新潟市へ向かった目的は「信濃川」の河口を見ることでした。「信濃川」は八ヶ岳を源流とする「千曲川」と北アルプスを源流とする「梓川」や「犀川」が長野市で合流して「千曲川」として新潟県に向かい、「信濃川」となって新潟市で日本海に出ています。その源流の一つに松本市の鉢伏山から流れ出る「牛伏川」があります。いつも自然観察会に参加しているその「牛伏川」はあばれ川として知られていました。明治期に開かれた新潟港が土砂で埋まってしまい、困った明治政府が原因を探ったところ、一因としてこの「牛伏川」の土砂が流れ下ることで港が埋まってしまうという結論に達したようです。そこで明治政府は技師をフランスに派遣し、そこで得た技術を導入して土砂が流れださないように治水対策をしたのが「牛伏川」の「フランス式階段工」です。ここを訪れる度に「フランス式階段工」ができる事になった港、信濃川の河口を見てみたいと思っていたのです。まずはその「信濃川」とそこにかかる有名な「萬代橋」です。
この橋は1929年に造られた石のアーチが美しい橋で、国の重要文化財に指定されています。橋にはたくさんのチューリップが植栽されていました。
この橋の河口方面に「朱鷺メッセ」があります。水上バスが行き交う川でもあります。
港の海鮮丼やあら汁をいただく頃には夕暮れになってきました。「信濃川」河岸の遊歩道を散策しました。
灯りがともり出した夕暮れ風景も素敵な「信濃川」でした。歩いた場所は「みなとさがん」…新潟港の案内には「萬代橋下流。ここはもう港です。」と書かれていました。
翌朝は実際に「信濃川」の河口に行ってみました。ここが延々と流れ下ってきた信濃川が日本海に入る場所です。
海に出る場所の信濃川の下にはトンネルがあって、その両岸の排気口の上に展望台が設けられています。その「入船みなとタワー」に登ってみました。船が行き来していて、河口は港そのものでした。
「信濃川」河口を確認した後、「みなとぴあ(新潟市歴史博物館)」へ向かいました。信濃川沿いにある施設です。「信濃川」を眺めていたら、ここでビックリ、NHK新潟の方にインタビューを受けました!新潟市の良い所を探している番組だそうで、何を見ておられるのですかとか、どこからいらしたのですかなどと聞かれて、何とここへ来た理由について、この記事の冒頭のような内容を話しました!牛伏川の話はご存じなくて、興味深く聞いてくださいました…ここからも河口が見えました「朱鷺メッセ」の向かいにあります。
ここにあるのは「旧新潟税関庁舎」と「旧第四銀行住吉町支店」と「博物館本館」などです。
「旧新潟税関庁舎」は国の重要文化財に指定されている明治2年建築の建物です。松本の旧開智学校と同じく「擬洋風建築」です。
「信濃川旧河道」と「荷揚げ場」は当時の「信濃川」の川岸だそうです。、それに「四間堀」と「石庫」です。「石庫」は課税を保留したまま輸入品を一時保管する「保税倉庫」として明治2年に建てられたものの復元だそうです。
こちらは「旧第四銀行住吉町支店」の建物です。昭和2年の建築です。平成14年まで営業していた後、この地に移築復元されたそうです。当時の銀行建築に多い新古典主義様式の建物です。中央正面のイオニア式列柱やアーチ型窓、吹き抜けの営業室の二階部分に巡らされているギャラリー、漆喰天井飾り、大理石のカウンターなどが特徴です。
銀行ならではの大きな金庫やステンドグラスも注目でした。
階段室や洋風なお部屋、それに和室もありました。
こちらは「博物館本館」です。明治44年建築の新潟市庁舎のデザインを取り入れて建てられたそうです。新しい建物ですが、素敵な風格ある建物でした。
長年思い描いていた「信濃川」の河口を確認できて良かったです。さすが大きな川で、柳都新潟を実感しました…
の堰と、河口の話が繋がりましたね。
同じ川なのに、信濃川という名前が新潟に入ると
使われるのも面白いです。信濃川がいくらでも
砂を運んで来てしまうから、新潟市はどんどん
沖へ広がる。
広がった土地に、古い立派な建物を移築。
あまり見に来る人もいなさそうですね(笑)
しかし私には第四銀行がたまりません。
当時は貴重だったと説明書きのあるラワンが
階上では腰壁として使われてます。私が
小学生の頃には、すでにラワンというと安い
材料の代名詞になっておりましたが、
さらに遡ると高価なものだったのですね。
見てみたいです。
一階の作りもまた古典的な銀行ですね。
カウンターの側面はずいぶん色模様の異なる
石が使われてます。お金を受け渡しする
ところは鉄格子があって面白いです。
デジタル化が進んで行き、将来の子供が
この建物の鉄格子や金庫を見ても、それが
何を意味するかわからないという時代が
あと20年くらいかなー、やって来そうです(笑)
本当に遥か彼方の上流のフランス式階段工と
新潟の河口が私の中でようやくつながりました(笑)
ずっと気になっていたことなので確認できて満足でした。
新潟港が信濃川河口であったため土砂が堆積しやすく、
大型船が着岸できず大工事をして港を整備したそうですが、
上流の砂防工事までするとは、すごいこと!
いろいろ実際に見学して学ぶことも多かったです。
長野県内は千曲川なのに県境を越えると名前が変わる信濃川…
これも面白い事実ですね。
この「みなとぴあ」は水の都と呼ばれた新潟市の歴史が見られる場所…
魅力的な建物や展示があって興味深かったですが、
たしかに見学者は少なめでした…
その中でやはり銀行の建物とその内部は注目!
