母との思い出の店で・・・

2013年08月16日 | 食事 -

私が、実家を出て、東京へ行ってから・・・
父には 疎んじられ ( 父の希望を無視して上京したから )、
母だけが 私の生き方 ( 選択 ) を 応援してくれていた。

あの頃、家出同然で、実家を出た私は、肩身の狭い思いで、
田舎に帰省していた。

しばらくの時間を共に過ごして、東京へ向かう飛行機に乗る際には、
母が運転する車で、いつも 空港へ向かった。
ゲートをくぐっても、母は空港の屋上から 飛行機が飛び立つまで
いつも じっと眺めて、私を見送ってくれていた。
その姿を思い出すと、今も、ちょっと 「 うるっ 」 とする・・・。

母は、本当に、明るくて、愛情が豊かな人だったから、
すべての感慨&思い出や 忘れがたきことが、空港の姿とダブって
思い出される。



空港へ行く途中で、いつも二人で食事をしていた店に、出かけてみた。
うなぎや お寿司や うどんなどが 主で、古くからある和食店だ。

私は 「 うな玉丼 と うどん の セット 」 を 頼んだ。

   昔から味の濃い店ではあったけれど、美味しくなかった。
   昔も美味しくはなかったけれど、もっと美味しくなかった。
   うどんの汁は昆布が中心で、かつおの香りはしない・・・。
   母との思い出が、汚されたような感情になってしまって、
   哀しくなった。 切なくなってしまった。
   だから、コメント ( アンケートシートがあったので ) を残し、
   うどんの美味しい店に行って、口直しをした。




   四国では、美味しいだし汁のうどんが多い。
   昔は、どの店に入っても、美味しいだし汁のうどんが食べられた。
   ここは、その頃の汁を思い出すような・・・美味しい汁だったョ。

   やはり、同じ一食だから、美味しいものを食べたいと思う。



※うどんの汁の味の違いは、写真を見るだけでも分かるかもしれない。



私の小学校の低学年の頃の “ 将来の夢 ” は、「 うどんや 」 。

うどん好きの子どもで、県道沿いのうどんやさんを 食べ歩きして、
美味しい 「 うどん 」 の研究をしながら、だし汁を堪能していた。


母の命日に、久しぶりに、「母との思い出の店」 に出向いたが ・・・
ピカピカの豪華だった店は、今はもう壁のクロスが剥がれるぐらいの古さで、
年月の流れを感じることになった。

でも、母の愛情を思い出して、心が ほっこりと した・・・。
料理は美味しくなかったけれど、行ってよかった―と思う。

庭 の 「 高野槇 」

2013年08月16日 | 出来事 -

今日は、母の命日。

阿波踊りのお囃子が聞こえなくなって、すぐ―だから、
忘れられない日である。



何度誘っても同居を拒んでいた父が、ついに・・・
一人暮らしをあきらめて、私に 「 連れて行ってくれ 」 と
頼んでくれた年 ・・・
実家を離れる時に、 父は、“ 思い入れのある木 ” を、
2本 植樹した。

一本は、幼少時代、自分が育った家にあった 「 夏みかん 」。

もう一本は、お墓にお供えするための 「 高野槇 」。

あの頃は、小さかった高野槇が、今は見事に育っている。


お墓に、高野槇を お供えして、母らしくピンク色の洋花を飾り、
自宅のお仏壇では お経をお唱えた。



高野槇とは、高野山にある槇のことで、一般的なマキの木より
葉っぱがとがっていて、凛とした印象がする槇である。



植樹してからも、二ヶ月に一度は 父と 帰省していたので、
高野槇の育つ軌跡は、一緒に見ているが・・・
現在のような立派な木になるとは、思いもしなかっただけに、
見せてあげたかったと思う。


父がつくった庭は・・・本当に、ひとつひとつが手作りで、
手直しするのが申し訳ないぐらいである。


日本人にとっては、いろいろな意味をふくんでいるお盆を
こうして、実家で久しぶりに過ごしてみると・・・
「私のルーツは、ここにあるのだなぁ~」 と、やはり感じる。