「 人生 の 転機 」

2013年08月08日 | 雑感 -

何も事柄が起きなければ、当然ながら、何も変わらない毎日だ。


人生の転換期というのは・・・
気がつかないうちに、それまでの人生とは全く違う “ 出来事 ” が、
幾つも 起きて、自分の人生の ある時期 における鋭い 「断絶」 と、
それに対する 「 対処法 」 が必要になったことによって特徴づけられる。

そして、これが、 「ターニングポイント」 になる場合が 多々ある。

このような時には、誰も、情緒的な反応が 起きてくるものだ。
それらは、人によって違うけれど・・・恐れや不安、希望や喜びなど、
多くの感情が入り混じったものだ―と思う。
どのような出来事が起きたかによって、人の感情は変わってくるし、
しばらくの間は、ある出来事の対処に集中することで、徐々に “ 先 ” が
見えてくるような気がする・・・。



転機を 挑戦だと 理解するのか・・・、
転機を 自己成長として 解釈するのか・・・、
転機を 当然のように 自然の流れだと 受け容れるのか・・・、
あるいは、
友好的な新しい出来事による旅立ちだと、転機を見るのか・・・。


   


私の場合、自分に常についてまわったのは、以下の二つだ。
「 価値観の変化 」 と 「 新しい自分との出会い 」。
そして、自分がおこなった 「 価値の明確化 」 の内容次第で、
必要となった試行錯誤や調整や順応という行動の果てに、
究極の人生の意味を追い求める自分と出会うことになった・・・。


「生きる」 とか、「生きている」 というのは、非常にシンプルで、
私の場合は、「どう生きるのか」 というのを、いつも意識している。
だから、大きな出来事が起こっても、いつも変化しては、それに順応し、
自分を可能な限り 変容する余裕はあったように思う。

執着心を捨てて、さらなる簡潔な道を選んでいくようになって、
何時の頃からか・・・・
人に対しても、過剰な期待をせず、その時々の時間を 有意義に
過ごすことを優先した。

だから、私は、より簡単に、あるいは簡素に、スタートが切れる人に
近づきつつあるのかもしれない―と、今は思う。




   八月は、私にとって身近だった人や、愛しい人が、
   この世を去った月でもある。
   何故か、他の月よりも、八月は多い。
   お盆があるので、都合良く考えれば、仏教徒の人は、
   お迎え頂く時期として、有り難い月なのかもしれないが・・・。

   大事な人との別れもまた、人生の転機になることがある。
   思い返せば、私自身も、感情の変化と一緒に、
   自分の価値観が変わっていったことがあった。