当時貴重だったラワン材を使った腰壁もいい雰囲気でしたし、
カウンターは大理石でしょうか、とっても素敵でした。
そうそう、足元のモザイクタイルもおしゃれでした!
大きな金庫や鉄格子のカウンター
これは一昔前の遺産となっているかもしれませんね。
たしかに近い将来の子供たちには分からなくなるのでしょう。
時代は変化していると実感します。
私も牛伏寺での茶会や家族の厄払いの護摩炊きで、何度か牛伏寺川沿いに車で行き来していましたが
散策しないので「フランス式階段工」を見た事が在りませんでした。
あばれ川だった事も・・・
余り、水量が多い時に行って居ないからかも知れませんが
牛伏寺川は山林のかなり下を流れている印象を持っておりました。
「フランス式階段工」が信濃川の河口へ誘われる原因になったのですか?
流石ですネ。
グルメや信濃川河口と港の歴史や風景をひっくるめて勉強家ならではのタッジ―マッジー様の旅行ですネ。
流石です。
牛伏寺は私も厄除け祈願などで何度か訪れていますが、
この「フランス式階段工」は牛伏寺の脇を牛伏川に沿って
もうしばらく上流に行った所にあります。
牛伏寺は有名ですから多くの方が訪れますが、
その先まではなかなか足を延ばせないかと思います。
まだまだ自然がいっぱいあって花が咲き、蝶が舞う場所です。
牛伏川の自然観察会に通うようになってもう10年近くになりますが、
その間にこの「フランス式階段工」100年の記念行事もあり、
詳しく学ぶ機会がありました。
その時お聞きした信濃川河口の話が気になっていて…
今回ようやくその河口を訪ねることが出来ました。
新潟港の実際を確認したなかなか面白い旅でした!
以前にした天竜川の始まり(釜口水門)から河口(太平洋)までの旅…
これも天竜川に沿ったり秋葉街道を辿ったり、
なかなか興味深い旅でした…
出遅ればかりで・・。
「日本一長い川、信濃川」!
言葉だけ知っているような「信濃川」
「牛伏川・階段工」と そんな深い繋がりがあったとは!
取材されたNHKの方にとっても貴重な情報だったことでしょう。
なんの番組か気になるところで「NHK+」で新潟放送局の番組を探してしまいました
タッジーマッジーさんへのインタビュー箇所は見つかりませんでしたが 他に興味深いところばかりで・・
(こういうことをしていると時間がなくなってしまいます)
☆「もうここは港です」
とうとうと流れる信濃川はもう海に。
信濃川の下にトンネルが通っているのですか。
なんだか圧迫されているようで怖いです。
「新潟港」
いまさらながらですが 新潟の「港」ってあまり知りませんでしたので(「寺泊」しか知らない!)
不思議な気持ちで船を眺めました。
☆「石庫」は課税を保留したまま輸入品を一時保管する「保税倉庫」
漁港というわけでもなく貿易港、古い建物や石橋、飾られたお花たちに
「新潟平野」「お米」「がんぎ」「新潟地震(記憶にある古い地震からも)」「佐渡島」だけでない
見知らぬ地をゆっくりとご一緒させていただきました。
(*!*)
きょうは 朝6時50分に家を出て「野の花の会」で浜松の花博へ行ってきました。
隣の席の方が「新潟情報」に詳しい方で(「おばあちゃんち」が新潟とのこと)
iPadでタッジーマッジーさんのブログを見ながら「そうそう、こうなのよ」と懐かしがってらっしゃった。
帰宅後爆睡し、今頃になって「未送信」コメントに気が付きました。
「出遅れ」がまた一日「出遅れ」で・・こちらに送信!!
信濃川は日本一長い川ですね。
山梨県境にある甲武信ヶ岳が千曲川の源流ですし、
千曲川に流れ込む犀川に流れ込む梓川の源流は槍ヶ岳…
いずれにしても遠い所から流れ下っています。
牛伏川もその源流の一つかと思います。
階段工のことをあれこれ知って行くうちに
信濃川と新潟港にたどり着いたのです。
取材されたNHKの方はご存じなくて、
でも興味津々の様子で聞いてくれました。
私も気になって新潟放送局の番組を見てみましたが
どんな番組になったやら分かりませんでした。
取材は丁寧で、最後に記念撮影までして下さいましたが…
河口を探し、港を探して歩いていて見つけた看板!
川岸に「もうここは港です」と書かれていてなるほど…
川を港にしたのですから土砂が溜まってしまって困ったことでしょう。
牛伏川のことまでたどり着いて治水対策をしたのも頷けます。
この川の両岸から通じているトンネル…
車道と歩道が全く別のスペースになっていて、
皆さん便利に使っているトンネルのようです。
新潟港は貿易港としての役割があったのでしょう。
横浜、函館、長崎、神戸と並んで幕末からの開港5港に名を連ねています。
税関の建物や石庫が残っていることからも貿易港だったことが分かります。
新潟について私も今回、新たな土地を歩いて面白かったです。
この年になっても知らないことばかり…いろいろ知ることが出来ました。
浜松の花博!…花博の後は公園になっていると聞いていましたが、
そこで新たな花博が開催されているのですね、私としたことが認識不足…
これは知りませんでしたが、前回の花博からもう20年!
その浜名湖花博には泊りがけで行って2日間歩き回ったものです。
20年後の花博はきっと新たな時代の花博でしょうね。
道中で新潟の話もされたのですね。
この花博の話は興味津々…また聞かせて下さいね。