何年振りだろう。
お盆に、田舎で過ごすというのは・・・。
今日は、御霊が帰ってくる日だ と 教えられた。
仏壇にお供え物をして、朝早くから準備をして、
菩提寺のお坊さんを待ったが・・・
夕方18:30を過ぎても、いらしてくださらない。
今日の四国も、暑くて・・・
夕方だというのに、今は37℃という気温だ。
通常は、檀家を順番に まわってくださるのだが、
我が家は、ずっと空家だったので、もしかすると・・・
リストから こぼれているのかもしれない。
外出もせず、テレビも見ず、ただじっとお寺さんを
待った一日が、今、過ぎようとしている。
田舎の風習は、守りつつ・・・
されど、形式ばかりにこだわり、意見をされた親戚の言葉を
自分なりに解釈すると、疑問が残ることも多い。
「 心よりも、カタチが先か 」 ・・・と。
けれど、今日のような一日は、空回りのように思うが、
私は私なりに、御先祖をお迎えする準備をして、
心を傾けたことに対しては、何も問題はない。
お寺さんが、来ても来なくても、それは変わらないから―。
ただ、お寺さんがいらしてくださるのであれば、
それなりの準備が必要なわけで、それがすっぽかされたのが、
なんとなく腑に落ちない部分ではある。
しかし、長く空き家だった我家だから、お寺さんを
責めることもできないのが、辛いところだ。
私が、電話一本かけていれば良かったのかもしれない。
今回のことを通して、田舎の風習や決まりごとについて
感じたことがある。
様式や形式は、ある程度守りつつ、引き継いでいかないと
いけないものだとは思うけれど、あらゆる意味で、
負担がかかったり、過度の準備が 必要だというのは、
面倒なことだ とも 思う。
簡潔に改定していけるものは、それなりに変えても
良いのかもしれない。
お寺と檀家との関係も、それぞれ変化してきているし、
個々によって事情もある。
お寺さんにすっぽかされたから、今日は・・・
私が おとなえすることにしよう。
迷わずに、ここまでお帰りくだされますように ― 。