



今日は一日、会社四季報(2012年新春号)をまとめて終了。

さて、明日も頑張るか。

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NHKスペシャル「震災遺児1500人」

2011年12月15日 | Weblog
昨晩は、再放送のNHKスペシャル「震災遺児1500人」を観た。

2人の震災遺児が取り上げられていた。

一人は両親と姉を津波で失って祖父母と暮らす海音(かのん)ちゃん、8歳。
もう一人はやはり津波で祖父母と弟と母親を失った雄貴君、11歳。

海音ちゃんは、いつも笑顔を絶やさない子だ。おばあちゃんの話によると、お母さんの遺骨を見て「お母さん、お母さん」と泣いた時から、人前で涙を見せなくなった。津波の話をすると落ち着きがなくなり、話題を変えようとする。海音ちゃんのお父さんは仕事で津波に飲まれ、お母さんとお姉ちゃんは車で海音ちゃんを探している中、津波に飲まれてしまった。その事実と共に生きる海音ちゃんの苦悩はいくばかりか。想像もできない。

以下、海音ちゃんの作文。

もうダメ、はしれないとおもいました。
そんなとき、こんな声がしました。
「がんばれかのん。」ママの声です。
「そうそう、うちの分までがんばれよ。」おねーちゃんの声です。
「がんばれかのん、つなみにまけないおまえが、まけるわけがない。おれたちの分までがんばれ。」パパの声がしました。
そのときわたしはこころの中でおもいました。
「うち、がんばっているからおうえんおねがいね。」
楽しかったけど、ちょっといまひとりになったことがくやしいです。


あんなにまだ小さいのに、ちゃんと前へ歩き出す海音ちゃんが健気でいじらしかった。


もう一人の雄貴君はお父さんと一緒に仮設住宅に住んでいる。震災当日は学校にいたため、無事だった。お父さんは他の家族を守れなかった自分を泣きながら責める日を送っている。亡くなった下の息子・一世くんはまだ1歳だった。
他の子の泣き声を聞いて「一世か?」と見回す視線、途端に曇るお父さんの顔色が、なんともいたたまれなかった。雄貴くんは、そんなお父さんをなんとか励まそうと勉強などを頑張っていた。しかし、プレッシャーになっていたのだろう。担任の「頑張らなくてもいいんだよ」の言葉で号泣したそうだ。


子供は大人が思っている以上に、繊細で敏感なのだと、初めて知った。

建物や道路はいずれ時が経過すれば復興する。
しかし、人の命だけはどうしても再現できない。
残された人たちは、「(亡くなった人は)心の中で生きている」という考えの下、現実の世界で、前に進むしかできない。
そんな現実が果てしなく狂おしいほど残酷に思えた。


震災から9ヶ月。
震災で親を失った子供たち、1500人。
彼らが、少しでも希望を持てるようにするためには、私は何ができるのだろう。
眠る前に考えてしまった。

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