20時に起床。
ワイ、パッキング苦手。というかできない。
取っ散らかった部屋で呆然となる。
でもお腹は空く。
今日も元気いっぱい「やえびし」でモリモリご飯をいただく。
ここのご飯は最高に美味しい。
黒糖ヨーグルトは今後も恒常的に摂取したい。
かつお、ぷりぷり。
鰆はほんのりと甘くて、なんとも言えない美味しさ。
感染症対策ばっちりのシーサー@やえびし。
さあ、今日もたくさん泳ぐぞ!(パッキング、どうした?)
暫しぼんやり。
部屋に戻り、トランス状態でパッキング。
チェックアウト後もタオルと更衣室の貸し出しをしてくれるそうなので、数時間、泳ぐ。
見納めの限りなく透明に近いブルー。
左側のテントでライフセイバーが常に海水浴客たちを監視してくれているので心強かった。みんな気さくで優しい人々だった。
また来年、来られるのだろうか。
ここで、ドイツ生まれのスイス人(子持ち)の44歳と友達になった。
金融会社の社長をしているそうだ。
息子くん(幼児)にじゃがりこをあげたら喜んでいた。
なんとなく甥っ子ににしているので、つい。
スイス人にランチでもご一緒に、と言われたのだが、時間がなくて断ってしまう。
水着を更衣室の脱水機にかけて、急いでシャワーを浴びた。
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水着、1分で乾いた。すげー。
そして母とLINEビデオ通話でお土産をチョイス(店員さんに了承を得て)。
母と一緒に買い物ができた気分になり、心強かった(我はマザコンなり)。
最後、宮古ブルーにお別れ。
ここで東京から来てビールを飲みながらまったりしている青年と友達になった。
彼はあの飛行機に乗っていたそうだ。
宮古発羽田行きの全日空機が緊急降下 酸素マスクが出る
「酸素マスクが落ちてきたときは『俺の人生終わったな』と思ったよね」と言っていた。こわたん。
また来るね、東急ホテル。
15時、バスに乗る。
宮古空港、市街地を通り抜けてみやこ下地島空港へ。1時間の旅。去年は尿意との戦いだったこのバス。
戦時中、祖父は宮古島で空港を作っていたらしい。
宮古島に来る度に、祖父を思い出す。
もっと話を聞いておけばよかった。
空港で伊良部なまり節そばを啜る。厚みのあるお魚が入っていてとても美味しかった。
トイレと一服を終えて飛行機へ。
SKY618 みやこ下地島空港発、羽田空港着。
17:15、離陸。
機内は満席。
彩雲も見られたし、コーヒーも美味しくて2杯もおかわりしたし、機長さん(那覇市在住)のユーモアなアナウンスも聞けたし、林真理子先生の小説も読めたし、良いフライトだった。サンセットは言わずもがな。
羽田空港に到着。
なんか寒いんですけど…とユニクロのカシミアセーターを着ながら浜松町駅までのモノレールに揺られた。
今年も良い旅ができて本当に幸せだ。
去年は沖縄病にかかり、帰宅後、暫く放心状態だったが、今年は「また行ける」という確証を得られたので然程落ち込んでいない。
そして旅先で多くの人と出会い、お話をして刺激を得られたのもこの旅の美点であった。
毎日の会社・心療内科と家との往復では得られない瑞々しい経験ができた。
世界は広く、そして多くの人が、いる。そう実感できた。
感情をフラットにするデパケンを飲んでいたので旅に出てもあまり感動はしないのかも、と危惧していたのだが、そんなことなかった。
美味しいものは美味しいと心から感じ、綺麗なものには必ず目を奪われて笑顔になれた。
できたらまた来たい。
戻ってくるよ、必ず。
待ってろ、宮古島!!